第4話 補修授業と金平糖

5月


――トントン。


「どうぞ!」


数学準備室からそう投げかけると、

許可を得た水泳部主将がおずおずと入ってきた。


心なしか動揺しているそいつは、

開けられたカーテンの窓際に佇む俺を気不味そうに見上げる。


あの保健室での攻防の後、白浜の成績や怠惰な生活を散々指導し、

とにかく試験前は補習だと、この部屋に呼んだのだった。


「ん!」


俺はまだ少し不機嫌な様子で、アゴで入口側のイスを促す。

少し緊張気味の白浜は、持っていた勉強セットをおずおずとそこに置いた。


「で?反省は?」


「……うん。した」


白浜は怒られた子どもが拗ねるように唇を尖らせる。

どこが反省した顔なんだと、俺はイスを引き、白浜の対面に腰掛けた。


「反省したなら良い。もう、昼休みに保健室を私物化するなよ!」


「えっ!?」


まさかと言う顔付きに、盛大に呆れたようにため息を吐く。


「さっき、反省したって言ったろ?なんでそんな顔すんだよ。そもそも保健室は仮眠する所じゃないし、お前だけ特別扱いはできん!仮眠なら自席でやれ。ただし休み時間にだ!」


それに、たまの抱擁目的で、西畑先生が良からぬことを考えている。

そんな危険区域にホイホイ行かせられるかよ!

だが、そんなことは口が裂けても言えない。


至極真っ当な俺の言葉に、懸命に葛藤する白浜。

ひとときの間――。

ようやく観念した声がした。


「――分かった。昼寝は別んとこでやる」


「教室じゃダメなんか?」


教室に居れない理由でもあるのかと、少し心配になる。


「――寝言…」


「寝言?」


「うん…。多分、それ言うから」


ブッ!!


余りにもの真剣な面持ちで話すから、色々勘繰ってしまったが、教室や人目のある場所で寝れない理由が”寝言”だと知り、安堵と安心感で思わず吹き出してしまった。


「そーいやー、言ってたわ。寝言!なんだったけ、あっそうそう!『おとといきやがれ』。俺、初めて聞いたぞ、そんなセリフ吐くやつ!」


俺がゲラゲラ笑うと、白浜が激しく非難する。


そういやー、ウサギのケイも熟睡してるとき、「ピィ!ピピピッ!」

と言っていた。鼻の音かと思っていたが、もしかしたら寝言だったのかもしれない。


そう思うと、俺はまたゲラゲラ笑ってしまった。


さすがに不機嫌になった白浜が、ブウッ!と膨れっ面。


「そー、膨れんな!悪かった。機嫌なおせ、な!」


プイっとそっぽを向く姿にまたしても笑いが込み上げたが、本気で怒らせる前にどうにかその笑いを抑えた。


――その時だった。


数学準備室がノックされ、扉を開けたのは、

去年まで俺が顧問をやっていたバレー部の主将・石田だった。


「どうした、石田」


「…あっ、ごめん、ホッシー。ちょっとバレー部で相談があったんだけど、取込み中?」


背の高い一重瞼の優しげな目が、申し訳なさげに俺の前に座るジャージ姿を見た。

白浜は石田の声にクルッと向きを変す。


「え?白浜さん?」


「石田?」


二人の驚きと訝しげな声。

白浜のその言葉に俺は驚いた。


数日の白浜を見ていたが、水泳部以外との交流は見られなかった。

それに石田はクラスも別だ。


少し訝しげに石田を見ると、

俺の意図に気付いた勘のいい石田はニッコリ笑った。


「白浜さんとは、部活の主将会議で一緒になって。それからちょくちょく話してる」


4月の予算会議に出席するのは各部の主将。

そこで面識があったのだなと腑に落ちる。


「ちょくちょくは言い過ぎだ!たまにだ、た・ま・に!」


白浜が座ったまま、真上の石田を仰ぎながら口を大きく動かし訂正する。


「それと石田!前も言っただろ?ちゃんと”先生”付けろって!」


冷たい言い方に、石田は気まずそうに眉根を下げる。

白浜は本当に、俺が愛称で呼ばれることが嫌なようだ。


俺はやれやれと言ったように、真向かいのエースに声を落とす。


「もう俺、バレー部の顧問じゃないからいいだろ?なっ!今は水泳部の顧問なんだから!」


白浜は口を窄めながらも、俺の言葉に少し頬を染めゆっくり頷いた。


「……てか、二人は何してんの…?」


石田の遠慮がちな質問に、俺はテーブルの上の勉強セットを見る。

白浜の成績をどう説明すべきか頭を捻っていたとき、白浜が軽快に答えた。


「数学の補習だ!満点取れるように!」


そう、誇らしげに石田に説明している…。


俺は驚きながら白浜の勉強セットを手繰り寄せる。

そこにあったのは、俺の担当教科のワーク一式――。


なわなわと怒りが込み上げる。


「おい。白浜。なんで数学セットなんだよ……」


「えっ!?……だって、センセー、数学の教師じゃん」


ピキピキ……。額に無数のスジ。

漫画でいう怒りマークが列を成す。


「だからって赤点回避の補習に、成績の良い数学教えてどーすんだよ!壊滅的な英語、理科、社会って言ったろ!!!」


「えっえええ!?いつ??」


「昼休みに、だっ!!!!」


石田は俺たちの様子に目を丸くした後、ワハハハハっと大笑いする。


白浜は石田に真っ赤になりながら、怒っていいのか、反省すべきか、迷っている様子であたふたする。


プッ!


何やらウサギの”ケイ”みたいな動きに、俺は怒りも忘れて笑ってしまった。


俺の吹き出しに、白浜の沸点が振り切れる。

真っ赤に染め上がった顔のまま、白浜は勢い良く立ち上がった。


「二人とも、笑ってんじゃねーよっ!60秒待ってろっ!!持ってくっから!!!」


スタートダッシュを掛けた白浜に、笑ったまま背中越しに声を掛ける。


「廊下は走っちゃいかんぞー」


「うっさいわっ!!!」


可愛い生徒が威嚇してダッシュで教室から出て行った。


今までの喧騒が嘘のように、シンと静まり返る数学準備室。

ポツンと残された俺と石田は、笑いで出てきた涙を拭いながら、ゆっくりため息を吐く。


「――白浜さんて、なんか、可愛いね……」


「おい。変な気起こすなよ?あれは俺の!」


「えっ!???」


俺は石田に、冗談めかし上機嫌で笑いながら牽制した。





「あっ!星野先生!水泳部の白浜さんが探してました!補習の教室で待つと」


放課後、職員室に戻ると、1年の副担任・石原先生が声を掛けてきた。


教師2年目の石原先生は、少し恥ずかしげに上目遣いで俺を見上げる。

この先生は苦手だが、『白浜』という言葉に自然と口角が上がった。


おそらく中間の結果を報告に来たのだろう。

だが、俺は既に千堂先生から全教科赤点なしを聞いている。


俺はほくそ笑みながら、数学準備室へ駆け出す。


渡り廊下を走っていると、生徒に「星野ン!廊下は走っちゃダメだよー!」と、注意されるが、逸る気持ちが先立ち、スピードを緩めない。


いつもは鍵の閉まっている教室の前に、一人の生徒が立っていた。

俺は軽快に声をかけ、準備室の鍵を開ける。


準備室に入った途端、白浜は不敵に笑った。

胸元に数枚の答案用紙を寄せながら、意気揚々と俺に向き直る。


「ジャジャーン!赤点0だ!!」


誇らしげな顔の下に並ぶ答案は、数学と国語を除いて、50点満点?と聞きたくなるものばかり。

だが、30点以上なのは確かだった。


嬉しそうに自慢する白浜の頭をポンと撫でると、一瞬で白浜がズザザザっと、カーテン越しに後ずさった。


「そんな驚くなよ。傷付くだろーが」


「だっ!だって!頭!頭触るからっ!!」


こんなスキンシップに過剰反応しすぎだろ、とその反応がおかしくて、俺は口角を上げながら間合いを詰める。


「そんな警戒すんなって!ケイだって撫でても逃げねーぞ」


「嘘つけ!センセーに撫でられてるとこなんか見たことねーもん」


グッ!くそっ。バレてる……。

そう思って俺はポリポリと頭を掻く。


「あっ、ケイと言えばさ。センセー知ってた?ウチと同じ名前なんだよ!」


グプッ!!


なんだその顔……反則だろ――。


「知ってるよ、白浜蛍さん!」


わざと素っ気なくそう言うと、白浜はニンマリと笑い、ご機嫌になった。

俺はギョッ!と目を見張り、小さく深呼吸して気持ちを整える。


「まぁあれだ!とにかく頑張ったな!英語なんて凄いじゃないか。32点!編入試験から18点もアップだ!」


「えっ!?マジで!?ウチ24点だったの!?」


「14点だ!」


即座に突っ込むと、顔を赤くして「わざとだよ!」と白浜。本当にケイそっくりだ。


「なぁ、白浜。お前理解力はあるだろ。部活も大事だけど、勉強はやってて損することはない。水泳の推薦で大学には行けると思うが、選択肢は色々持った方が良い」


自分もそうだった。水泳と勉強を両立していたから、辞めた後もほとんど苦労することなく教員試験に合格したのだ。


白浜が俺のように選手生命を奪われた後も、己の力で人生を切り拓いてほしい。


「海南では部活三昧だったのか?」


少し真剣なトーンで尋ねると、テスト答案を下ろしたまま、白浜は気まずそうに答えた。


「――ほとんど寝てた」


「はぁ!?寝てた??」


「今は寝てない!ちゃんと聞いてる!海南のときだけ!マジでっ!!」


慌てて弁明する白浜を訝し気に見やる。

確かに他の先生から授業中寝てる話は出ていない。

嘘ではないみたいだ。


なら、高校1年からの基礎を叩き込めば、成績も上がるってことかもしれない。


「分かった。信じるよ。これからも授業中寝るなよ!」


白浜はこくんと小さく頷いた。


「まぁ、赤点回避したご褒美だ!なんか欲しいもんあるか?」


「え?やった!!」


その一言に白浜は、興奮気味に俺の顔を見上げた。

心の準備ができていないときの、こいつの笑顔は凶器だ。


俺がパチパチ瞬きをしていると、ニンマリした白浜が俺の顔にズイッと距離を寄せた。

その至近距離に胸が跳ねる。


「金平糖が欲しい!」


「金平糖?」


意外なものをお願いされ、俺は戸惑う。


「……金平糖か…。分かった、買っとくよ。なん袋いる?」


「……センセー。どんくらいの考えてる?」


「いや、普通に飴が詰まったひと袋サイズ?」


手元で大体の大きさを示す。

だが、それが気に入らなかったのか、白浜はムッと目を吊り上げた。


「違う!ウチが欲しいのは、一個の大きさがこんくらいのヤツ!」


驚いた。その金平糖は、俺が学生時代よくポケットに忍ばせていたものだ。


俺の実家近くの製菓店にあり、普通の金平糖の5倍ほどの大きさ。

それが個包装になっている。

部活や勉強の合間の栄養補給に重宝していた。


子どもの頃、お袋から「これ星の形してるでしょ?星のお菓子っていうの。うちのお菓子ってこと!」と言われていて、その大きな金平糖には愛着があった。


小学校まで、金平糖を”星のお菓子”だと思っていた俺は、大いに恥をかいたのは言うまでもない……。


――その、大きな金平糖が欲しいのか?


俺が目をパチクリして驚いた顔をしていたからだろうか。白浜は悲しそうに俯き、「……ないなら良いや…」と呟いた。


その白浜の様子に、俺の心にはモヤっとした何かが居座り続けた――。

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