第九章:ウナギの精巣とされた葉弁つきの器官の形成と組織に関する観察

「ただいまー……今日はいいもん買ってきたからな」


スーパーの袋をカウンターに置きながら靴を脱ぐと、

リビングの奥からシグちゃんが顔を出した。


「今日は早かったね、お兄さん。何かあったの?」


「たまには早く帰れって上司の気まぐれだよ。

で、これだ」


取り出したパックを掲げると、彼女はぱちりと瞬きをした。


「……ウナギ?」


「そう、かば焼き。しかも国産。いつもよりちょっと高いやつだぞ」


「……へぇ」


その反応は、“おいしそう”というより、

“なぜそれを?”とでも言いたげだった。


「えっと……あれか? 食べたことないとか?」


「食べた……はず。たぶん。でも……なんか変な感じがする」


シグちゃんはパックをじっと見つめた。

その視線は、食べ物というよりも“何か別の存在”を観察しているようだった。


「このかたち……なつかしい気がするの。

でも、食べた記憶じゃない。……たぶん、もっと“切ってた”記憶」


「切ってた……?」


「……うん。なんか、白くて細長くて、内臓の位置とか、構造とか……調べてた、気がする。

夢かもしれない。でも、冷たい感触と、においと……机の上の光だけは覚えてる」


「……それ、なんかの理科実験じゃなくて?」


「分からない。でも……そのときわたし、“意味”を探してたんだと思う」


彼女は指先で、テーブルにウナギの形をなぞった。


「“この中に、正体がある”って。

そんな気がして、たくさん、解剖してた。……わたしが、じゃなかったかもしれない。

でも、“見てた”。たしかにそこにいた」


俺は電子レンジにかば焼きを入れながら、その話を聞いていた。

“記憶”というより、“夢の語り”みたいな話。

でも妙に具体的なところが、引っかかる。


「……ってことは、ウナギが好きってわけじゃないのか?」


「ううん。好きでも嫌いでもない。でも、“なぜこれがこんな形をしているのか”には興味がある。

ほら、長くて、ぬるっとして、骨が多くて……ちょっと、変な感じがするでしょ?」


「まあ、言われてみりゃ……」


「そういう“変な感じ”を、たぶんわたし……すぐ“性”に結びつけたがる」


その言葉に、俺はむせかけた。


「お、おま……何言ってんだいきなり……!」


「違うの、変な意味じゃなくて。

“形”や“構造”を見ると、すぐに“これって何かの象徴じゃないか”って思考が出てくるの。

“生き物の形には、心が隠れてる”っていう感覚」


彼女はまっすぐに、冗談抜きの目をしていた。


「……それ、誰かに教えられたんじゃなくて、

たぶん、わたしの中に“そういう癖”がある。理由は……わからない」


電子レンジのチン、という音が鳴った。


「えーと……つまり、ウナギを見ると、無意識が反応する?」


「うん。“見た瞬間に意味が湧いてくる”っていう感じ」


「……あのな、普通の人はウナギ見ても“ご飯に乗せたい”くらいしか思わないんだぞ」


「ふふ、わたしは普通じゃないのかもね」


「いやまあ、それは……知ってるけど……」


俺はお椀にご飯を盛り、熱々のかば焼きを上にのせた。

甘辛い香りが部屋に広がると、ようやく“食べ物らしい”空気になった。


シグちゃんは箸を手に取り、ウナギの身を慎重につまむ。

ほんのひとかけを口に入れると、静かに目を閉じて


「……現実の味。焦げと脂と、生き物の名残。

やっぱりこれ、夢じゃなかった気がする」


「……夢の中でウナギ切ってた奴、世界中探してもそうそういないぞ」


「そうかな。でも、そういう“誰もやらないこと”って、

案外“自分の中心”に近いんだよね」


そう言った彼女は、また一口だけウナギを食べた。

そして、なぜか満足そうに笑っていた。


俺はご飯をかきこみながら、

“記憶じゃない記憶”を語るその少女を、

やっぱりただの子どもとは思えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る