第2話 事件

 翌週。

 季節外れの嵐が近づいているというニュースが流れ、学校全体が落ち着かない空気に包まれていた。


 そんな中、昼休み。

 突然、校内放送のスピーカーが耳障りなノイズを立てた。


『——生徒の皆さんは落ち着いてください。現在、理科準備室で小規模な爆発が発生しました。教職員は至急——』


 昼休みのざわめきが、瞬時に悲鳴に変わった。


「爆発って……!」


「怪我した人いるの!?」


 教室中が騒然とする。


 彩花は胸がざわついた。

 ただの事故ではない気がした。


 凜が彩花の元へ駆け寄る。


「彩花、怪我してないよな?」


「う、うん……でも、理科準備室って……」


「……美弥が、さっき向かった場所だ」


 彩花の顔が一瞬で青ざめる。


「行こう!」


 凜と彩花は人の波をかき分け、理科棟へ走った。


 現場


 煙の残り香が漂う廊下。

 慌ただしく動く教員たち。

 床に散らばるガラス片。


 そして廊下の奥で、保健室へ運ばれていくストレッチャーの影。


 彩花の心臓が凍りつく。


「美弥っ……!」


 駆け寄ろうとした瞬間、教師に制止された。


「近づかないで!危険だ!」


 凜は唇を噛みしめ、教師に食い下がる。


「美弥は!?怪我の状態は!?」


「命に別状はない。けれど——腕に火傷がある」


 その説明を聞いた途端、彩花の目に涙が滲んだ。


“もし昨日のあの言葉が、心に刺さったままだったら——”


 美弥は凜と衝突したすぐ後に、事故に巻き込まれた。


 偶然かもしれない。

 だけど、胸騒ぎが消えない。


 そんな彩花の耳に、さらに追い打ちをかける声が届いた。


「……あれ、事故じゃないかもしれないって」


 近くで話している生徒たちの会話。


「理科準備室、鍵が勝手に開いてたんだって」


「誰かが中にいた形跡もあるらしいよ」


「もしかして、生徒のいたずらとか?」


 彩花の身体が硬直する。


 凜が彩花の手をそっと握った。


「彩花、大丈夫だから」


「……怖い。美弥さんが巻き込まれたのが、もし誰かのせいだったら……」


「だからこそ、ちゃんと確かめないといけない」


 凜の目は真剣だった。


 その日の放課後


 職員室前の廊下で立ち止まっていると、担任教師の会話が聞こえてきた。


「……現場に残っていた薬品の並びが妙なんですよ。誰かが触った形跡がある」


「それに、爆発が起きたタイミング……偶然とは思えない」


 彩花の背筋が冷たくなる。


 凜が小声で言った。


「……美弥は巻き込まれただけじゃなくて、狙われたのかもしれない」


「そんな……誰が……?」


 すると、廊下の向こうからこちらをじっと見つめる影があった。


 無表情で、瞳だけが異様に冷たい。

 知らない男子生徒が立っていた。


 目が合った瞬間、彼はすっと視線を逸らし、職員室のほうへ歩いていく。


 彩花の胸に、不穏な予感が広がった。


 凜が囁く。


「……あいつ、前にも美弥のことをじっと見てたことがある」


「え……?」


「美弥が『最近視線を感じる』って言ってた。まさか……」


 嵐の予報に反して、校舎の中の空気はすでに暴風のように揺れていた。


 日常が、音もなく崩れ始めていた。


 ——美弥が負った火傷。

 ——鍵のかかったはずの準備室。

 ——そして、あの冷たい瞳。


 彩花の胸に、ひとつの思いが生まれる。


“私、美弥さんを守らなきゃいけない。”


 それが、さらに大きな事件を呼び寄せることになるとは知らずに——。

 翌朝の学校は、異様なほど静かだった。

 事故の翌日ということもあり、誰もが落ち着かない様子で廊下を歩いている。


 彩花は、昨夜ほとんど眠れなかった。

 美弥の火傷。

 爆発の痕跡。

 あの冷たい瞳の男子生徒——。


 すべての断片が頭の中で渦巻いて離れなかった。


 教室に入ると、凜がすでに席で何かを考え込んでいた。


「……おはよう、凜」


「おう。美弥の容態、朝の連絡で聞いた。火傷は深くないって」


「よかった……」


 胸の奥の緊張が少しほどける。


 だが、凜の表情は硬い。


「なあ彩花、昨日の男……覚えてるか?」


「うん。なんだか怖かった」


「アイツ、二年の藤木 翔。

 美弥が最近ずっと“視線を感じる”って言ってたの、多分あいつだ」


 彩花は息を飲んだ。


「藤木って、どんな人なの?」


 凜は少し考え込んでから口を開いた。


「噂だが……去年まで不登校だったんだと。

 でも最近急に復学してきた。

 授業中もほとんど誰とも話さないし、放課後になると理科棟あたりをうろついてるらしい」


「理科棟……」


 まさに、爆発が起きた場所。


 胸がざわついた。


 放課後、理科棟へ


 凜は静かに言った。


「行こう。昨日の現場を見てみたい」


 彩花は不安だったが、逃げたくなかった。

 あの事故を“偶然”で済ませてはいけない気がした。


 夕暮れの理科棟は、昼間よりずっと不気味だった。


 人気のない廊下。

 焦げた匂いがまだ残る準備室の前。


「鍵……昨日は壊れてたらしいけど、今日は補修されてるな」


 凜が扉を押すと、少しだけ開いた。


「……誰かが開けてる?」


 薄暗い室内の中、棚の影が揺れた。


「——誰?」


 凜が身構えると、ゆっくり姿を現したのは、昨日の男子生徒、藤木 翔だった。


 彩花は反射的に凜の袖を掴む。


 藤木は無表情のまま、まっすぐ彩花たちを見つめていた。


「……お前ら、何してんだ」


 低い声。

 怒りも驚きもない、ただ冷たい響き。


 凜が一歩前に出る。


「昨日の事故……お前、何か知ってるんじゃないのか?」


 藤木はわずかに眉を動かした。


「……知らねぇよ。勝手に疑うな」


「お前、最近美弥を見てただろ」


「見てたわけじゃない。……ただ、気になっただけだ」


 その言い方に、彩花の胸がざわりと揺れた。


 ——何かを隠してる。


 凜はさらに食い下がる。


「理科準備室の鍵が開いてたのは偶然じゃない。

 爆発が起きたのも、ただの事故じゃない。

 お前、現場にいたんじゃないのか?」


 沈黙。


 藤木の肩が小さく震えた。


「……俺は、何もしてない。

 けど——」


 一瞬、彼の目が揺れた。

 それは昨日の冷たさとは違う、不安と、焦りの色。


「美弥先輩にだけは……伝えたかったんだ」


「伝える? 何を?」


 彩花が思わず問いかける。


 藤木は歯を食いしばり、視線を落とした。


「ある“警告”を。

 本当は昨日、話すつもりだった……なのに爆発なんか起きて……!」


「警告……?」


 凜の目が鋭くなる。


「どういうことだ。美弥と何が関係ある」


 藤木は震える声で答えた。


「……準備室の奥の棚。

 そこの薬品が、誰かに入れ替えられていたんだ……!」


 空気が凍りついた。


「入れ替え……?」


「昨日の朝、俺が片付けに行った時には、すでに不自然に並びが変わってた。

 扱い方を間違えたら……爆発する危険のある薬品が、誰でも触れる位置に置かれてたんだ」


 彩花の心臓が跳ね上がる。


「じゃあ……誰が?」


「知らねぇよ。でも……誰かが故意にやったとしか思えない」


 凜が息を呑む。


「つまり……美弥は“事故”じゃなく、誰かに——」


「巻き込まれたんだよ……!!」


 藤木の叫びが、理科準備室の静寂を揺らした。


 彩花は震える手を胸に当て、凜の肩に縋る。


 美弥は、狙われたのか?


 そして——

 藤木が美弥に伝えたかった“警告”とは。


 その瞬間、準備室の奥から物音がした。


 ガタンッ——!


 彩花が息を飲む。


 藤木が低く呟いた。


「……誰か、いる」


 凜が彩花の手を握り、囁いた。


「行くな。ここから動くな」


 だが室内の奥の影は、人の気配を残したまま、闇に溶けていった。


 静寂。


 緊張。


 そして、ひとつの確信。


 この学校で起きた“爆発事件”は——まだ終わってない。


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