第2話:状況把握

 私は今、母に抱かれて子守唄を聴いている。最高に心地良い。

 私は土公どこう。36歳のロボット研究者だ。

 精神的にはどうか分からないが、少なくとも肉体的には赤子ではなかった。

 こんなに心地良い待遇を、無料タダで享受していい年齢ではなかったはずだ……。

 ……何がどうしてこうなったのか……?

 私はまどろみながら、思い出してみる。

 最近、印象に残った出来事は何だったか——


   ◇


「先生!ロボットが動きました!」

「マジか!」


 ああ……そうだ。

 その日の仕事を始めてすぐ、ノックもせずに司曜しようさんが飛び込んできた。

 輝くような表情と興奮する様子から、実験成功の喜びがすぐに伝わってきたことを覚えている。

 心底嬉しかった。

 久々の感覚だった。


 私がロボットをちゃんと研究し始めたのは、数年前。

 それまでは色々な仕事を転々とし、目の前のことに必死になっていた。

 なんとなく、自分が本当にやりたいことが見つかると予感し、この分野に飛び込んだ。

 幸いにもその予感は的中し、最近になって、自分が生涯をかけてもやりたいこと、つまり自分の夢が何なのか分かってきた。


 どうやら私は、あまりにも便利で凄くて、誰もが利用したくなるような技術……いわゆる『基盤技術』というものを創りたかったようだ。

 そんな技術を創れるのは本当に一握りの研究者だけだし、大それた夢であることは分かっている。

 しかし、この夢を意識すると、不思議とやる気が湧いてきた。


 ……夢に気づくと同時に、もっと早くこの夢に気づきたかったな、と思った。

 36歳。若手賞の対象ではなくなる年齢だ。

 周囲には20代のうちから脚光を浴びている研究者がたくさんいる。

 もちろん夢を諦めるつもりはないが、もっと早く気づいていれば、今より軽い足取りで、夢に突き進んでいたかもしれない。

 ……まあ、あくまで可能性の話。

 確実に変わるのは、かける時間の長さくらいだろう。

 結局はコツコツやっていくしかないのだから。


『——司曜しようさんは朝までしっかり休息を取るのがいいでしょう。いい論文を書くには体調を整えることが重要です』


 ……そういえば、こんなメッセージを送った。

 司曜しようさんは幼い頃からロボット研究に強い思い入れがあったらしい。

 まだ20代で若く、賞にも、何にでも挑戦できる。

 大きな研究成果というものは、しょっちゅう得られるものではない。

 しかし、今回の成果は大きな研究成果に違いない。

 司曜しようさんの努力の結晶だ。

 良い論文に仕上げたい。


「……よし、まずはこんなもんかな」


 時刻は20時。コメントを付け終わった。

 椅子から立ち上がり、少し広いスペースに移動する。

 腰痛と肩こり対策のため、一息ついたときには、こうして肩甲骨が動くように、腕を大きく上下するようにしている。


 耳には周囲の雑音を消すイヤホン。

 音楽は何もかけていない。

 夜の大学は静かだが、エアコンや換気扇の音を消すと、さらに集中しやすくなるのだ。


 ドスッ


 突然、イヤホンでは消せない、自分の身体を伝わる音が聞こえた。

 同時に背中を、熱いような、痛いような感覚が襲う。

 あまりの強烈さに意識が遠のいていく。

 ……もしかして、刺された……?

 私はそのまま、あっけなく意識を失った……。


   ◇


 ——そうか、刺されて死んだのか……。

 私はベビーベッド……というか岩? くり抜かれた岩に敷かれた布の上で目を開け、ぼんやりと茶色い天井を眺める。たぶんあれも岩なのだろう。

 刺された、ということは誰かの恨みを買っていたということだ。

 心当たりはないが、自分が知る世界が全てじゃない。

 何か私が知らない事情があり、私を恨む人がいたのかもしれない。


「…………ばぶ」


 私はため息をつく。……赤ちゃん流ため息は今ので良かったか?

 ……赤ちゃんってため息するんだっけ?


(……っ! あなた! ドコウが喋ったわ!! バブって!)


 急に周囲が騒がしくなったが一旦置いておく。

 ……夢、終わってしまったな……見つけてから終わるまで早かった。

 私には家族はいなかったので、そういった未練はない。

 司曜しようさんのことは気になるが、間際に良い成果が出たのは幸運だった。

 あれを発表すれば大丈夫だろう。


(……なにィ!? 刃舞ばぶだと!? そいつァ確か……高等剣技じゃねえか! こやつめ、剣術の才能まであんのか!?)


 親バカの波動を感じるが、やはり一旦無視して考え続ける。

 ……できればもう少し、夢に挑戦してみたかった。

 関連する技術の知識を深め、色々なことを試し、コツコツと理論を創り上げてみたかった。

 それもまあ、死んでしまったのなら仕方がない……。

 …

 ……あれ?

 私は今、生きているのだった。

 土公どこうとしてではなく、ドコウとして。 新たな生命として。

 いわゆる転生……。

 にわかに信じられないが、これはむしろ、チャンスじゃないか?

 しかもどうやら私はドワーフ族。ドワーフといえば技工に優れた種族というのが定番だ!


 気づきが、確信に変わっていく。

 ……この世界で夢を叶えよう。

 ようやく見つかった一生の夢に、二生にしょうをかけて挑むとは滑稽な話だ。

 でも、良いじゃないか!

 どうせよく分からない転生後の人生、好き勝手にやってもいいだろう!


(あなた見て、ドコウの顔……!)

(なんて良い目してやがる……! こんな目をする赤子は見たことがねェ……! ……よォし分かった! ワシに任せておけ!! ……だがすまねェ、ワシが教えられるのは拳術だけだ。しばらくは、それで我慢してくれよ!!)


 生きる気力が湧いてきた……!

 父と母も興奮しているようだ。

 まずはこの世界、そしてこの世界の技術について知らねばならない。

 ドワーフがいるくらいだから魔法だってあるかもしれない。

 きっと前世では考えもしなかった技術体系が広がっているはずだ……!

 私の頭はまだ見ぬ技術への期待でいっぱいになった。


   ◇◇◇


「ドコウ、二歳のお誕生日、おめでとう!」


 手料理を用意してくれた母の声だ。

 テーブルには、もう、とにかく肉。すごい肉。


「かぁさん、あぃがとう」


 母、号泣。


「ドコウ! 祝いだ!」

 コトッ


 小ぶりのハンマーだ。


「とぉさん、あぃがとう」


 泣き崩れる父。


 私、ドコウの両親は親バカだ。 発症から二年、症状は悪化する一方である。

 私が転生してからもう二年が経った。

 ドワーフの成長速度は前の世界の人間と大差ないようで、この2年間は基本的な身体の動かし方などを覚える期間……になるはずだった。

 とにかく私を天才だと信じ切っているこの両親だ。

 今振り返ると、のんびりした子育てをするはずなどないことは、明らかだった。

 誕生日。

 いい機会だ。ざっくりと思い返してみよう……。


   ◇◇◇


 まず生後すぐ、母に抱かれ、全ての村人にたっっっぷり紹介された。

 母はちゃんと挨拶をするにはするのだが、その後の話のボリュームが凄すぎて、挨拶の印象は残らない。

 ドコウはすでに言葉を話せるだとか、ドコウは将来剣聖になるだとか、ドコウのゲップはセンスがあるだとか、もうとにかく止まらない。


 ドワーフのイメージをそのまま形にしたような父とは違い、母はあまりドワーフのイメージと一致しない外見をしている。

 まず父よりもずっと若く見えるし、体型もやや細身だ。

 耳も少し尖っているので、エルフを彷彿とさせるが、しっかり筋肉がある。

 第一印象の通り物腰は柔らかいが、どこか芯のある性格で、あの豪快な父と対等……か、むしろ少し尻に敷いているようだ。

 村人たちからの人望が厚いのも、族長の妻だからというだけでなく、母の個性に依るところが大きいのだろう。


 そういったわけで、永劫に続くとも思われる息子の自慢話にも、皆は嫌な顔一つせず、まるで我が子の話のように興味を持って付き合ってくれた。

 もしかすると本当に、村人全員が私を我が子のように思っているのかもしれない。

 というのも、この村に子どもは私だけなのだ。

 村人の人数は全部で37人、男女比はほぼ均等だが、全員が成人している。

 赤子が珍しく、可愛くて仕方ないのかもしれない。


 村人は全員が筋肉質だ。

 同じドワーフ族なのだから、身体的特徴が似ているのは当たり前なのだろう。

 しかし、父ほどドワーフドワーフしている人はいない。

 特にガタイの良さと声のでかさにおいて、父の右に出るものはいない。さすが族長だ。

 村人は基本的に採掘や鍛冶の仕事をしているようで、この点も私の知るドワーフのイメージにぴったりだった。


 ……さて、なぜ正確に37人と分かるのか? 一日中、何度も何度も数えたからだ。

 村人一人ひとりに母の話が繰り返される間、村の観察くらいしかできることがなかった。

 母の話は終わりそうにない。

 ……母の愛を感じながら、村の観察を続けたところで、私の記憶は途絶えている。

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