寮は避難所のつもりだったのに、現実はだいぶ騒がしいようです。

ようよう

第1話 入寮初日



 家を出る前夜、私はリビングの隅でゲーム機の電源を切った。


「ねえ、ひかげ」


 背中越しに、母の声が飛んでくる。


「それ、いつまでやってるの」


「……今セーブしたところ」


 ソファに座った母は、テレビを見ながらリモコンをいじっていた。

 ワイドショーが、誰かの炎上だの不倫だのを楽しそうに消費している。


「高校生にもなって、そんなことしてて何になるの」


 それが、母の口癖だった。


「ゲームとか漫画とか、将来の役に立つの? ここまで育ててもらっておいて、『楽しいから』だけで時間使うの?」


 私は、ゲーム機をそっと棚に戻す。


「全部が役に立たなくても、別によくない?」


 言ってから、しまった、と思った。


 母の眉がぴくりと動く。


「よくないわよ」


 母は、テレビの音量を下げた。


「あんたの父さんだって、毎日働いてるんだから。のんきに『よくない?』なんて言ってられるのは、今だけよ」


 隣の部屋から、父の咳払いが聞こえた。

 多分、寝る前にニュースを見ているのだろう。


「高校から家出るなんて、ただの現実逃避よ」


 母は、ため息交じりに続ける。


「ひとり暮らししたところで、結局お金のことも将来のことも、ちゃんと考えなきゃいけなくなるんだから」


「……だから、考えるために出たいんだけど」


 小さく呟くと、母は聞こえなかったふりをした。


「明日から寮なんでしょ」


 母は、ようやくこちらを向いた。


「生活費、ちゃんとノートにつけなさいよ。何にいくら使ったか。『気づいたらお金がない』が一番ダメ」


 そう言って、テーブルの上の家計簿をぽんと叩く。


「分かった」


 私は、短くそう答えた。


 本当は、「好きなことに時間を使ってる時の私の顔を、一回でもちゃんと見たことある?」とか、「あのリビングにいると、息が詰まる」とか。

 言いたいことはいくらでもあったけど。


 それを全部ぶつけたところで、母はきっと「反抗期」で片づける。


 だったら、出てから考えた方が早い。


「ここを出ることも、『役に立たない』かな」


 思わず漏れた本音に、母は一瞬だけ黙った。

 そして、ため息をひとつ。


「……あんたが後で後悔しないなら、好きにしなさい」


 その言葉を、私は勝手に「許可」と解釈した。


 その夜、布団の中で。


(ここから逃げるって、決めたのは私だ)


 そう繰り返しながら、眠れないまま天井を見ていた。


 家を出る理由は、立派なものじゃない。

 世界を救いたいわけでも、夢を追いたいわけでもなくて。


 ただ、「ここにいたくない」から。


 だからこそ、私は心のどこかで決めていた。


(寮は、あくまで避難所。いつでも逃げ出せるように、深入りはしない)


 ――そのはずだったのに。



 ◆



 私は人生に、たいして大きな望みは持っていない。


 朝、ぎりぎりの時間まで布団の中でダラダラして。

 学校ではなるべく目立たないように省エネモードで過ごして。

 帰ってきたら、あとはゲームか動画か漫画か、もしくは何もしないでぼーっとする。


 ――それだけできればいい。

 それ以上を望まない代わりに、どうかそっとしておいてほしい。


 世の中には、世界を救いたい人とか、トップアイドルになりたい人とか、結婚して幸せになりたい人とか、そういうキラキラした目標を持ってる人がいるらしいけど。


 私はただ、静かに「ひとり暮らし」をしたかっただけなのだ。


 ……のだが。



「日影ひかげさんね? 今日からここ、『ひだまり女子寮』の住人だから。よろしくねー」


 管理人のおばちゃんが、ずいっと差し出してきた鍵には、でかでかと「103」と書かれたキーホルダーがぶら下がっていた。


「はい……。あの、寮費、本当に月一万円でいいんですよね……?」

「そうそう。水道光熱費込みで一万円。今どきこの街でそんな物件、寮ぐらいしかないわよ。ありがたく思いなさい」

「安すぎて逆に怖いんですけど」


 安物買いの銭失いという言葉が脳裏をよぎる。

 いやでも、一万円だ。高校生の私の財政事情からすれば、ここを逃したら即実家強制送還コースである。


 親からは、「高校から家出るなんて生意気」とか散々言われたけど。

 あの、四六時中リビングに陣取ってワイドショーと家族の粗探しをする母と。

 休日ごとに「将来どうすんだ」と説教モードに入る父と。

 妹の前でだけ「優しいお姉ちゃん」を演じさせようとしてくる家庭環境から脱出できるなら、一万円の女子寮なんて安いものだ。


「ま、ただし」


 管理人のおばちゃんが、意味ありげにニヤリと笑う。


「一つだけ、条件があるのよねえ」


 来た。

 こういう時の「ただし」は、ろくなもんじゃない。

 ブラック企業の求人だって、だいたいここで地雷を踏ませてくる。


「条件、ですか?」

「うん。うち、全室相部屋だから」

「…………はい?」

「103号室は四人部屋ね。先に三人入ってるから、そこに入って」


 ――四人部屋?


「いやいやいや待ってください。私、ひとり暮らしって言いましたよね?」

「言ってない言ってない。ただ『家を出たい』って言ってただけよ」

「それ、ほぼひとり暮らし希望のニュアンスだったはずなんですけど!?」

「細かいこと気にする子はこの寮向いてないわよ」


 おばちゃんはガハハと笑って、私の背中をどーんと押した。


 こうして私は、「避難所」のつもりで選んだはずの場所へ、スタートからいきなり人生設計が崩れたまま向かう事になった。



 ◆



 103号室の前に立つ。


 ドアの向こうには、知らない女子が三人。

 女子高の女子寮。つまり向こう側には、女子・女子・女子がいる訳で。


 ――冷静に考えれば、ハーレムである。

 男女逆転させれば世の男子が血反吐を吐いてでも手に入れようとする状況だ。


 ただし全部女で、しかも私も女だ。

 もうちょっとこう、リターンとリスクを見させてほしい。


 ドキドキする心臓を、深呼吸でなんとか落ち着かせる。


 大丈夫だ。

 私は目立たない系女子だ。

 性格も平凡、顔面偏差値も中の上(だと信じたい)、陰キャ寄りだけど人間としての最低限のコミュ力はなんとかある、はず。


 いける。きっといける。

 ここから静かな寮生活を――四人部屋だけど、静かな寮生活を――!


 意を決して、ドアを開けた。


「おじゃましま――」


「うわあああああああああああああああ!」


 いきなり叫び声が飛んできた。


「で、出たあ! 新しい犠牲者だぁー!」

「あ、ほんとだ。新人ちゃん、いらっしゃーい」


 ……なんだその歓迎ワード。


 部屋の中は、ひと部屋を無理やり四人仕様にしたせいで、ベッドと机とタンスでほぼ埋まっていた。

 その隙間に、三人の女子がいた。


 一人は、黒髪ロングで目つきの鋭い、モデルみたいにスタイルのいい子。

 制服の着こなしが綺麗で、なんだか「できる女」感が漂っている。


 一人は、ゆるっとしたショートボブに、ふわふわしたカーディガンを着た、いかにもほわほわ系の女の子。

 笑うと目が線になるタイプ。何かを両手で抱きしめて震えている。クッションかと思ったら、巨大なぬいぐるみだ。


 最後の一人は――


「ふ……またひとつ、魂がこの薄暗き箱庭に囚われたか……」


 ベッドの上で体育座りしながら、窓の外を見てポエミーなことを口走っている金髪の子だった。

 金髪ショートに、片耳だけピアス。目はやたらキラキラしてて、でも焦点が合ってない。


 あ、ダメなやつだこれ。


「ええと、今日からお世話になります。日影ひかげです……」

「わっ自己紹介えらい! 私は、室井まどか。二年生。よろぴこ」


 黒髪ロングの子がすっと立ち上がり、にこっと笑う。

 近くで見ると、やっぱり無駄に美人だ。なんか雑誌とかに載ってそうなレベル。


「あ、あのね、私は天野ほのかって言います。高一で、ひかげちゃんと同い年だね。よろしくね」


 ふわふわ系の子――ほのかが、ぬいぐるみを抱えたままおずおずと手を振ってくる。

 可愛い。守ってあげたい系だ。私じゃなくて誰かリア充系が守ってあげるべき存在っぽいけど。


「そして――」


 金髪の子が、ゆっくりとこちらを振り向く。

 その口元に、ニヤリとした笑み。


「我が名は黒瀬レイナ。この寮に棲まう、絶望と混沌を司る――」

「レイナ、普通に自己紹介して」

「……一年の黒瀬レイナです」


 まどか先輩の一言で、途端に普通モードになるレイナ。

 今の、絶対慣れてる止め方だ。


「日影ひかげちゃんね。ひかげちゃんは高一?」

「はい。えっと、皆さんと同じ学校で……」

「よかったー、同じとこだった。私たちもみんな、あのボロ校に通ってるから」

「ボロ校って言わないでよ。校舎はボロいけど、偏差値はそこそこじゃん」

「そこそこって言った時点で守れてないと思うんだけど」


 軽口を叩き合う三人を見ていると、なぜか胸の奥がざわっとする。

 なんかこう、もう完成されたコミュニティに後から入ってきちゃった部外者の、あの微妙な疎外感。


 とりあえず荷物を足元に置きつつ、私は質問してみた。


「あの、さっきの『新しい犠牲者』って……?」

「ああー」


 まどか先輩が、あー、と頭をかきながら言う。


「うちの寮ね、安い代わりに、ちょっといろいろあるんだよ」

「いろいろ?」

「壁が薄いとか、共同の冷蔵庫が勝手に歩くとか」

「今、後半サラッと怖いこと言いましたよね!?」

「いや、歩くっていうか、中身が消えるっていうか。妖怪『夜中の小腹空き』が出るっていうか」

「それ普通に人間の犯行ですよね?」


 私のツッコミを華麗にスルーして、まどか先輩は続ける。


「あとね、四人部屋のはずなのに、実質六人分の荷物があるとか」

「それは誰だよ」

「主にこの辺」


 まどか先輩が、レイナとほのかを指さした。


「えっ、わ、わたし!?」

「ほのか、ぬいぐるみ多すぎ。これ一体何匹いるの」

「えっと、ざっくり数えると三十二匹……?」

「部屋の定員より多いじゃねーか」

「この子たちは家族だから……捨てられないの……」


 ほのかが、ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。

 目尻にうっすら涙が浮かんでて、さすがにそれ以上ツッコめない。


 視線をレイナに向けると、レイナはレイナで、ベッドの下から黒い箱を取り出していた。


「見よ、我が魔導書コレクションを」

「ただのノートとスケッチブックじゃん」

「それを魔導書と呼ぶことで日常をファンタジー化する努力をしているのだよ。現実をそのまま受け入れられるほど、私は強くない」

「妙にリアルな事を言うな」


 ベッドの端には、やたら装飾過多なノートが何冊も積み上がっていた。

 表紙に「闇」「虚無」「世界の終焉」とか書いてある。

 女子寮の机の上にあるには、あまりにもポエミーなワードセンスだ。


「で、日影ちゃんは?」

「え、私ですか?」

「うん。どのタイプ? ぬいぐるみ系? ポエム系? それとも――」


 まどか先輩が、いたずらっぽく笑う。


「隠れ残念系?」

「ラベル付け早くないですか!?」


 いやまあ、自覚はある。

 家を出て寮に入った動機が「親から逃げたい」なのも、立派な残念要素だ。


「私は別に普通ですよ。趣味はゲームと漫画と睡眠で、休みの日はほぼ外出しないだけで」

「十分怪しい」

「うん、立派に仲間だね」

「べつに仲間入りした自覚なかったんですけど!?」


 なんだろう。

 私、なんか変なコミュニティに拾われた気がする。

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