文学レビュー
宿仮(やどかり)
「光と影たち(女たち)の千年の孤独──オリエンタリズムが映すウェイリー版『源氏物語』の世界」
第1巻レビュー
分厚い豪華本の表紙がクリムトの絵というセンスの良さ。
アーサー・ウェイリーの翻訳は、『源氏物語』を西欧の神話的愛の物語に変貌させている。
橋本治『窯変 源氏物語』と併読すると、人物像は橋本治が面白いとしても、絢爛豪華な宮廷の儀式は邦楽がバロック管弦楽に編曲されたような夢心地だ。
『紅葉賀』が Autumn Festival に変わるなど、祝餅が Lucky Cake になるなど翻訳の妙も楽しめる。
光源氏は Shining Prince、夕霧は Little Prince。
姫君たちは「夕顔=Evening Face」「末摘花=Princess Saffron」と、ファンタジー色が濃くなる。
須磨寺の守り神は Dragon King に。ここまでくると、西欧読者が「千夜一夜物語」の幻想譚として受容する理由が理解できる。
第2巻レビュー
橋本治『窯変 源氏物語』と併読すると、ウェイリー版はスイスイ読める。
鏡餅が Mirror Cake、舞姫が「Gosetch Dancers」になるなど、英訳の遊び心が面白い。
花や鳥はイギリスで馴染みのあるものに置き換えられ、和歌は説明的で散文的になっているが、わかりやすさの利点がある。
息子世代になると、同じことでも喜劇的に描かれる。
夕霧の愚鈍さは、光源氏の現実慣れした超人的存在との対比として、より現実的に感じられる。
玉鬘が髭黒と結ばれる展開は理解しがたいが、紫式部は髭黒を悪く描きすぎており、誰も幸せにならない結末になっている。
元妻が「もののけ」に憑かれる話など、現代の感覚では自然な感情を「もののけ」のせいにしている点も面白い。
一方、近江の君の豪快さは宮廷生活を超えて魅力的だ。
第3巻レビュー
『雲隠』の帖が削除されていることは興味深い。
仏教文化の「空」を象徴する章であり、削除しても物語には影響がない合理主義的判断かもしれない。
キリスト教圏では「容れ物」が「福音(Evangelion)」にあたり、光源氏は神の使者としての「福音」と読むことも可能。
ウェイリーは、クリムトの表紙に象徴される「美しい悲しみ」を抽出し、詩歌の洗練された文化を翻訳した。
これも『源氏物語』を「世界文学」として再解釈する試みと言える。
紫式部は「匂宮」まで約8年の空白があり、ウェイリーも翻訳に4年の空白がある。
初翻訳時には光源氏の死を描かず、物語が作者の心の中で生き続けるよう扱った可能性がある。
宇治十帖は「匂宮」ではなく「橋姫」から始まる点も興味深い。
第4巻レビュー
第4巻の付録は豪華で感動的だ。
登場人物の系譜(関係図)が付いており、『源氏物語』の複雑な人間関係を理解する助けになる。
帖の冒頭に付く関係図は他の本にもあるが、全体図まであるのは珍しい。
巻末には和歌一覧も収録(藤井貞和監修で句読点・空白入り、意味が理解しやすい表記)。
和歌は物語理解の重要な手がかりで、解説本も出版されている。
さらに、解説にヴァージニア・ウルフの書評が掲載されているのも、この版の大きな功績だ。
ウェイリー版『源氏物語』総論(まとめ・世界文学の視点)
ウェイリー版『源氏物語』は、一つの中心へ向かう物語ではなく、「世界文学」という可能性」に向かって進む。
単なる直訳ではなく、“らせん訳”=トランスクリエーション として、物語にらせん状に様々な要素を巻き込み、曼荼羅のような構造を持たせている。
光源氏を中心に、姉妹的な女性たちが周辺で渦巻く物語は、イギリスのモダニズム、中国の漢詩、オリエントのアラビア物語、シェイクスピアの戯曲、さらには聖書などを織り込み、DNAのらせん構造のように情報を編み込みながら時間の中で熟成していく(いわば「時熟」していく)性格を持つ。
そのあり方は単なるエッセイというよりも、文学論的な考察としても読める。
この「世界文学」の概念には、作者だけでなく読者も巻き込まれる。
二次創作の広がり、創造、批評が絡み合う構造だ。
例えば六条御息所の評価や末摘花の変身(渤海国の血を引くお姫様や眠り姫に喩えられる)は非常に興味深い。また、『源氏物語』では書かれなかった「雲隠」の帖や、ウェイリーが翻訳しなかった「鈴虫」の創造的翻訳なども加わることで、物語はさらに拡張される。
さらに、続編やサイドストーリーの創作は、菅原孝標女の『更級日記』の時代から現代に至るまで、源氏物語の読者や創作者によって受け継がれている。
このプロセスは、イギリスのモダニズムを経由して、**コロニアム文学(オリエンタリズムとしての世界文学)**から、ポストコロニアム文学(現代文学、フェミニズム的視点を含む)へと拡散する。
紫式部が生み出した世界ではあるが、光源氏の周囲の女性たちが姉妹的に描かれることで、宮廷女房たちが生み出した文学、つまりサロン文学の側面も帯びる。
こうして、作者だけでなく読者も巻き込みながら創造される物語こそが、**世界文学としての『源氏物語』**の姿である。
NHKドラマ『光る君へ』も、この視点を映像化しており、『源氏物語』と『紫式部日記』をハイブリッドに組み合わせ、『枕草子』も含めた創造的な世界として描いている。
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