姫華ちゃんとエンコー教師

みそ

第1話 新米エンコー教師 爆誕

私が通う私立ハルモニア女学院、通称ハル学にはエンコー教師がいる。

なんじゃそりゃと思うだろう。そんな危険人物が女子校の教師なんて即刻クビにしろと思うだろう。

だけどこのエンコー教師、人畜無害にもほどがあって生徒たちからナメられまくっている。見ててちょっとかわいそうになってしまうくらいに、ベロンベロンと。

歳は二十三歳。ピチピチの新卒。ボサボサの髪も分厚い黒縁メガネも野暮ったくて、口の悪い友人、翠(みどり)はこんな表現をしていた。

「ガリ勉の童貞が大学でもなんにもなくて、そのまんま大人になっちゃったパターンのヤカラだよね。このまんま順調に魔法使いになって、行く末は孤独死まっしぐら」

それは言い得て妙で、みんながおおーと納得した。

私にも確かに想像がついてしまった。

基本的に俯きがちで生徒と目を合わせず、ボソボソとした陰うつな口調で喋り、几帳面な字の板書も小さく見づらく、説明は上手いのに自信なさげな口調のせいでいまいち話が頭に入ってこない。

恋愛事に飢えて、とにかく恋したい女子高生の群れに放たれたピチピチ新卒の男教師。何も起こらないはずがなく。

なんてことはまるでなくて、もう一種のマスコットとかゆるキャラみたいに扱われている。

「エンコー先生、頼りにはならないけど癒し系ではあるよね。トゲのないサボテンみたいな感じで。遠くから眺める用に家に置いときたい」

おっとりとした愛実(まなみ)の言うこともよくわかった。

「軽くサイコパスの思想」

「でもわかる、朝勃ちとかもしなさそうだし」

「なにそれ、ヒドいけどウケる」

「あの人ほんとについてんのかな。ムッツリって感じもしないし」

「わかった。あれじゃないほら、二次元にしか興味ない系のやーつ」

「ああー、そっち系のやーつかあ」

「嫁が画面から出てこない系のやーつね」

「はい、いいですか皆さん、私は二次元文化の繁栄は少子高齢化の原因だと考えています。即刻全規制するべきです」

「おっ、出た。姫華(ひめか)の十八番、金城のマネ」

うちの高校は私立なせいか、学歴は良くても個性の強い教師が多い。今のは四十代の社会科教師、金城先生のモノマネ。

事あるごとに二次元を敵視するオバチャンで、口うるさくて煙たがってる子が多いけど私は嫌いじゃない。

そんな会話の一幕はともかく、今は人畜無害のエンコー教師の話だ。

というかエンコーエンコーというのも失礼だし品がないので、いい加減に名前で呼ぼう。

磯野益夫(ますお)。

いや、ふざけてるとかじゃなくて、本当にそうなのだからしょうがない。他に呼びようがない。

磯野波平が磯野波平であるように、磯野カツオが磯野カツオであるように、磯野益夫は磯野益夫なんだから、そう呼ぶしかない。

初授業の自己紹介のときにはみんなが呆気にとられて、ゲラゲラと笑った。

箸が転んでもおかしい花盛りの乙女たち、そりゃもう大爆笑だった。

だってしょうがないでしょう、真面目くさった顔と硬い声で「磯野益夫と申します」なんて言われたら、そんなの誰だって笑っちゃうって。

その反応には慣れているみたいで、マスオちゃんは諦めたような顔をして淡々と続けた。

「まあそうゆう反応になりますよね。どうぞ好きなように呼んでください」

その諦念具合はまな板の上の鯉ならぬ、まな板の上のマスオだった。本当に好き勝手に呼ばれてきたのだろうなと容易に想像がついた。

「ちなみにサザエさんのマスオさんは磯野マスオではなくて、フグ田マスオです。勘違いしている人が多いので、念のため」

「あっ、あたし勘違いしてたかも」

「そっか、アナゴさんがマスオさん誘うときフグ田くーんって言ってるもんね」

「蛇足ですが、サザエさんも磯野サザエではなくてフグ田サザエで、タラちゃんはフグ田タラオです」

淡々と言うのでここでもまた、なにその豆知識と笑いが巻き起こった。

それでその後の質問コーナー。

「マスオちゃんはどこの大学に行っていたんですかー」

「その辺の大学です」

あまりにも素っ気ない答えにシンと静まり返る室内。

「というのは冗談で」

とマスオちゃんが続けると安心したような小さな笑いが広がった。この辺で不器用な人なんだなという認識が広がったように思える。

しかし淡々とマスオちゃんが告げた大学は超がつくほどの名門私大で教室がざわつき、見る目が少し変わった。小馬鹿にしたような感じから、一目置いた感じになった。みんな現金なものだ。

「うそ、なんでそんなとこ出てこんなとこで教師やってんの!」

「そうだよ、頭良し夫なのに!」

「出世魚だ」

「出世魚は面白いですね」

マスオちゃんが私がポロッと言った一言でふふって笑ってくれて、胸のあたりがあたたかくなった。これまで無表情で淡々としていたのを笑わせられて、してやったりって気持ちだった。

「彼女はいるんですかー?」

「いない暦イコール年齢です」

「じゃあ好きな女の子のタイプとかってありますかー?」

「サザエさんみたいに、明るくておっちょこちょいな人です」

「ウケる、そこ引っ張るんだ!」

「マスオちゃん意外とおちゃめ!」

また教室に笑いが広がったもののマスオちゃんは淡々と、実験の成果を観察しているかのような目で私たちを見ていた。マスオちゃんはめったに私たちと一緒に笑ったりはしない。

「はーい、どうして先生になったんですかー?」

「皆さんはGTOというドラマを知っていますか?」

「あー、なんか聞いたことあるかも」

「なんだっけ、エグザイルの誰かがやってたやつだっけ」

「あっ、教師物のやつだ。えっ、意外とミーハー」

「いえ、私が言っているのはそっちの方ではなくて、初期のGTOです」

「初期?」

「はい、1998年に反町隆史さんが主演を務め、主題歌を歌っていた方です。生徒ひとりひとりと真摯に向き合う姿勢に感銘を受けて、教師を志しました」

「なにそれ太古のドラマじゃん!」

「あっ、マジである!ほらほら反町隆史!」

スマホで検索した子が隣の子に見せて、ざわつきが広まってゆく。

「世界陸上の人こんなことしてたんだ!」

「えっ、それ織田裕二じゃね?」

「あれ、そだっけ?」

「てかコレ見て感銘受けるって、マスオちゃんヤバくね?」

「ヤバい、ウケる!」

「マスオちゃん面白過ぎっ!」

その後しばらく私のクラスで反町隆史の歌う主題歌、POISONが流行ったのは言うまでもない。カラオケに行くと誰かが必ず歌うほどの人気曲になった。

そしていよいよ、エンコー教師誕生の瞬間だ。

「はいはーい、質問しつもーん。マスオちゃんはどうして女子校の教師になったんですかー?」

「叔母がここの理事長を務めておりまして、その御縁で採用させていただきました」

「へえー、縁故採用なんだ」

「えっ、なに、エンコー採用?」

「エンコー採用はちょっといかがわしいですね」

と言いつつ、その聞き間違いがマスオちゃんのツボに入ったみたいで、イヒヒヒヒと不気味な笑いをしばらく漏らしていた。

その笑い方はなんだか呪いの人形みたいでドン引きする生徒多数だった。こういうときって笑うと可愛いという、普段とのギャップがあって胸キュンしてしかるべき場面なのに、そんなものは一ミリたりともなかった。

私の胸に染み込んでいったのは幻滅の一言。現実はそんな少女漫画みたいに都合よく出来ていない。マスオちゃんの初めて見せたマジ笑いは、ただただ果てしないマイナスだった。

ともかくこうして、マスオちゃんとは縁もゆかりも無いエンコー教師の汚名は広まったのだった。

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