第32話 二度目のプロポーズ

「君に初めて会ったあの日からずっと、僕はリーシャを心から愛している。君がわずかに見せる表情の変化や、素直になれないところがたまらなく愛おしい。その艷やかな白銀の髪も、僕を映す湖のように澄んだ灰色の瞳も、かすかに見せる微笑みも――リーシャのすべてが可愛くて仕方ないんだ」


 優しく、まっすぐに紡がれる言葉が、胸の奥に染み込んでいく。

 少しも逸らすことなく向けられるまなざしには、揺るがない愛情と覚悟のようなものが見えた。その瞳の中には、飾りも偽りもなく、ただ真摯な想いだけが映っている。


「僕はリーシャとこの先もずっと共に過ごしていきたい。どうかこの僕と結婚してくれないだろうか?」


 そしてハルトヴィヒは、エリシアを希う言葉を再び紡いだ。






 ――これは夢だ。それかなにかの間違いだ。そうでないのなら、この状況は一体何だというのだろう。


 エリシアは舞踏会の中心で、再び皆の視線を一挙に集めていた。

 事の元凶は、エリシアの目の前で跪いているこの美しすぎる青年ことハルトヴィヒ・アルベルトである。

 ハルトヴィヒは周囲のどよめきなどどこ吹く風と言わんばかりに手を差し出して、愛しい人に向けるような笑みを浮かべた。


 ハルトヴィヒの前にいるのがエリシアでなければ、どれほどロマンチックだっただろう。どれほど祝福され、どれほどあたたかな拍手で包まれていただろう。出来ればエリシアは傍観者でいたかった――


 ――あの時はそう思っていた。


 完全無欠のアルベルト公爵が、『鉄仮面令嬢』のエリシアなんぞにプロポーズなんかするはずがないと。

 これは悪い冗談で、友人の妹をからかっただけの戯れに過ぎないと。

 そう自分に言い聞かせて、彼の言葉を否定した。


 けれど、今は違う。


(傍観者で、いたくない)


 ハルトヴィヒの強引で、けれど優しいところが好きだ。

 エリシアを一番に想い、助けてくれるところが好きだ。

 辛い過去にただ悲観するのではなく、それを糧に自ら切り開いた勇敢なところが好きだ。

 アルベルト公爵家に仕える皆に慕われているところが好きだ。

 そして何より、ハルトヴィヒの笑みが好きだ。いたずらめいた笑みも、人好きのする笑みも、エリシアだけに見せる甘い微笑みも――彼の表情すべてが好きだ。


 ハルトヴィヒはいつだってエリシアの心を温かくしてくれる。

 そしてそんなハルトヴィヒと共にいることが、エリシアにとって何よりも幸せであると知った。


 ハルトヴィヒになら、どんな自分も受け入れてもらえると確信している。

 彼は『鉄仮面令嬢』の悪名通り無表情なエリシアを、温かく迎え入れてくれた。

 この人は、いつだってエリシアの仮面の奥を見抜いてきた。

 エリシアの無表情さも、不器用さも、不完全さも、全てを抱きしめてくれる。

 こんなに温かい人を、どうして拒めたのだろう。


 エリシアはそっとハルトヴィヒの手に視線を向けた。

 その手は、大きくて、力強くて、それでいて誰よりも優しかった。

 この人の隣に立つのは、自分でありたい。

 他の誰かになど、譲りたくない。


(皆に祝福されなくても私は――――この優しい手を取りたい)

 

 だから――差し出された大きな手に、自分の手を重ねる。

 ハルトヴィヒの手がぴたりと重なったその瞬間、世界が鮮やかに色を変えた気がした。


「……私も、ハルト様を心からお慕いしております。喜んで、お受けいたします」


 ぎこちなく、けれど確かな気持ちを込めた。

 この言葉だけは、照れくさくても勇気を出して素直に言わなくてはならないから。

 右手を胸に当て、淡い青の瞳を見つめる。

 とくとくと鼓動が早鐘を打ち、胸が痛いほどに熱を帯びる。それでも、目を逸らさなかった。


「ありがとう」


 ハルトヴィヒの微笑みにつられるように、エリシアも微かに笑みを浮かべる。





 拍手の音が、遅れてやってきた。

 それは初め、ひとつ、ふたつと控えめなものだったが、すぐに波のように広がっていく。

 やがて会場は温かい大きな拍手に包まれた。


 エリシアは驚きの中で、目を瞬かせる。


 汚名を返上した伯爵令嬢エリシア・リヴェールと、完全無欠の若き公爵ハルトヴィヒ・アルベルトの二度目の求婚劇に、周囲の反応は火を見るよりも明らかだった。


 誰もが頷き、二人を祝福していた。

 視線を巡らせれば、兄とサラを見つけた。兄は目を細め拍手し、サラは涙を流しながら頷いていた。

 その先にはカルデコット侯爵がいた。彼はまるで息子の門出を祝うような、そんな親愛に満ちた眼差しで、ハルトヴィヒを見ていた。

 それから――見覚えのある青い瞳の青年。けれど髪はハルトヴィヒと同じ金髪ではなかった。


(あっ……)


 エリシアは正体に気づいたが、ハルトヴィヒはそっと人差し指を唇に当ててみせた。

 なるほど、お忍びなのか。

 王太子は唇で弧を描くと、両手を力強く打ち鳴らした。その音は祝砲のように響き、場の空気を震わせた。


 もう、誰の視線も怖くない。誰の言葉もエリシアを傷つけはしない。ハルトヴィヒがいてくれるなら、もうこの先恐れることは何もなかった。

 心の奥が踊るような高揚感が、エリシアを包み込む。


 音も光も、まるで祝福するように優しく満ちていく。

 それはハルトヴィヒが差し出してくれた新たな未来の扉が、開いた合図のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る