はじめまして、勇者様
Tsuruka
第1話
「あなたのように下賤な者が神の祝福を受けられることを感謝しなさい」
貴族出身の聖女は、平民のサイファーを汚らわしいものを見るように見下ろしそう言った。
(これが聖女……?)
驚いた。
サイファーはまだ十五歳だった。
腕っぷしが強く、生まれた町ではいつもその強さを褒め称えられ、ついには勇者候補として国の命を受け討伐の旅に出ることになったのだが、教会にて聖女の祝福とともにその言葉を投げつけられたのだ。
若干、舞い上がっていたその時に、冷や水を浴びせられた気分だった。
若い彼にとって、聖女は神のような聖母のようなものだと思っていた。目の前に居たのは美しい見目をしただけの醜悪ななにかだった。
(国による命と言ってもこのような扱いなのか……)
それはサイファーにとって苦い思い出になった。けれど悪い出来事ではなかった。彼らは気を引き締め、その後の旅を驕ることなく慎重に進めることが出来たのだから。
そして今度は十七歳のとき。
新たに旅仲間を増やした。強い剣士だ。出立させるときに、また国の命でその者にも教会で祝福を受けさせることになった。
「あんなのいらないだろう……」
「まぁまぁ命令ですし。ここは心を無にして」
「そうです。無です。僕だって行きたくないですよ」
「え、なんか怖いんすけど。俺何が起きるの!?」
聖女の生態を知っている、仲間の魔法使いと狩人がなだめるように言うと、新しい仲間の剣士が慌てている。剣士はサイファーが旅に出たときと同じ十五歳だった。
「見れば分かる」
「怖い……」
怯える剣士を連れて教会に行くと、剣士だけが壇上に立つ聖女様の前に案内された。サイファーたちは教会に入ってすぐの出口の側でその様子を見守っていた。
剣士が跪くと、聖女の装いをした女がとても優しく微笑んだ。温かな眼差しで、慈愛を感じさせるように彼女は剣士を見下ろしてる。
(……あれ?)
と思う。サイファーが知っている聖女とはその微笑みはまるで違うものだった。思わず仲間と顔を見合わせてしまう。
「道迷うものを導く力をあなたに授けましょう。愛する神からの祝福を」
彼女は少しも嫌がる様子もなく、微笑みながら剣士の額に触れる。そうすると、その場所から光が広がっていき……しばらくするとその光は消えた。
(いや、あんな光あったか!?何もかも違うんだが)
困惑するサイファーたちを置き去りにしつつ儀式は進んでいく。
剣士が驚いたように顔を上げると、聖女は少しだけかがんで剣士の顔を覗き込むようにして言った。
「どうか旅のご無事をお祈りしております。お気を付けて行って来てください」
(……あれが、聖女だ)
サイファーは、自分がかつて思い描いていた、聖女というもののイメージそのものの人がいることを知ってしまった。頬を上気させ、瞳を輝かせるように聖女を見つめる彼の姿は、まさに恋に落ちた少年そのもののようであった。
教会を出ると、剣士が楽しそうにはしゃぎながら言った。
「なんですかあれは!女神さまですか!すごく綺麗な声で可愛くて、優しくて、お花の香りがしました……」
興奮しきって話し終わってから首を傾げていた。
「なんで教会を嫌がってたんすか?」
「私たちのとき、怖かったのよ」
「あれほどの蔑みの目で見下ろされたのは初めてだったな」
「なんすか、そんな聖女いるんすか……」
サイファーは離れがたい気持ちを抑えられず言った。
「ちょっと待っててくれ」
「え?」
「彼女の名前を確認してくる」
「へ?」
「はぁ!?」
「なんでまた」
「恋に落ちた」
「!?!?!?」
旅の終わりにまた戻ってくるつもりだったが、名前だけでも確認しておきたい、そんな気持ちで教会に戻ると、裏庭のあたりで声が聞こえた。
「レイ、遅いわよ!」
「あなたみたいな平民に仕事を与えてあげてるのよ。分かってるでしょう」
「はい、おねえさま方……」
盗み見ると、他の貴族然とした聖女たちに、彼女が辛くあたられているようだった。彼女は平民だったのかと思いながら、レイ、という名前を手に入れた。
彼女の姿は、サイファー自身にも重なった。
サイファーは今まで以上に強くなりたいと願った。自分だけでなく、より弱き者を助けられるように。そんな人間になりたいと心から願ったのは、たぶんこの時が初めてだった。
今の自分には何の力もない。けれど強くなって必ず戻ってこようと。
それが、彼の初恋であった。
『悪魔』と呼ばれる存在がいる。
それがどこから生まれどうしてそうなるのか誰にも分からない。
見た目は、完全なる異形であった。人の形をした泥というのが正しいのかもしれない。崩れ落ち続ける泥を放ちながら、大地を汚し、そうして触れた人さえも浸食して悪魔にしていく。
突然生まれ、世界を脅かすその存在を、教会で聖女の祝福を受けた者が倒すのだ。20体殺したときに、国によって『勇者』の称号と、名誉と、そして褒賞が与えられる。
「なんか、剣士の剣が一番楽に悪魔を倒すわよね……」
魔法使いが言った。それには全員同意した。
「聖女の祝福の違いなんだろうか」
「そんな気するよなぁ」
「おかしいですよね。俺よりサイファーの方が強いですもんねぇ」
サイファーの言葉に狩人も剣士も同意する。まぁ、そんなことは小さな問題だった。サイファーたちはその後三年、旅をしながら悪魔を倒して過ごした。サイファーたちが二十歳、剣士が十八になったとき、全員で20体倒した。
教会を経由して、倒した件数を把握してもらい、国王に謁見し、褒美は何が良いかと聞かれた。
狩人と魔法使いはすでに夫婦になっていたので、家や爵位、そして報奨金が授けられた。
剣士は故郷に帰るので爵位はいらないと、報奨金と、褒美品をもらっていた。
サイファーは、報奨金と、そして聖女に求婚する権利を希望した。
「王命で婚姻を結ぶのではなくていいのか?」
「教会の中にいらっしゃる聖女様にはお会いする機会にも恵まれません。なので、会うための権利と、意思を確認する時間を頂きたい。また求婚に成功した際には教会から出ることを許してもらえれば」
王はその返事を面白がっていたけれど、慌てていたのは教会側のようであった。
なんと、聖女レイは、すでに聖女を解任されていた。聖女は二十歳までと任期が決められていたのだ。彼女は三か月前に誕生日を迎えていた。今は行方知らずなのだと言う。王すら不思議がっていた。
「解任されたとは言え行方不明になどならんだろうが」
「平民であるが故、市井に紛れ、私どもでは探し出せなくなってしまっているようです……」
サイファーは聖女レイを探す旅を始めることにした。
仲間たちが付いて来てくれた。
「ここまで来たらあなたの恋の行方を見守りたいわよ」
「僕だって最後にお礼言いたいっすよ」
「振られたらなぐさめないといけないじゃないか」
分かっている。振られる可能性が高い。もうとっくに聖女ではなくなっているのだ。あれだけ美しい娘が平民の中に紛れ込んだところで、美貌は隠せない。求婚者が後を絶たないだろう。くそ。もう少し早く旅を終えていれば。サイファーは深く後悔していた。
そう、この時はまだ、この『全員が勇者パーティー』は、ただサイファーの恋の行方を知りたいやじうまの集まりのようなものだった。サイファーですら、振られたらすっきりと諦めて終わりにしようと覚悟していた。
これが終わらない旅の始まりになるだなんて、誰も知らなかったのだ。
聖女レイは、実家に戻っていなければ、連絡すら取っていなかった。
田舎町にある、農家を営む彼女の父母は言った。
「教会の人に攫われるように連れらされてから十年、手紙すら出しても戻って来てしまいました」
「僕らも教会に掛け合いましたが、相手にもされません」
「あの子は今どこに……?」
「お金なら、出来る限りお支払いいたします。どうか、あの子を探してください」
彼らはサイファーたちに深く頭を下げた。彼女の弟妹を育てている父母らは探しに行くことも出来ず、本当に何も知らないようだった。
ならば、同時期の引退した聖女仲間ならば何かを知っているかと連絡を取ってみたが、
「聖女のなかに平民出は彼女だけだったの。あの子と話すような子はいなかったと思うわ」
勇者の称号を持つサイファーたちを邪険にすることはなかったが、瞳の中の嫌悪は隠せないようだった。またなんの手がかりも得られない。
「どうして聖女さまって平民出はほとんどいないんすかね?」
「貴族が聖女の箔が欲しくてお金で聖女にしてるのかしら?」
「そもそも聖女ってなんなんだ?」
ここに来てサイファーたちは、聖女という存在そのものに疑問をもって行く。悪魔について知らないのと同じように聖女に付いても知らない。まばゆい光で祝福を与えた彼女の力は、おそらく本物だ。聖女という存在には確実に何かの意味がある。そしてその力は、悪魔を倒すのに役立つ。
「なぁ、俺たちは、ずっと何も知らずに悪魔を倒して来たのか……?」
とっくの昔に勇者の称号を得た後で、遅すぎる疑問をサイファーは初めて口にした。嫌な予感だけはして、ぞわっと鳥肌が立つ。勘だけに頼って戦って来た彼らは、こういう勘が大体当たるのだ。
時間を掛けて、彼女に関わりがあり、汚職していそうな神官を洗い出していった。
聖女レイは、街にはいない、実家にもいない。悪魔討伐の旅で、五年かけて世界中を旅して回ったサイファーたちには恩を売った人たちのたくさんのコネがあったが、そのどこからも目撃者すら出てこないのはあまりにおかしかった。
つまり、彼女は、任期を解かれていない、もしくは神官たちによってどこかに売られたりしたのではないか、と。
「とはいえ、汚職だらけね……」
「この金はどこから生まれてるんだ?」
「最近一番の金の流れがありそうなのは、神官長っすね!」
神官長の動きを見張り、彼の部下が度々訪れる、田舎町の小さな邸宅の存在に目を付けた。
人里離れた場所にある、海の近い石造りの建物だった。
夜になり、サイファーたちはその場所に忍び込んだ。彼らが聖女を探しだしてからもう一年過ぎていた。
兵士のように装備を整えた警備たちが厳重に守っている、おかしな建物だった。
よく見ると外から見る限り窓もない。備蓄用の倉庫と言われるとしっくりと来るが、ここに誰かが監禁されていてもおかしくない。
サイファーたちは、おそらく、人間たちの中では誰よりも強かった。悪魔を倒しているうちにまるで彼らの力を吸収しているかのように、人外に強くなっていた。目につく人を声もあげさせずに気絶させていく。
建物の最奥部に辿り着いた時に、彼らは慣れ親しんだ悪寒を感じた。
体の底から恐怖を感じるような、闇の波動と呼ばれるもの。悪魔が生み出す、その空気の振動。
「え、悪魔?」
「ここに?」
「いまさら!?」
魔法使いの光魔法で照らされた最奥部の部屋で、サイファーが目を凝らすと、ドロドロと解け始めていた異形があった。
けれどその異形はまだ『半分』人の形を残していた。
サイファーは一目で分かった。その残された半分は、彼の恋する少女のものだと。片方だけ残された愛らしい大きな瞳は、ポロポロと涙を零している。
その瞳ははっきりとサイファーたちに向けられ、焦点が合ったあとに、声が聞こえた。
「……して」
「え?」
「ころ……して」
「…………」
小さなつぶやきが繰り返される。ころして、ころして……。
半分は美しく可愛らしかったあの日の聖女のもの。だけど半分は、倒し続けた悪魔のもの。
笑いながら倒す日だってあった。早く倒して飯を食いに帰ろうぜ、と最後はもう何も考えずに倒し続けていた。最初は恐れていたソレを、最後には臭いゴミみたいに思っていた。
泥のような異形のなにか。
「…………人だったのか」
そう言ってしまった。
思いを形にしてしまった。すると同じ認識が彼らの中に広がっていくように、全員が恐ろしさに包まれた。
「っ」
「ぐえ……っ」
「う……」
振り向くと仲間がみな嘔吐している。サイファーはその様子を静かに見つめた。
そうして改めて『聖女』を見つめた。
ポロポロと悲しそうに涙を流しながら同じ言葉だけを繰り返している。「ころ……して」
こんなはずじゃなかった。聖女レイに出逢えたら、自分の名を名乗って、好きだと告白して、どうにか好きになってもらえないか、同じ時間を過ごして考えてもらいたかった。すでに恋人がいるなら諦めて、次の恋に巡り合うのを待つつもりだった。
可愛らしく美しい微笑みを浮かべた聖女だったのだ。
綺麗だった。あんなに焦がれた人は彼女が初めてだった。
パリンと、サイファーは自分の心が鏡のように割れたのを感じた。
もう二度と、あんなふうに、柔らかい気持ちで人に恋などできない。
美しいものを美しいものと思うことも出来ない。サイファーは穢れてしまった。違う、すでに穢れていたことに、気が付いてしまった。
サイファーの初恋は、自分の罪を突き付けるだけのものだった。
悪魔の波動がピリピリと肌を焦がすように震わせる。彼女は正しく、悪魔なのだろう。
どれくらいの時間が経ったのか。呆然と悪魔を見つめ続けるサイファーに声が掛けられた。
「ねぇ、倒すの?」
「俺……出来ないっすよ」
「……生かしておいては、可哀そうなだけだ」
狩人の言葉に、確かにその通りだと思う。目の前の悪魔は、自ら死を望んでいる。言葉が話せるだけでも、まだ知性がいくらかは残されているのだと分かる。殺すべきなのを分かっていた。生かしておいては、彼女にとっても、サイファーたちにとっても、世界にとっても脅威と苦しみになるだけだ。だけど……。
「殺せない……殺さない」
気が付いたらそう言っていた。
「殺させない!」
「だけど!」
「可哀そうよ!」
「見てられないすよ……」
少女の瞳からはポロポロと涙が流れ続けていた。
気が付くと、サイファーの瞳からも何の感情のものか分からなかったが涙が溢れていた。
「魔法で封印できるか?」
「!出来るわ」
「いやそんなことしたって……」
「一時しのぎじゃないっすか」
サイファーは首を横に振った。
「封印し続けてくれ。時を止める。その間進行しないはずだ。人を悪魔にさせる理由と、それを戻す方法を調べる。彼女を必ずもとに戻す。俺の生涯をかけて、必ず成し遂げる……けれど、先に俺が死んでしまったときには、彼女の処遇はお前たちに任せる」
「……」
サイファーたちは混乱状態だった。普通ならばそんな願いを聞かなかったかもしれない。けれど、彼らはサイファーの初恋を知っていて、彼の恋の成就を見守るためにここにいた。だからそうするのが正しいことのようにも思えていた。
魔法使いはそっと悪魔に近寄ると封印魔法をかけた。悪魔の姿は消え、コロン、と小さな四角い石の塊のようなものが床に転がった。魔法使いがそれを手に取ると、サイファーに手渡した。
「出来るだけ小さくしたわ。真っ黒に濁っているでしょう。悪魔である証よ」
「……ああ」
大事なもののようにサイファーがそれを握ると、彼らはその石造りの建物を後にした。その場所に、もう悪魔はいなかった。
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