ステージ9:記録者(アーキビスト)の隠れ家
【ステージ8の結末より】
(……渉……)
玲が、最後に、そう心の中で呟いた、その時。
ガコッ。
玲が背中を預けていた、ただの「壁」だと思っていたものが、不意に、音を立てて、内側へと「開いた」。
「え……?」
玲の身体が、重力に従って、その開いた「穴」の中へと、仰向けに倒れ込む。
彼女が最後に見た光景は、獲物を、文字通り「壁」に奪われ、呆然と立ち尽くす、黒龍とカラスの、間抜けな顔だった。
「――おっと」
玲は、誰かの腕に、柔らかく受け止められた。
暗闇の中、目が慣れると、そこにいたのは、古びたリボルバーを手にした、一人の老人だった。
埃と、古紙と、そして、どこか懐かしい機械油の匂い。
「……ようやく、お出ましか。『霞』」
老人は、忌々しそうに、しかし、その瞳の奥に、確かな安堵の色を浮かべて、言った。
「……まったく。俺の『店(テリトリー)』のすぐそばで、派手に『客』を呼び込んでくれたもんだ」
その声は、玲が、この混沌の街で、唯一、その「音」を信頼できるはずの男。
スロウタラムの情報屋、「記録者(アーキビスト)」――カインだった。
【束の間の静寂】
ガシャン! ドンッ! ドンッ!
玲が倒れ込んだ「穴」――隠し扉の外から、二人の最強の敵が、壁を叩き、蹴り破ろうとする、怒りに満ちた衝撃音が響き渡る。
「……カイン……! そいつら……!」
玲が、かすれた声で警告する。
「ああ、聴こえてる。大層なお出迎えだ」
カインは、玲の巨体を軽々と肩に担ぎ上げると、まるで動じずに言った。
「……だが、無駄だ。この壁は、フレア以前の『本物』の資材(・・・・・)で作ってある。あの程度の『ノイズ』じゃあ、傷一つ付かんよ」
カインは、古びたリボルバーの銃口を、追跡者たちがいる壁とは逆の、暗闇の奥へと向けたまま、玲を担いでゆっくりと歩き出す。
埃っぽい通路は、カインの店(古物商)の地下へと繋がっていた。だが、そこは玲が知る店先ではない。
アナログレコードの棚が、まるで巨大な本棚のようにスライドし、その奥に、さらに深くへと続く、下り階段が現れた。
「……お前が派手に暴れてくれたおかげで、連中の『音』が、よく録れた」
カインは、地下深くにある、本当の隠れ家(セーフハウス)の分厚い耐爆扉を開けながら、忌々しそうに呟いた。
そこは、カインの「記録」の聖域(サンクチュアリ)だった。
壁一面に、ゼロデイ・フレアを生き延びた無数の「本」が並び、ターンテーブルには、まだ回転を続けるレコードが静かなジャズを奏でている。そして、部屋の中央には、旧式の「地震計」や、正体不明のアンテナ群、そして無数の集音マイクが接続された、巨大なアナログの「記録装置」が、不気味な光を明滅させていた。
カインは、玲を医療用ベッド(それもまた、年代物のガラクタだった)に手荒く寝かせると、手際よく、彼女の血に濡れたタクティカルスーツを切り裂き始めた。
「……っ……!」
脇腹の、ステュクスに焼かれた傷に、消毒液が容赦なく染み渡る。
「……死にたくなければ、我慢しろ」
カインは、玲の悲鳴を無視し、淡々と、しかし驚くほど正確な手つきで、傷口を縫合していく。
「……あの、化物(エコー)は……何……?」
玲は、歯を食いしばりながら、最大の疑問を口にした。
「『影』が送り込んだ、『調律者』殺し(アンチ・チューナー)だ」
カインは、玲から抜き取った弾丸を、トレイに投げ捨てながら答えた。
「……この『記録装置』が、お前と『龍(黒龍)』と『烏(カラス)』の『音』は拾えた。だが、あの『化物(エコー)』だけは……『無音』だった。あれは、『影』そのものが、この世界に送り込んだ、純粋な『バグ・キラー』だ。……今ののお前では、絶対に勝てん」
「……黒龍は……カラスは……」
「『龍』は、一途な『執念』だ。妹という一点のみ。読みやすいが故に、強い」
カインは、最後の包帯を巻き終えた。
「『烏』は、厄介だ。渉の『理想』を歪ませた、最悪の『支配欲』。あの『ジャマー』は、お前のクオリアを殺すためだけに作られた、『技術』の集大成だ。……あれも、今ののお前では、勝てん」
カインは、リボルバーを磨きながら、玲に最終宣告を突きつけた。
「つまり、だ。『霞』。……お前は、この地獄巡りの果てに、全ての敵に『詰み』の状態だ。俺の『記録』によれば、お前がこのままスロウタラムを彷徨い続け、生き残る確率は、3%もない」
「……」
玲は、黙って、自らの手を見つめた。
血と、泥と、油に汚れ、震える手。
だが、その手の中には、確かに、あの地下鉄駅で確保した「魂石の欠片」と、渉から託された「ペンダント」が握りしめられていた。
「……ゼロじゃ、ない」
玲の、乾ききった唇から、声が漏れた。
「……ゼロじゃないなら、十分よ」
玲は、ゆっくりと身体を起こした。
激痛が全身を走る。だが、彼女の瞳には、死線を幾度も潜り抜けた、確かな「光」が戻っていた。
ステュクス戦で、自らの「不協和音(ノイズ)」を力に変えた、あの感覚。
カラスのアジトで、ジャマーの「音」を、自らの「調律」で破壊した、あの感触。
「今の私では、勝てない。……なら、変わればいい」
玲は、カインを真っ直ぐに見据えた。
「私には、この『調律』の力を、正しく知る場所が必要。……『影』を、『龍』を、『烏』を……その全てを、上回る『音』を、手に入れる場所が」
カインは、玲のその言葉を、待っていた。
彼は、何も言わず、書庫の奥から、一枚の、黄ばんだ古い「地図」を広げた。
「……お前の親父(宗也)も、渉も、その『力』に気づき、その『源流』を探していた」
カインが、地図の一点を、ナイフの切っ先で指し示す。
そこは、このカレイドポリスの最深部。ゼロデイ・フレアのバグによって、システムから隔離された、空白のエリア。
「奴ら(影)も、その『力』を、喉から手が出るほど欲しがっている。……その力の『源流』であり、唯一、お前のような『調律者』を『調律』できる連中がいる場所が、一つだけある」
カインが指差した場所。
そこには、古びたインクで、こう記されていた。
「――那智の村」
「地獄巡り(バトル・ラッシュ)は、ここで終わりだ」
カインは、リボルバーに、一発だけ弾を込めながら言った。
「だが、本当の『修行』は、これからだ、『霞』」
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