第7話 侍女
心地良い揺れが伝わってくる。
エリシアはアルベルト公爵家の紋章が入った馬車に乗り、幅の広い砂利道を進んでいた。四頭の栗色の馬が足並みを揃え、滑るような動きで馬車を引いている。座席は体の重みを受け止めながらも沈み込みすぎることなく、ふかふかとした感触が背中と腰を優しく包み込んでいる。
快適な移動に違いないが、エリシアの胸の内は快適とは程遠いものだった。
舞踏会でのエリシアの振る舞いは、温厚な父の逆鱗に触れてしまったらしい。父は別れの挨拶どころか、見送りにも来てくれなかった。別邸で暮らす兄夫婦も用があったのか二人で外出しており、エリシアはシェリーを始めとする使用人にのみ別れを告げ、馬車に乗りこんだ。
ぎゅっと膝の上に置いた手を握りしめる。父から冷たく突き放された今の状況に、まるで黒い靄がかかっているかのように胸がずんと重くなる。
「エリシア様」
座席の向かいからエリシアの名が呼ばれた。
ぱっと顔を上げれば、目尻のつり上がった若い侍女が心配そうな顔でエリシアを見ていた。
「……問題ないわ」
「問題ないなんてこと、ないですよね。ご結婚相手であるアルベルト公爵閣下がエリシア様を見初めたのは当然のこととしても、事があまりにも性急に進んでいて何がなんだか……」
やはりエリシア以外にも、この展開に困惑している者はいるらしい。トントン拍子に事が進んだだけに、エリシアだけが受け入れられずにいるのかと心の隅で思っていたが、侍女の言葉を聞いて少しだけほっとした。
だが、まずは聞き捨てならない言葉を訂正しておかねばならない。
「正式に結婚すると決まったわけではないわ。まだ婚約段階よ。それに……私が本当に見初められているわけないでしょう」
「いいえ! 私にはわかります!」
侍女はぐいっとエリシアへ迫るような勢いで身を乗り出すと、両の手を強く握り拳を作った。
「閣下のあの目はエリシア様を想っている目でした! エリシア様はいい加減、ご自分を卑下するのをお止めください。まあ、ご自分のことですから、どれほど魅力がおありかわからないのも無理はありません。であれば、このチェルシー。エリシア様がご自身の魅力にお気づきになるまで、この身を賭して何度でもお伝えしていきます!」
侍女のつり上がった目が大きく開かれる。何が彼女に火を付けたのだろうか。ふと、今朝も似たようなやり取りをしたなと思い出す。
だが、エリシアの魅力を全身全霊で説明してもらうのだけは遠慮したい。絶対に。そんなことをされてしまえば、羞恥で寝具にくるまったまま二度と部屋から一歩も出歩けなくなってしまう。
「それは結構よ。そんなことよりも……訊きたいことがあるのだけど」
「最重要事項ですけれど……。何でしょうか?」
侍女は不承不承といったようにつり上がった目を和らげた。
やはり似ているなと思う。エリシアとのやり取りもだが、特に目元が彼女にそっくりだ。
「チェルシー。貴女、本当に私に着いてきてよかったの? シェリーの元から離れることになるのに」
チェルシーは、言わずもがなリヴェール伯爵家で侍女長をしているシェリーの娘である。
エリシアよりも三つ年上のお姉さんで、幼い頃は遊び相手にもなってくれた。
エリシアにとってチェルシーは心許せる人物の一人といえる。ゆえにエリシアとしては今回同行する侍女がチェルシーで良かったと思っているが、その反面チェルシーが母親であるシェリーと同じ職場で働くことを選んだにも関わらず、勤務先が変わってしまうことが気がかりだった。
「もちろんです。自ら立候補しましたから!」
「そう……。よくシェリーは承諾したわね」
「まあ、そこは紆余曲折ありましたが……」
チェルシーは顔を背けごにょごにょと口ごもる。
まあ、そうだろう。母と娘、ずっと一緒に過ごしてきたのだ。シェリーも娘が心配だろう。シェリーの反対は、娘を想う親心と思ったのだが――。
「私があまりにもエリシア様のことを崇拝しているので、行き過ぎた行動を取ると判断されてしまいまして……」
「……」
エリシアの予想は大きく外れた。
チェルシーは独特な感性の持ち主で、エリシアのことをまるで妖精か天使かのように崇めているらしい。一体全体何がどうしてこんな感性を持ってしまったのか、エリシアにはちっとも理解できないのだが。チェルシーはエリシアを見かけると、キラキラと瞳を輝かせ、憧れの存在を見るかのような視線で見つめてくることもあったし、ひどいときは鼻から血を垂れ流すこともあった。
「それゆえ、エリシア様の専属侍女の座も奪われていたのです……」
チェルシーはしゅんと肩を落とす。
そういえば一度だけシェリーに訊いたことがあった。なぜ、チェルシーを侍女にはしないのか、と。エリシアは単にチェルシーが侍女長であるシェリーと共に付けば、いろいろなことが学べるだろうと思ったまでなのだが。
「チェルシーがエリシア様付きになった日には、エリシア様に多大なご迷惑をおかけすることになりますから」
とにこやかに言われ、なんだか部屋の空気が冷たくなったことは覚えている。
チェルシーが「専属侍女の座も奪われていた」と言っていただけに、もしかしたらエリシアの知らないところで母と娘の戦いが繰り広げられていたのかもしれない。であればなおさら、よく許可がおりたなと不思議に思う。
「ですが、その悔しさをバネに日々誠心誠意お勤めした努力が認められまして……。最終的には私が正式に選ばれた次第です!」
えっへんと胸を張り、勝利宣言するチェルシー。
「そういうことだったのね。それにしても、よくあの短時間でそこまでの話し合いができたわね」
「ま、まあ……それは、その……『迅速、正確、丁寧に!』が侍女長のモットーですから」
なんだか奥歯に物が挟まったような言い方だが、なるほど。理由はなんとなくわかった。
「今までは侍女長であるシェリーがエリシア様付きの侍女でしたから、私では不安もおありかと思います。けれど、このチェルシー。エリシア様のことを崇め、敬い、尊んでおりますので、決してご迷惑をおかけするような真似はいたしません! 私が同行するからにはアルベルト公爵家であっても今まで通り穏やかな日々をお過ごしいただけるよう、ずっとお側で精一杯努める所存です。どうかご安心くださいませ」
(崇め、敬い、尊ばなくてもいいのだけれど)
素直に熱意が嬉しい。チェルシーの意気込みに、じんわりと胸が温かくなる。
「ええ、これからよろしく頼むわね」
胸にかかっていた黒い靄が少しだけ晴れ、重くなっていた気持ちが軽くなった気がした。
エリシア達を乗せた馬車は、先頭を走る馬車についていくようにゆるやかな坂道をのぼっていく。ちらりと窓の外を見れば、丘の上にそびえ立つ城が見えた。
先頭を走る馬車に乗っているのはハルトヴィヒだ。彼は始めから馬車二台を引き連れてリヴェール家を訪れていたのだが、これまで強引な様子を見せていたにも関わらず、意外にも共に馬車に乗ることはしなかった。エリシアとしてはハルトヴィヒと特段話すことはないし助かったのだが、ハルトヴィヒの言動はいまいち掴めないでいる。どれほど考えてもハルトヴィヒがエリシアのことを心から好いているとは思えないのだ。なにせエリシアは『鉄仮面』である。エリシア自身、愛想のない人間である自覚がある。だが、父が認めた以上エリシアの意思はともかく、この婚約の決定には従わなければならない。
「エリシア様、もう間もなく到着のようですね」
「……そうね」
大きな鉄門が見えてきた。
ハルトヴィヒと父の真意はわからない。だけど事はもう進んでいる。エリシアはもう腹をくくるしかない。
エリシアはだんだんと近づいてくる城を見ながら、新天地での生活に思いを馳せた。
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