アニマ戦記~神ですが、未来に飛んだら記憶を失ってました~

ガエルネ

第1話 序章:ゴダール会戦

 「領軍騎士団はなにをやっている!」エデン王国国王、アレクシス3世は戦場によくとおる声で叫んだ。遮るもののないゴダール平原ゆえ、前方に展開する敵陣容もよく見通せる。目算ではあるが、両軍の戦力は5万でほぼ互角。ただ、一国を落とそうという侵略軍としては相手方の陣容はあまりに薄い。普通に考えて、敵国王都に攻め込むにあたり、王都圏を守護する兵数と同数の軍で攻め込んでくるというのは、相手がろくな軍略など練れるはずもない草原騎馬民族であることを加味しても尋常の策とはいいがたい。

 アニマ歴498年、エデン王国王都エデンの南西に広がる平原におびただしい軍勢が展開している。エデン王国軍は、王都エデンを守護する常備軍であるエデン騎士団、王国北領の常備軍である北領騎士団、同じく南領の常備軍南領騎士団の三軍から構成されている。領軍はそれぞれ全体で2万兵数の構成であるが、半数の1万を自領の備えに残して参戦している。陣容としては右翼が南領騎士団1万と、エデン騎士団の魔道・工兵・輜重部隊5千、左翼に北領騎士団1万と同様にエデン騎士団5千を配置し、各翼の指揮権は領軍司令官に帰属させている。中央はエデン騎士団の第一騎士団・第三騎士団・第五騎士団2万にて構成されている。

 前方に展開された敵陣は、進軍当初は同じ厚みの陣容にて進軍してきていたが今は全体が中央に寄り、「M」字に近い陣形となっている。これに対し、アレクシス3世は中央を下げるとともに両翼を寄せて、敵の突撃の熱い部分を正面から受け止める備えの指示を出したのだが、反応が見られない。結果、中央軍だけが後退した形になってしまっている。

 エデン王国は、中原の覇者の証である神器タブラ・スマラグディナを保有している。タブラは王権を示す神器に相応しい異能ともいえる機能をいくつか持っているのだが、その一つに軍事通信機能がある。伝令を用いずして、軍の指揮単位間の通信を可能にする神器である。軍の最高司令官である王の指揮はリアルタイムで各指揮官に伝達され、各指揮官からその配下の将官にも同様に指揮官からの指令が配信される。戦争において、このリアルタイム指揮系統のアドバンテージは凄まじく。局地戦で後れを取ることはあっても、戦争という次元で見るとエデン騎士団は無敵を誇っていた。

 だが今、その指示が通っていない。原因はわからないが、今は原因を究明している場合ではないだろう。幸いアレクシス3世は、神器に頼った無能ではなかった。タブラがあるため、エデン騎士団に伝令部隊というものは存在しないのだが、即座に、諜報部門の長に命じ、臨時の伝令部隊として運用する指示を出したものの、時機を逸したのは間違いない。同数であるがゆえに、戦術で後手を踏んだ痛みはダイレクトに食らうことになる。案の定、二つの円錐形で加速してきた敵軍は、三軍の隙間に楔を打ち込む形になり、中央軍が囲まれる形で乱戦に近い状況が生まれた。

「第三騎士団は右翼側を迎撃し、南領軍と挟撃をかけよ。第五騎士団は左翼側で同様に展開し、速やかに挟撃部の敵を殲滅せよ。第一騎士団は左右の均衡が崩れるまで中央にて守備に徹せよ。」

 王の指示により騎士団が動く。多少後手を踏んだとて、彼我の戦力は互角。焦る状況ではない。

 アニマ諸国と呼ばれる国家群が存在するゴルディアス半大陸において、エデン王国はほぼ中央に位置する。エデンの東方海側にはエデン隆盛以前に覇を唱えていたエリード連邦国が在し、北側には山岳部を中心としたミスル国、南東から南にかけて海岸線と接し、南西側でニール自治領と接している。ニール自治領は多神教を奉じるアニマ諸国の宗教上の聖地ニールの神殿を中心とした地域である。戦場となっているゴダール平原は、エデン王国南西部のニール国境付近に広がる平原である。草原の民は、ニール自治領を超えて侵攻してきた。ニール自治領は神殿騎士団や、冒険者ギルド、百家と呼ばれる武術の流派の本山を多数抱えているものの、いずれも地域を面で守備する軍事力ではない。草原の民はそれら武力集団を一切無視してニールを通過して電撃侵攻をかけてきた。

 この戦の全容が見えぬ。アレクシス3世は、タブラの不調と不自然な電撃侵攻が無関係だとは考えていない。そして、そこに作為がある以上、互角の兵を展開している現状だけで、いまだ全容の見えぬ敵の策謀が終わっているとは思えず、嫌な緊張を強いられていた。

「父上、私も突貫してきてよろしいでしょうか!」

「よろしいわけなかろう」

「私も参戦してきてよろしいでしょうか?」

「なぜ言い方を変えたら許可してもらえると思ったのだ」

 語りかけてきたのは、齢12歳となる王女、サレナであった。輝くような山吹色の髪が束ねられ背中まで流れている。まだ幼いため鎧は軽鎧だが、名工の手によるオーダーメイド品を身にまとい、背丈を超える戦槌をぐるぐる振り回している。まだあどけなさしかないが、顔の造作自体は将来美姫となるであろう外見だけに、たいへん残念である。そもそも、なぜこのような戦の本陣に幼女がいるのか。それは、サレナが戦女神の再臨とまで言われる武を誇る王国屈指の戦士だからだ。アレクシス3世自身もかつては戦場で名を馳せた英雄である。武において尋常ならざる才能を見せるサレナを、アレクシス3世は溺愛した。娘が望むままに騎士団の鍛錬施設を使わせ、フィジカル、武術の専門トレーナーをそれぞれつけ、娘の類稀なる才能が開花するサポートをした。結果、12歳にして力こそパワーな少女が爆誕した。性格は至って素直である。王族としての学習も意欲的に参加している。が、頭を使うのは得意ではなさそうだ。そうであろう。この世の大概のことを筋肉で解決できる子供が知能の必要性を実感できるはずもない。 

「殿下、軍には指揮系統というものがあります。それを無視して殿下が前線に上がれば、味方の統率が乱れます。」

 サレナの護衛騎士を務めるエリックがなだめる。さすがは若手ながら騎士団最強と言われる逸材である。

「よって、単騎で敵の別動隊を狩ることをお勧めします。」

 王は無言でエリックに聖剣カルヴァドスを叩きつけた。さらばエリック。サレナが脳筋なのは貴様のせいか。とはいえ別動隊は確かに気になる。敵の策が尽くされていないのは先刻承知の通り。仮に策が別動隊だった場合、どう動かすか。見晴らしの良いこのゴダール平原に伏兵を仕込むのは難しい。しかも草原の民が侵攻して来て間をおかずこちらも陣を展開しているのだ、別動隊を迂回させる暇があったとは到底思えない。

 左右の戦闘音が大きくなった、展開した第三、第五騎士団が会敵したのだろう。正面の敵はほとんど厚みがない。第一騎士団の壁は盤石だった。

 突如、背後から鬨の声があがった。自軍から上がっているであろう声は恐騒に満ちている。「本陣後方より敵襲!敵軍はエリード連邦軍の模様!敵の総数は不明!」

伝令が叫ぶように報告する。

 エリード連邦軍。エリード連邦は、王国の東方にある。ここ南西部のゴダール平原に至るには、エデン王国をほぼ横断しなくてはならない。軍を送り込むとすれば、普通に考えると一月はかかる行程であり、軍規模の集団が移動して報告が入らないわけがない。軍事拠点網における通信機能にもタブラの機能は使われているが、不調が発覚したのはつい先ほど。出陣時点では普通に機能しているのは確認しているので、それが原因とは考えにくい。考えにくい、が最前より懸念していた策源がエリードであり、今まさに残った策が実行されたということであれば、この両翼に兵を割いて手薄になった本陣は死地であるに違いない。そこまで考えた王の決断は早かった。

「エリック、サレナのみを連れて、この戦域から離脱せよ。」

私的な親心というわけではない。首謀者がエリードであるならば、おそらく敵の狙いはタブラの継承であり、サレナを狙ってくる理由がある。サレナ自身の武勇もさることながら、エリックはサレナ同等の才能をもった者の完成形といっていいエデン軍最強の武人であり、この二人であればこれから混迷を増すであろう戦場を離脱することも無理なくできるであろう。

「父様、私たちで後ろのエリード軍に正面突破をかけてあわよくば敵将の首級を上げて先にエデンに帰参していろということですね。さすが父様、すごい作戦です!」

すごくない。というかそんなのを作戦とかいう奴に軍をまかせちゃだめだろう。サレナは目を輝かせてむふぅと言いながら槌を振り回している。

「大命を拝し光栄です。おまかせください。」

かしずくエリック。まかされるなあほぅ。武力的に問題はないと思ったが、主にインテリジェンスな意味でかなり心配ある。

「お前たちは、中央軍と北領軍の間を突破し、北領方面に逃れよ。エリック、ルドルフを貸すゆえ、サレナを頼んだぞ。」

ルドルフはアレクシス3世の愛馬で、黒鹿毛の駿馬である。この危地において愛馬と娘を託すことの意味を察し、エリックは流石に表情を硬くした。

「陛下・・・。承知つかまつりました。かならずや北領ベリアに殿下をお届けいたします。陛下のご健闘をお祈りいたします。心からお慕い申し上げておりました。」

なんか最後におかしなことを言っていた気もするが、気のせいであろう。

「陛下、かつて極東の国のハガクレという書物には、主君に忍ぶ恋をすることこそ忠臣の極みと書かれていたそうです。エリックが佩く魔剣ストームブリンガーは力をふるうほどに愛する者の血を求める呪いの魔剣ですが。奴の魔剣が女性を斬ったことはかつてございません。私は忠義の神髄を今目にした思いです。」

近衛騎士団長ドルガスがいらぬ解説で深堀りする。とりあえず聖剣カルヴァドスでどついておく。敵を斬るより味方にツッこむ機会の方が多い聖剣とは?まぁ、そういう意味ではサレナを託すのには適任ではある。巷の英雄譚ばりの姫と勇者の逃避行となるわけもなく、魔剣の呪いが彼女にむくことはないので。

 エリックがこれほどの腕をもちながら、第一王女の護衛騎士という立場に甘んじているのにも、魔剣にまつわる事情が絡んでいる。かつて領内で暴威をふるった邪龍討伐に赴いた際、エリックと聖女の奮闘により邪龍は討伐されたものの、その直後正体を失ったエリックは、パーティーのタンクを務めていた重戦士ティムスを斬殺してしまった。ストームブリンガーの呪いは知られており、討伐後も聖女の安全には十分に配慮していた最中の惨事であった。そも邪龍の討伐に対して呪いを承知で魔剣を下賜したのは国王であり、エリック自身の罪は問われなかったものの、まったく責任なしというわけには行かない。当時若くして総騎士団長の最有力候補であったエリックは騎士団内部の出世序列からははずれることになった。黒髪をオールバックにして漆黒の鎧に身を包む、誰が見てもイケメンなマッチョが、見目麗しいプリンセスを護衛する様は壮観であったが、大歓声を送る国民に対し、事情を知るものの眼差しは実に微妙であった。

 この戦は、どうなるかわからない。ただ、サレナさえ逃すことができれば、仮に敗れたとしても何かしら反攻の余地が残る。

「頼んだぞ。」

エリックがルドルフにまたがり、前に娘を乗せるのを眺めながら、王は最後になるかもしれない愛娘の姿を目に焼き付けた。

「ご武運を!」

左手で手綱を持ち、利き腕に両手剣であるストームブリンガーを掲げたエリックが駆け去って行った。・・・敵のど真ん中に。よく見ると、サレナは左手に両手武器のはずの戦槌を構えていた。マジか・・・。王が去り行く娘の背に抱いた最後の感想だった。

 エリックは筋肉を愛している。暇さえあれば己の肉体を鍛え上げて、鏡に映ったその姿にうっとりしている。その鍛え上げた筋力から繰り出される一撃の芸術に酔いしれる。彼が仕える第一王女はその点、非の打ちどころのない主である。幼女ゆえ、まとう筋肉の厚みこそないものの、その小さな体から繰り出されるパワーは実際エリックを超える。無論、エリックとて武の道一筋に生きてきた男、技術や経験においてはその差は隔絶しており、日々の鍛錬を通して主君に伝えられることはまだまだ多い。とは言え主はまだ12歳。あと数年でどれほどの強者になるかを思うだけで心が躍る。実のところ、エリック自身はかつて騎士団長候補であったことからもわかる通り、決して脳筋ではない。情報を適切に処理して対処する事の重要性は理解しているし、戦術眼そのものも、ほとんどの者より秀でているといってもいい。リーダーが無能であれば、その咎を受けるのは、部下になるのだ。脳筋が騎士団長の候補にあがることはない。

 エデン王には、第一王女サレナ以外にも長子であるウィリアム王太子がいる。王太子は文武両道の士であり、次期国王に相応しい才能と器を示し続けている。将来は史に名を残す名君になるであろう。今回の戦では、王都エデンの守備のため残っている。王国の運営はウィリアム殿下に任せれば良い。その時に第一王女に相応しいポジションは「武の象徴」であるとエリックは考えている。エデン王国では、女性の王族を他国に嫁がせることがない。エデンに限らず、アニマ諸国においては、男性王族の他国への養子入りはあるが、女性王族が他国に嫁ぐことはない。そして、サレナ王女は、これほどの豪の者でありながら、賢いものの意見を入れることに躊躇がない。実にさっぱりと、自分と反対の意見を持つものの主張を取り入れる。幼いながらに尊敬できる主だ。王女自身は力イズパワーな人柄ではあるが、仮に騎士団長になったとしても、団の判断においては判断能力に秀でたものをとりたてて運用するであろう。

 エリック自身は、立身や出世にはあまり興味がない。強さが優先される集団において突出していたため出世頭と目されてはいたが、あくまで強さにしか興味はなかった。邪龍の事件においても、彼自身がパーティーメンバーのティムスを惨殺してしまったことについては、立ち直れないのではないかというほどの精神的ダメージを負ったが、その結果出世の目がなくなったことについては思うところは何もなく、強さを極めるために精を出す日々に心境的にも変化はなかった。もし王女の護衛騎士という仕事が、子守や小姓に近い仕事であれば含むところはあったかもしれないが、サレナ王女はその点まぎれもなく同好の士であったのは彼にとって幸いであった。エリックはそんなサレナ王女に、このまま素直に育ってほしいと願う。脳筋を助成するようなサポートが正しいのかどうかは知らんけど。

 駿馬ルドルフを駆るエリックは後方から姿を現したエリード連邦軍の西側、敵右翼のど真ん中に突撃した。エリードとの小競り合いは何度も経験している。自分とサレナ王女の戦力であれば、リスクを冒さずとも最短距離を突破できる確信があった。

 馬上からストームブリンガーをふるう。その重心の変化をフォローするように反対側では王女が戦槌を振るう。このへんのコントロールもサレナの非凡なところであろう。利き手とは逆の左手で戦槌を自在に操りながら、エリックの手綱さばきには微塵も負担をかけていない。彼らが駆け抜けるたびに血しぶきが敵陣に舞う。敵数は不明ということであったが、実際に突入してみたところやはり万単位の軍が展開されているようだ。さすがに王女の提案通りに本陣に突入するようなことはせず。真ん中から入って西後方に出る進路でエリックとサレナは戦場に舞う。しばらくの戦闘の後、二人は敵陣を抜けた。

「エリック、我々は引き返して後方から敵陣に攻め込まなくてもよいのか?」

「殿下、戦局だけを見据えれば最大戦力である我々がそうすべきというのは仰せの通りです。しかしながら、陛下が命じられたのは離脱です。おそらくは、仮にエリード本陣をついたとて、今回の謀略の首謀者がそこにいるわけではないでしょう。まして敵の主攻は草原の民です。ことこの戦に関しては、エデン王国軍は詰んでいるいると考え、殿下を逃す指示を出されたと理解されます。」

「そうか。私もエリックも、我々がいれば戦に勝てると父様に思っていただけるほどには至らなかったか。」

「残念ながら。」

「この後は、どう展開すると読んでいる?父様は北領に向かえと言っていたな。」

「陛下は、仮に敗戦した場合、草原の民はそのままエデンに侵攻すると踏んでいるでしょう。エデンは天然の要害です。ゴダール平原では奇策により敗れたとしても、エデンは簡単には落ちません。一方で、タブラの不調や、突然現れたエリード連邦軍、そしてエリードが策動させているのは草原の民だけなのか、など、現時点で敵の策の全容を見切るには材料が足りません。そうである以上、エデン防衛線においても後手を踏んでいると考えるのが妥当です。であれば、王、王太子、王女がそれぞれ別の拠点に構えるのが、現時点の次善策と考え、草原の民が侵攻してきた南領ではなく、北領方面への離脱を殿下に指示した。これが私の理解です。」

「そうか、父様は頭悪そうなのにあんな一瞬でよく考えていらっしゃったのだな。」

空の彼方にアレクシス3世が膝から崩れ落ちる様が浮かぶ。アレクシス3世は、戦場の指揮を直接取っていたことからもわかるように、参謀組織を置きつつも、基本的には自身で戦略を考えられる文武両道の英才である。だがサレナから見れば、物心ついたころから自身の武偏なところに満面の笑みを浮かべる父ばかり見てきたので、きっと彼女の中の王は頭悪そうな感じなのであろう。あるいは幼いながらに父の期待に応える娘であろうとしたのかもしれない。

 ルドルフの馬脚は軽快で、追いすがる敵兵も途切れてきた。二人の目の前には平原の西部に広がる丘陵部の際にある、さほど高くない樹木が繁る林地が見えてきた。戦地から直接来たため、野営の準備などはないのだが、エリードの斥候が放たれた可能性もある。あまり見通しのいい場所を行くのもはばかられるため、このまま林まで進め、そこからは林際にそって北上するのがよかろう。そう考えていたところに、後方から途切れていた馬蹄の音が響くのが聞こえた。見るとエリード軍ではない。草原の民だ。自軍後方に展開していたのはエリード軍のはずなので、両者が共謀していたならば、あらかじめエリード軍に駐留していた草原の民の一隊かもしれない。ルドルフがいかに駿馬とはいえ、鎧の戦士を二人乗せているうえ、草原の民は名からも想像される通り、軽装の騎馬民族である。林に到達したあたりで、逃げ切るのは無理だと判断したエリックは馬を降りて迎撃の体勢をとった。追いかけてきたのは11騎。草原の騎馬民族らしく、曲刀で武装している中に、一人長大な青龍偃月刀を構える隊長と思しき者がいた。まだ少し離れているが、尋常ならざる強者であることが伝わってくる。待ち受けるエリックたちに向かって馬を降りて歩を進めながら、その男が口を開いた。

「先ほどの派手な戦闘は見せてもらった。なかなか見事な手前であった。エデン王国第一王女サレナ殿下と、護衛騎士のエリック殿とお見受けする。われらの同盟者が貴公らに興味があるらしくてな。特にサレナ殿下におかれては生きてお連れするようにと協力を要請された。私は、貴公らが草原の民と呼ぶ諸氏族の、ダカール氏族の将、クルルアンと申す。大人しくご同行いただけるとは思わぬゆえ、一戦お手合わせ願いたい。」

「丁寧なごあいさつ痛み入る。」

「我らは、エロックとサロメじゃ。愛の逃避行中じゃ。人違いであろう!」

「殿下、無茶です。」

「であるか。」

「あとエロックはやめてください。」

「騎士団の中では男風呂で興奮するエロックとして有名じゃったぞ?」

「あれはよいものだ。」

「「「「・・・・・」」」」

「あの混戦を2名1騎だけで抜けて来ただけあって、たかだか10名程度に囲まれる程度では気負いもせぬか。だが、侮らないでもらおう。我ら一時的に同盟者の陣に間借りをしていたとはいえ、諸氏族のなかでも特殊遊撃部隊として少数任務を任される最精鋭。先ほどのように突破できるとは思わぬことだ。」

クルルアンは特に表情も変えずに淡々としている。場をわきまえない主従のやりとりに腹を立てている様子もない。明らかにやりにくい敵だ。部下のみなさんからは、何だこの頭のおかしいやつらは、という心の声が聞こえてくるが。

予兆もなく、青龍偃月刀が閃き、反射的にストームブリンガーがはじく。

「殿下、このクルルアンという男、私が一対一で相手取る必要がありそうです。残りの10名をお願いします。」

「応!」

「ふざけるなぁ!」

 クルルアンと対峙するエリックを躱し、10名の兵たちが一斉に曲刀でサレナに襲い掛かった。金属がはじかれる音が響く。サレナは槌を置き、「無手」で捌いていた。無手というのは少々語弊があるかもしれない。サレナは、鎧は軽装ながら、鋼鉄製の手甲を装備していた。10名に囲まれたサレナは、重量のある戦槌では不利があると咄嗟に判断し、無手の武術による迎撃を選択したのだ。と言うのは簡単だが、いかに生け捕り狙いとは言え、武装した10名に四方を囲まれて、無手で迎撃するのは実際正気の沙汰ではない。

「くっ王国の白い王女は化け物か!」

 白くないし。連邦は敵やし。

繰り返しになるが、サレナは武の天才である。戦槌を愛用するのは、単に彼女のエリックをも超える出力が最も効率的に引き出される武器が戦槌であるだけであり、およそ一般に使われるほとんどの武芸を叩き込まれている。全方位から攻撃されるとはいえ、厳密に「同時」に攻撃されるわけではなく、ズレはある。そのズレを正確に見切り捌く。戦いながら10人の能力や癖も把握しつつサレナは戦闘の精度を上げていく。サレナがお馬鹿さんなのは、脳細胞を戦闘に全振りしているせいなのだ!攻め手の兵たちも事ここに及んでは生捕りという制約も忘れ、本気で打ちかからざるをえない。サレナの立回りは見事であったが、さすがに反撃を入れる余裕はなかった。

 一方エリックとクルルアンも、ハイレベルな死闘を展開していた。中距離から青龍偃月刀の連撃を放つクルルアンと、迎撃しつつ間合いを詰めるエリック。詰められたクルルアンは、ストームブリンガーを捌きつつ弧を描くような体捌きで間合いを取り次の連撃を放つ。互いに一撃で致命傷を与える攻撃だけに、打ち合わされる刃音は鋭く、重く、一瞬たりとも気を抜けない。互角の展開ではあったが、追い詰められているのはエリックだった。互角ではダメなのだ。このまま膠着状態が続けば、いつかは敵の援軍に追いつかれ、敗北が確定する。エリックはマージンを削って勝負に出た。連撃の2撃目をストームブリンガーではじかずに踏み込んでポイントを外したうえで鎧に当てて流し斬り込む。が、クルルアンは持ち手をスライドして柄で受けた。魔剣ストームブリンガーの一撃は本来長柄武器の柄で受けられうようなものではない。クルアンの青龍偃月刀も、何かしら銘のある武器なのであろう。期せずして鍔迫り合いのような形になる。

「強いな。草原の民には貴様のような強者が他にもいるのか。」

「そう多くはない。が、我が最強というわけでもない。エデン王国にはお主を超える猛者はいるのか?」

「どうだろうな。俺は一介の騎士にすぎないしな。」

 言ったものの、エリックは一対一で自分と対抗できる武人は他に知らない。そう考えると、草原の民で最強を誇るものと相対した時に阻止できる者がエデンにはいないということになってしまうのだが、実はエリックにはもう一段上がある。魔剣ストームブリンガーの解放。邪龍を討伐した時に使ったあの力であれば、次元が一つ違う、それこそ人類で及ぶものがいないレベルの強さをふるうことができる。しかし、魔剣の解放はすなわち呪いの発動を意味する。一般に知られている呪いは、その者が愛するものを害する、という内容だが、正確には少し違う。その場にいる人間で、魔剣の主がもっとも親密に感じているものを犠牲にする。その場に人がいなかった場合、最初に遭遇した人間を殺す。この場で魔剣の力を解放した場合、間違いなく呪いの刃は王女に向かう。そういう意味ではアレクシス3世が安堵していたのは実は間違っている。王女も魔剣の呪いの対象にはなりうるのだ。エリックがクルルアンにこの上ない劣情をいだけば別なのだが、さすがのエリックも、初対面の敵に主への忠誠を超えるほどの劣情をいだくほどの紳士ではない。・・・多分ない。5年後であるなら、おそらく王女はエリックが呪いの魔剣をふるったとて完封できる猛者になっていると思われるが、今はまだ、本気のエリックが刃をふるえば一太刀で悲劇が起こる。ゆえに、今は奥の手は使えない。

 焦りで集中を乱せば均衡すら維持できない。無心にさばき続ける時間がただ淡々と流れていく。まだ会敵してからそれほど時間はたっていないはずだが、ずいぶんと長い時間戦っている気がする。疲労から、サレナの動きが僅かであるが乱れた。途端に均衡していた状況から、一気にサレナが後手を踏んでいく。元々無手で10人を相手取っていること自体が異常なのだ。致命傷には至らないが節々に傷を負い、動きが鈍っていく。

まずい。

一瞬エリックは気を取られた。そしてそれを見逃すクルルアンではなかった。

一閃される青龍偃月刀。

エリックの左肘から先が鮮血とともに宙に舞う。ここまでか。

 

 そう覚悟を決めた時、転機は林の中から現れた。


「サレナ王女!ご無事ですか!」

 あえて気を引くよう大きな声で呼びかけながら、銀髪の剣士が林の中から現れ、不思議な青い光を放つバスタードソードを振るってサレナを囲む一段に斬りかかる。よく見ると、剣士と並走して暗殺者のようないでたちの男が敵の死角をとりながら両手に構えた短剣で援護している。その後ろからは少し遅れて現れた魔導士が魔法の詠唱を始めている。そして。

「聖なる癒しを!」

エリックの左肘から先に光がほとぼしり、斬り飛ばされたはずの左腕が瞬時に元通りになる。この世界における回復魔法は、せいぜい出血を止めて傷を修復するものであり、高位の神官でなければ重傷を治すことすらできない。ましてや、部位欠損を瞬時に直すことができる者など、記録に残されている限り、歴史上一人しかいない。

「エリック。王女の助太刀に参りました。あなたはもう死んでもいいわよ。」

かつて邪龍討伐でエリックとパーティーを組んでいた聖女ルキアであった。死んでもいいと言いつつ部位欠損を治癒するツンデレ聖女であった。ストームブリンガーの呪いが自分ではなくガチムチマッチョのおっさんに向いたことで女のプライドを傷つけられたことを根に持っているわけではない。ないったらない。だって聖女ですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る