第1ー3話 果ての世界。ケンジ、防波堤と心療内科
診察をして三日が過ぎた。いつものように夕食が済むと母がケンジの部屋にやって来くる。
「どう?」
「どうって?」
ケンジはあの夢を見ていない。だがパズルを床に広げ、そう言う。
「だから。眠れてるの?」
「うん」
母は後ろ姿の息子をジッと見みていたが「夜更かしはやめなね」と言いドアを閉めた。
ケンジは似たようなピースを集めにかかった。パズルを始めてからというもの、とくにゲームをしたいという気持ちもなくなり、かえってホッとしている。
しばらくして、コンコンとノックがありユウがやってきた。
「すごいね。もうすぐ完成じゃん」
ケンジは得意げにフン、と鼻を鳴らす。
「ユウもやりたい」
「え、ダメダメ」
「なーんで、ケチ」と、いつもの押し問答が始まった。だがケンジは上機嫌だ。
(今夜もぐっすり眠れそう、やっぱゲームのしすぎだったんだ)
とうとう妹はついにがパズルをいじり始めたので「ちょっとだけだぞ」と念を押し、妹に同じ色のピースを集めるよう命令した。
「パズルって面白いの」
「まあな。でも時間はかかる」
「へえ、じゃあユウはダメだな」
「そういえばユウの夢ってどんなの」ふと気になり、ケンジは妹に尋ねた。
「ユメ?」
「ほら。悪夢のこと」ケンジがそう聞くとユウはピースを手に持ったまま天井を見上げる。
「うーんとね。砂あらしみたいなの」
「砂あらし?」
「ほら、テレビの番組がないチャンネルであるでしょう? ザーザーって」
スノーノイズのことかな? とケンジは想像した。
「風が強くて、嵐のなかにユウがいるの。誰かが遠くでユウを待っているの」
「それってさ、テレビの見過ぎじゃね?」
「うーん、そうかな」
「連続ドラマみたいじゃないんだろ」
「うん、毎晩は見ないよ」
深刻ではない口ぶりだったせいか、ケンジは再びパズルに向かう。
だがユウはあくびをすると「お風呂いこ。ママは入ってるかな」と言いながら立ちあがってしまった。
* * *
またあの夢か!ケンジは悪夢の場所にまた来てしまったことに失望した。うす暗い海岸線は、彼の気持ちをなえさせるのには十分だ。
「やれやれ」そうつぶやくと、仕方なく防波堤に腰をかける。
空は相変わらず薄暗い。いや、天気が悪いのかもしれない。ガランとした砂浜には死んだ藻や海藻が一緒くたになってゴミと化していた。
ケンジはあらためて不衛生な場所だなと思う。防波堤に打ちよせる波も荒い。雨はもうすぐ本降りになるだろう。
さてどうする。
ケンジはあらためて周りを見まわす。背後など今まで気にもしなかったが、霧が立ちこめている。
「どっか道はないのか。道だ、道」
彼はそう言ってみるが、風はどんどん強くなりテトラポットにも波が押しよせてきた。ふと沖を見ると、ポツンと渦のような空間がある。
あまりにも奇妙な空間だ。その渦をしばらく観察していると、トンビが時おり何か投げこんでいる。
ケンジは最初、餌をためこむ場所なのとか思った。だがトンビが何かが落とすと、その闇は長くなったり小さくなったりした。まるで巨大な口が、モノをかみ砕いているかのように。
少し気味悪くなり立ちあがると、ケンジの後ろでチリンと鈴の音が鳴った。
「えっ」
思わず振り向くと、霧の向こうに細い砂利道が続いている。ケンジはあわてて立ち上がった。だがすぐに「どこへ行く、ガキ。沖だ、沖を目指せ」と空がわめきだす。
だが彼は防波堤を背にして内陸へ。細い砂利道に入る。
「戻れ」
「はよ戻れ、ガキ。そして沖へ向かうのだ」
まだ声がする。彼はうっとうしくなり道の脇にそれた。砂利道の周りは雑草におおわれ、ケンジの体にまとわりついたが、しばらく身をひそめた。ラッキーなことに空の声は徐々に小さくなっていった。
ケンジは思わずホッとして、茂みにしゃがんだまま、しばらく休もうとした。すると草むらの手前から「よお」と声がする。
「なんだ。今日はいい風が吹いている」
すぐに返事がある。どうやら女のようだ。
「なんだ、とはご挨拶だな」
「そっちこそ。漁もせずにこんな場所でウロウロしているとはね」
「フン、オレはクチバシを使えるしなぁ。あんな獲物なんかすぐに捕れる。だがアンタは哀れなもんだ。やりか網でつかまえるんだろ」
「大きなお世話だよ。これでもあの玉を九十も捕ったんだ。あと十も捕れば漁から抜け出せる」
「へえ。誰がそんな話をした」
その質問に女は答えない。しばらく沈黙が続いたので、ケンジはお尻がもぞもぞとしてきた。
「玉も最近質が悪い。しかも年々増えてきてるし、ホンモノの人間すらこっちへ迷いこんできやがる」
「境界線が曖昧になってきているのさ。どう思う?」
「どうも何も。イイ事じゃなさそうだな」
「帰り道は? 教えたら」
「だれもそんな暇はねえよ」と最初の声は言う。
「そういえば以前も人間が来た。若い男女さ。お金に困っているってさ。舟を見たら引きよせられたように乗りたがった。だから乗せたよ」
「ほう、どうなった」
「舟が揺れて男の方は溺れちまった」
「漁は無駄足か」
「そうでもない。人間を乗せると玉が光るから」
「確かになぁ、女はどうなった」
「人魚に捕まっちまった。おそらく人魚として生きていくだろう」
しばらく沈黙が続く。遠くで「舟がでるぞう」と誰かが叫ぶ声がする。
「あたし、あの舟に乗るんだ」
「ほう、じゃあ」と最初の声が言うとトンビが空へ飛びあがった。鳥はピーヒョロロロと繰り返しながら羽ばたいていく。
「ふん、飛ぶのが下手だね」
思わずケンジもトンビを見上げた。しばらくすると、気配は消えて茂みのざわめきだけが聞こえてくる。好奇心が抑えきれず、さっきの場所へ踏みこんだ。するとくぼみに足がとられ、体は勢いよく草むらの中から飛び出してしまった。
そこは、ただの小さな広場だった。人はおろか小動物や虫の気配もしない。周囲はうっそうとした草が広がっているだけだ。
だがさっきのは、いったいーー
「おいガキ。そこにいたんだな、早くしろ」
広場にケンジが現れるや否や、空からまた声がする。ケンジは意を決して「漁なんかできない」と空に叫んだ。
「なんてことを、ガキのくせに」
「ガキのくせに、ふん」
「おまえはいつも怠けているだけなんだ。なぁ」
「好きでココにいるワケじゃない」
ケンジは怒ってそう言った。だが、それがオカシイのか、嘲笑が雨雲に響きわたる。
「好きでいる場所はないのだ。ガキが選べる世界なんて、ないのだからなぁ」
「自分で選べるなんて。なんてさもしい」
「愚かなガキだ」
空はいつも以上に彼を責め立てた。
「ふん、腑抜けなやつめ。こいつが沖に行かないので、もう一人呼びましたよ」
「どこにいるのだ」
ざわめきが広がった。それは、いつもとは違って期待と喜びに満ちている。</p>
「ほら、砂浜の向こうから歩いてきますよ。あの子は純粋で素直だ。きっと飛びこんでくれるでしょう」
ケンジは周りをぐるっと見回したが、広場からは誰が来るのか見えなかった。
「必要ないのなら、早くここから出してよ」
「ガキが何かいってますぜ。必要ないなら。とか」
「あああ、可哀そうに。必要なければ穴に入るしかないのに」
「穴だなあ、あの真っくらやみの」
空の声はふたたびケンジに集中し、それを援護するかのように本格的な雨が降り出してきた。
あまりの不協和音と雨風に思わずケンジは耳をふさぐ。急に足元が揺らいで、さっき広場だった場所は穴になった。穴は急に大きくなり、体は足から落下した。
「ああっ、母さん!」
思わずケンジは叫び声をあげた。必死に何かをつかむと、それはいつもの目覚まし時計だ。
汗びっしょりになって彼は布団から飛び起きた。思わずつかんだ時計を見ると、二時半を指している。
ケンジは布団から起き上がった。まだ動悸(どうき)が激しい。十分ほどジッとしていただろうか。ようやく立ちあがると母親の寝室へ向かう。
ドアを開けると母はベッドの上でぐっすりと眠っていた。忙しい母は目を閉じるとなかなか目覚めないのは分かっている。
ケンジはキッチンへと向かった。コップをとって冷蔵庫を開けると麦茶がある。コップにつぐと震える手で飲み干した。
ふと気配がしてテレビをみると、テレビの上にインコが乗っていた。心配そうに彼を見つめている。
「大丈夫だよ、無事だ」
思わずインコにそうつぶやくと医者からの薬を飲もうか迷う。だが、彼はそのまま自分の部屋に戻った。
ケンジは読みかけの本を探すが、まだ手が震えてうまくできない。布団の上に座り、窓の外を見ると星が輝いていた。
雨空や潮風はここにはない。それだけが今の彼にとって救いだった。
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