ステージ16:修行の始まりと、門前の『化物』

【ステージ15の結末より】

(……今の私では、勝てない)

カインの言葉が、蘇る。

(……なら、変わればいい)

玲は、顔を上げた。

その瞳には、もはや、一切の迷いはなかった。

「……教えてください」

玲は、住職に向かい、深く、深く、頭を下げた。

「……私に、本当の『調律』の仕方を。……あの『化物』たちを、超える『力』を!」

地獄の連戦(バトル・ラッシュ)は、終わった。

そして今、玲の、自らの「魂」と向き合う、本当の「戦い(修行)」が、始まろうとしていた。

【修行の第一歩】

玲の、悲痛なまでの叫びが、清浄な空気に満ちた部屋に響き渡る。

その、あまりにも荒々しく、血の匂いに満ちた「決意の音」に、聖華は痛ましげに目を伏せ、尊は「まだ『力』に固執するか」と、その眉を険しくした。

だが、住職――空摩 理人(くうま りひと)は、動じなかった。

その深淵(しんえん)のような瞳で、ただ静かに、頭(こうべ)を垂れる玲を見つめている。

「……『力』、か」

やがて、空摩は、まるで老木が風に揺れるような、静かな声で呟いた。

「……お前が求める『力』とは、何だ? あの『影』の化物を、ねじ伏せる力か? あの『龍』の男を、叩き伏せる力か? それとも、あの『烏』の男の企みを、打ち破る力か?」

「……!」

玲は、顔を上げることができなかった。

その全てだ、と、魂が叫んでいた。

「……お前は、強い」

空摩は、続けた。

「その身に纏う『ノイズ』、その魂に刻まれた『傷』……。常人ならば、疾(と)うの昔に、その狂気に飲み込まれておろう。……だが、お前は、その全ての『不協和音』を、無理やり、自らの『意志』の力で、ねじ伏せておる」

「……」

「……ステュクスという『完璧な調和』を、お前の『不協和音』で打ち破ったのも、道理」

「……なぜ、それを……」

玲は、驚愕に顔を上げた。この男は、あの戦いを見ていたというのか。

「この村は、『音』でできている」

空摩は、静かに言った。

「お前が、このカレイドポリスに足を踏み入れた瞬間から、お前の奏でる、ひときわ大きく、悲しい『音』は、この聖域に届いておった。……お前の父、宗也の『音』によく似た、懐かしい音だ」

「……父を、知っているのですか!?」

「知っておる。そして、渉という、若者の『音』も……」

「!」

玲は、息を呑んだ。

「……だからこそ、問う」

空摩の瞳が、初めて、厳しさを帯びた。

「……お前は、その『不協和音』のまま、さらに強大な『力』を求め、自滅するか。……あるいは、その『不協和音』の『源流』と向き合い、真の『調律』を学ぶか」

「……それは……」

「お前の『力』は、あまりにも荒々しく、制御されておらん。今のお前は、自らの『ノイズ』で、敵を打ち破ると同時に、自らの『魂』をも、内側から削り続けている。……あの『月の芋』の力も、その『削れ』を、一時的に肩代わりしておるに過ぎん」

空摩の言葉は、玲の、一番、痛いところを突き刺した。

ステュクスを破った、あの「不協和音」の解放。

カラスのアジトで、ジャマーを破壊した、あの「憎悪」の奔流。

あれは、彼女の命そのものを「燃料」にした、諸刃の剣だったのだ。

「……お前に、時間は残されておらん」

空摩は、そう言うと、静かに立ち上がり、障子を開けた。

そこから見えたのは、この地下空洞を満たす、巨大な「魂石」の結晶群。

「……尊の言う通り、お前の『音』に引き寄せられ、『化物』どもが、この聖域の『結界』の、すぐ外まで集まってきておる」

【門前の『化物』たち】

その頃。

那智の村へと続く、最後のトンネル。

玲が爆破し、瓦礫の山で塞がれた、その「外側」。

三つの勢力は、玲が消えた「穴」を前に、膠着(こうちゃく)状態に陥っていた。

「……チッ。この岩盤……『マントラ』の結界か」

**黒龍(ヘイロン)**は、瓦礫の壁に手を触れ、自らの「気」が、見えざる「壁」によって弾かれるのを感じ、忌々しげに呟いた。

彼の部隊(夜行衆)は、負傷者を抱えながらも、主君の命令を、ただ冷徹に待っている。

(……晶(ジン)……。必ず、あの『調律者』を、お前の元へ……)

「……面白い。実に、面白い……!」

カラスは、部下が展開した解析装置のモニターを、恍惚(こうこつ)として見つめていた。

「……カレイドスケープの『規格』とも、『影』の『周波数』とも違う……。これが、渉が探していた『源流』の『音』か……!」

彼の部隊は、この未知の「結界」の周波数を解析し、「対クオリア・ジャマー」の理論を応用して、無理やり、こじ開けようと試みていた。

そして。

「…………」

二つの勢力から、わずかに離れた、トンネルの天井。

重力を無視し、逆さまに張り付くように、「それ」は、いた。

エコー。

彼女は、攻撃も、解析も、何もしない。

ただ、そのホログラムマスクを、玲が消えた「壁」の向こう側――「那智の村」へと、向けていた。

カインの「アナログ・ノイズ」と、玲の「爆破」によって、その身体は、未だに激しく明滅し、バグを起こしている。

だが、彼女の「聴覚」は、その全ての「ノイズ」を超えて、今、この瞬間に、生まれようとしている、新たな「音」を、捉えようとしていた。

彼女の「オリジナル」の少女(『魂石の契約』)が、かつて感じたことのない、清浄で、強大な「調和」の音を。

「……あたらしい……『おと』……?」

三つの勢力が、三者三様の理由で、この「聖域」の扉が開く(あるいは、こじ開ける)のを、待ち構えていた。

玲に残された「修行」の時間は、もはや、いくばくも残されてはいなかった。

【最初の『課題』】

「……聖華。この者を、滝へ」

村に戻った空摩が、静かに命じた。

「……え? 住職……しかし、この方のお身体は……」

「尊。お前は、結界の守りを固めろ。……何人たりとも、この聖域へ、一歩たりとも入れるな」

「……はっ!」

尊は、不満を滲ませながらも、住職の命令に、深く一礼し、姿を消した。

「……玲と、言ったな」

空摩は、玲に向き直った。

「……お前の、最初の『修行』だ」

「……何を、すれば……」

「……何も、するな」

空摩は、玲の、血と泥に汚れたタクティカルベストを、その手で、ゆっくりと解いた。

ナイフが、弾切れの銃が、魂石の欠片が、次々と、冷たい床に落ちていく。

「……武器を、捨てよ」

「……!」

「……技を、忘れよ」

「……」

「……そして、ただ、『聴け』」

空摩は、聖華に支えられ、かろうじて立ち上がる玲を、滝壺へと続く、石段へと導いた。

青白い魂石の光に照らされた、荘厳な滝。

その、凄まじい轟音(ごうおん)が、地下空洞全体に響き渡っている。

「……あの滝壺の『中心』で、ただ、座れ」

「……座る……だけ……?」

「そうだ。……お前が、今まで『ノイズ』として切り捨ててきた、全ての『音』を、聴くのだ」

「……」

「……水の音、風の音、石の音……。そして何より、お前自身の『内』にある、本当の『不協和音』を」

空摩は、玲の背中を、そっと押した。

「……渉への、未練。父への、憧憬(しょうけい)。そして、お前が出会ってきた、全ての敵への、憎悪」

「……!」

「……その全てを、この滝の音(・・・・・)が、お前に『聴かせて』くれる」

玲は、息を呑んだ。

これは、修行ではない。

拷問だ。

だが、彼女は、一歩、また一歩と、冷たい滝壺の中へと、足を踏み入れていった。

「……お前の『戦い(バトル・ラッシュ)』は、終わった」

空摩の声が、轟音の中で、不思議と、クリアに響いた。

「……これより、お前の、本当の『調律』を、始める」

玲は、滝の真下で、静かに、座した。

凄まじい水流が、彼女の、傷ついた身体を、容赦なく打ち付ける。

そして、その「音」が、彼女の「魂」の奥底に眠る、本当の「ノイズ」を、呼び覚まし始めた。

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