家族から「社会のゴミ」と罵られ、【洗い物】だけが役割だった引きこもりニートの俺が、【万物浄化】スキルに覚醒し、唯一無二の『聖具師』として世界一の専門店を経営することになった件
第2話 異常な研鑽、その執念が世界を覆す力だと誰も知らない
第2話 異常な研鑽、その執念が世界を覆す力だと誰も知らない
父親の吐き捨てた「物置にでも閉じこもってろ」という言葉が、鉛のように重く俺の胃に沈んでいく。
完璧に磨き上げたキッチンを後にして、俺は自室のある二階へ向かう階段に足をかけた。だが、数段登ったところで、俺の足はぴたりと止まる。
(……いや)
俺は静かに踵を返し、再びキッチンへと戻った。誰に咎められることもない、夜の静寂に包まれた俺だけの聖域。
水切りカゴに整然と並ぶ、俺が洗い上げた食器たち。蛍光灯の光を反射して、まるで宝物のようにキラキラと輝いている。
(美しい……)
俺はそっと一枚の皿を手に取った。指先で表面をなぞると、キュッ、という小気味良い音が鳴る。油膜も水垢も一切ない、完璧な状態。
これが俺の仕事。これが俺の作品。
誰にも理解されない、俺だけの芸術だ。
「はは……我ながら、ちょっとイカれてるよな」
乾いた笑いが漏れる。
だが、本気でそう思っているのだから仕方ない。
俺にとって【洗い物】は、単なる作業ではない。それは、汚れという名の敵との真剣勝負であり、食器という素材との対話だ。
例えば、カレーの汚れ。ターメリックの色素は油溶性だから、まず油汚れに強いアルカリ性の洗剤で油分を分解し、色素を浮かび上がらせる。その後、酵素系の漂白剤を最適な温度で作用させれば、傷一つつけずに色素だけを完全に消滅させることができる。
例えば、茶渋。これはタンニンが原因のステイン汚れ。クエン酸で化学的に分解するか、あるいは研磨剤の粒子が細かい特殊なスポンジで物理的に削り取るか。陶器の種類と釉薬の強度を見極め、最善の一手を選択する。
洗剤一滴、水温一度、スポンジの角度一ミリ。
その全てに意味があり、理由がある。
この異常なまでのこだわりと探求の果てに、この完璧な輝きは生まれるのだ。家族は誰も気づかないし、興味もないだろうが、この達成感だけが、ゴミみたいな俺の人生をギリギリで支えていた。
しばらくうっとりと作品(食器)たちを眺めていた俺は、名残惜しさを感じながらも、それらを食器棚の所定の位置へと戻していく。そして、明日の朝に備えて、自室のベッドに潜り込んだ。
◆
「うわ、キッモ……」
翌朝。リビングのソファでスマホをいじっていた妹のミカが、キッチンを覗き込み、心底軽蔑しきった声でそう呟いた。
俺は、昨夜洗い上げたグラスを、専用のマイクロファイバークロスで一点の曇りもなく磨き上げているところだった。
「何? 朝から食器なんか眺めちゃって。マジでありえないんだけど。そんなに好きなら食器と結婚でもすれば?」
「……」
俺は何も言い返さない。言い返せない。
妹の言葉はいつだって、鋭利なナイフのように俺の心を切り刻む。
「ミカ、朝から騒々しいわよ」
パタパタとスリッパの音をさせて、母親がキッチンに入ってきた。俺がグラスをうっとりと眺めているのを目にして、深いため息をつく。出た、母さんの必殺技、ため息斬り。俺のメンタルHPがごっそり削られる。
「アラタ」
「……なに?」
「あんた、それしか能がないんだから、それくらい完璧にやって当然でしょ。いつまでも見惚れてないで、さっさと朝食の準備手伝いなさい」
それしか能がない。
当然。
母の言葉は、ナイフというよりは鈍器だ。じわじわと、だが確実に、俺の自己肯定感を粉々に砕いていく。
(分かってるよ。俺にはこれしかないことくらい、俺が一番よく分かってる……)
だからこそ、執着するしかないじゃないか。
これすら失ったら、俺には本当に何も残らない。
この異常なこだわりこそが、後に俺の運命を、いや、世界の理さえも根底から覆すほどの力の片鱗だなんて、この時の俺はもちろん、家族の誰も知る由もなかった。
◆
そして、運命の週末がやってきた。
父親が会社の常務を招く、大事な接待の日だ。
朝から家の中はピリピリとした空気に包まれている。父親は何度もスーツの襟を直し、母親は高級そうな仕出し弁当の準備に追われていた。
「アラタ! ぼさっとしてないでこっちに来なさい!」
母親に呼ばれ、俺はリビングへと向かう。
そこには、物置の奥から出してきたのであろう、埃をかぶった年季の入った木箱が置かれていた。
「これ、お祖母様の形見の銀食器なんだけど……長年使ってなかったから、少し曇っちゃってるわね」
母親はそう言うと、パカリと木箱の蓋を開けた。
中には、美しい装飾が施された銀のスプーンやフォーク、そして繊細なカットが美しいクリスタルグラスが、ビロードの布の上に鎮座していた。
だが、母親の言う通り、銀食器は黒ずみ、グラスは白く曇っている。
「食事会で使うから、完璧に磨き上げておきなさい。いい? お祖母様の大事な形見なんだから、傷一つつけたら……許さないからね」
「……うん」
釘を刺すような母親の言葉に、俺はこくりと頷く。
俺は木箱をそっと持ち上げ、聖域であるキッチンへと運んだ。
まずは状態の確認からだ。
俺は一本の銀のスプーンを手に取った。
(これは……硫化銀の黒ずみだな。空気中の硫黄分と反応してできる、ごく一般的な汚れだ。専用のクロスで磨けば問題ない)
そう判断した、次の瞬間。
ゾワッ……!
まるで、冷たい虫が背筋を這い上がってくるような、奇妙な悪寒が俺を襲った。
(な、なんだ……? 今の感覚……)
気のせいかと思い、もう一度スプーンに意識を集中させる。
すると、やはり感じるのだ。
ただの化学変化による黒ずみとは違う、何かドス黒くて、粘りつくような……不快な「淀み」のようなものを。
まるで、このスプーンが長い年月をかけて、何か良くないものを吸い込み続けてきたかのような。
(なんだよ、これ……? ただの汚れじゃない……?)
初めて対峙する、未知の「汚れ」。
それは、俺がこれまで培ってきた【洗い物】の常識が一切通用しない、得体の知れない何かだった。
俺はゴクリと唾を飲み込み、目の前の銀食器を睨みつけた。
俺の研鑽された技術が、そして俺自身の存在価値そのものが、今、試されようとしていた。
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