3.King Solomon's ling

01


 真白神殿の主祭神は、不可識神域に住まうアメノヤツガシラノカミであるとおれに教えてくれたのは、神職の司アレッサである。いかにも竜神っぽい名前だ。祭神である巫女姫アズリーンは、その眷属けんぞくという位置づけであるらしい。

 固有名詞で天八頭主アメノヤツガシラノカミなら漢字で書けるが、残念、ここの表音文字は仮名でもアルファベットでもないし、必須であるという表意文字もおれにとっては謎の図形だ。読み書きがもっと進まない限り、書物を使っての学習はできないから、いまのところ対面ではもっぱら話を聞くことのみ。基本、神事全般や行儀作法を教えてくれているのがアレッサで、ナルーシャが基礎教育担当。

 年齢不詳、額に飾り帯を巻き、長い黒髪にヴェールをかぶり、いつも足もとまである神姿の姿のナルーシャの授業はというと、

「――花冠六島を考えるときは、まず中央に中ツ島なかつしまを置きます。西側に、火島ひしま双ツ島ふたつしま和珠島わじゅとう――この和珠島がシグリーズ本島。シグリーズ共和国は、この和珠島すべてと、中ツ島の南岸の一部にまたがった国です。東側に、面積の大きな二島、月島つきしま星島ほししまがあります。東側はみな教導国で、教導国連合を形成しています。主たる国は……」

「…………」

 淡々としていて抑揚がなく、とうてい予備校の先生とかには向かない感じである。

 おれである少女は、睡魔に負けないために、手近な言葉に突っ込んだ。

「えええと、あの、……教導国? ……ってなんでしょう」

「教導国というのは、国教として〈智の番人〉教会の教義を採用している国のことです」

 ……と答えが返ってきたので怖気をふるった。

「……ま、まさか、東と西の間で深刻な宗教的対立があったりするんでしょうかっ……!??? その、〈智の番人〉教会? ……にとっては、アメノヤツガシラノカミは邪教の神で、討ち滅ぼさねばならない敵とかなんとか……っ!!」

 げに宗教とはおそろしいものである。自分とこの神が絶対的に正しいとなると、あとはぜんぶ間違った邪教であるゆえに、なにしてもいいって発想に陥りがち。もしや〈智の番人〉教会から邪教の巫女認定されたら、苛烈な拷問の末、獄死かはりつけ――!!! ……てな悲惨な絵面が頭を過ぎったとしてもしょうがあるまい。

 おれの反応に、ナルーシャが意外そうな顔をした。

「サリュウさまは思いのほか活発な方なのですね。その視点も、独特ですし……」

「い、いや、すごくありがちかと……」

「〈智の番人〉教会というのは、魔導士の教団ですよ。花冠六島に新たに公開される魔術の8割方は彼らの手によるものといわれているぐらいで、非常に大きな力を持っています。まがりなりにも理知の学究の徒が、いきなり野蛮ないいがかりをつけてはこないでしょう」

「へ、魔導士の教団……?」

「”魔導の預言者を信奉し、世に啓明するを使命とする”――のだそうです」

「そ、そりゃまた高尚な……」

 宗教の売るものといえば、天国の切符とか幸運の壺とか先祖代々の悪縁を取り除くあーらふしぎなお札とか、ぜったいに検証できないもの限定だと思っていたのだが、さすが異世界、ちがうらしい。なんにせよ、不穏な関わりさえないのなら、それでよし……

 そのとき、巫女姫おれの不安を取り除こうとでも思ったのだろう、ナルーシャがいつもの落ち着いた声で告げたのだった。

「それに、〈神域結界〉は御身のためにあるのですから」


          *


 さて、タイムテーブルは夜。――過去には、お湯を注ぐだけの麺で、食事を済ませることもしばしばだった、おれ。

 巫女姫アズリーンとなって以降は、部屋の大テーブルに運ばれてくる料理は、毎日がどこの名店のディナーか、って感じになった。

「おいしいーっ! 料理長のユウナ、ホントに料理上手だよねっ」

 香辛料のいい匂い、とろけるような口あたりの絶妙さ…。食べるのには、はしと、切り役という食事用ナイフ、二役――刺す、掴むに使えるトング風の食器具を使う。料理の種類によっては、ほかに匙やヘラや串なんかが添えられてでてくる。

「ありがとうございます、巫女姫さま。ユウナもよろこびます」

 と、給仕係のマーシはいたって平坦な声でいった。

「二役からは手を離して。それまでは口を開いてはいけません。それが作法です」

「……ハイ」

 マーシは30代の後半くらい、細身で、かっぽう着風前掛けをつけたドレス姿。少女のおれにテーブルマナーを叩き込むという使命感に燃えている。

「え、えーと、マーシはどこ出身のひと? いつからここに?」

「お耳にいれるような立場ではありません、巫女姫さま。……次はそちらの小鉢を持ってきて。順番は頭に入ってますね?」

「……」

 神殿女性は無駄話もしないし、しつけにきびしい。とことんきびしい。これは、給仕担当がエレカとかに替わっても同じである。まだ大した日数も経っていないというのに、スマホ片手にダラダラ食事してたのが遙かな異世界の出来事だったみたいに思えてくる今日この頃……

 生活全般が規則正しくなり、このあとはミアシュが部屋に顔をだすのもわかっている。

 リハビリよろしく坐ったまま足の上げ下げなんかして待っていると、

「サリュウさまぁ。今日のお風呂は、大浴場にしますか? 個室で済ませますか?」

 と、予想に違わず。

「ミアシューっ! いちいち聞かないでよっっ」と答えたおれである少女、アズリーンの頬は赤くなってるかもしれない。

 ミアシュはわけ知り顔で、「うふふふふ」と笑った。

 う、まるで思春期アズリーンよりもっと年下の女の子に見透かされているかのような……。いや、冷静になろう、こっちにやましい気持ちがあるから、なんかそう見えてしまうだけで……

「サリュウさまは大浴場、大好きですよねっ!」

「☓◯☐☓★☓!!」


          *


 そう……忘れもしないあの日。おれは、初めて大浴場なる魅惑の場所へと案内されたのだった。

 大浴場。なんてステキな響きだろう。ここは女性しかいないから、それ即ち女湯ってことである。女の人がたくさん、湯けむりの中、あられもない姿で身体を洗ってお湯をかけて……

「うふ。うふ。うふふふふふ」

「サリュウさま、すごく入浴を心待ちにされてたんですね。ずっと病床でしたもん、ムリないですぅ」

 と、いっしょに歩いているミアシュもとっても同情的。

 連れて行かれた個室仕様の脱衣所に入る。

 壁に等身大の鏡があり、服を脱いでる己の姿が見えた。

 とんでもない美貌の。抜群のプロポーションの。頭に血がのぼって真っ赤になってる、思春期ぐらいの正真正銘の女の子。そう、これがいまのおれだ、女湯は当然だし、毎日自分の身体を見てるから、別にどうってことは……

「サリュウさま。脱ぐの、お手伝いしましょうか?」

 ひょいと脱衣所をのぞきこんできたミアシュは、来たときのまま巫女装束に短パンみたいな格好である。

「だ、だいじょうぶ」

 半裸の自分が恥ずかしくなってしまった。覚悟を決めて素っ裸になり、タオルを巻いて浴場の入り口に立った。

 いざ行かん! 夢の大海原へ!

 開けてもらった戸口をくぐり、おれが洗い場に踏み出すと、

「じゃあ、お願いしますぅ」

 とミアシュが中に声をかけて、引き戸を閉めた。……あれ? おれは湯けむりを透かしてみたが、広い湯船にも、かけ湯場にも、人気がない。……あれ……? 

「それでは巫女姫さま。すみずみまであかすりをさせて頂きますので、どうぞおくつろぎになって」

 右手の方に、割と体格のいい、年配の女性が立っていた。肌にぴったりの長襦袢ながじゅばんみたいな肌着をつけて握りこぶしをもんでいる。

「……い、いえ、あの……ほ、ほかのひとは……?」

「もちろん貸し切りですじゃ、巫女姫さまのお越しとあらば」

 と、今度は左から、同じような肌着姿の、かなり縮んだ老婆がでてきた。「洗ったあとは、しっかりもみほぐしてさしあげますでな」

「いえ……あの……け、けっこう……」

 昭和の時代劇みたいに、タオルはくるくるっと剥ぎ取られ、すっぽんぽんになったおれである少女は、恐怖にまっ青になったまま、すみずみまで洗われ、こすられ、流され、もまれて、浴槽にたっぷりと漬けられたのだった。こんなにも若い身空で、入浴介助の実地体験をさせられてしまったあの日以来、おれは大浴場には行っていない……

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