第21話:安眠を破る咆哮と、組織の弱点

「ふあぁ……平和だ」


俺は大きくあくびをして、洞窟の奥にあるリビング(元・ただの岩場)のソファに深く沈み込んだ。 手には淹れたてのコーヒー(泥水ではない)、口にはタバコ。 外からは、カーン、カーンと小気味よい建築音が聞こえてくる。


俺たちが住むこの洞窟のすぐ東側。かつてはただの森だった場所が、今は急速に「村」へと変貌していた。 美形化したゴブリンたちと、重機戦隊ドーザーズ(カブトムシ)の働きぶりは凄まじい。 おかげで俺は、こうして洞窟の「離れ(実家)」で、優雅なサボりライフを満喫できているわけだ。


「主様、少し背中を失礼しますわ」 「お、おう」


巨大な銀色の蜘蛛であるシルヴィが、俺のソファの後ろに回り込み、器用に前脚を使って肩を揉んでくれる。 足元では、黒狼のクロウが丸くなって寝息を立てている。 クラウディアは村の方へ見回りに行っているし、まさに至福の時間――。


「これでやっと、枕を高くして寝られるわ……」 (※これまでは夜中に熊が出たら俺かシルヴィが起きなきゃいけなかったが、これからはゴブリンたちが勝手に追い払ってくれる。これでやっと、一度も目を覚まさずに朝まで爆睡できるわ、という意味)


俺がまどろみかけた、その時だった。


   ◇   ◇   ◇


タケル達の住む洞窟から、遥か東へ。 光すら届かない、森の最深部。


濃厚な瘴気がヘドロのように渦巻く闇の中で、二つの巨大な「金色の眼」が開かれた。 この森の支配者、**古龍(エルダードラゴン)**である。


『……空気が、薄い』


地響きのような唸り声が闇を震わせる。 彼にとって、猛毒の瘴気こそが酸素であり、清浄な空気は毒ガスに等しい。 だが今、彼の庭である森の一角――タケル達の拠点の周辺から、忌々しいほどに澄み切った空気が侵食してきているのを感知したのだ。


『我が庭を掃除する、小賢しい虫がいるようだな』


何者かが、自分の領域(テリトリー)を書き換えようとしている。 その不敬極まりない行為に、古龍の逆鱗がわずかに震えた。


『潰せ。我が領域を汚す不届き者を排除せよ』


古龍は闇の中で巨大な顎門(あぎと)を開くと、肺腑に溜め込んだ濃縮された瘴気を、一息に吐き出した。 放たれた吐息は、地を這う黒い嵐となり、森の魔物たちを狂暴化させながら、発生源である「タケルの洞窟」へと一直線に向かっていった。


   ◇   ◇   ◇


ズズズズズズ…………


「……あ?」


微細な振動と、すぐ外からの怒号で目が覚める。


「主様! 外です!」


シルヴィが鋭く叫ぶ。俺はサンダル履きのまま洞窟の外へと飛び出した。 目の前に広がる光景に、俺は絶句した。 洞窟のすぐ隣、開拓中の村の入り口に、ドス黒い霧の壁が津波のように押し寄せていたのだ。 そして霧の中から、眼球を真っ赤に充血させたオークや大狼(ダイアウルフ)の群れが、雪崩れ込んでくる。


「敵襲ぅぅぅぅ!! 主の御前である! 蹴散らせぇぇ!!」


ゴブリンジェネラルのゴブ郎が、裂帛の気合と共に飛び出した。


「「オオオオオ!!」」


続いて、筋骨隆々のホブゴブリン部隊と、ミスリルの斧を持った女戦士たちが迎撃に向かう。 個々の戦闘力は圧倒的だった。進化した彼らは、Bランク相当の魔物でさえ一撃で吹き飛ばしていく。


だが――。


「いけぇぇ! 前進あるのみ! 我が背に続けぇ!」


ゴブ郎が先頭切って突っ込みすぎたせいで、敵の別動隊が脇をすり抜け、建設中の倉庫へ向かっていく。


「ちょ、おいゴブ郎! 後ろ空いてるぞ!」


俺が叫ぶが、戦場の喧騒で届かない。 さらに悪いことに、


『ギギィーッ!(敵だー!)』


重機役のドーザー(鋼鉄甲虫)が、正義感を発揮して巨体を回頭させた。 その結果、後ろにいたゴブリン弓兵部隊の射線を完全に塞いでしまった。


「ど、ドーザー邪魔だ! 撃てねぇ!」 「ああっ! そっちに行くとせっかく耕した畑が!」


敵は理性を失っている分、死を恐れずに四方八方から突っ込んでくる。 対して味方は、個々が勝手に暴れ回り、お互いの足を引っ張り合っていた。 強い。確かに強いんだが……。


「……ダメだ。ただの『強い烏合の衆』じゃねーか!」


いちいち大声で指示しても間に合わない。 俺は舌打ちをして、先日レベルアップした時に手に入れた**《スキル》**を思い出した。


「そうだ、あれがあったな……!」


俺は意識を集中させ、戦場全体へ思考を飛ばした。 スキル発動――【念話(広域)】。


『――全員、聞こえるか。俺だ』


戦場で暴れる全員の脳内に、俺の声が直接響き渡る。


『ゴブ郎、突っ込みすぎだ。十歩下がって前線を維持しろ』 「ハッ!? こ、これは主様の御声!?」


『ドーザー、お前はデカすぎて邪魔だ。右にずれて壁になれ。女衆は空いた左翼を固めろ』 『ギギィッ!(了解!)』


俺の声によってようやく冷静さを取り戻した彼らは、慌てて隊列を組み直した。 一度形になれば、戦力差は歴然だ。 数分後、襲撃してきた魔物の群れは完全に駆逐された。


   ◇   ◇   ◇


「主様! 我々の圧勝ですぞ! ガハハハ!」


戦いが終わり、ゴブ郎が血濡れの剣を掲げて戻ってきた。 美形化した顔に、満面の笑みを浮かべている。


「……圧勝、ねぇ」


俺は携帯灰皿をいじりながら、周囲を見渡した。 敵は全滅させた。死者もゼロだ。 だが、作りかけの柵はなぎ倒され、耕したばかりの畑はドーザーの巨大な足跡でボコボコに掘り返されている。 資材置き場の木材も散乱している。


これ、直すのにまた数日かかるぞ。


「(今回はスキルでなんとかなったが……俺がいちいち脳内で指示しなきゃダメなのか?)」


先ほどの黒い霧。あれは明らかに自然発生したものじゃない。 もっと強大な、悪意ある何かが俺たちを狙っている。 次に来るのがもっと賢い敵だったら? 俺が寝ている時だったら?


「……はぁ」


俺は重いため息をついた。 サボるために村を作ったのに、これでは管理職の仕事が増えただけだ。ブラック企業時代と変わらない。


「ゴブ郎。お前、強くてカッコいいけどさ……」 「ハッ! 恐縮です!」 「……ちょっと、脳みそが筋肉すぎるわ」


俺の嘆きは、ジェネラルの筋肉には届かなかった。 ダメだ。このままじゃ過労死する。


「勝ったけど……これじゃあ安眠どころじゃねぇぞ。あーあ……参ったな」


俺は夕暮れの空を見上げ、切実に思った。 俺の代わりに頭を使ってくれる、優秀な「右腕」が欲しい、と。


(第21話 完)

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