暗闇の部屋 / 習作
よるん、
暗闇の部屋
ひたり、と右足を伸ばす。裸の足裏から冷たい感触が伝わってきた。ここはどこなのか、どうしてここにいるのか。そもそも自分は何者だったか。何も思い出せず、締め付けるような頭痛がする。見回しても部屋には何もなかった。暗闇だけがくろぐろと部屋を塗りつぶしている。ざらり、と左足が地面を擦った音が静かに消えていった。
天井を見る。どこまで続いているのだろう。それすら分からなくなるほどの深淵だった。終わりなどないような気もするし、あっさり手が届いてしまいそうな気もする。空間の広さまで分からなくなっていく。このままでは自分がおかしくなってしまう。痛みを主張する頭を手で押さえて、考える。
一体誰に連れてこられたのだろう。扉も隙間も見当たらない空間は何のために作られて、どうやって入れられたのか。全く見当がつかなかった。手を伸ばしても何にも触れられない。ここに連れてきた人物は、何を求めているのだろう。虚無の時間を過ごし、少しずつ狂っていく自分をどこかから観察しているのだろうか。だとしたらなんて悪趣味なんだろう。でも怒る気さえ萎んでいく。しんとした空間は、感覚だけでなくあらゆる感情も遮断していくようだった。何も感じない。想像を巡らせたとしても、途中で霧散してしまう。諦めているのかもしれなかった。このまま腐って朽ちていく自分に、それでもいいかという納得があった。
助けてくれるような人はいただろうか。いるような気もするし、いないような気もする。そもそも他人の存在を思い起こすことさえ億劫だ。じぃと響いている耳鳴りが頭痛をより際立たせていた。
立っているのも面倒になって腰を下ろす。両足をだらりと投げ出すと、太ももとふくらはぎの裏が弛緩した。どうやら疲れていたらしい。一度疲労を感じてしまうと、もう完全にだらけきってしまって、上半身もゆっくりと床に預けていった。
真っ暗な世界で、全身を何もない床に放り出し、虚空に消えていく空を見上げる。宇宙の中にひとりで浮かんでいるかのようだった。ここには自分の体の他に何もなくて、だんだんと意識さえ溶けて消えていく。そんな錯覚まで覚えた。もしかしたらそれは錯覚などではなくて、実際に自我は薄れていってるのかもしれない。真っ暗な闇に溶けて、暗闇しかない部屋の一部になっていく。果てのない天井と、ひたりと冷たい床、何もない場所。どんどん一体化して、真っ黒な存在になっていく。それを漫然と受け入れている心を感じた。望んでさえいるのかもしれない。自ら進んでこの部屋に入ったのかもしれない。何も持たない自分になりたくて、誰もいない死に場所を求めていたのかもしれない。
頭がどろりと歪んで、闇に溶けていく。体から力が抜けて、床の冷たさと同化していく。唯一熱を感じていた心臓部の鼓動だけが、生きている証としてどくどくと耳に届いている。あまりにも疲れてしまって、暗闇に身を預ける。
もうおしまいにしたかった。安らかな孤独の中で、静けさに身を委ねたかった。心臓だけが許してくれない。死を拒んでいる。かきむしって取ることができたらどれだけ楽だろう。どくどく、と生を訴えている。哀れに思うほどに、炉に熱をくべている。妙に泣きたくなったが、目元は乾いていた。
ひんやりとした床で冷たくなっていく体と共に、頭も冷静になっていく。中心部の熱がまだ人間らしさを感じさせていた。生きなければいけないのだろうか。ここにいてはいけないのだろうか。諦めてはいけないのだろうか。どくどく、と心臓は絶え間なく薪を燃やしている。
自分は誰だ。ここはどこだ。どうしてここにいる。ぐるぐると問いが巡る。暗闇の天井を眺めていた意識はだんだんと重たくなり、瞼が垂れ下がっていく。あぁ、分かっている。じきに夜明けだ。また浮かばなければならない。
光が差し、ぼんやりと自室の天井を見やる。緩慢な動作で上体を起こす。窓を開け、外の空気を入れる。ルーチンが体に染み付いている。ベッドから降り、洗面所に向かう。朝が始まっていた。
暗闇の部屋 / 習作 よるん、 @4rn_L
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます