第一章:反転

第一話:運命の日

今日は、十歳の洗礼の儀。

わたくしとイリスは、厳かな神殿の祭壇の前に並んでいました。

アルクライド公爵家の名を背負うわたくし、セレスティナが、先に儀式に臨みます。


「セレスティナ・フォン・アルクライド。前へ。」

神官の厳粛な声が響く。

わたくしは、公爵令嬢としての完璧な作法で一礼し、祭壇の巨大な水晶に、そっと手を触れました。


お父様とお母様の、期待に満ちた視線を感じます。

きっと、初代剣聖が授かったという【聖剣技ホーリーアーツ】か、大魔導師であるお祖母様の【大賢者グランドセージ】級の兆候が現れるはずだと。


水晶が、淡く、穏やかな青い光を放ち始めました。

それは、期待されていたような、神殿を揺るがすほどの眩い光ではありません。

まるで、書庫のランプに灯をともすような、静かで、知的な光。


「…スキル、【解析アナライズ】。適性、補助。…以上です。」


神官が、困惑を隠せない声で、そう宣告しました。


「——」


神殿が、水を打ったように静まり返りました。

お父様が、その宣告の意味を理解できず、眉をひそめています。

お母様は、扇で口元を隠していますが、その扇が小刻みに震えているのが見えました。


解析アナライズ】…?

それは、アルクライド家の歴史のどこにも記されていない、「戦い」とは無縁のスキルのようでした。


お父様とお母様の視線から、期待が消え、困惑が、やがて冷たい「失望」へと変わっていくのを、わたくしは感じていました。


「…次。」

お父様が、絞り出すような低い声で命じました。

「…次、イリス・フォン・アルクライド。前へ。」

神官は少し戸惑いつつもイリスの名を呼びました。


イリスが、怯えたような、しかしどこか覚悟を決めたような顔で、祭壇へと進み出ます。

彼女が水晶に手を触れた、その瞬間。


——閃光。


神殿が、落雷を受けたかのように白く染まりました。

水晶が、今にも砕け散らんばかりに激しい光を放ち、熱風がわたくしたちの髪を揺らします。


「こ、これは!なんという力!」

神官が、歓喜の絶叫を上げました。

「【聖光剣ルミナスブレイド】!間違いありません!初代剣聖様に匹敵する、至高の戦闘系スキルです!」


「おお…!」

「やった…!」


お父様とお母様が、信じられないものを見るかのようにイリスに駆け寄り、そして、彼女を力強く抱きしめました。

「イリス!イリス、お前こそが!お前こそが、我がアルクライド家の『真の希望』だ!」


歓喜に沸く両親。その腕の中で、イリスは、初めてわたくしの方を、まっすぐに見ました。

もう、あの俯いていた少女ではありません。


彼女は、わたくしに向かって、ゆっくりと、はっきりと。

この一年間の屈辱と劣等感のすべてを、勝利の喜びに変えて、美しく、そして残酷に——微笑んでみせたのです。


この日、わたくしの世界は、音を立てて崩れ落ちました。

アルクライド公爵家の「セレスティナ」は死に、「出来損ない」が生まれた日でした。


………

……


神殿からの帰り道、豪華な公爵家の馬車の中は、異様な空気に包まれていました。

お父様とお母様は、興奮冷めやらぬ様子でイリスの手を握り、その才能を褒めそやしています。


「イリス!よくやった!お前こそ、我がアルクライド家の誇りだ!」

「まあ、イリス。あなたのその力、お祖母様もきっとお喜びになるわ。今夜は、あなたのための祝宴を開きませんと。」

「はい、お父様、お母様…!」


歓喜に沸く三人。

馬車の反対側、ポツンと一人座るわたくしには、声をかけません。

まるで、そこにいないかのように。


わたくしは、公爵令嬢としての礼節を崩さず、冷静に声をかけようとしました。

「お父様。わたくしのスキル、【解析アナライズ】についてですが、補助系としての有用性を——」


「黙りなさい。」

お母様の、氷のように冷たい声が、わたくしの言葉を遮りました。


「セレスティナ。あなたは今夜の祝宴、自室にて謹慎していなさい。…イリスの輝かしいお披露目の席に、『出来損ない』のあなたがいては、我が家の恥ですわ。」

「…お母様?」


「返事は?」

お父様の、短く、拒絶に満ちた声。


わたくしは、唇を噛み締めました。

いままでの令嬢教育で培った「礼節」が、喉元まで出かかった反論を無理やり押しとどめます。

…ここで感情的になるのは、公爵令嬢わたくしの振る舞いではありません。


「…はい、お母様。承知いたしました。」


わたくしがそう答えると、両親はそれきりわたくしに興味を失い、再びイリスとの会話に戻っていきました。

馬車が、屋敷の門をくぐる。

わたくしにとって、それは暖かな我が家ではなく、冷たい牢獄の入り口に変わっていました。


………

……


その夜、イリスのための祝宴が、階下で盛大に行われている音を、わたくしは自室で聞いていました。


(…【解析アナライズ】)

[対象:木の机]

[材質:オーク材]


(…【解析アナライズ】)

[対象:セレスティナ・フォン・アルクライド]

[状態:健康]


わたくしは色々試してみましたが、

解析アナライズ】で見られる情報に、大したものはありませんでした。

このスキル、どう役立てればいいのでしょうか…

考えても答えなどなく、わたくしは途方に暮れていました。


…そうしていると、珍しく、お父様がわたくしの部屋を訪ねてきました。


(お父様…!分かってくださるのですね、わたくしのことを——)

淡い期待を抱いたわたくしを待っていたのは、父様の燃えるような、怒りの瞳でした。


「セレスティナ。貴様、イリスに、今までどれほど陰湿なことをしてきたのだ!」

「…え?」


意味が分かりませんでした。わたくしが、イリスに?


「祝宴の席で、イリスが泣きながらすべて白状したぞ!」

お父様は、わたくしの肩を掴み、怒鳴りつけました。

「『セレスティナ様は、いつも私に古いドレスやお菓子を“施し”て、ご自分の優位性を確認されていました』と!」

「『私が失敗するたびに、わざとらしく人前で“庇う”素振りをして、私の無能さを晒し者にしました』と!」


(ちがう…!わたくしは、ただ、イリスと仲良くなりたかっただけで…!)


「違うのです、お父様!あれは、善意で…!」


「善意だと!?」

お父様の怒りが、頂点に達しました。

「【聖光剣ルミナスブレイド】を持つイリスに対し、【解析アナライズ】ごときの出来損ないが、哀れみだと!?」

「貴様は、才能がないばかりか、心まで腐りきっていたとは!アルクライドの血の、最大の汚点だ!」


わたくしの「善意」は、イリスの「劣等感」というフィルターを通し、「悪意」へと歪められていました。

そして、才能イリスを盲信する両親にとって、わたくしの弁明など、もはや「出来損ないの言い訳」にしか聞こえなかったのです。

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