第2話 水に触れた日々②(海の道)

幼い頃の私は、海が大好きだった。

だけど——その日だけは、海がまるで“別の顔”を見せていた。


足元の砂が、ふいに崩れた。

次の瞬間には、私は波にさらわれ、冷たい水の中へ引きずり込まれていた。


「っ……!」


水が容赦なく口の中に入り込み、苦しさで胸が焼ける。

水面は遠く、手足を動かしても沈むばかり。

視界は泥で濁り、何がどこなのかもわからなかった。


(こわい……息が……できない……)


肺が悲鳴を上げ、頭の中ではただ恐怖だけが膨らんでいく。


その時だった。


——すう、と。

まるで誰かが肩にそっと触れたように、胸の苦しさが急に消えた。


水の中なのに息ができる。

恐怖が静かに溶けていき、代わりに不思議な温かさが全身に広がった。


(……だれ?)


問いかけるように周りを見渡すと、目の前の濁流が“左右に割れた”。


海が二つに割れ、透明な一本道が現れる。

光に照らされたその道は、まるで私を迎え入れるかのように静かに揺れていた。


誘われるように手を伸ばし、私はその道へと進んだ。

小さな手が岩を掴むと、そこから押し上げられるように身体が浮き上がっていく。


そして——


水面を破った。


肺の奥まで空気が流れ込み、眩しい空が広がっていた。

波の音がやけに近くて、でもどこか遠い。


「……助かった……の?」


どうして生きているのか、どうして呼吸ができたのか。

理由なんてわからなかった。ただひとつだけわかったのは——


“あの時、海が私を守った” ということ。


***


そんな記憶が、今日は妙に胸の奥でざわついていた。

学校から帰ってきても、気持ちは落ち着かないまま。


「……なんか、変な日だな……」


ため息まじりにベッドへ倒れ込んだ瞬間——

まぶたが重く、滑り落ちるように眠りへ吸い込まれていく。


意識がふっと浮いた時、私は【なぜか幼い頃の姿】になっていた。


見覚えのある森の小径。

けれど、空気が妙に静かで、胸の奥がざわつく。


ざらり、と足元の水溜まりに倒れ込んだ瞬間、冷たい水が頬に跳ねた。


「……え?」


水面が揺れ、波紋が光った。


深さのないはずの水溜まりが“底を開いた”。

光の波紋が広がり、その中心から——


ひとりの女性が浮かび上がる。


透き通る髪。風のような気配。

水から現れたのに、どこか乾いた大気を纏う存在。


その唇が静かに動いた。


「……私は、風の女神」

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