第5話(2)

帰りの馬車にて流れる景色を眺めながら、P侯爵夫妻は、セルゲイ叔父と擦り合わせて今日の応対方法を決めたわけではなかったのか、とアレクサンドラは考えていた。

セルゲイ叔父については、公証をオルロフから奪えないことが確実になってから、オルロフ家を一度も訪れていなかった。

陛下がアレクサンドラへの公証長への継承を正式に認めたため、公証を露骨に狙うような運動は立場をより不利にするだけであり、少なくとも表向きは大人しくしているようだった。

そうでなければ、P侯爵夫妻が跡継ぎを早くという論調ではなく、もっと爵位云々のところを深掘りして攻めて来ただろう。

とりあえず嫌味になりそうなことは皆言ってやれ、ということなのかもしれないが、そのような効果が不確実な中傷を、子供の泥団子のように投げて来るものだろうかという疑問はあった。

まあ効いたけれど、どアレクサンドラは静かに息を吐く。

M公爵から入れ知恵されていたため感情を動かさずに済んだものの、予想より早くこの手の中傷が使われたなと面食らいはした。

また、心の底では今すぐの懐妊は困るが、と悩んでいたことだったため、図星を突かれた思いだった。

もしかすると、今日の泥団子も実はセルゲイ叔父の差し金なのではないか、だとしたら大変な知恵の回し方だと、鳴りを潜めている叔父を不気味に感じた。


「災難だったね。それにしてもよく耐えた、止められなくて済まないね」


父伯爵に話しかけられて、アレクサンドラは窓から目を離し首を振った。


「いいえ、目上の方々ですもの、止められるものではございませんでしょう。それに夫妻は間違ったことは仰いませんでしたわ」

「しかしいくら間違っていないとはいえ、口に出すべきではないこともあるだろう」

「それはそうですわね」


サーシャがわざと肩を竦めてみせると、父伯爵は微笑みながら言った。


「爵位の件は何とでもなるから、サーシャは心配しなくて良いのだよ。それに子供のことは、いずれ授かりものだからね。

もし悩みがあったら、そうだね、私よりお母様の方が話しやすいだろうから、いつでもお母様に相談しなさい」


母夫人に対しては、先日の観劇以来心に隔てを置いていたが、彼女はそれをおくびに出さず頷いた。


「公証長の仕事はどうだい」

「まあ、頻繁にご相談などしておりますのに」

「相談は相談だろう、手がけている仕事の内容ではなくてサーシャの体感の話だよ、やはり大変かな」

「そうですわね、大変でないと言えば嘘になりますが、予想していた大変さでございましたので」

「ははは、さすがサーシャだ。私なら早々に放り投げていたよ」


父伯爵は大きな声で笑ってから、「だが疲れるは疲れるだろう。もう少し時間をかけて、長い目で見ながら進めてもいいのだよ。急いては事を仕損じると言うだろう」と付け加えた。

アレクサンドラは経験則上、父伯爵の言い方が、何か忠告めいたことを言いたいのだという遠回しな意思表示であることに気が付いた。

何だろうかと思考を巡らせ、思い当たったことがそのまま口を突いて出る。


「上役達が何か申し上げましたか」


父伯爵は肩を竦めて「何も言われていないよ。ただ、サーシャの顔に明らかに悩みの色が見えるし、庁舎に出向くと職員達も似たように疲れているなと感じただけさ」と穏やかに言った。

父伯爵は顧問であり、公証に助言・指導する権限を正式に有しており、アレクサンドラも、顧問は父でもあるため、もちろん頻繁に相談をしている。

庁舎を訪れる際は、職員達に声を掛けたり掛けられたりしていて、職員が父伯爵に直接、現公証長の采配について、アレクサンドラの目を盗んで物申し上げることはいくらでもできた。

しかし、その状況を思い浮かべると、その行為に密告という名が貼り付いた。

アレクサンドラは職務遂行について叱責したりはしなかったし、職員達からも巻き戻る前のような激しい抵抗には合わなかったが、その代わり消極的だが確実な方法でNoを突き付けて来た。

しかも、手続の見直しを始めた時は後押ししてくれた父伯爵が、今度は職員に付いた。

父伯爵は、アレクサンドラが、父が示唆することを正確に掴むと踏んで、煙に巻くような言い方をし、明瞭な注意を与える苦々しさを避けたのだ。


(どうしろと言うのだろう)


アレクサンドラは再び窓の外を眺め始めた。

父伯爵が機嫌を取るかのように明るい口調で何くれとなく話しかけて来るのに、娘は気のない相槌をまばらに返した。


公証の権能をオルロフに何とか留め置き、その長として、公証の発展を目指して踏み出した先には足を降ろすべき地面がごっそりと失われていた。

新しい余計事は不要、立て直しだけやれば後は維持でいいのだ、皆にそう指差されている気がした。

しかし立て直しと言っても、何をどうやって、どんな手段を用いて信頼回復をせよというのか。

武器なく独り戦うことが公証長に強いられた権能なのかと、アレクサンドラは悔しいと感じることもできず、眼下の無を虚ろに見つめた。


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