第二十一章:百年越しの反省と、ゼロからの一歩
「……うっ……うぅぅぅぅ……」
「うわ、また泣いてる……どうしたどうした、今度は何を読んだんだ」
リビングのソファにうつ伏せになって、顔をクッションに埋めてるシグちゃん。
その手元には、タブレット端末。
画面には「フロイトへの批判と限界」という検索結果が並んでいた。
「“性的な理論に偏りすぎている”って……っ。わたし、そんなに……」
「まあ、うん。今の研究者から見れば、確かに極端だったんじゃね?」
「“母親への欲望”が原型だとか……そ、そんなこと……!」
「言ってたなあ……うん……言ってたなあ……」
シグちゃんは顔を真っ赤にして、ぷるぷる震えている。
「しかも、“ウィーン中産階級中心の偏ったデータ”とか、“非西洋文化への応用が利かない”とか、
“再現性に乏しく、証拠も薄い”とか……っ、わたし、わたし……!」
「……まあ100年以上前の話だからな」
お兄さんは苦笑いしながら、そっと頭を撫でた。
「そもそも、当時は“人間の心を科学する”なんて誰も真面目に取り合ってなかったんだから。
それを理論にしただけでも、十分すげーよ」
「……でも、でもぉ……全部、間違ってたのかな……?」
「間違い、じゃないと思う。たぶん、“始まり”なんだよ」
シグちゃんは、ようやく顔を上げる。
瞳の奥に、涙が光っていた。
「始まり、って……?」
「だってさ、誰もやってなかった“こころの仕組みの探究”にさ、
はじめて“名前”をつけて、“形”にしたんだろ?」
お兄さんはテレビのリモコンをぽん、とソファに置いた。
「そのとき誰も信じてなかったことを、真剣に考えて、理論にして、広めた。
たとえ今の人たちに否定されても、“0を1にした”っていうのは、やっぱすごいと思うぜ」
シグちゃんは、口を開けかけて、止めた。
何かを言いたくて、言葉が出ない。
でも代わりに、涙がふわりとこぼれた。
「……お兄さん。……ありがとう」
「うん。フロイトさん……いや、シグちゃん」
彼は苦笑しながら、そっとブランケットをかけてくれた。
「そりゃまぁ、時代が変われば理論も変わる。
お前が言ったこと全部が正しいわけじゃないし、たぶん誰もが間違えてる」
「うん……うん」
「でもさ、間違えてもいいじゃん。誰かが最初に“見ようとした”ってだけで、世界は少し変わる」
その言葉に、胸の奥で何かが溶けていく感覚がした。
フロイトが否定されたことは、一度や二度じゃない。
同時代の学者にも笑われ、弟子にも離反され、社会にも嫌われた。
それでも、彼は“人間の心”という目に見えないものを信じた。
“そこに真実がある”と、ただ信じた。
「わたし……たしかに、“言い過ぎ”だったところは、あると思う」
「“何でも性に還元しすぎ問題”な」
「それ、もうちょっと言い方……!」
「でも、それが当時の“最大限の仮説”だったんだろ? 違う見方を出せるやつが現れたなら、
そいつが“次の一歩”をやればいい。それでいいんじゃない?」
「……そうだね」
シグちゃんは深く息を吸って、吐いた。
「じゃあ、わたしも“今のわたし”として、できることを考えてみる」
「うん。そういうの、いいと思う」
「まずは、うん……コーヒー」
「朝から泣いて、自己肯定して、最終的にカフェイン要求かよ……」
でも、そんな彼女を見て、
お兄さんはふと、胸の内にこみ上げてくるものがあった。
たとえ前世が“偉人”でも、今ここにいる彼女は、悩んで、迷って、
それでも一歩ずつ“人間”として成長している。
そしてそれが何より、すごく、すごく尊い。
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