伝説の英雄

 酒場中の注目が俺に集まった。

 俺はそれに応えるように、意識して顎をぐっと上げた。

 それから俺は、余裕のある目であたりを見回した。グズダックは英雄だ。英雄は常に落ち着いていなくちゃいけない。


「仕方ないな。ゆっくり一人で飲みたかったんだが、お望みとあれば名乗ってやろう。俺がそのグズダックだ」

 俺はにやりと笑ってやった。


 酒場の客たちは、おおっとどよめいた。期待通りの反応だ。これで奴らは、俺をグズダックだと認めたことになる。


「お前らは運がいい。本当は話すより殺す方が得意なんだが、今日は特別に機嫌がいいんだ。武勇伝でもなんでも話してやるぜ」


「ああ、そうだ。あの槍はどこにあるんだ。傭兵をしていた従兄弟に聞いたことがある。でかいんだろう。千人殺しの槍、何て言ったかな……」


「ガラタの槍だ。洒落しゃれているだろう。この名前は神に逆らった伝説の英雄の名前から取った。もっともこれは三本目だがな。二本は突き殺した男の腹に忘れてきちまった。残念だが、こいつはまだ百人も殺しちゃいねえヒヨっ子だ」


 俺は顎で、壁に立て掛けてある槍を示した。

 長さは約三メートル。穂先の重さだけで薪を割るナタくらいはある。穂先というよりは、ちょっとした剣を先に括りつけているみたいだ。

 もちろんバカみたいに重い。女子どもには持ち上げることさえできないだろう。俺だって、正直に言えばちょっとつらい。


「触ってもいいか」


「好きにしな。ただし、武器は男の顔みたいなもんだ。汚したら承知しないぜ。こいつらの前で、その槍の切れ味を試させてもらう」


 槍に近づいた男は、ぶるっと震えて足を止めた。

 酔っぱらいは小便がゆるい。チビりやがったな。そう思う間に、股間に染みが広がっていく。

 俺は追加の麦酒エールを頼むと、飲みながら酒場の男たちと適当に話を続けた。つまらない連中だったが、称賛されるのは悪い気分じゃない。本物がこの場にいても、たぶんそう思っただろう。


「ここ、いいか」

 本命が話しかけてきたのは、追加のジョッキを二杯ほど飲み干した頃だった。さっきサズールに麦酒エールを奢った男だ。よく見ると腕にサソリの入れ墨がある。ダットリアの傭兵が好んで彫るデザインだ。

 小さくうなずいてやると、男は勝手に椅子を引いて座った。キイという耳障りな音が頭に残る。


「おれはゼッドだ。お近づきのしるしに、あんたの酒代も奢らせてくれ。今日の払いは全部、おれが持つ」


「ほう、それはご機嫌だ。だが、感謝はしないぜ。貸しを作ったと思われたら困る」


麦酒エールくらいでグズダックを買収できるなんて思ってもいないさ。これでも報酬の相場は知っているつもりだ」


 その男は俺の目をまっすぐに見た。

「仕事をする気はないか」


 待ちに待っていた言葉だったが、俺はわざと興味のないふりをした。

 こういう時は少しジラせるのがコツだ。俺だって、もう三十年以上は生きている。娼婦にだまされるような、せっかちなガキじゃない。


「おいおい、俺を担ぐなら別の場所にしてくれ。こんなに平和な町に仕事なんかあるわけないだろう」


「おれは本気だぜ」

 男は腹のあたりを自分で叩いた。胴巻きに金をしこたま隠しているんだろう。金がじゃらんと踊るような音がする。


「いい音だ。お前の金か」


「雇い主の金だ。大変なお大尽だいじんでな。腕の立つ傭兵を集めるためなら、金に糸目はつけるなって言われている」


「なるほど、いい心がけだ。俺は代理人の口は信用しないことにしているんだが、一応は聞いておいてやる。そいつは俺にいくら支払う気なんだ」


「金貨を百枚。傭兵には法外な報酬だが、あんたはグズダックだ。うんと言ってくれれば、明日にも半金を払う。後は、仕事が終わってからだ。

 こんな田舎に流れてきたんだ。何か理由があるんだろうが、言いたくなけりゃそれで構わない。悪い話じゃないと思うがな」


「ふん。なるほど、報酬は悪くないな……」

 俺は計算していた。


 もちろん最初から真面目に働く気はない。成功報酬の半金は捨てるとしても、金貨が五十枚だ。それだけあれば、一年間は遊びながら旅を続けられる。


「俺に何をやらせる気だ」


 男は笑顔になった。

「そうそう、そうこなくっちゃな。まあ、飲もう。天下のグズダックと一緒に仕事ができるなら、怖いものなしだ。今日のおれはツイてる」


 男は新しい麦酒エールを注文したが、俺は表情を変えなかった。柔和な顔をつくっているが、目の奥には別の色がある。こいつはまだ、俺を本当に信用したわけじゃない。


「俺は報酬に興味をひかれただけだ。まだ承知したわけじゃないぜ。それに質問の答えがまだだ。俺は、仕事の中身を聞いている」


「わかってるさ。だがそれは、雇い主が直接に言いたいそうだ。交渉の楽しみは奪うなってことだ。それも料金の内だと思ってくれ。

 ところで、あんた。今晩の宿は決まっているのか」


「いや、別に。日暮れ前に町に入ったばかりだからな。これから探そうかと思っていたところだ」


「なら、決まりだな。今晩は女つきのいい宿をとってやる。もちろん雇い主の奢りだ。明日の昼には会う段取りをつけるから、詳しい話はそれまで待っていてくれ」


「俺がお前を信用する理由は」


「考えればわかるだろう。グズダックを怒らせて生きている男はこの世にはいない。おれも傭兵の世界じゃあそれなりに聞こえた男だが、身の程はわきまえているつもりだ」


 ゼッドは肩をすくめて、おどけるような仕草をした。なかなかに食えない男だ。だが、その方がいい。

 英雄の名前だけに舞い上がるようなバカなら、報酬の話も信用できない。こいつなら、少なくともきっちりと金は用意させるだろう。その後のことはまた後で考えればいい。


「わかった。その雇い主とやらの話を聞いてやる。仕事をするかどうかは、話の内容次第だ。それでいいな」


「ああ、それでいい。交渉成立だな」


「話を聞く約束をしただけだ。まだ成立したわけじゃない」


「どんな強敵が相手でも、グズダックが尻込みするわけない。もう決まったようなもんさ。さあ、これは前祝いだ。飲んでくれ」


 少しだけ考えてから、俺はゼッドのジョッキに自分のジョッキを重ねた。カチンという、陶器がぶつかる音がする。

 俺は麦酒エールを喉に流し込みながら、本物の奴ならこの仕事を受けただろうかと考えていた。


 グズダックは自信家だ。自分より強い奴が世界にいるなんて思いもしないだろう。ゼッドとかいう男の言うとおりだ。これでいい。行動として不自然じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る