第3話 わがままな誠意
【シェアハウス】
街の外へ出た翌日。
昼下がり、リビングのテーブルで俺たちは同棲後、初めて協力し古文書の解読をしていた。
「ねぇ。ここって、なんで『野獣』なのかしら? 他は『魔物』や『モンスター』なのに……」
古文書を指差しながらクリスタが尋ねる。その視線は真剣だが、どこか俺の反応を試しているようにも見えた。
「あぁ、それな。後に敬称がついてるだろ? 多分、二つ名だ」
クリスタは興味なさげな返事をしたかと思うと、即座にニヤニヤしながら、俺に勝ち誇ったような視線を向けた。
「勘違いしないでよね。わかってるわよ、そんなこと。あなたを試しただけなんだから」
俺は知っている。
これは、古代文明の淑女がプライドを護るために用いる最も典型的で傲慢な常套句。敗北を認めたくないという彼女の高度で知的な強がりだ。
「……しねぇよ。お前のくだらない知的マウントの相手をするために、俺はここにいるわけじゃない」
俺は、彼女の傲慢さを打ち砕くため、古代文明の返答様式を引用した。
「あら、魔術に関する古文書しか読んでないと思ってたけど、博学なのね」
「舐めるな。魔術の為に関係のない古文書も一通りは読んでるんだよ」
昨日の一件で、少しは協力する気になったのかと思ったが、相変わらずこんなやり取りを繰り返している。
「――少し休憩にしましょ」
クリスタの提案で俺たちはソファに移った。ソファに腰掛け、一息ついた後、彼女が俺の左手の包帯を新しいものに交換し始めた。
包帯を外し、手の傷が見えると昨日の恐怖が脳裏を過ぎる。そんな時だった。
「昨日の件は……謝るわ。つい、魔術を……」
「ま、身体に染み付いてるからな」
この一週間で、初めて彼女が俺に謝罪をした。
なぜかこの時は、俺の口からいつものような皮肉が出てこなかった。
彼女は小さく息を吐いて、俺の様子を伺いながらこう切り出す。
「ねぇ、なんで『炎鬼』って呼ばれているの?」
包帯を交換していた手が、一瞬止まる。
「なんだよ、急に…… 噂ぐらい聞いてんだろ」
クリスタは俺から目を逸らした。
その横顔は真剣だった。
「噂と、実際の人物像が一致しないから……」
(昨日の『なんで、助けたの?』は、これか)
「噂に尾鰭が付いただけじゃないのか」
「なら、真実はどうだったの?」
「……別にいいだろ。昔の話だ」
ソファから立ち上がろうとすると、クリスタは俺の右手を掴み、俺の意思に反して身体はソファに引き戻される。
「……なら、私も過去を話すから、あなたの過去も教えなさい。互いの命を預けてるんだから、必要なことよ」
彼女は俺の返事を待たずに、自身の出生から現在に至るまでを語り始める。
◇◇◇
【クリスタの回想】
私、『クリスタ・ステイシス』は地方貴族の令嬢として生を受けた。
幼い頃から、教養、芸術、立ち振る舞いにマナーはもちろん魔術の才能があった為、魔術の教育も人並み以上に強いられた。
そのおかげか、六歳から通い始めた王立学院では、上級生を差し置いて学院でも上位の成績を納めた。
十歳になった歳、私は運命の出会いが訪れる。
そう、それは武術の師匠との出会い。
師匠は高齢であったが、修業は厳しかった。
最初は、師匠の家で炊事、洗濯、ありとあらゆる雑務を熟すことになった。
一年が過ぎた頃には、本格的な修行が始まる。
朝は師匠をベットから起き上がる為の補助、学院が終われば、師匠の散歩の為に肩を貸す。極め付けは月一で師匠をおぶって、病院までの通院。
修行は、日に日に過酷になっていった。
食事、着替え、入浴に排泄まで、師匠の動きを補助し、その動きを学んだ。更に二年後、師匠は私に最後の言葉を残し、この世を去った——
十四歳なった年に人生最大の事件は起こった。縁談である。
相手は有名貴族の長男。彼は外見、内面共に優れた人物ではあったが、どうにも退屈な男だった。
そこで、私は考えた。
このままでは、自分の人生はただ流されるだけだと。私は両親を説得し、強引に縁談を断った上で、昔から興味のあった冒険者となった。
その後は、冒険者として順風満帆の冒険を描くことになる。
◇◇◇
クリスタが語り終え、リビングには沈黙が落ちた。俺は思わず口を開く。
「……おい、壮絶な過去やトラウマエピソードがあるような流れだったが……まさか、一切ないのか?」
「……ないわよ。何か悪い?」
ムッとした表情でクリスタが言い返す。
「いや、悪くはない……ただ、壮絶な背景があれば、その……お前の、わがままも少しは許容できるだろ?」
「なに、その言い方? 『悲劇のヒロイン』なら許せて、不幸自慢もできない女の意見は、切り捨てるってことかしら?」
俺の言葉に、クリスタの瞳が鋭く細められた。
「……そういう意味じゃない」
「そうとしか聞こえない! それに私のわがままは、今の私にできるあなたへの最大限の誠意よ!」
「なっ! 意味がわかんねぇよ!」
俺が思わず叫ぶと、クリスタは立ち上がり、切羽詰まった表情で続けた。
「私は一緒に暮らしだしてから、心を許した人にしか見せない本当の私を見せてる! それはあなたが命を託す相手だから!」
「……」
言葉に詰まる俺にクリスタは、息を整え、冷たい眼差しを向ける。
「……あなたが望むなら、ここでも外の顔で過ごすわ。四六時中、腹の探り合いをするハメになるけどね」
クリスタはそれだけ告げると、返事も聞かずに足早にリビングを出て行ってしまった。部屋には、コーヒーの香りだけが残されている。
残された俺は包帯を巻き直し、その手の甲を額に当てソファの背に身を委ねた。
封印解除の為、古文書の解読、自身の戦力強化、今後の資金、問題は山のようにある。
古文書の解読が俺のやるべき最優先事項だと思っていたが、間違っていたのかも知れない。
彼女はこの生活を始めた時から、一番に俺との信頼関係を築こうとしていたのだろう。あの、わがままでさえも不器用なコミュニケーションの一つかも知れない。
暫く考え、結論は出た。
コーヒーは既に冷めてしまい、リビングには香りさえ残っていない。
俺がやるべきことは——
シェアハウスを飛び出し、街で目的の物だけ買い、急いで戻った。
トン、トン、トン
「遅くなったが、アイスを買って来た。一緒に食べないか」
「……遅いわよ。一日以上掛かってるじゃない」
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