あの日の桜に出会えるまでは

古井都

出会い

 親元を離れ遠くの街の高校を受験した僕は、入試も高校とは別会場で受けたため、初めて自分が3年間通う高校の正門をくぐった。

 

 事前に知らなかったからだろう。

 もしくは、入学式の桜などと、案外そんなシチュエーションが嫌いではない僕は正門に桜がないことが少しだけ悲しくなった。

 

 入学式の間も式辞など聞かずに一人、案外入学式に桜が舞うなんて光景は現実では起こらないことのほうが多いんじゃないかと考えた。

 いや実際問題そうなのだろう。

 高校だって大学だって入学式を行う場は現代日本には山のようにあるわけで、その全てに桜の木がおまけのようについてくるのはもはや感動を通り越して恐怖が勝ってしまうだろう。

 下手すると街中一帯桜だらけなんて事になりかねない。

 (それも案外楽しそうではあるが)

 

 桜といえば嘘か誠か、ソメイヨシノなる品種は元を辿れば全ては同じ木、一本の木のクローンなんだそうだ。

 誰ひとりとして知り合いのいない高校に入学した僕はセンチになっているのか今はそのことがすごく、なんと形容すればいいのか、とりあえずすごいことだと思った。


 なんでって、この話が本当ならばある種、桜を見ている時間は他の何処かで桜を見ている人と同じ時間を共有した気分になるから、なのかもしれない。


 いや、なのかもしれないじゃない。


 と、自分を律する。

 何もしないでいる時間があるとつい余計なことや無駄なことを考えてしまうのは僕の悪い癖だ。


 いや、今だって別に暇な時間というわけではない。

 ただ、名前も知らない人間が高いところからマイク越しに話す言葉が上手く耳に残らないから、変なことを考えてしまう。


 話を聞いていられないなら、せっかくなのだからこれから級友になる者の顔でも拝もうとも思ったのだが、みんな真面目な顔をして前だけを向いているので今顔を見ても仕方ないよなという気持ちになった。

 流石に後ろまでは向くこともできなし、入学早々不良の烙印を押されるなどたまったものではない。


 まぁせいぜい自分も周りから見れば真面目な人間の一人に映るようにと、自分の体温でほんのり温かくなったパイプ椅子からほんの少しだけ体を宙に浮かせて座り直す。

 一旦思考を整理し終えると、時間なんて案外一瞬で過ぎていくもので、つつがなく入学式を終えることができた。


 式が終わり、これから少なくとも1年間はお世話になる担任を先頭に自分の教室へと向かう。

 良く言えば風情のある、悪く言ってしまえばボロ臭い木造の我が学び舎は、それでも僕の心を浮足立たせるには十分だった。

 建付けの悪そうな木のドア、隙間風が入ってきそうな古ぼけた窓、規則正しく並んだこれまた古そうな机、すべてが僕の心を踊らせた。


 案外古いものが好きな自分に驚かされる。

 風情みたいなものを感じるからかもしれない。


 3年間も通い続ければこれも生活の一部と、当たり前のものだと思う日が来るのだろうと思うと、寂しく感じる。

 そんなことを考えながら黒板に大きく書かれた名簿に従い用意された席に座る。

 窓際の列の一番うしろ。


 知らない街の、初めての街の、初めての校舎から眺めるその景色は目をこらせば遠くに海も見える、開けていてとても素敵な景色だった。


 可能ならばきょう一日くらいは眺めていたかったのだが、そうはいかない。

 自己紹介をするものと身構えていたのだが、幸運にも今日は行わないようだ。

 担任の簡単な自己紹介と、今後の予定などが印刷されたプリントをもらい、初日の登校はそれで解散となった。


 荷物をまとめてそそくさと教室を出る。


 我が校は公立なので当たり前だがクラスの大半は地元民。

 多くが顔見知りらしい。

 雑談するクラスメイトを横目に僕は帰路につこうとしていた。


 自転車置き場について、今日は一人、あのきれいな海でも見に行こうかと思った。



 その時、目の前に薄ピンク色の花びらが舞い降りてきた。

 ひらひら舞うその花びらが桜のものだと気づくのにそう時間はかからなかった。


 (しかし妙だ、正門前に桜がないこの高校でなぜこの花びらがあるのだろう。)


 まぁ考えても仕方がない、引っ越してきたばかりで街のこともよく知らないし、高校なんて今日が初めてでもっと知らないのだ。

 正直普段の自分なら桜ごときと無視して帰っていたかもしれないが、入学式で早くに帰れる高揚感で少しおかしくなっていた、のだろう。

 浮かれていたといってもいいのかもしれない。


 だからこの熱が冷めないうちに、この花びらがどこから来たのか探すことにした。


 時間はあるのだ、高校のどこに何があるのか余すところなく理解するまで探索し尽くしてやろう。


 そして桜を拝むのだ。


 入学式の桜は今日だけのモノなのだから。






 探索を始めて小一時間、この学校はとにかく広いのだというだけが思い知らされるだけの結果となってしまった。

 下手するともう一時間かけても学校全部は回りきれないかもしれない。

 木造校舎が各学年用に1つずつ、その隣にある旧校舎を部室棟として使っているみたいだ。

 部室棟の奥は小さな林と呼んでも差し支えのないくらい鬱蒼と木が生えている。


 途中から職員室で「この学校、桜って植えられてますか?」と聞けばいいじゃないかと思い始めたのだが、ここで聞いてしまっては負けだと思い聞きに行くに行けなかった。


 あれだ、いわゆるコンコルド効果というやつだろうか。


 こういう偏屈なところというか、素直になりきれない自分も好きではないのだが。


 好きじゃないなら好きになれるよう努力してみようかなとなれないことをしようとしたときにそれは視界に飛び込んできた。


 木々の中に一つ、それは満開に花を咲かせてずっしりと存在していた。

 地元で見慣れた桜の木も場所を変えるとこんなにも違って見えるのかと感動する。


 なぜ正門に生えていないのかとか、こんな場所になぜ一本しか生えていないのかとか、思うところは色々あった。

 しかし、それらより先に、思考よりも早く口が動いていた。



「綺麗だ」



 つい口からこぼれた感想があまりにも陳腐で一人笑ってしまいそうになった。

 その時、僕は初めて彼女に会った。


 彼女に。

 桜の木の反対側にいたのだろうか、ひょっこりとのぞかせた顔をこちらに向け、近づいてくる。

 桜を後ろに僕の眼の前に立った彼女は、眼の前の桜すら映ってこないほどに僕を釘付けにした彼女は、おもむろに口を開いて僕に言う。


「君、新入生?」


 だよね?とこちらを覗き込んで話しかけてきた彼女に緊張したのか、そもそもなんで入学生だと分かったのかわからないから混乱して、僕が何も返せないでいると


「胸のところの花、付けてあるから。」


 こちらの考えでも読んできたのか、僕の胸の方を指さしながら彼女は説明してくれた。

 式が終わった後、外すのを忘れていた。

 理解したところで、今のままだと無視していることになっているなと思い

口を開く。


「そうです。」


 自分で言っておいて何だが、あまりにも無愛想すぎてもっとなにか言う事あるんじゃないかと一人反省会を開きそうになっていると


「やっぱり。でもどうしてこんなところにいるのかな、新入生の校舎は真反対のところにあるし。」


 迷子じゃないよねぇと、唸っている彼女を見て僕はなんだか柔らかい感じの雰囲気の人だと思った。


 桜がそうさせているのかもしれないが。


「桜の花びらが、降って来たたもので。」


「なるほど、そういうこと。」


「そういうことなんですよ。」


 どういうことなんだろう。

 言っておいてわからなくなる。


「桜、珍しいかな?それとも好きなの?」


 どうしてそんなことを聞いてくるのかわからない。

 話をふくらませるのが苦手なので、思考回路が理解できない。


 話しかけてくれる分には返すことはできるが。

 どうにも調子が狂う。


「嫌いじゃないと思います。というより、正門にはなかったのでどこから来たのかなと思って。」


「なるほどねぇ。言われてみれば確かに不思議だよね、正門にないのにこんなところにあるのは。」


 まったくである。


「そういえば。」


 と、急に彼女が近づいてきたので反射的に仰け反ってしまった。

 パーソナルスペースというものがないのかこの人は。


「まだ自己紹介してなかったね。ごめんね急に話しかけて。」


 そういえばまだ名前も知らない。

 彼女の分析を利用させてもらうと、胸に花はないので上級生なのだろうか。

 緊張が少し増す。


「私は二年の新川小夏あらかわこなつ。先輩だよ。」


 やはり先輩だったらしい。


「先輩なのはわかりますよ。」


 なんて初対面の人相手には珍しく軽口を叩く。

 それくらいでは気にもしなさそうな人間性みたいなものが溢れ出ているからだろうか。


「君は?後輩くん。」


 と聞かれるまで自分の名前を言うのを失念していた。


 やはり調子が狂う。


庭瀬雄斗にわせゆうとです。」


「庭瀬くんか。」


 良いよい、とよくわからない反応を示される。


「ときに庭瀬後輩。」


「なんですか。」


「君、生徒会に興味ある?入ってくれないかな。」


 唐突に聞かれて面食らう。

 いきなり何の話だ。


「生徒会、ですか。」


「そう。生徒会だよ。学校を引っ張っていく代表者的な立ち位置と、実際なんの仕事してるかわかんないよねと、実は名前だけの何もしてない組織なんじゃないのかと噂の。」


 後半はもはや侮辱なのではないかと思う。


「どんな噂たてられてるんですか。」


「そんなに間違ってはないんだけどね。」


 はは、と笑う先輩を見ながら考える。


 帰宅部を貫こうと考えていた自分的には正直断る選択のほうが優勢だ。

 そもそも人前にも出るだろう、責任も重いだろう仕事を。進んでやりたくはない。

 

 けれど、この桜の木の下での奇妙な縁を切ってはいけないと、いや切りたくないと思ってしまった。


 だから仕方ないのだ。

 今回は流れに身をまかせることにした。


「興味、あります。」


「本当?」


 そう言ってこちらをふたたび見る先輩はどこか嬉しそうだ。


 僕の気のせいかもしれないが。



「1年生の役員も募集しないといけないんだけど、ただでさえ生徒会役員のくせにサボりがちなやつも多くてね。私だけじゃどうしても集めきれる気がしてなくて。」


「それ、本当に大丈夫なんですか。生徒会なんですよね。」


 どういう体制で活動しているのだ。

 もっと真面目な人ばかりの、そう、例えば眼鏡かけた人だらけの空間だと思っていた。

 先輩は眼鏡かけてないけど。


「だから興味があるって言ってくれて嬉しいよ。」


 嬉しい。


 そう言われただけで後悔なんてない、と思えるのはやはり僕が単純な人間だからだろうか。


「それで、具体的に生徒会って何をするんですか。」


「うーん、具体的にと言われると困っちゃうけど。まぁ基本的には学校行事のお手伝いをするんだと思っててくれればいいよ。」


 案外普通の仕事だ。

 思い描いていた生徒会は部活予算とか、校外交流とか、特別なことをする団体だと思っていたが。


「案外普通なんですね。」


 思ったことが口から出ていた。


「そうなんだよ。まぁ、いち高校生に何でもかんでもさせすぎるのもねぇ。」


 どうなんだって話でしょー、と笑っている。

 その通りだとは思うけれど、夢のない話だ。

 別にやりたいわけではないがもっと特別なことがしたいと望むのも普通のことではないだろうか。


「なんにせよ、入ってくれる気みたいで良かった。新入生一人集められればこっ

ちのもんだからね。一人入れば後は。」

 

 うししと笑っている。

 楽しそうなところ悪いけど、そう簡単にいくとは限らないと思う。

 そもそも僕は引っ越してきたばかりで同級生を生徒会に紹介なんてできないし、役員集めには役に立たないと思うけど。


「お役に立てたようで。」


「立ちました、立ちました。そうだ、今日は始業式だけでしょ?この後暇かな?」


 なんだろう。


「まぁ。一応暇ですけど。」

 

 なんてそっけない返事をする。

 今後関わっていくことになるのだ、こんなことで動揺しているなんて知られるのはなんか恥ずかしい。


「良かった。」


 何が良かったのだろう。

 雰囲気は柔らかい感じだがいまいち何を考えているのか読めない。


「それでは君に私と生徒会室に行く権利を与えます。」


「権利ですか。」


「そうそう権利権利。見たくない?これから活動することになる生徒会室がどんな場所か。まぁそもそも場所が校舎からは少し離れていてね。案内しとかないとわからないと思って。」


 この学校が異様に広いのは桜探しの散策で身にしみている。

 せっかく案内して貰えるのだ。

 ご厚意には甘えておくのが可愛い後輩というものだろう。

 僕には全く似合わない響きだが。


「じゃあ、案内よろしくお願いします。」


「任せなさい。」


 どんと、胸を張りながらそう言ってくる先輩についていきながら桜を見る。

 ここにはまた来よう。

 一人そう思った。

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