欠席の電話

古木しき

朝の欠席の電話

「もしもし、T中学校です」


​ 始業前の午前8時15分。

 朝の職員室は、暖房の熱気とストーブの低い燃焼音、そしてあちこちで鳴り響く電話の対応をする先生たちの忙しいざわめきに包まれていた。朝の職員会議が始まる前のこの時間は、教員にとって一日のうちで最も集中を乱される雑務の時間だ。

 

​ 鳴り響いた受話器に、私は山積みになった作業中のプリントを置いて、いつものように三度コールが鳴りきる前に取った。


​『……もしもし……欠席の連絡なんですが……』

​ ひどくかすれた声で、言葉のたびに小さく呼吸が漏れる。喉の奥から無理に出しているような、か細い声だった。この時期に流行る風邪の典型的な症状だ。

「欠席ですね?」

​『はい……昨晩から風邪を引いてしまって、調子が悪いので……お休みします……すみません』

​ やはり、欠席連絡だった。この時期の朝の電話は十中八九これだ。

 私は傍らに置いていた出席簿に手を伸ばす。

​「はい、わかりました。では、学年とクラス、お名前をお願いします」

​ 少し間があき、相手は先ほどよりもさらにかすれた、大人びているとも幼いとも判断しがたい声で答えた。

​『……Nです……2-Aの……』

​ 2-A。私が担任ではないが、英語の授業を担当しているのですぐわかった。

​「あっ、Nさんでしたか」

​ のど風邪で声の主が本人なのか、それとも家族が代わりにかけているのか、判断がつきづらいものだったが、本人からなのは名乗りでわかった。

 体調が悪い人が無理をして自分で電話をかけてくることは珍しくない。特にNさんは責任感が強いと聞いている。


​「承知しました。お大事にしてくださいね。私が伝えておきますので」

​『……すみません……ありがとうございます……お願いします……失礼します……』

​ 通話は静かに切れた。私は相手の咳き込む音を聞き届けてから、受話器をそっと置いた。

​ 受話器を置く「カチャン」という小さな音だけが、周囲の喧騒に反して、やけに大きく私の耳に響いた気がした。


​ 私は出席簿の「2年A組」のページを開き、出席番号を辿ってNさんの欄に「欠席(体調不良)」と書き込み、再び朝の雑務へと戻った。


​ やがて予鈴が鳴り、廊下のざわめきが遠ざかっていく。教師たちが一斉に教室へ向かい、職員室は再び静寂を取り戻し始めた。


​ 私は出席簿を抱え、2年A組の教室へ入った。


​ 生徒たちはいつものように席につき始め、ざわざわとした私語が流れている。私の入室に気づき、私語が少しずつ収まっていく。


​ しかし、教室の扉は開いているものの、廊下から足音も聞こえない。既に他のクラスもHRが始まっているから当然だ。

​ 私は教壇に立ち、出席簿を確認してから、生徒たちに顔を向け、言った。


​「おはようございます。HRの時間ですが、えー、今日は担任のN先生は風邪でお休みです」

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欠席の電話 古木しき @furukishiki

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