この感情に名前を与えるなら、なんとしよう?

親父が逝った。

祖父も祖母も看取り、妻を看取り、最後の最後に旅立った。






葬儀に訪れたのは、兄の一家、姉の一家、それから主人公の一家。

親が死ぬ。それこそ、生きている全人類がいずれ経験する、ありふれた行事だ。
不思議と、涙も出ない。


『父親』という距離感は、実に不思議である。
父親は、恩人であり、秩序や常識に関する教師、または反面教師であり、
人によっては恐怖やトラウマの対象だ。

一緒に暮らしている間は、こんなに父親に対して抱いている感情が多いのに、
家を出た途端に、その距離は微妙になる。

主人公も、きっとそうだったのではないかと思う。

毎日会っていたのが、月に一度に。
月に一度がやがて半年に一度。
そして、一年に一度……。
会えなくなっていくことに対しても、なんとも思わなくなっていく。
あれだけお世話になって、あれだけ恩のある人なのに。

息子が、親父を抱える、という瞬間はものすごく稀である。
まあ、ほぼ息子が大人になってからのことだろう。
あんだけでかかった父の背中が小さくなり、
しかし、いざ冷たくなって、骨と皮だけになった父を棺に入れるとき、その重さに驚く。

そして、骨壺を持った時の軽さにまた驚くのだ。

これら、自分達が巣立ち、親父を思うときのこの距離感に、名前をつけるなら、何がふさわしいだろう?

悲しいでもない。寂しさもない。
ただ、業務的で冷たい時間が流れていき、感傷に浸る時間もわずかなことについて、
この時の感情を、なんと呼べばいいだろう?




人間の深いところを、わずか二千文字で描いた傑作だと思います。


是非、ご一読を。



















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