伝説の英雄
酒場中の注目が俺に集まった。
俺はそれに応えるように、意識して顎をぐっと上げた。
それから俺は、余裕のある目であたりを見回した。グズダックは英雄だ。英雄は常に落ち着いていなくちゃいけない。
「仕方ないな。ゆっくり一人で飲みたかったんだが、お望みとあれば名乗ってやろう。俺がそのグズダックだ」
俺はにやりと笑ってやった。
酒場の客たちは、おおっとどよめいた。期待通りの反応だ。これで奴らは、俺をグズダックだと認めたことになる。
「お前らは運がいい。本当は話すより殺す方が得意なんだが、今日は特別に機嫌がいいんだ。武勇伝でもなんでも話してやるぜ」
「ああ、そうだ。あの槍はどこにあるんだ。傭兵をしていた従兄弟に聞いたことがある。でかいんだろう。千人殺しの槍、何て言ったかな……」
「ガラタの槍だ。
俺は顎で、壁に立て掛けてある槍を示した。
長さは約三メートル。穂先の重さだけで薪を割るナタくらいはある。穂先というよりは、ちょっとした剣を先に括りつけているみたいだ。
もちろんバカみたいに重い。女子どもには持ち上げることさえできないだろう。俺だって、正直に言えばちょっとつらい。
「触ってもいいか」
「好きにしな。ただし、武器は男の顔みたいなもんだ。汚したら承知しないぜ。こいつらの前で、その槍の切れ味を試させてもらう」
槍に近づいた男は、ぶるっと震えて足を止めた。
酔っぱらいは小便がゆるい。チビりやがったな。そう思う間に、股間に染みが広がっていく。
俺は追加の
「ここ、いいか」
本命が話しかけてきたのは、追加のジョッキを二杯ほど飲み干した頃だった。さっきサズールに
小さくうなずいてやると、男は勝手に椅子を引いて座った。キイという耳障りな音が頭に残る。
「おれはゼッドだ。お近づきのしるしに、あんたの酒代も奢らせてくれ。今日の払いは全部、おれが持つ」
「ほう、それはご機嫌だ。だが、感謝はしないぜ。貸しを作ったと思われたら困る」
「
その男は俺の目をまっすぐに見た。
「仕事をする気はないか」
待ちに待っていた言葉だったが、俺はわざと興味のないふりをした。
こういう時は少しジラせるのがコツだ。俺だって、もう三十年以上は生きている。娼婦に
「おいおい、俺を担ぐなら別の場所にしてくれ。こんなに平和な町に仕事なんかあるわけないだろう」
「おれは本気だぜ」
男は腹のあたりを自分で叩いた。胴巻きに金をしこたま隠しているんだろう。金がじゃらんと踊るような音がする。
「いい音だ。お前の金か」
「雇い主の金だ。大変なお
「なるほど、いい心がけだ。俺は代理人の口は信用しないことにしているんだが、一応は聞いておいてやる。そいつは俺にいくら支払う気なんだ」
「金貨を百枚。傭兵には法外な報酬だが、あんたはグズダックだ。うんと言ってくれれば、明日にも半金を払う。後は、仕事が終わってからだ。
こんな田舎に流れてきたんだ。何か理由があるんだろうが、言いたくなけりゃそれで構わない。悪い話じゃないと思うがな」
「ふん。なるほど、報酬は悪くないな……」
俺は計算していた。
もちろん最初から真面目に働く気はない。成功報酬の半金は捨てるとしても、金貨が五十枚だ。それだけあれば、一年間は遊びながら旅を続けられる。
「俺に何をやらせる気だ」
男は笑顔になった。
「そうそう、そうこなくっちゃな。まあ、飲もう。天下のグズダックと一緒に仕事ができるなら、怖いものなしだ。今日のおれはツイてる」
男は新しい
「俺は報酬に興味をひかれただけだ。まだ承知したわけじゃないぜ。それに質問の答えがまだだ。俺は、仕事の中身を聞いている」
「わかってるさ。だがそれは、雇い主が直接に言いたいそうだ。交渉の楽しみは奪うなってことだ。それも料金の内だと思ってくれ。
ところで、あんた。今晩の宿は決まっているのか」
「いや、別に。日暮れ前に町に入ったばかりだからな。これから探そうかと思っていたところだ」
「なら、決まりだな。今晩は女つきのいい宿をとってやる。もちろん雇い主の奢りだ。明日の昼には会う段取りをつけるから、詳しい話はそれまで待っていてくれ」
「俺がお前を信用する理由は」
「考えればわかるだろう。グズダックを怒らせて生きている男はこの世にはいない。おれも傭兵の世界じゃあそれなりに聞こえた男だが、身の程はわきまえているつもりだ」
ゼッドは肩をすくめて、おどけるような仕草をした。なかなかに食えない男だ。だが、その方がいい。
英雄の名前だけに舞い上がるようなバカなら、報酬の話も信用できない。こいつなら、少なくともきっちりと金は用意させるだろう。その後のことはまた後で考えればいい。
「わかった。その雇い主とやらの話を聞いてやる。仕事をするかどうかは、話の内容次第だ。それでいいな」
「ああ、それでいい。交渉成立だな」
「話を聞く約束をしただけだ。まだ成立したわけじゃない」
「どんな強敵が相手でも、グズダックが尻込みするわけない。もう決まったようなもんさ。さあ、これは前祝いだ。飲んでくれ」
少しだけ考えてから、俺はゼッドのジョッキに自分のジョッキを重ねた。カチンという、陶器がぶつかる音がする。
俺は
グズダックは自信家だ。自分より強い奴が世界にいるなんて思いもしないだろう。ゼッドとかいう男の言うとおりだ。これでいい。行動として不自然じゃない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます