「スタンダード」(看板)

ナカメグミ

「スタンダード」(看板)

 かれこれ1時間半。中心街の大型書店の中に立っている。ひたすら待つ。

傍らには母。スマホをいじっている。私は文庫本を読む。周囲は友人同士で来ている。話し声に笑い声。列が進むにつれて、話は途絶えがちだ。スマホをいじる割合が増えていく。


 3年間の中学校生活。日々の内申点に過敏になり、3年生の3月に受けた入学試験。卒業式が終わり、合格発表。受かった。

 そのあとすぐに始まった、高校入学準備の喧騒。母と2人で、粛々と準備を進めた。金融機関は母。書類の記入は2人で。選択教科の相談も。そして今日は、教科書の購入日。既に高校から入学前の課題が出ている。


 「なんだ。2時間半待ちって。ホントか?」。最後尾の「現在の待ち時間・2時間

30分」という看板を見たらしい父が近づいてきた。

 私と母は教科書購入。父は既にサイズを採寸済みの制服を、百貨店の特設売り場に受け取りに行っていた。

 「パパ、ありがとう」。

 明るい声で言う。マスクをした父はまだ不機嫌だ。

「たかが、教科書受け取るだけで。効率悪いんだよ」。

声がでかい。引き渡し場所が見えるところまで来た。前に10人ほど。

「金額、あらかじめわかってるんだから。きっちり用意してくればいいだろう」。

教科書の段ボール箱を受け取り、レジでお釣りのやり取りをしている人を見て、吠える。

 母は封筒に入れて、ちょうどの金額を手に持つ。購入後のチェック用のプリントも。父に向けて、口角を上げた顔。


 父よ。あなたはいつだって、正しい。いつだって。いつだって。


     * * *


 登校する地下鉄の中。出入り口のガラス窓に、父の顔写真が見える。

父は歯科医師。顔写真を出した宣伝ポスターや看板が、まちのいたるところにある。


 肌質、修正しすぎだよ。

 年とったら、どうすんだよ

 まちなかの全部、とっかえんのかよ

 そもそも歯科医、顔出す必要あんのかよ

 ごめん。うそ。ぜんぶ、うそ。


私は父が、長い時間をかけて磨いてきた技術を知っている。

厳しい競争の中で、顔を出して宣伝する意味を知っている。

その収入で暮らしている。

心の声は、目を伏せた文庫本の中に閉じ込める。


      * * *

 

 登校前の自宅。毎朝の洗面所。父と2人。並んで鏡の前で身支度をする。

父は仕事中はマスクをするが、身だしなみは入念だ。

 シャワーを浴びた髪を、熱で傷まない距離を十分に取って、ヘアドライヤーで乾かす。肌には無香料の化粧水と乳液。患者の方に近づく仕事だから、においはNG。

手のひらをこすり合わせてあたためてから、やさしくパッティング。

 

「スカーフ、だらしないぞ」。

父が私のセーラー服の背中を指さした。

スカーフが、背中の襟の中に折れ込んでいたらしい。

「ありがとう」。

急いで直す。

「やっぱり制服のある高校、選んで正解だな。朝の準備が早い」。

鏡を見て自分の髪を直しながら、父が言った。

「見出しなみと清潔感。こころがけろ」

ありがとう。わかったよ。耳にタコ、だ。


     * * *


 本当は、私服の高校に行きたかった。成績的には合格圏内だった。

中学校では校則を守って、地味な髪型と目立たない行動に徹してきた。

 息が詰まる予感。校則のタガがない、制服の縛りもない空気を吸ってみたかった。

「だめだよ、あそこは。制服も校則もないから。入学したらみんな、はめ、はずしすぎるんだ」 

 鶴の一声で、私の志望校は、父の母校の高校に決まった。

男子は学生服。女子はセーラー服。学校が求める生徒は、毎日の膨大な課題を勤勉にこなし、地元の国立大学を志望する真面目な生徒。

 

延長戦が決まった。あっけなく決まった。母はなにも言わなかった。


      * * *


 11月初旬。2年生に向けて、理系か文系かを選択する期限がやってきた。ほぼ全員が大学受験を目指す高校の常だ。周りの友人もざわめく。

 自分の成績。自分の希望。将来の夢。親の職業。経済力。彼氏や彼女と同じとこ。

いろいろな基準が並ぶ。

 親しいもの同士で固まって。あけっぴろげに、または声をひそめて相談する。


 文系に行きたい。英語が好きだ。古文を音読したときの響きと奥深さが好きだ。

哲学に今と共通する先人の苦悩を感じる。

 数式や化学式は、私にとっては無機質すぎる。美しくない。興味がない。

想像力の余地がない。機械と変わらない。


「理系に決まってるだろ。うち、継ぐんだから。1人娘なんだし」

予想はしてたよ。

「6年、頑張れ。俺だってできたんだから。あの看板の写真、変えてやるよ。

女だから。目立つぞ」。

母は口角を上げたいつもの顔。


 はい、延長戦、終了。あんたら2人とも、アウトね。


     * * *


 11月中旬。まちのあちこちに置かれる。だれでも手に取れる。

塾を終えた午後9時過ぎ。その1つを持ち帰った。帰って夕飯を食べた。時を待つ。


 父と母は、同じ部屋で寝ている。

 母は毎日、睡眠薬を飲んで寝る。いわゆる「更年期」と呼ばれる40代後半から、不眠を訴え始めた。病院に通って処方されている。

 夜、薬で寝る。昼間、困ったらとりあえず口角を上げる。

そして肝心なことはなにもいわない。

  あんたも同罪な。

母の寝顔に、心の中でつぶやく。ぐっすり寝ている。いいね。そのまま寝てて。


     * * *


 父が寝入った深夜。私はそのベッドの傍らに行く。

持ちかえったそれを持ち上げた。

 白い袋に黒い文字。「滑り止め材」と書かれている。

1年の3分の1は、確実に雪で覆われる。人は足元が滑って転びやすい。車は凍った坂道をのぼることができない。

 冬の間の、人と車の困りごとを防ぐため、歩道のあちらこちらに設置される砂箱。

困った場所でだれでも撒けるように、だれでも手に取れる。

 中身は砂ではない。大きめの砕石。1・5キロなり。

ずしりと重いそれを、家で16年間、看板で4年間は見た父の顔面に振り下ろす。


「部活はやった方がいい。運動部な。3年間続けたら、内申にもいいし。

歯科医は体力、必要だしな」


 鶴の一声で入部したバスケットボール部。連日のドリブルとシュート練習で、腕力はついた。今こそ発揮すべきとき。何度も振り下ろす。とりあえず動かなくなった。

 

 文庫本と教科書と、鉛筆だけ持ってたら、これ、できなかったな。

 バスケ部、勧めてくれてありがとう。

 背丈もありがとう。

 長身だけ、あんたに似て、部活で助かったよ。


最後に母を見た。すやすやと寝ている。

 

 警察でも、口角は上げてろよ。

 あとは任せた。

 どうせ、なんにもしゃべれないだろうけど。

 

     * * *


 家の裏の庭に、白い袋の中の砕石を撒いた。歩道に撒いたら、雪が解けた春に、ほうきと車両で清掃に入る方の手間が増える。庭なんか、興味ないし。冬のリス、見れないのは残念かな。あ、日本語として正しいのは「見られない」だな。文系だし。

 

 父は小学校高学年から、優秀な成績をとると、ボーナスだと言ってお金をくれた。文庫本しか興味がなかった。使う時間がなかった。貯め込んでおいてよかった。

 その金とスマホと、中学校の修学旅行で使ったボストンバッグに詰めた服。

それだけでいい。父のクレジットカードは持っていかない。足がつく。

どうせすぐだろうけど。少しでいい。自由な時間を。自由な空気を。

 

 父よ。私、父のあとの看板にはのれないけど。新聞には載るかも。

あっ、でも未成年だし。匿名だな。家族内の殺人だから展開、薄いだろうし。


 育ててもらった恩とか、もういいや。育ててもらったって、私の基準はある。

鼻歌をうたいながら、家のドアを閉めた。家族ゲーム、終了。

(了)








 


 


  




 

 






 

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