ポーからロリータ、そして大江、名前と音韻の連鎖

 大江健三郎『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』と『ロリータ』への文学的接続は名前の秘密にある。アナベル・リーのleeの音韻はロリータLo-lee-taに内包されている。つまりそれはナボコフの意識的に形作られた名前であり、ナボコフがロシアから亡命してきたアメリカ人ならば手本としたのがポーの詩であった。


 大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』は、ポーの詩、と日本の和歌的な古語、臈たし(ろうたし)を使ってタイトルにしたのも同じような意図があったのだろう。そこで臈たしの意味を調べるとまさにアナベル・リーとロリータとさくら(大江作品のヒロイン)をつなぐ線が見えてくる。


「ろうたし(ロウタシ)とは? デジタル大辞泉 - ろうたしの用語解説 - [形ク]1 《「ろう」を「ろうたける」の「﨟」と意識したものか》上品で美しい。」


 戦後の日本史、架空映画制作、そして個人のトラウマが交錯する、複雑で深い作品は、その文学的背景には、ポーの詩「アナベル・リー」とナボコフ『ロリータ』との静かな響きもあいがある。


 大江健三郎と「アナベル・リイ」


 タイトルの「アナベル・リイ」は、エドガー・アラン・ポーの詩 Annabel Lee から取られている。大江は日夏耿之介訳を直接参照していなくても、詩の音の響きや幻想的な雰囲気を物語に巧みに取り込んだ。


 アナベルは白い花の象徴で重要。海外では「アナベル」は白い紫陽花だが、大江が思い描くのは、日本の清楚な白い花、ノリウツギや姥桜に近く、戦後日本の記憶や時間感覚を映し出す。花は記憶や生命の象徴として、物語全体に静かな光を添える。


 若島正『ロリータ』解説


 ナボコフの『ロリータ』を理解する手助けとなるのが、若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』だろう。ここでは、ナボコフがポーの詩からどのように音やリズムを借用して物語を作ったかが詳しく説明されている。


「音韻の遊びが、物語の幻想的で妖精のような雰囲気を生む」


 ナボコフはロシア生まれで、母語ではない英語で『ロリータ』を書いたことが重要だろう。母語でない言語を操ることで、独特の響きやリズムが生まれ、物語に非現実的な浮遊感を与えている。


 ナボコフと大江の響き


 大江はこの音韻的・幻想的な接木を、日本の文化や戦後史、個人のトラウマに置き換えた。ポーの詩の音韻からナボコフが妖精的な物語を生み出したように、大江もまた、花や映画、歴史のモチーフを通して独自の幻想と記憶の物語を紡ぐ。


 幼年期の苦い体験や占領期の記憶が、架空映画制作のプロットとして再生され、過去の傷が創作を通して物語として甦る。

 ポー→ナボコフ→大江という文学的な連鎖が、読者には時間と文化を跨いだ響きとして感じられる。


 メタフィクションの仕掛け


 架空映画制作は、創作過程そのものを物語化する手法であり、大江健三郎の小説内物語として、使われる創作手法。


 四国の農民蜂起やクライト『ミヒャエル・コールハース』の伝承も接木され、個人のトラウマと歴史が交差する。


 花や音、文学、映画、歴史が複層的に絡み合い、ポーからナボコフ、そして大江へと続く文学の連鎖が可視化されていく。


 この作品では、ポーの幻想、ナボコフの音韻的妖精物語、日本の戦後史が、花や映画、個人のトラウマを媒介として一つの物語に結実している。

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