迫る客人

 軍服風の黒衣に身を包んだ女が夜風に長い黒髪を靡かせながら暗がりを歩いていた。

 歳の頃は二十二、三といったところか。だが若人と侮れぬだけの威が女にはあった。

 眼光は鋭く纏う空気も触れれば切れる刃の如きもので案内役の男は怯えを必死に噛み殺している。


「こ、こちらに御座います」

「ご苦労」


 辿り着いたのは都内某所にある私立高校。

 ガス漏れ事件が起きたという名目で少し前から封鎖されているが女は構わず敷地に踏み入った。

 静謐な夜の風景が一変。醜と悪を煮詰めたような禍々しい空間へと変化した。


【■■■■■■■■■■!!!!】


 けたたましい絶叫を上げながら襲い来る魑魅魍魎。

 しかし女に動揺はない。何故ならこの手のものを祓うのが彼女の仕事だから。

 女の名は祓主 旭ふつぬし あきら。日本の霊的守護を担う名家の若き当主であった。


「ふむ」


 異界と化した敷地内を進み深奥に辿り着く。

 そこには胴体から制服姿の女生徒を生やした全長数十メートルはあろうかという大蜘蛛が居た。

 旭は憎悪のままに己を睨みつけるその女生徒に向かい語り掛ける。


「こんばんは」


 返答はない。旭自身、期待はしていない。

 人の形はしているがあれはもう意思疎通が出来る存在ではなくなってしまったから。


「……君が生まれた経緯は把握している」


 嘆きと怨嗟が極まった結果、人は時に怪異へと変ずる。今回もそう。

 惨たらしいイジメの末に自死を選んだ女生徒が怨念ゆえ怪異に成り果ててしまった。


「君を祓う。これは決定事項だ」


 だが、と言葉を区切り真っ直ぐ怪異を見つめ旭は告げる。


「君をそうしてしまった者らには適切な応報を与えると約束しよう」


 怪異には何一つ伝わっていないことは分かっているがそれでも構わなかった。

 都市一つを破壊し尽くす力を持ちながら無差別に怨嗟を振り撒かなかった少女へのせめてもの敬意。


「それを以って弔いの花とさせて頂く」


 そう言うと同時に大蜘蛛の怪異が毒液を吐き出した。

 言葉と共に放たれた敵意に呼応し排除すべき存在と認識したのだ。

 旭は冷静に白刃を抜き毒液を斬り散らすとそのまま跳躍。

 大上段から一刀の下に大蜘蛛の怪異を斬り伏せた。


「ふぅ」


 大蜘蛛の怪異が死ぬと同時に異界化が解除され夜風が吹き抜けた。

 夏のそれとは思えない冷たく寂しいそれに旭が目を細めていると、


「おお! ありがとうございます祓主殿!!」


 周辺で待機していた学園の理事長と事情を知る一部の理事がやって来た。

 美辞麗句を並べ立て旭を持ち上げるが彼女はそれを無視し彼らに告げる。


「怪異が発生する原因となったいじめの公表と加害者たちへの厳重な処罰を要請します」


 その言葉に理事長らは一瞬呆気に取られるが直ぐに卑屈な愛想笑いを浮かべ言う。


「いや、それはちょっと……」

「え、ええ。こうして解決したわけですし事を荒立てる必要は」

「……そうですか」


 旭が小さくそう呟くと理事長らは安堵の息を漏らした。

 その言葉に込められた意味も知らずに。


「佐伯。事件の公表と加害者、並びに隠蔽に動いた人間に厳重な処罰が下るよう働きかけろ」


 迎えの車に乗り込むや運転席の侍従に命令を下す。

 佐伯と呼ばれた中年の男は頬を引き攣らせながらも異を唱える。


「若様。それは少々不味いかと。隠蔽に加担していた担任教師はとある先生のご親類でして」


 更に言えば加害生徒の保護者も地位のある人間だ。

 やろうとすればかなり面倒なことになってしまう……と言葉は最後まで続かなかった。

 ルームミラー越しに見える旭の目が極寒のそれに変わっていたからだ。


「ただ怪異を殺せば良いなどと本気でそう思っているのか? 祓主の家に仕えておきながら」


 対処療法という選択肢が許されるのは力が足りぬ者だけ。

 力ある者は原因の根絶に動くのが当然の義務だ。


「あの蜘蛛が温和な性質でなければその被害は甚大であったことを理解していないのか?

加えて女生徒があそこまでの怪異に成り果てたのは過去から蓄積していた澱みも原因だ。

同じような事件が起きればまたあのレベルの怪異が生まれるぞ。

それを防ごうとすることは誰恥じぬ国益であり邪魔をするのは国家に仇成す卑しい賊である」


 旭は暗にこう言っているのだ。

 政治的な手段で動かないのであれば直接、手を下すと。

 彼女にはそれが許されるだけの暴力があった。


「し、失礼致しました! 直ぐに、直ぐに働きかけましょうぞ!!」

「フン」


 以降、旭が住居に使っているマンションに到着するまで重苦しい沈黙が続いた。


「屑屑屑。上から下まで屑があまりにも多過ぎる」


 家に帰り一人になった途端、旭はそう吐き捨てた。

 祓主家の次期当主という立場ゆえ彼女は様々な人間と接する機会が多かった。

 それは決して良縁とは言えぬものばかりで……それゆえ考えてしまう。


「やはり間引きを考えねばならんか」


 無能を咎めるつもりはないが、他に害を振り撒く無能は不要であると。


「多少の犠牲は生じようが害悪でしかない屑がのさばっているよりはマシだろう」


 徹底的に間引きを行い有能で正しい人間と無能でも弁えた人間だけを残す。

 そうすればこの国も少しは風通しが良くなるだろう。

 諸外国の反発は必至だがやりようはある。


「何なら日本人だけでなく世界規模でやった方が人類という種のためになるのではないか?

間引きを続けていけばやがて種が立ちいかなくなる可能性もあるがその時はその時だろう」


 堰を切ったように旭の不満が噴き出していく。


「――――それで滅ぶなら人という種族はそこまでの存在だったという話だ」


 すわこのままラスボス誕生かと思われたが、


「……いや、まだだな。今の段階で行動に移すのは早計だ」


 ギリギリで踏み止まる。

 その視線の先には化粧台の上にあるお高そうな桐の箱があった。

 旭は箱を手に取りそっと畳の上に置くと正座をしてそっと蓋を開ける。

 中には複数の薄い本。いわゆる同人誌というものが丁寧に納められていた。


「……U・リトルレディせんせぇ」


 旭は自分が女であることを思い出させてくれた顔も知らぬ著者の名を呼ぶ。

 最後に新刊が出たのは四年前。フォローしているSNSも止まってしまった。

 権力を使えば探すことは出来るし、経済的な事情なら援助も出来る。

 だが神聖視するほどの恩人であるがゆえにいやそれストーカーじゃんと思い彼女は動けずにいた。


「人類を間引くのは今年新刊が出るかどうかを確かめてからでも遅くはあるまい」


 引き金が軽過ぎる。人類を何だと思っているのか。

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