第2話
「やあ。少し、話せないかい?」
そこでタレイアは立ち止まることになった。
さすがに無視することは難しい相手だったからだ。
目の前に立ちふさがったのは、トリニステラ第三王子だった。三番目とはいえ王子で、王族だ。はっきりと軽んじる訳にはいかなかった。
トリニステラはツヴァンツィヒと同じ二年生で、タレイアにとっては「顔を知っているだけ」の相手でしかない。
彼だけでなく、側近らしき生徒たちもいる。そちらも顔と名前が一致するという程度で、交流がある訳ではなかった。
大食堂の出入り口などという目立つ場所で声をかけてくるということは、わざとなのだろう。タレイアはそう判断した。
タレイアがぺこりと頭を下げると、チェリエは死にそうな顔になった。チェリエの足は少し震えていた。さすがに相手が王族だと震えてしまうようだ。
それでもチェリエはそこに踏みとどまった。友情にあつい。タレイアはますますチェリエを信用した。
「タレイア・ナタニエルと申します」
「ナタニエル伯爵令嬢だね。君は……大丈夫かい?」
タレイアは少しだけ首をかしげた。
第三王子のいい方では内容が漠然としすぎている。もちろん、何の話をしているのかはタレイアも理解していた。ツヴァンツィヒのことだろうと。
しかし、第三王子はそれ以上、何も言わない。具体性はゼロだ。
タレイアは仕方がないので質問することにした。
「何が大丈夫なのかが全くわからないのですけれど?」
「強がらなくてもいいのだ。ツヴァンツィヒのことに決まっている」
王子ではなく側近が横から口をはさんだ。
確かヌーベルジェ侯爵令息だったはずだが、タレイアは交流がないのでちらりとみてからすぐに第三王子へと視線を戻す。
タレイアに話しかけてきたのは第三王子のトリニステラだ。割り込まれたからと相手にする必要はない。
「何が大丈夫なのかが全くわからないのですけれど?」
そして、おまえとは話していないとばかりに全く同じ言葉を第三王子に向けた。
側近の侯爵令息が不機嫌そうな顔になったが、第三王子トリニステラはそれを制して訳知り顔で答えた。
「入学してあんな浮気を見てしまえば、君にとっても大きなショックだったはずだ。同じ学園ですごすというのに婚約者が浮気しているなんて許せないだろうに」
(……口にできるのなら最初からそういえばいいのに。人に聞かせたくない内容だから遠回しにしていたのではなかったのかしら? それとも……一度注目を集めてから、聞く者を増やした状態で言いたかったということ? ふむ……)
「伯爵家と公爵家の家格差では、どう考えても婚約の解消はナタニエル嬢からは難しいだろう。そこを私が仲介してもいい。何、簡単なことだ」
ツヴァンツィヒは公爵家の嫡男。
タレイアは伯爵令嬢。
第三王子のいっていることは別にまちがってはいない。家としての力の差は明らかだ。
公爵家側からの一方的な解消でもない限り、伯爵家から婚約の解消を切り出すことは難しい。それは事実だとタレイアにも理解はできる。
「安心したまえ。私に任せてほしい」
トリニステラはまるで獲物を捕らえるかのように、瞳がギラギラしている。感情を隠し切れていないのは第三王子として甘やかされているからだろうか。
その獲物はタレイアではなく、どうやらツヴァンツィヒらしい。
いったい何をすれば第三王子からここまで嫌われるのだろうかとタレイアはあきれた。
ひょっとするとさっきの女の子を取り合ったのかもしれないと思い至って、ああ、第三王子ならそのくらいの自由はあるのかとタレイアは納得した。
外見ではツヴァンツィヒがやや上というところだろうか。第三王子の目はずいぶんと攻撃的な印象を与えてくるので、穏やかなツヴァンツィヒの方が女の子は安心できるだろう。
「……お気遣いありがとうございます? でも貴族の結婚ですもの。気にしておりませんわ。それに、今のところ、この婚約を解消する予定はないので」
(今後もないけれど、それは言う必要もないこと)
タレイアは心の中でそうつけ加えた。
タレイアは涼しげな表情のまま、軽く頭を下げるとその場を歩き去った。
チェリエはタレイアと第三王子を見比べながらも、タレイアについていく。
「あ、おい! ちょっと!?」
トリニステラの慌てる声が背中に響いたが、タレイアは振り返らなかった。
彼らの同情や提案など、どうでもいいのだ。
(そもそも第三王子ごときに、そのような力があるものかしら?)
そこがそもそも疑わしい。
婚約破棄がタレイアの望みという形を引き出したいだけではないだろうか。
ツヴァンツィヒを追い落とすために。そのための攻撃材料として。
(そんなことをしなくとも、既にツヴァンツィヒは自滅しているというのに……愚かなものね。恋に溺れる人たちは……)
この婚約はタレイアと公爵家を結ぶものなのだ。タレイアにとって必須の婚約をどうして解消しなければならないというのか。意味が分からない。
タレイアにとって重要なのは、ツヴァンツィヒの腕に絡みついた金髪の少女でも、第三王子でもなく、タレイアをもっと楽しく、わくわくさせるものなのだから。
週末、タレイアはいつものように公爵邸を訪れていた。公爵夫人とのお茶会だ。これは公爵夫人となるための教育の場でもある。
公爵邸の応接室は、一級品の調度品がそろっている。
今日は隣の大陸へ渡る途中にある島国の珍しい茶葉の香りで満たされていた。
タレイアは優雅にカップを傾け、その紅茶を一口飲んだ。ほんのわずかな渋みが脳を優しく刺激する。
「ツヴァンツィヒは出かけているみたいなのよ。フラフラしていて心配だわ。あの子ったら本当に自覚が足りないわよね」
「大丈夫です。気にしておりませんので」
「そうね。気にするべきなのはあの子の方なのに。嫌だわ。どこかで旦那さまのことを耳に入れたのかしらね?」
現公爵の愛人は多い。
それをツヴァンツィヒが知ってしまった可能性は確かにあった。そして、そのことを勘違いしてしまう年頃でもある。
公爵家の男なら浮気をしても許されるのだ、というように。
「それでも旦那さまは私の前に愛人の姿など見せたこともないわ。そのくらいの節度は常識でしょう」
「……一応、食堂で偶然目が合った時には罪悪感を抱いているようでしたけれど……」
「姿を見せていればダメよ。困った子だわ、学園で面倒事を起こすなんて」
公爵夫人はそう言って、優雅に微笑んだ。
「面倒といえばそうかもしれません」
タレイアはカップをソーサーに戻した。
それをみた公爵夫人がぴくりと反応した。
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