『「毒草師」と追放された私、実は本当の「浄化の聖女」でした。瘴気の森を開拓して、モフモフのコハクと魔王様と幸せになります。』
とびぃ
第1話 第1章:追放園芸師、希望の地へ 1-1:王宮園芸師の召喚
王宮の庭園は、今日も完璧なまでの穏やかな陽光に満ちていた。
空は一点の曇りもないアステルの空色。風は柔らかく頬を撫で、わたくしの管理する花壇から、甘く芳醇な花々の香りを運んでくる。
聞こえるのは、噴水の軽やかな水音と、遠くで響く小鳥のさえずりのみ。これほど平和な午後はないだろう。
わたくし、王宮園芸師エリアーナは、その庭園の最奥、「王妃陛下の薔薇園」の一角で、柔らかい土に膝をついていた。
「エリアーナ様、本日も精が出ますね」
「ええ。この子たちが、今一番応えてくれる時期ですから」
通りかかった先輩の庭師に微笑みで返し、わたくしは再び目の前の植物に向き直る。
今日の仕事は、王妃陛下が隣国から輿入れされた際に持ってこられ、わたくしがこの王宮の土に根付かせた「夜明けのバラ」の、繊細な剪定だ。
その名の通り、夜明けの空の色を映したかのような、淡いピンクと紫のグラデーションを持つ花弁。しかし、少しでも管理を怠れば、すぐに機嫌を損ねてしまう、誇り高く難しい気質のバラでもある。
「……そう、あなたはもう少し光が欲しいのね。こちらの枝が邪魔かしら」
わたくしは、土で汚れた手袋をつけた指先で、そっと葉に触れる。
わたくしには、植物の「声」が聞こえる。
それは、言葉というより、もっと直感的な感覚だ。喉が渇いた、光が足りない、根が苦しい――そういった彼らのささやかな願いを感じ取り、叶えてやるのが、わたくしの仕事。
伯爵家の令嬢でありながら、王宮の園芸師という「職人」の道を選んだわたくしを、社交界の人間は奇異な目で見る。けれど、嘘と体裁にまみれたあちらの世界より、わたくしは、決して嘘をつかないこの植物たちの世界の方が、よほど性に合っていた。
愛用の剪定ばさみを握り直し、繊細な枝ぶりに集中する。この古い枝を落とせば、新芽が勢いよく伸びるはずだ。最適な角度を探り、刃を当てた、まさにその時だった。
「エリアーナ! エリアーナ様はどこだ! 探しましたぞ!」
静寂を切り裂くような、甲高い声。
その無粋な響きに、わたくしは思わず眉をひそめた。せっかく集中していたのに。
声のした方に振り向けば、王太子殿下の側仕えである、子爵家の男が立っていた。いつもは糊の効いたシャツのように澄ましている彼が、今日は額に汗を浮かべ、肩で息をしながら、普段は決して足を踏み入れない土の道を、高価な革靴を汚すのも構わずに駆けてくる。
「まあ、どうかなさいましたの? そんなに慌てて」
「はぁ……はぁ……! エリアーナ! 貴様、こんなところにおったか!」
その失礼な物言いに、わたくしの表情がわずかに凍る。いくらわたくしが園芸師として働いているとはいえ、身分はあちらが子爵、こちらが伯爵家の娘だ。礼儀がなっていない。
「……何か、わたくしにご用でしょうか」
「ご用も何もあるか! とんでもないことをしてくれたな!」
彼はそう吐き捨てると、わたくしの目の前に、一冊の手帳を突きつけた。
上質な革で装丁された、見慣れない手帳。
……いいえ、わたくしがいつも懐に入れている、実用一辺倒の麻布の作業記録ではない。これは、聖女レティシア様の花壇を管理するために、特別に王家から支給された、豪華な管理日誌だ。
なぜ、これを彼が持っている? あれはわたくしが管理し、毎日記録をつけて、聖女様の侍女に渡しているはず。
「いったい、何事でしょう。その日誌が何か?」
「問答無用だ! 王太子殿下と聖女レティシア様が、そなたを至急お呼びである! 『証拠』は確保した、と!」
側仕えはそう言い放つと、わたくしの返事を待たず、有無を言わさぬ態度で、土に汚れたわたくしの腕を乱暴に掴んだ。
ギシリ、と手首に痛みが走る。
「証拠? 何のことですか? それに、わたくしはまだ作業の途中です。このバラは繊細で……」
「黙れ! たかが庭師の分際で、口答えをなさるな! 聖女様のお身体に害をなした、大罪人めが!」
大罪人。
その言葉の重みが、ハンマーで殴られたかのように、わたくしの思考を鈍らせた。
わたくしが? 聖女様に、害を?
意味が分からない。わたくしが聖女様に関わるのは、彼女の「浄化」の力を助けるという名目で管理している、あの小さな花壇のハーブを届ける時だけだ。
「離してください! 人違いでは……」
「黙れと言っている!」
側仕えが腕を引くと同時に、いつの間にか背後に控えていた二人の衛兵が、わたくしの両脇を無言で固めた。
ガシリ、と鋼鉄の甲冑が触れ合う硬い音がする。
「……っ」
周囲で作業をしていた他の庭師たちが、遠巻きにこちらを見ている。誰も助けてはくれない。彼らにとって、王太子の側仕えと衛兵に逆らうことは、職を失うことを意味する。
土で汚れた手。丈夫さだけが取り柄の、実用的な作業用ロングスカートとブラウス。そして、種や麻紐、園芸用ナイフでポケットが膨らんだエプロン。
いつも通りの「庭師」の格好のまま、わたくしは、まるで重罪人のように衛兵に両腕を拘束され、美しい花々が咲き誇る愛しい庭園を後にした。
連行される道すがら、すれ違う貴族や侍女たちが、好奇と侮蔑の入り混じった視線をわたくしに投げかける。
「まあ、あれはエリアーナ様では?」
「土まみれで、衛兵に……いったい何を」
「レティシア様のハーブに、何かしたとか……」
ひそひそと交わされる悪意ある噂。
わたくしは、ただ唇をきつく結び、背筋を伸ばして前を向く。
誇りを失ってはいけない。わたくしは、何もやましいことなどしていないのだから。
引きずられるようにして連れてこられたのは、王族が私的な謁見にのみ使用する「白亜の間」。
その名の通り、壁も床も、柱に至るまで、全てが磨き上げられた純白の大理石でできている。
この部屋の冷たさは、物理的なものだけではない。ここで下される決定は、常に一方的で、反論が許されないという、権力の象徴だ。
わたくしの、土と泥に汚れた革製のワークブーツが、鏡のように磨かれた大理石の床に、カツン、カツンと場違いな音を立てる。
その音が耳障りだとでも言うように、部屋の奥に座る二人が、一斉にわたくしに視線を向けた。
一人は、このアステル王国の次期国王、王太子殿下。豪奢な椅子にふんぞり返り、不機嫌そうにわたくしを睨みつけている。
そしてもう一人は、彼の腕にすがりつくようにして座る、公爵令嬢にして「王国唯一の聖女」、レティシア様。
わたくしが土と植物の匂いをさせているのと対照的に、レティシア様は、塵一つない純白のシルクドレスに身を包み、完璧に結い上げられた金髪には、彼女の魔力を高めるとされる高価な宝石が、これみよがしにちりばめられている。
その天使のように美しい顔は、悲劇のヒロインさながらに涙で濡れ、わたくしの姿を認めた途端、ビクリと、か細い肩を震わせた。
(……芝居がかった方だ)
わたくしは、その様子をどこか冷静に分析していた。
これから始まる理不尽な糾弾を、無意識のうちに予感しながら。
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