第25話 案ずるより産むが易し

11月


高良写真工房を出たのは昼を少し回った頃。


昼ご飯を勧められたが、さすがにこれ以上、仕事の邪魔はできないと丁寧に辞退して、俺はスマホを取り出し、足を牧志駅に向けた。


昨夜の白浜との会話の後、土産を聞き忘れたと、LINEしたメッセージを表示する。


『ところで白浜は土産、何が良いんだ?』


『お土産じゃないんだけどさ。買ってきて欲しいのがある。代金は払うんで!』


『なに?』


『那覇に『慶雲大社』っていう、ウサギの神社があって。その境内から階段登ったら、小さい社があって、そこに売ってる、みどりのお守り!』


『合格祈願か?” 』


『ちがう。渡したい人がいる』


このとき、「誰に?」と打とうと思ったが、文字に載せられなかった。機械音痴な白浜が、わざわざ那覇市内の神社を調べたのだ。よほど大切な人なんだろう……。


俺は小さく軋む胸に気付かないように、”了”とだけ返したのだった。

白浜の指定した神社を検索する。ここから少し離れてはいるが歩けない距離ではない。


彰とのしがらみから解放された俺は、どこまでも走れるような気がした。

俺は白浜を真似て頭の地図に載せた神社まで軽快に足を弾ませた。



着いたのは、結構な規模の神社だった。平日の昼間にもかかわらず、参拝客で賑わっている。それも夫婦や家族連れが多い。


俺はスマホでこの神社の詳細を見た。白浜は”ウサギの神社”と言っていた。あぁ、なるほど。安産祈願の神社か。


参道には、赤い提灯が等間隔に揺れ、風が吹くたびに小さな鈴の音が鳴った。


砂利の上を歩けば、しゃり…しゃり…と音が重なる。鳥居の向こう側は、不思議と静けさに守られているような空気があった。まるで、境内に一歩入るたびに、俗世の音が一枚ずつ剥がれていくような。


その神社には狛犬の代わりにウサギの石像が祀られている。ウサギは古くから「多産」、「子孫繁栄」、「生命力」の象徴とされているらしい。


――妊婦の知り合いでもいんのか?


ここに男一人はどうも居心地が悪く、境内の奥にある目当ての階段まで、急ぎ早に歩いて行く。


数百段もある階段を登る。これを妊婦が登るのはキツイだろう。別の何かの社かな?そう思いながら、軽快に足を進める。


登るにつれ、風の匂いが変わった。下の境内にあった香炉の匂いが薄れ、代わりに土と緑の匂いが濃くなる。鳥の声も、遠くではなく“近く”で響く。まるで山が息をしているみたいだった。


登りきったところは、開けた場所。

緑に覆われたそこは、小さな鳥居と手水舎が厳かに佇んでいる。下の境内とは温度も数度変わっているようだ。


少し冷たい澄んだ空気を吸うと、何やらパワーを貰えているようで不思議だった。


空気は透明で、音が少ない。世界が“言葉を慎め”と告げているように静かだった。


俺は手を清め、ウサギの像がある社に賽銭を投げ、千堂先生と、顔も知らない彰の奥さんの安産を願った。ついでに自分のお願いまで割り込ませた。


参拝が終わると、小さな社務所の前に並べられたお守りを見に行く。


そこに並べられた安産のお守りの数々。色んな種類がある中で、俺はみどり色を探す。手に取ったみどり色のお守りの面にも同様に”安産祈願”と書かれてある。


やはり安産のお守りだと分かって、俺の不安は少しだけなくなった。


俺は白浜の依頼のものを購入した。千堂先生が既に産休に入られたのが残念だ。


白い袋に入れてもらうと、それを大事にバックへしまい、俺はまた深く息を吸う。

空気は澄んで、少し甘い。


胸の奥につっかえていたものが、ひとつ、音を立てて落ちていった気がした。爽やかな空気が身体中を巡り、心が開放される感覚を味合う。


俺は目を閉じたまま、暫くその余韻に浸っていた。





修学旅行の最終日。

大きなトラブルもなく、俺たち明鳳高校2学年、総勢328人は、楽しかった思い出を携えて那覇空港を旅立った。


白浜のアパートから数百メートルの距離にある児童公園で待ち合わせをした。


すでに日は落ち、夕飯の時間も過ぎてしまっている。周りにいるのはトイレ休憩で止まっているタクシーの車だけだった。


少し早めに着いた俺は、入ってすぐのベンチに腰掛け、バックから頼まれたお守りの袋を取り出す。

誰に渡すものだろう……。


そう思っていたとき、「センセー」と呼ぶ声に、俺の胸は跳ねた。


公園に息を弾ませて入ってきたのは、少し濡れたショートカットのイケメンと、その下で機嫌よくその相手を見上げる、カッコつけしいのウサギ。

俺は立ち上がり、その場に駆け寄る。


「白浜、髪濡れてるぞ!」


「うん!シャワーしてLINE見たから、そんまま来た!」


なんとも言えない愛らしい目元に、俺は一人で鼓動を高めた。そんな邪な考えを追いやるように、俺は羽織っていたジャンパーを白浜の肩に掛けてやる。


「夜は冷えるんだ。風邪でも引いたらどうする!」


白浜はその大きなジャンパーに袖を通しながら、長い袖をぶらんぶらんさせて嬉しそうに笑った。


「だって、早くセンセーに会いたかったから!」


ドッキューーン!!!


こいつは、男はオオカミだと知らないのだろうか。特に俺は、名前にもその文字があしらわれている。自他共に認めるオオカミなんだ。


大体、こんな濡れた髪でそんな上目遣いで、俺の服着て、もう好きにしてくれと言ってるようなもんだろっ!!


――言ってんのか?いいのか!?うっそ!マジで!???


そのとき。

強烈な後ろ蹴りが俺のスネに命中する。あまりにもの痛みに、俺は小さくよろけた……。


ケイの怒りのローリングバックキックでどうにか理性を取り戻し、俺は熱くなった体を冷ますように冷気を体内に吸い込んだ。


「はい、これ、頼まれてたもん」


ベンチに座った白浜に、頼まれお守りを渡すと、パッと明るくなった表情で中身を確認した。


「それで合ってるか?」


「うん!これ!センセーありがと!」


「あとこれ。前にこのキャラ好きだって言ってたろ?何買っていいか分からんかったから」


それは、沖縄のシーサーと、白浜が好きだと言っていたオオカミのキャラがコラボしたキーホルダー。なんとなく身近に置いてほしくて買ってしまった。


「わっ!マジで?嬉しい……。大切にする。ありがとう――」


中身を確認した白浜が、それを胸元まで引き寄せて、本当に嬉しそうに眉根を下げた。


泣き出しそうなその表情に俺は酷く狼狽える。

こんなに喜ぶならもっと買ってくれば良かったと、気の利かない自分を叱咤した。


大事そうにそれをジャージのポケットに仕舞おうとした白浜が、そこからポチ袋を取り出し、俺に渡して来た。


中身を見るとお守りの代金が釣り銭なく入れられていた。


「別にいんだぞ。こんくらい」


それを白浜に返そうとすると、白浜は頑なにそれを拒否した。


「これは、ウチが贈りたいやつだから。ウチが払わないと意味ないから!」


その必死さに「誰にやるんだよ」と言いかけたとき、白浜が「はい!センセー!」と、そのお守り袋を俺に渡して来た。


「えっ?……これって、安産のお守りだよな?」


何を思って渡して来たのか理解が追いつかず、受け取ったら良いが、その置き場に困った。


「安産って”案ずるより産むが易し”の略でもあるだろ?」


白浜は膝の上に鎮座するケイを撫でながら、お守り袋を指さした。


「センセーは色々と考えすぎなんだよ。この世の出来事って、大概”易し”できてんだ。大丈夫!やすしだやすし!それにその色は、水泳部のチームカラーだし」


まるで、誰かの名前のようにそう連呼したそいつは、太陽のように笑った。


――あぁ、もうホント……。何なんだよ、こいつは……。


目頭が熱くなる。喉の奥がきゅっとなり、俺は何か悪態を吐こうとするも、それは詰まって言葉にならなかった。その代わり、本音が口を滑らせた。


「――はぁ。やっぱ、好きだな……」


「ん?」


白浜は、それを“恋”とは受け取らない。

公園の灯りが揺れ、どこかで小さな虫が鳴いた。


白浜からもらったお守りを握り締め、ベンチに背をもたげながら小さく息を吐くと、隣のそいつはケイを膝に置きながらニコニコと口元を綻ばせている。


俺が好意を寄せてるなんて、全く気付いていない。安心しきっているその様子に、少しだけ胸が疼いた。


「センセー!このお守りんとこで、元気もらった?」


唐突に尋ねられ俺は目頭を拭いなら「え?」と返す。白浜はとても満足そうだ。


「あの神社の上の社、パワースポットで有名なんだって!穴場だって、穴場!」


ニカリと笑う白浜。何でそんなこと知ってんだよと聞きたいことは色々あったが、ついて出た言葉は確信だった。


「俺のパーワースポトは、お前だよ。白浜」


「え?なんと!なら、ウチといれば無敵じゃん!」


そんな戯けた顔の白浜が憎らしいほど可愛いかった。俺は白浜の頭を、ポンと優しく撫でる。


すぐさまその手はケイによって薙ぎ払われてしまったが、それでもこんな関係が嬉しくて、俺は深く息を吸い込んだ。


「……会ったんだ。沖縄で。昔の彼氏に……」


「へっっ??」


「ピっ!?」


二人(匹)のケイが驚いた様子に変わる。

俺は澄んだ空気を深く吸い込み、そして静かに吐いた。

そして沖縄での出来事を語りはじめた――。



「お前のお陰だよ。あんとき、”普通”って言ってくれたろ?普通に恋をしただけだって――。白浜の言葉ってさ、裏がないから真っ直ぐ刺さるんだ。今の俺にはその言葉が救いになってる。本当にお前は凄いよ。さすが、俺の救世主だ」


俺がニカっと笑うと、少し俯いた白浜が小さく首をを振った


「……違うよ。救世主は、センセーだよ」


「え?」


白浜はそう言って、ゆるやかに夜へと視線を向けた。星空は吸いこまれそうなほど澄みきっていて、星の光が、白浜の横顔の輪郭をそっと縁取っている。


その姿はまるで――俺だけ知らない真実を抱えている女神のようだった――。

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