何が起きても私の未来は揺るがないのでどうぞご勝手に

相生蒼尉

第1話



 ナタニエル伯爵家のタレイア・ナタニエルは、王立学園の渡り廊下で立ち止まった。


 真新しい制服の胸元に輝く学園章はとても地味なものだ。学びの場に相応しいとも言えた。それはタレイアの黒髪と黒茶色の瞳と同じく、派手さとは無縁の印象を与えていた。


 タレイアの顔立ちは整ってはいるだけに、地味な印象になってしまうのはもったいない気もするくらいだ。


 だがタレイアは外見をそこまで重要視していない。

 なぜならタレイアはその優秀さによって選ばれたからだ。だからタレイアは外見よりも努力と能力を重んじている。


「ねえ……あの人って……」

「私の婚約者よ。あの状態だから紹介できずに申し訳ないけれど」

「そこは……むしろ今紹介されたら困るっていうか……うん……」


 隣に立つ友人のチェリエが、困惑と気まずさの入り混じった表情で口をパクパクとさせていた。そういう仕草は貴族らしくないけれど、タレイアはそこを気に入っている。


 チェリエは入学してすぐにできた友人だが、隠し事を苦手とする性格のようだった。だからこそ信じられるともいえる。もしもこれが演技だったとしたら……それはそれで頼もしいだろう。


 渡り廊下から見渡せる中庭には、ニールセン公爵家の嫡男であり、タレイアの婚約者であるツヴァンツィヒ・ニールセンがいた。

 ツヴァンツィヒは一学年上、つまり二年生だ。肩まである派手な金茶色の髪と、穏やかながらも人形のような完璧な美しさで有名だ。もちろん人気もあった。


 タレイアはわずかに視線を動かし、婚約者の隣にいる女の子をみた。


 それは保護欲をそそるような金髪の女子生徒だった。

 テトラという名のその生徒は、ツヴァンツィヒの腕に自分の腕を絡ませていた。そして、楽しげな笑みを浮かべている。実際、楽しいのだろう。人気者であるツヴァンツィヒの隣にいることが。


 二人の間に流れる空気は、誰もがイメージする「恋人同士」の親密さ、そのものだった。


「……ね、ねえ。あれ……いいの?」

「自分自身以外の人間の行動を止める手段ってあると思う?」

「ええと……あるんじゃないかしら……? 声をかけてみるとか……?」

「私はないと思うの。だから放っておくし、どうでもいいのよ」


 それを聞いたチェリエはまた口をパクパクとさせてから、あきらめたように閉じた。


 どうでもいい、はタレイアの本音だ。心の奥底からどうでもいい。

 それを……そういう本音を聞かせてしまうくらいにはチェリエのことを気に入っているという証。


 タレイアにとってのツヴァンツィヒはその程度の道具のようなものだ。知り合って間もないチェリエの方がずっと価値がある。


 タレイアとツヴァンツィヒの婚約は数年前からのもので、定期的に文通やお茶会を重ねてきた。一般的な婚約者としては当たり前の行動だ。


 しかし、三ヶ月くらい前からツヴァンツィヒからの連絡は途絶え、入学式での再会もあのテトラという女の子を腕にぶら下げたままだった。この男は馬鹿なのだろうか、ああ、馬鹿なのだな、と思ったことをタレイアは覚えている。


「貴族の結婚なんてそういうものじゃない?」


 タレイアは何一つ感情を乗せない平坦な声でそういった。

 実際、政略結婚ではよくあることだ。婚約時からやるのは珍しいけれど。


「タレイア……」


 チェリエが悲しそうにタレイアの名を呼んだ。その顔はまるでタレイアの代わりに傷ついているかのように青ざめている。タレイアはひとつも傷ついていないというのに。


「まあ、周囲の騒がしさに比べたらどうということもないけれど」


 タレイアはそう付け加えた。


 地味な伯爵令嬢の婚約者が別の女性と親密になり、学園で注目を集めている。

 周囲のひそひそ声がうるさいのはタレイアもあきれていた。


 もちろんうるさいスズメたちがどこの誰なのかはいつも確認している。

 確認してどうするかは……これからの話だ。


「いきましょう」


 タレイアはもともと進む予定だった廊下の方向へ歩き出した。

 チェリエが戸惑いながらも、慌てて彼女の後を追いかける。


 タレイアの背中は、まるでさっきの出来事が何も存在しなかったかのように、まっすぐで揺るぎなかった。






 授業が終われば昼食だ。

 昼食の時間の大食堂はとても騒がしい。そこに全学年が入り乱れるからだ。


 タレイアはチェリエと向かい合って座り、行儀よく食事を進めていた。

 しかし、周囲の視線は容赦なく、タレイアの背中に刺さってくる。場合によっては背中どころではない視線も刺さってくるのだけれど。


「タレイア、大丈夫? あんなの気にしちゃダメよ」


 チェリエがまたもや青い顔で声を震わせる。青い顔をしているのだけれど、友人を守る、支えるという気概だけは失わない。

 人間としての善性という部分でタレイアはチェリエのことを認めていた。一緒にいてとても居心地がいいのだ。幸運な出会いだったとタレイアは思っている。


「気にしてないわよ。でも、ありがとう、チェリエ」


 このような状況でも一緒にいてくれるチェリエのことをタレイアはとても信用していた。

 チェリエならきっと裏切らない。そう信じることができた。

 だから、穏やかな微笑みをチェリエには向けられる。


 そもそも、不躾な視線がタレイアに向けられている原因はツヴァンツィヒにあった。

 大食堂でもツヴァンツィヒと、彼の腕に触れながら楽しそうに話しかけるテトラの姿が目立っているからだ。

 ツヴァンツィヒは彼女の行動を咎めることもなく、ただ穏やかに笑っている。恋人同士であることを楽しんでいることは明白だ。あれは馬鹿だから仕方がないとタレイアは思い、そのまま脳内から消去する。


 タレイアは気にせずに食事を続けた。


 不意にツヴァンツィヒの目がタレイアの方を向いた。タレイアに気づくと、それは一瞬ですぐにそらされてしまう。


(……面白いわ。まるで、悪いという気持ちがあるみたい)


 タレイアはそう思っただけで、それ以上の感情は湧かなかった。ツヴァンツィヒが罪悪感を抱いていたからといって何だというのか。


 そのまま食事を終え、チェリエと共に食堂を出た。


「やあ。少し、話せないかい?」


 そこでタレイアは立ち止まることになった。

 さすがに無視することは難しい相手だったからだ。



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