ステージ12:地下迷宮の追跡者

【ステージ11の結末より】

「……カイン! この『借り』は、必ず返す!」

「……馬鹿野郎! そっち(・・)は、まだ準備が……!」

玲の耳に、カインの焦ったような声が、遠くに聞こえた。

彼女が飛び込んだ先は、カビ臭い、暗く、冷たい空気で満たされた、本当の「闇」。

カインが言っていた、那智の村へと続くという、「旧時代の地下鉄網」の入り口だった。

「……逃がさない……!」

エコーの、憎悪に満た(に満ちた)声が、背後で響く。

玲は、振り返らなかった。

地獄の連戦(バトル・ラッシュ)は、終わった。

だが、休む間もなく、この世界の「真のバグ」から逃れ、自らが「変わる」ための、新たな「旅(ステージ)」が、今、始まったのだ。

【バトル13 vs. 地下の亡霊(データ・ファントム)】

ゴッ!

本棚に偽装された、分厚い鋼鉄の隠し扉が、背後で重々しい音を立てて閉じた。

完全な、光のない暗闇。

カインのセーフハウスを包んでいた、アナログの「音の暴力」が嘘のように、ここでは、滴り落ちる水の音だけが、不気味なほどクリアに響いている。

(……カビ臭い……。ここは、旧時代の地下鉄網……)

『月の芋』によって、玲の身体は完全に再構築されていた。

脇腹の傷も、肩の熱も、黒龍に打たれた内臓の痛みも、全てが消え去り、むしろ、以前よりも強靭な力が、全身に漲(みなぎ)っていた。

五感が、暗闇の中で、獣のように研ぎ澄まされる。

(……カイン……)

彼の安否が脳裏をよぎる。

だが、感傷に浸る時間はない。

**ドンッ、**という、くぐもった衝撃音。

背後の、鋼鉄の隠し扉が、内側から「殴られた」かのように、微かに震えた。

(……追ってきた!)

エコーだ。

あの、物理法則さえも「ハッキング」する化物が、カインのアナログ・ノイズの嵐を振り切り、もうここまで来ている。

玲は、振り返ることなく、闇の奥へと駆け出した。

カインが指し示した「那智の村」。

彼女が生き延び、自らを変えるための、唯一の場所。

そこへたどり着くまでは、決して、捕まるわけにはいかない。

(……渉……)

その名を心に浮かべた、瞬間。

『……玲……』

あの、懐かしい声が、暗闇の中で、直接、脳内に響いた。

(!)

玲は、思わず足を止めた。

『……渉、なの……?』

『……そうだよ、玲……。怖いよ……。暗いよ……』

声は、渉のものなのに、その「音色」が、歪んでいる。

恐怖と、絶望と、そして、玲に対する、ねっとりとした「憎悪」が、その「音」に混じり合っていた。

(……違う!)

玲は、精神(クオリア)を集中させ、その「声」の主を「調律」する。

(……お前は、渉じゃない……! エコーッ!)

『……みつけた……。やっぱり、きたない『おと』だ……』

声が、混線したラジオのように、あの少女のものへと変わる。

心理戦。

エコーは、玲の最も弱い部分(渉の記憶)をハッキングし、精神(こころ)を内側から破壊しようとしているのだ。

「……上等よ……!」

玲は、精神(クオIA)の「壁」を立て、エコーの精神攻撃を遮断しながら、さらに迷宮の奥深くへと駆けた。

ここは、カインの地図によれば、ゼロデイ・フレアによってシステムから切り捨てられた、旧時代の地下鉄網。

「虚構宮(グリッチ・ラビリンス)」ほどではないにしろ、ここもまた、カレイドスケープの「バグ」に汚染されている。

(……!)

玲は、立ち止まった。

前方の闇が、不自然に「揺らいで」いる。

半透明で、青白い光を放つ、複数の「人型」の何かが、暗闇の中で、音もなく蠢いていた。

『魂石の契約』の(Scene 04)で見た、あの存在。

かつて、この地下鉄の秩序を守っていた、セキュリティプログラムの「残骸」。

暴走し、物理実体を得た、**「データ・ファントム」**の群れ。

「グルル……」

「……」

ファントムたちは、玲という「異物(=新たなデータ)」、そして彼女が放つ、強烈な「生命の音(クオリア)」に気づき、一斉に、その「刃」のように変形させた腕を、玲に向けた。

「……地獄巡り(バトル・ラッシュ)の、続き、というわけね」

玲の瞳に、青白い炎が宿る。

満身創痍だった、さっきまでの自分とは、違う。

『月の芋』の力で、完全回復した今の自分なら。

「――邪魔ッ!」

玲は、弾丸のように、ファントムの群れへと突進した。

一体が、音もなく、その刃を振り下ろす。

だが、玲の「調律」は、その「音(攻撃の予兆)」を、完璧に捉えていた。

(――遅い!)

ファントムの刃が玲を捉える、コンマ数秒前。

玲の身体は、既にして、その攻撃の軌道上から消えていた。

彼女は、ファントムの、ノイズまみれの身体が「実体化」する、その一瞬の「隙」を、完璧に読んでいたのだ。

玲のナイフが、青白い光を放つ、ファントムの「コア」を、正確に貫く。

甲高い悲鳴(ノイズ)と共に、ファントムが光の粒子となって霧散した。

「グルァ!」

別の三体が、同時に、玲の死角から襲いかかる。

だが、玲は、振り返らない。

彼女は、突進の勢いのまま、トンネルの壁面を駆け上がると、三次元的な軌道で、ファントムたちの「上」を取った。

「……お前たちの『音』は……単調すぎる!」

落下する重力を利用し、玲は、二体のファントムのコアを、同時にナイフで貫く。

最後の一体が、虚空に刃を振り回す。

玲は、その背後に、音もなく着地すると、冷徹に、そのコアを破壊した。

わずか、数秒。

CIROエージェント「霞」としての、最高レベルの戦闘技術(アーツ)。

それが、『月の芋』による超人的な身体能力と、「調律者」としての予測能力によって、今、神業の域へと達していた。

「……はぁ……」

玲は、ナイフに付着した、デジタルな「残骸(ノイズ)」を振り払った。

その、完璧なまでの戦闘を、トンネルの闇の奥で、じっと見つめている「目」があった。

「……すごい、『おと』……」

エコーが、ファントムの残骸が消えた、その場所に、音もなく立っていた。

彼女は、玲との戦闘に、あえて介入しなかった。

ただ、玲の「戦い方」を、「音」を、「データ」として、観察していたのだ。

「……玲……。きたない……。でも……」

エコーのホログラムマスクが、激しく明滅する。

その混線した声が、一瞬、人間の少女のような、戸惑いの「音色」を帯びた。

「……でも……きれい……」

その言葉は、『影』の刺客(アサシン)としてではなく、『魂石の契約(Scene 03)』に登場した、あの、ノイズに苦しむ「オリジナル」の少女エコーの、魂の叫びのようだった。

「!」

エコーが、自らの発した「バグ(ノイズ)」に驚いたかのように、両手でマスクを押さえる。

その、一瞬の「隙」。

(……今だ!)

玲は、エコーに向かって、駆けた。

だが、それは、攻撃のためではなかった。

玲は、エコーの横を、すり抜けた。

そして、カインのセーフハウスから持ち出していた、最後の「切り札」――

『月の芋』の栽培記録(に偽装されていた、玲の父・宗也の『破壊スイッチ』のデータ)が入った、防水ケースを、トンネルの壁に叩きつけた。

いや、それは、壁ではなかった。

旧時代の、非常用「爆破スイッチ」。

「……!」

エコーが、罠(わな)に気づき、玲を追おうとする。

「……さよなら、『化物』さん」

玲は、スイッチを起動させると、エコーに背を向け、迷宮の、さらに奥。

那智の村へと続く、分岐路の「闇」へと、その身を投じた。

ゴゴゴゴゴゴ……!

玲の背後で、凄まじい轟音と共に、旧時代の爆薬が炸裂し、トンネルの天井が、数トンもの瓦礫となって、エコーの頭上へと降り注いだ。

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