限界ギルド受付嬢レナのご自愛グルメ

片栗粉

イーストエンド国ダリア地区冒険者ギルドの受付嬢

 とあるダンジョン。その第二階層で、若い男が三匹の角ウサギ相手に奮闘していた。

 男の装備は新しく、剣もまだ新品同然で、彼が冒険者としては駆け出しも駆け出しという事を示していた。

 最後の角ウサギが倒される。男は荒い息を吐くと共に達成感に打ち震えていた。


「やった! これで父上も兄上も俺の事を冒険者として認めてくれるはずだ!」


 角ウサギの血に塗れた剣を掲げながら、高らかに声を上げる。


「冒険者リオン・グレンヴィルはここから始まるぞ!」


 その時である。


―――セギ……ベラ…リ……。


「なんだ?」


 不気味な声は興奮していたリオンの耳にも届いた。だが、彼は極々初歩的なモンスター三匹を倒した余韻に浸りきっていて、愚かなことに警戒するという事を脳みそからさっぱり抜け落ちていた。


「モンスターか……? いいだろう。俺が退治してやる……」


 声のする方へ剣を構える。その行動を後悔することも知らずに。

ぞり、ぞりと何かが引き摺る音がする。所々でカツカツと固いものが石壁に当たる音も。

 暗闇が、動いていた。

 いや、小山のような、影だ。それが動いている。ふさふさとした黒い羽根に、鱗をびっしりと纏った長いしっぽ。鋭いかぎ爪のついた足。

 リオンがもっと経験のある冒険者であれば、すぐさまそれがコカトリスだと分かっただろう。だがリオンは別の場所に釘付けで、そこまで頭が回らなかった。

 だらりと垂れた足のかぎ爪がきいきいと地面をひっかく。

 む、と濃い血の匂いがした。

 コカトリスは、頭が無かった。

 その巨体を、引き摺る影に気づく。

 かなり小柄だ。フード付きの黄色いローブを着ていて、その顔はわからない。血の匂いは恐ろしいほどに赤く染まったローブからだ。

 リオンはそこから一歩も動けなかった。剣を持つ手は石のように固まり、全身が鉛をかけられたみたいに動かない。ただただ冷や汗だけが、背中を伝う。

 悲鳴すら上げられない恐怖を生まれて初めて感じていた。


『セギモ・ベラ・ボンジリ・レバー・ムネ・セセリ』


 その人物が何かの、悍ましい呪文のようなものを唱えた。

 リオンは今度こそ意識を失った。


「だからさぁ~、こんなショボいクエストじゃない奴って言ってんじゃん。でっかいモンスターの討伐とかさぁ、あるでしょ? ねえ」


 今日もイーストエンド国ダリア地区の冒険者ギルドはたくさんのクエスト(求人)を求める冒険者で溢れかえっている。その受付で死んだ魚のような目で機械的に応対をしている受付嬢(この呼称はセクシャルハラスメントを助長するとして改正された)もとい、受付係の女性職員がいた。名札にはレナ・ゴルドハイド。と書かれている。肩までの黒髪に、眼鏡、黒を基調とした受付の事務服という地味な装いであるが、その眼は気の毒なほど感情が死んでいる。


「失礼ですが、貴方は狩猟免許を取得されていないようです。狩猟免許には第一種、第二種狩猟、特殊狩猟の種類があります。合計五〇時間の講習を受け、試験に合格すれば免許を取得できますが、手続きは狩猟ギルドの管轄になりますので」

「はぁ!? じゃあ何ならできるわけ!?」

「えー、自宅敷地の草刈り、薬草の採取、牧場での搾乳補助、食堂の調理補助……」

「はあああ? そんなショボい奴しかないわけ? マジで無能すぎじゃん?」

「申し訳ありませんが、貴方の経歴、資格等からご紹介できるクエストは以上となります」

「だから! 俺は……」

「はい次の方どうぞ」


 まだ言い足りなさそうな男に毅然と告げて、チンチン、とベルを鳴らす。すぐに後ろからもう一人の男がぐいと割り込んできた。


「ねえ、ちょっとだけ! ね!? ちょっとだけお金貸してほしいんですよ! 冒険者支援資金貸付ってまだできるでしょ!?」

「……ターナーさん。先日超過債務で自己破産されたって仰ってましたよね? 手続きから一定期間内の借り入れは免責不許可事由になりますよ。それが違法ギャンブルなら官憲部に通告になりますけど」

「あ! こいつこの前リンジーの酒場でイカサマしてたやつじゃねえか! おいテメー! 銀貨十五枚返しやがれ!」

「やべ! クソが!」


 バタバタとターナーと彼を追う数名の男がギルドから慌ただしく出てゆく。レナは小さく「どいつもこいつも……」と呟いたが、その呟きは誰にも聞こえていなかった。

 レナは受付の砂時計を見やる。流れる砂はもう少ない。あと少しで退勤時間だ。今日のレナは利用者たちの暴言やら理不尽な言い訳があろうとも耐えられるものがあるのだ。


(今日の私はな……家にゴールデンゴブリンエールがダースであるんだから! どんな苦痛も耐えられる!)


 ゴールデンゴブリンエール。滅多に出回らないエールであり、とある醸造所が数量限定で売り出したところ瞬く間に売り切れてしまった。花の蜜のような香りと深いコクがあり、普段の安物とは段違いである。値段も普通のエールの三倍はする。それを運よく行きつけの酒屋でダースで買ったのだ。


(クソ課長が……全部私に押し付けて自分だけ退勤しやがったな……)


 ギルド本部に書類を届けに行くと言って出て行ったのはいつだったか。しれっとレナの未処理書類箱に自分の書類を入れていったのも殺意が湧く。鬼のような速さで経理書類を処理してあと少し。と言う時である。


「すいませ~ん。角ウサギの角なんですけど~。換金お願いしていいすか~」


 のんきに入って来た常連の冒険者が、ぱんぱんに膨らんだ麻袋をカウンターに置いた。レナは心の中で血の涙を流しながら「はい。こちらにどうぞ」と引き攣りまくった笑顔で答えた。


 退勤時刻を大幅に超えて退勤したレナは、ささくれ立つ気分をどうにか鎮めようと、ギルド事務所から直接ある場所へ向かった。


「チクショウ……クソブラック職場め……うう……」


 ブツブツと呪詛を吐きながら歩き続ける。その背には年季の入った革の大きなザックを背負っている。ダリア地区の郊外、森の中を少し進むと見えてきたのは『ダリア地区第四〇二号指定ダンジョン』という看板と小さな管理小屋である。


「こんばんは~」


 管理小屋の小さな受付用の小窓を叩くと、中からいかにも気難しそうな犬獣人族の男が顔を覗かせた。


「おう、レナちゃんか。どうした? あ、今日は金曜日だっけか」

「いや~、残業かかっちゃって。すいません。ダンさん。こんな時間に」


 レナはザックから許可証を取り出してダンに見せた。


「いいよ。レナちゃんはいつもマナー良く利用してくれるし。ええと、持ち込み武器は?」

「あ、これです。いつもの」


 レナがザックの脇から鉈を取り出した。年季が入ってはいるが、刃は鋭く研がれていて、よく手入れされている。


「第二種持ってるんだから、特殊狩猟取ればいいのに」


 イーストエンド国の法令によると、第二種狩猟は弓矢などの飛び道具、槍、剣や斧などでモンスターを狩る方法が許可される。第一種は罠や網などと狩猟用具が限定される。


「特殊かぁ~。私魔法使えないんですよ~? 知ってるでしょ?」

「今は魔石での補助具あるじゃん。みんな使ってるよ?」

「う~ん……どうも柄じゃないんですよねえ」


 特殊狩猟免許は魔法、もしくは魔法に準ずる方法でモンスターを狩ることが出来るのだが、レナは魔法が使えない。ちなみに魔法が使える人間はイーストエンド国民でも三割くらいである。なので魔石という魔法のエネルギーを込めた物を使った狩猟用具を使う者も多い。


「あ、そうだ。最近三階層でコカトリスっぽいのが出たんだって」


 ダンの言葉にレナはぱっと顔を輝かせた。


「コカトリス!? ほんとに!?」

「普通十階層あたりに生息してるんだけどね。この前入った奴らがヒイヒイ言いながら帰って来たよ」


 レナは反射的にガッツポーズをした。コカトリス。肉の味は鳥類最上級と言われるほどの高級食材である。そのガラやモミジで取ったスープを売りにする店が、城にほど近いルミナスポート区にあるが、いくつものグルメ雑誌に載り、連日行列との評判である。


「よ~し。やる気出た」


 ザックから黄色いローブを取り出して羽織る。それに気づいたダンが声を掛けた。


「それ、ワイバーンテックスのやつ? 防水効果すごいよね。高いけど」

「そうです~。給料二か月分吹っ飛びましたよ~。今日が初お目見えです!」

「いいじゃん。レナちゃん小さいから死神みたいになってるよ」

「ちょっと! ダンさんそれ全然誉め言葉じゃないでしょ!? じゃ、行ってきま~す」

「はいよ。気を付けて行ってきな」


 一通り冗談を交わし合った後、レナはザックを背負い、鉈を手にダンジョンの中へ入っていった。

 

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