第17話 聖女様と空を裂く光

頭を抱える俺の隣で、莉奈は口を半開きにしたまま完全にフリーズしている。

そりゃそうだろう。目の前で繰り広げられているのは、まるでデ◯ズニー映画のワンシーンだ。

主役はもちろん、聖女様と小鳥たち。

もうどうにでもなれ、と半ばヤケクソな気分で、俺は庭へと足を踏み入れた。


「――ただいま、リリアーナ。えっと……それは、何をしてるんだ? 」


俺の声に、幻想的な空間の主役がぱっと顔を輝かせた。

その瞬間、彼女を取り巻いていた神々しいオーラがふっと和らぎ、いつもの人懐っこい雰囲気に戻る。


「あっ、おかえりなさいませ、悠人様! 学業でお疲れでしょう? ご無事のお帰り何よりです」


満面の笑みで駆け寄ってくるリリアーナ。

その姿に、彼女を取り囲んでいた小鳥たちが名残惜しそうにさえずった。

リリアーナは優しく振り返り、小鳥たちに語りかける。


「それでは皆さん、またお話しましょうね。道中、お気をつけて」


その言葉が合図だったかのように、何十羽もの小鳥たちは一斉に羽ばたき、思い思いの方角へと空に散っていった。

飛び去っていく鳥達に、莉奈が「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げる。


小鳥たちを見送ったリリアーナは、俺の背後に隠れるように立っていた莉奈の存在に、ようやく気づいた。


「まあ! 貴女は昨日お会いした方ですね! 」


そう言うと、彼女は嬉しそうに莉奈のほうへ歩み寄り、その両手を握った。

突然のことに、莉奈の肩がびくりと跳ねる。


「先日、 自己紹介をさせていただきましたが、改めて。私の名前はリリアーナと申します。貴女のお名前をお聞きしてもよろしいですか? 」


ニコニコと人懐っこい笑顔を向けるリリアーナに、莉奈はためらいがちな様子でたどたどしく答えた。


「わ、私? 私の名前は白石莉奈よ。あの……貴女、その格好といい、さっきの行動といい、一体何者なの? 」


もっともな疑問だ。俺だって同じ状況ならそう聞く。

しかし、真実を告げるわけにはいかない。

リリアーナが口を開くより早く、俺は二人の間に割って入った。


「だ、だから言っただろ! ? コスプレが趣味の、俺の父さんの友人のお子さんだって! 」

「? 『こすぷれ』というものが何かは存じませんが……」


リリアーナは純粋な瞳で首を傾げた。ああ、嫌な予感しかしない。


「私は、聖王国ゼガルオルムの聖女です。悠人様はご存じのはずでは? 」


はい、終わったー!

俺が内心で絶叫したのとは対照的に、莉奈は意外にも冷静だった。

いや、冷静というか、何かを勝手に納得したような顔をしている。


「そ、そうなんだー。聖女様ね。あはは……」


乾いた笑いを浮かべた莉奈は、リリアーナに聞こえないよう、そっと俺の耳元に口を寄せた。


「ねえ悠人、リリアーナさんって、いわゆるコスプレ好きの……その……『なりきりオタク』ってやつなの? 」


……え?

まさかの解釈。どうやら莉奈の中では、リリアーナは「聖女というキャラクターになりきっている、ちょっと変わった美少女」というカテゴリに分類されたらしい。

渡りに船とはこのことか!


「そ、そうなんだよ! ちょっと没入しすぎちゃうタイプでさ。でも、すごく良い子なのは確かなんだ。だから、その……話を合わせてやってくれると助かる」

「ふーん……まあ、そういうことなら」


莉奈はチラリとリリアーナを見て、少しだけ同情するような、複雑な表情を浮かべた。

とりあえず、最大の危機は回避できた……はずだ。


家の中に入りリビングへ向かおうとすると、莉奈が「あ、そうだ。久しぶりに悠人の部屋、見てみたいな」と言い出した。

男子高校生の部屋なんて、見ても面白いものは何もないんだが。

断る理由もなく、俺は二人を自室へと案内した。


「うわ、何年ぶりだろ。全然変わってないね。懐かしいなー」


ベッドの前に置かれたクッションへと座り、莉奈が嬉しそうに部屋を見渡す。

俺が冷蔵庫からコーラのペットボトルとグラスを3つ持ってくる間、リリアーナは興味深そうに本棚に並んだ漫画の背表紙を眺めていた。

中学からの付き合いとはいえ同い年の、しかもクラスでもトップクラスの美少女と、異世界からやってきた絶世の美少女の二人が、六畳一間の自室にいる。

この状況、冷静に考えると心臓に悪い。


「別に、面白いもんなんて何もないぞ」


平静を装ってグラスにコーラを注ぎながら言うと、莉奈がニヤニヤしながらこちらを見た。


「えー? ほんとぉ? ベッドの下とか、本棚の裏とかに、こっそりエッチな本とか隠してるんじゃないのー? 」

「そんなもんねーよ! 」


男子中学生みたいなからかいに、即座にツッコミを入れる。

まったく、こいつは昔から……。

そんな俺たちのやり取りを見ていたリリアーナが、ぱちくりと目を瞬かせた。

そして、満面の笑みで首を傾げる。


「エッチな本、とは何ですか? 」


しん、と部屋の空気が凍った。

俺と莉奈は、グラスを持ったまま固まる。

まさか、その単語に食いついてくるとは。


「え、えっと……そ、そりゃあ、エッチな本はエッチな本でしょ……」


からかった張本人である莉奈が、しどろもどろに答える。

だが、純粋培養聖女様にはそんな曖昧な説明は通用しない。


「『えっち』ですか? それはどのような意味を持つ言葉なのでしょうか? 申し訳ございません、不勉強なもので。どうか、ご教授いただけないでしょうか? 」


リリアーナは真剣そのものの顔で、ぐいっと莉奈に顔を近づけた。

その探求心あふれるキラキラした瞳に、莉奈は完全にたじろいでいる。


「そ、そんなこと、言えるわけないでしょ! ? ね、ねえ、悠人! 」


後ずさりしながら、莉奈が助けを求める視線を俺に送ってくる。

知るか。自業自得だ。俺はぷいと目をそらした。


すると、リリアーナは質問のターゲットを俺に変更したらしい。

くるりとこちらを向き、期待に満ちた瞳で、にこりと微笑んだ。


「悠人様。どうか私に、『えっち』を教えてください」


ぶふぉっ! !

俺は飲んでいたコーラを盛大に口から吹き出した。ゲホッ、ゲホッ! 気管に入った!

意味も知らずにとんでもない爆弾を投下するな、この天然聖女様は!


その後、俺と莉奈は必死の連携プレーで「エッチとは、えーっと、とっても恥ずかしくてドキドキすること、かな! 」「そ、そうそう! 大人の階段を上る的な! 」「あ、そうだ、トランプしないか、トランプ! 」「それいい! 」と、半ば強引に話題をそらし、なんとかそれ以上の追求を避けることに成功した。

寿命が五年は縮んだ気がする。


気を取り直して、リリアーナに大富豪のルールを教えながら三人で遊んだり、俺が昨日コンビニで買っておいたプリンを一緒に食べたりしているうちに、気まずかった空気はすっかり消えていた。

駅の近くに美味しいわらび餅専門店ができた、という莉奈の話に、リリアーナは「わらび……もち? 美味しいのですか?」と目を輝かせている。


「私、こちらの世界の食べ物は、まだ悠人様に作っていただいたものしか存じ上げないのです。いつか、食べてみたいです」

「じゃあ、今度三人で行こっか! リリちゃんも! 」


いつの間にか、莉奈は出会ったばかりのはずのリリアーナのことを「リリちゃん」と呼んでいた。

これがクラスカースト上位のコミュ強のなせる技か。


「私、聖王国にいた頃は、同世代のお友達がいなくて……。こうして莉奈様とお話できて、とても嬉しいです」


少し寂しそうに微笑むリリアーナに、莉奈は少し照れたように答えた。


「様なんていらないわよ。私が、友達になってあげる。だから、リリちゃんも私のこと、莉奈って呼んで」

「……! はいっ! 莉奈さん! 」


ぱあっと顔を輝かせ、満面の笑顔になるリリアーナ。

その光景を眺めながら、俺は思わず頬を緩ませた。

なんだか、子供の成長を喜ぶ親って、こんな気持ちなのかな、なんて。


楽しい時間はあっという間に過ぎ、窓の外がすっかり暗くなった頃、莉奈が「あ、やば。もうこんな時間。そろそろ帰らなきゃ」と腰を上げた。

リリアーナは「もう、お帰りになられるのですか……」と心底残念そうな顔をしている。


「また遊ぼうね、リリちゃん」

「はい! ぜひ! 」


莉奈の言葉に、リリアーナは再び嬉しそうに笑った。


「悠人」


俺を呼ぶ莉奈に「どうした?」と返事をすると、彼女は小声で囁く。


「エッチな本の流れで確信した。確かに悠人はリリちゃんに手を出してないみたいね。彼女は清らかすぎるわ……」

「だ、だからそんなんじゃないって言ってただろ!?」


疑いの晴れた俺達は莉奈を玄関まで見送る。しかし、玄関のドアを開けた瞬間、俺たちは顔を見合わせた。


「うわ、マジか……」

「土砂降り……」


ザアアアアという激しい音と共に、バケツをひっくり返したような大雨が降っていた。


「どうしよう、傘、持ってきてないや……」


困ったように呟く莉奈。俺の家には置き傘が一本しかない。俺が送っていくか? でも、この雨じゃ二人ともずぶ濡れは確実だ。

どうしたものかと俺が悩んでいると、隣でリリアーナがポンと手を叩いた。


「あ、それでしたら、私が晴れにしますね」

「「は? 」」


俺と莉奈の声が、綺麗にハモった。

何を言っているんだ、この子は。天気予報士にでもなるつもりか?

俺たちの困惑をよそに、リリアーナはこともなげに玄関から一歩外へ踏み出した。そして、雨に濡れるのも構わず、すっと右腕を横に伸ばす。


その瞬間、彼女の掌に周囲の空間から光の粒子が渦を巻くように集まり始め、瞬く間に収束していく。

光が形を成し――そこに現れたのは、銀の装飾が施された、彼女の身の丈ほどもある荘厳な杖だった。


「なっ……! ? 」

「杖……! ? 」


俺と莉奈が驚きに目を見開く。だが、驚きはまだ序の口だった。


リリアーナは、その杖を天高く掲げる。

そして、凛とした声で、どこか神聖な響きを持つ言葉を紡ぎ始めた。


「――来たれ、聖なる光。我が祈りに応え、天を覆う暗雲を払い、慈悲の陽光を顕現させよ! 」


呪文の詠唱が終わると同時、杖の先端に嵌め込まれた巨大な宝石がまばゆいばかりの光を放ち、一本の極太の光線となって天へと真っ直ぐに突き刺さった。

光は厚い雨雲を貫き、そして――爆ぜた。


次の瞬間、俺たちの頭上を覆っていた分厚い雨雲が、まるで巨大な消しゴムで消されたかのように、円形に吹き飛んでいた。

ぽっかりと開いた雲の穴から、穏やかな月明かりが地上を照らす。

嘘だろ……。半径数百メートル、いや、キロメートル単位で雨雲が消滅している。


リリアーナは振り返り、にこりと微笑んだ。

杖は、いつの間にか光の粒子となって消えている。


「はい。これで、安心してお帰りいただけますね、莉奈さん」


その特別な事など何もしていないと言わんばかりの笑顔を前に、莉奈は口をパクパクさせながら、へなへなとその場にへたり込んだ。


「え……? え……? なにが……起きたの……? 今の、リリちゃんが……やった、の……? 」


腰を抜かし、現実で起きた眼の前の出来事を理解できないといった様子の莉奈。

俺は、月明かりに照らされた彼女の表情を見て、静かに天を仰いだ。


「ああ、もう……。これは、どうやっても誤魔化しようがないな……」


俺の呟きは、静かな夜に吸い込まれていった。

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