第11章 SE、酒を酌み交わす。
俺は、今、ギルドの食堂で、
新しい仲間たちと酒を酌み交わしている。
今日は、日没前に街のギルドへ到着した。
受付嬢のレイナさんに、
オオカミ討伐の報告と報酬の受領、
そして、
俺の冒険者登録を一通りやってもらった。
レイナさんは――正直、すごく美人だ。
長い栗色の髪に透き通るような肌、
整った横顔に、ふと見せる笑みが絶妙に柔らかい。
受付カウンターに立つだけで、
そこだけ空気が華やぐような人だった。
もちろん、
俺のパーティーの三人も例外ではない。
戦士レオは胸を張って声を張り上げ、
僧侶リオンでさえ、いつもの冷静さがどこか上の空。
魔法使いルナに至っては、
何度も「説明をお願いします!」と聞き返していた。
——聞かなくてもわかる。
彼ら全員、レイナさんに熱を上げている。
受付カウンターの前で、
3人の鼻の下をこれでもかと伸ばした顔といったら
……見ていてちょっと情けないほどだった。
だが、俺も人のことは言えない。
レイナさんに笑顔で「こちらにサインをお願いします」
と言われたとき、思いっきり噛んだのは俺の方だ。
「ま、マイ、マイトです……!」
(名前を書くのに噛むな俺……!)
彼女が小さく笑った瞬間、
胸の鼓動が一段階ギルドの喧騒を超えて響いた気がした。
グラスの底が空になり、ふと気づけば、
食堂の喧騒も少しずつ遠のいていた。
焚き火の光が、木の壁に揺らめいている。
レオたちは隣のテーブルで他の冒険者と話し込み、
笑い声が断続的に響く。
俺は少し離れた席で、静かにエールを口にした。
胸の奥に、複雑な感情が渦巻いている。
新しい仲間を得た喜び。
信頼できる人間たちと肩を並べて戦い、
共に笑える時間があることへの温かさ。
だが同時に、心の奥底で、別の痛みがうずいていた。
——妹。
俺はあの世界に、希星(キララ)を残してきた。
どうして今まで忘れていたのか、自分でもわからない。
思い出した瞬間、
胸の奥を冷たい手でつかまれたような気がした。
元の世界に戻る方法は、まるで見当がつかない。
このまま戻れないのかもしれないという不安が、
酒の酔いよりも重く、じわじわと胸に沈んでいく。
もしかして——俺は、すでに死んでいるのか?
そんな考えが、ふと頭をよぎる。
あの夜、最後のリターンキーを押したとき。
あの瞬間に、命を落としていたのではないか。
ここはその“あと”の世界なのではないか。
だが、今は確かに生きている。
体に力があり、仲間の声があり、
焚き火の温もりを肌で感じている。
——焦るな。
気づけば、
昔の自分に言い聞かせるようにそう呟いていた。
現場でもそうだった。
バグを焦って直そうとして、コードを壊したことが何度もあった。
一晩かけて修正した末に、もっと悪化させてしまったことも。
あのときの教訓が、今も胸に残っている。
“急がば回れ”。
焦って動けば、必ず見落としが生まれる。
まずは、この世界を理解すること。
仕組みを知り、法則を見極めること。
それが、元の世界へ帰るための第一歩になる。
俺はグラスを傾け、
琥珀色の液体を静かに飲み干した。
——焦るな。
今は、ただ観察しろ。
焚き火の光がゆらめき、
その奥でレオたちの笑い声が続いていた。
手始めに、俺はレオたちに生い立ちを聞いてみた。
エールをもう一杯頼み、ジョッキを手に取りながら、
何気ない調子で切り出す。
「そういえばさ……お前らって、
この街に来る前、どこにいたんだ?」
レオが眉を上げて、少し考えるように顎をさすった。
「どこに、か……そういえば、最初は森の中だったな。
気づいたら、地面に倒れててよ。体はボロボロで、腹も減ってて……。
近くを通った行商人に助けられて、なんとか街まで来たんだ。」
リオンが静かに続ける。
「俺も似たようなものだ。気づいたら山の中にいて、
ひとりで数日さまよったあと、神殿に保護された。
それから癒やしの術を学び、いつの間にか僧侶になっていた。」
ルナも頷いた。
「俺もだ。あの頃は寒くて、飢えて……
でも、森の中を抜けたら、偶然この街の灯りが見えてさ。
気がつけば冒険者ギルドに入ってた。」
彼らの話を聞きながら、俺の背筋に冷たいものが走った。
三人とも、まるで“同じ起点”から始まっている。
「それまでのこと、つまり……この世界に来る前の記憶は?」
思い切って聞いてみた。
三人は顔を見合わせ、少しの沈黙が流れた。
最初に口を開いたのはリオンだった。
「……あった、ような気はする。だが、もう思い出せない。
最初のころは確かに“何か”を覚えていた気がしたが、
いつの間にか薄れていった。」
レオも苦笑しながら頷く。
「そうだな。あんときは焦って、思い出そうとしてたが……
今じゃもう、どうでもいいって気分だ。」
ルナが杯を回しながら言った。
「なぁマイト。たとえば“生まれる前のこと”って、
お前は気にするか?
俺は、それと同じだと思うんだ。
思い出せないものを追いかけるのは、
なんか……ナンセンスだろ。」
三人とも、まるで打ち合わせでもしたかのように、
その“記憶の欠落”を当然のように受け入れていた。
まるで、**“この世界に来る前の存在”**を、
忘れるように仕組まれているかのように——。
俺だけが、別の世界を覚えている。
その事実が、静かな夜の空気の中で、ひどく不気味に響いた。
俺はグラスを置き、そっとスマホを取り出した。
三人の言葉が頭から離れない。
「記憶がない」「どうでもいい」「ナンセンス」——
あまりにも共通している。
この世界の住人たちは、
本当に“そう思うように作られている”のかもしれない。
スマホのカメラをそっと起動し、
テーブルの向こうに座る三人を撮影した。
画面に、いつものようにCSSコードが浮かび上がる。
#レオ {
職業: "戦士";
記憶: "欠損";
記憶回復可能性: false;
}
#リオン {
職業: "僧侶";
記憶: "断片的";
記憶回復可能性: false;
}
#ルナ {
職業: "魔法使い";
記憶: "抹消済み";
記憶回復可能性: false;
}
「……やっぱりな。」
思わず息が漏れた。
“記憶回復可能性: false”。
つまり、この世界のルールとして——思い出すことは許されていない。
試しにコードを編集してみようとする。
「記憶回復可能性: true;」と書き換え、保存をタップ。
ピピッ、と音がして、画面に赤い文字が浮かんだ。
Permission denied.
「……権限がない?」
まるで、
俺が“この世界の管理者”ではないとでも言うように。
コードの最深部には、俺の手の届かない層がある。
そこに、
彼らの“前の世界”が封じられているのかもしれない。
ふと、思考がよぎる。
——ならば、俺のデータはどうなっている?
スマホのカメラを自分に向ける。
画面に映し出されたコードを見て、息を呑んだ。
#マイト {
職業: "レンジャー";
戦闘力: 5;
記憶: "保持";
記憶回復可能性: true(現在);
}
「……“現在”?」
“今は可能”ということは——
いつか、俺の記憶も消えるということか。
胸の奥が冷たくなった。
実際、ついさっきまで俺は、妹のことを完全に忘れていた。
あれほど大切な存在を、記憶の底から抜かれていたのだ。
思い出せたのは、ほんの偶然か、
それとも“まだ完全に同化していない”からなのか。
あの三人のように、過去を忘れ、
やがて「元の世界」さえ思い出せなくなる。
そんな未来を、俺は想像するだけで息が詰まった。
「……いや、忘れてたまるか。」
咄嗟に、スマホを起動する。
録画モードに切り替え、カメラを自分へ向けた。
レンズの向こうに映る自分の顔は、疲れと焦りに滲んでいた。
「聞け、マイト。」
自分に言い聞かせるように、声を絞り出す。
「お前はいつか記憶が消える。
……でも、お前には大切な人がいる。妹だ。希星だ。
お前を信じて待ってる。だから、絶対に忘れるな。」
言葉が震える。
思い出すほどに胸が痛くなる。
だが、痛みさえも記録しておきたかった。
「元の世界に戻る方法は、きっとある。
焦るな。でも諦めるな。
もし何も思い出せなくなっても、この映像を見ろ。
それが、お前が“お前である”証拠だ。」
レンズの向こうの自分が、静かに頷いた。
まるで別人のように、冷静で、強い目をしている。
「……頼んだぞ、未来の俺。」
録画ボタンを押して停止。
映像データが保存される。
確かに記録を“残した”。
ここにいる“俺”が消えたとしても、
どこかに証拠が残る。
マイトはそっとスマホを胸ポケットにしまった。
焚き火の光が弱まり、
外では夜風が静かに街を撫でていた。
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