4話 嵐の日
荒れた天気を見て、今日は屋上に行けそうにないな、と思った。今年は特に天気が荒れていて、例年より雨の降る日が多い。
それは完全に俺の主観で、根拠があるわけじゃないけれど、そんな気がした。
「おいゴミムシ。きしょいから死ね」
声と共に俺の背を蹴飛ばしたのは前原だった。彼女は、俺を親の仇のように睨みつける。
痛みを感じる間もなく、恐怖に背筋が凍った。
「視界に入るだけ不快」「存在そのものが無理」
西田と東野の同調する声が、惨めな気持ちを増幅させる。
涙を堪えた俺を見て、前原が口元を歪ませた。醜いな、と声には出せずに思う。
彼女は笑う。「土下座しろよ。そしたら許してやる」
「……俺が、何をしたって……」反論したくて言ったわけではなく、ただ口から声が漏れた。
前原の代わりに、ツカツカと歩いてきた西田が、俺の頬を叩いた。「麗華ちゃんに文句でもあるの?」
助けを求めて、辺りを見渡した。気づけば、クラスメイトも声を潜めながら距離を取っていた。
俺の中にたしかにあったプライドが、余計に惨めにさせた。屈辱に涙を浮かべながら、額を冷たい床に擦り付けた。
「……不快にさせて……ごめんなさい」
「うわキモ。マジでやるとかドン引きなんですけどー」
言葉とは裏腹に、ご機嫌なのが声音で分かった。前原は二、三回、俺の胴体を蹴ると、満足したように去っていく。
「あ、麗華ちゃん待って〜!」と西田は彼女を追う。前原の『金魚のふん』――それが西田だった。
「動画拡散されたくないなら、誰にも言わないことね」と東野が釘を刺す。東野は、俺の逃げ道をなくす『悪知恵の天才』だ。
クスクスという笑い声が耳から離れなかった。俺は、遠巻きに動画を撮って笑っているクラスメイトから逃げるように、教室を出た。
考える前に、俺は屋上に向かっていた。ただ凛音に会いたい。彼女と他愛のない話がしたい。
屋上のドアを勢いよく開け放った。凛音はいなかった。
――今日は雨だ。凛音は雨の日には現れない。
何やってるんだろうな、俺。
クラスメイトにいじめられ、友達でもない凛音に縋る。
俺は無意識に柵の方へ足を進めた。頬を伝うのは、雨なのか涙なのか、俺にもわからない。
考える前に、体が動いていた。柵を飛び越え、向こう側に立つ。俺は下を見た。太陽がないせいか、先の見えない暗闇が広がっている。
それを見ると、心臓の高鳴りと反比例するように、体がふっと軽くなって、呼吸が楽になった。
あぁ、やっと終われるんだ。
踏み出そうとした時、なんとなく柵の中の屋上に視線を向けた。
そこでは、バケツをひっくり返したような豪雨が、地面を叩いているだけだった。
『また会いにきてね』
ふと、この場にいない凛音の声がした気がした。踏み出そうとしていた足が、コンクリートの床とくっついたように動かなくなった。
このまま一歩踏み出せば、浮遊感と安心感に包まれながら、自己救済できるはずだった。
それなのに、もし落ちたらどうなるのだろう。ふとそんなことを考えてしまった。
嫌な未来が脳裏によぎる。さっきまで希望に見えた行為が、それだけは嫌だと思う恐怖に変貌した。
俺が落ちたとして、どうせ前原たちは笑うだけだ。
――なら、こんなことをする意味はあるのか?
一歩動けば、土の地面に落ちる。その場所に立ち尽くしていた俺は柵を越えて安全地帯に戻った。
背を屋上のコンクリートに預けて寝転がる。叩きつけるような雨が冷たく降り注いで、俺の顔を濡らした。それでも、立ち上がる気にはなれない。
ずっとそのままにしていたら、やがてチャイムの音が聞こえた。
それが、予鈴か本鈴なのか考えるのも疲れ、唸るような雷の音が聞こえ始めるまで、俺は目を瞑った。
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