暗走

ヤマ

暗走

 真っ暗な道に、自分の足音だけが響いていた。


 擦り切れた喉のせいで、口の中に鉄の味が滲む。

 地面を蹴る度に、筋肉が断裂していくような感覚が広がる。


 それでも、止まれない。


 止まった瞬間、終わる。



 「それ」は、足音を立てない。

 どれだけ速度を上げようと、ただ圧だけが一定の距離を保ったまま、背後に張り付いてくる。



 後悔が染み込んだ暗路は続く。


 「引き返せ」と言われたのに。

 やめることもできたのに。


 俺たちは、何一つ従わず。

 触れてはいけないものに、触れた。


 その結果が、今だ。



 呼吸が、乱れる。

 酸素が足りず、視界に星が散る。

 指先の感覚が消え、脚はとっくに悲鳴を上げている。


 それでも、走らなければならない。


 仲間たちの最期が浮かぶ。


 引き籠もったあいつは、自分で目張りした窓を突き破った。海外に逃げようとしたあいつは、空港に向かう道中、車道に飛び出した――


 生き残った側として、俺に、選択肢はない。





 闇の中、街灯に向かって、走り続ける。

 辿り着いたら、次の街灯へ。

 一本、また一本と、街灯が後ろへ流れていく。


 さっきから、その繰り返し。

 どれだけ駆けても、世界が更新されない。



 逃げ場など、最初からなかったのかもしれない。



 肺が焼ける。

 視界が狭まる。

 思考が削られていく。


 休みたい。

 止まりたい

 終わりにしたい。


 どんな言葉も形を失い、ただの願望の残骸へと変わっていく。





 ――もう、止まってもいい。





 弱さが胸に芽生えた瞬間。





 首元に、





 反射で身体が跳ね上がる。


 壊れてもいい。

 あれに触れられるよりは、マシだ。


 脚を無理やり動かす。

 「それ」から距離を離すために。


 ただ、前へ。前へ――





 何度目かの街灯の光に飛び込んだ瞬間、ふと気付く。



 圧が、ない。



 しばらくそのまま走ったが、今までのような後ろからの気配は感じられない。


 背後にいた「それ」が、いつの間にか消えている。


 逃げ切れた――そう思った刹那。


 膝が笑い、全身が鉛のように重くなった。

 安堵が、無視していた痛みを一気に呼び戻したらしい。



 速度を緩めながら、もういない仲間たちのことを想う。

 生きようとして、死んでいった者たち。


 彼らの犠牲から、分かったこと。



 己の脚で走り、逃げ続けている間は、生きられる。



 それだけだった。


 そして、俺は――



(終わった、のか……?)



 仄かな期待を持って、視線を上げた、そのとき。





 道の少し先の街灯が、灯った。





 その先も、さらにその先も――





 一つ、また一つ、灯る。





 立ち尽くした俺の耳元に。





 生温なまぬるい、空気。











「はしれ」











 ――長距離走は、終わらない。

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暗走 ヤマ @ymhr0926

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