虚栄

虚栄

「泉先生、お客様です」

 私の名前は羽田。泉が開いている『泉探偵事務所』で、助手を務めている。今日は七月の終わり頃、暑さも佳境に入り外に出ることすら厳しくなってきていた。

「ああ。入ってくれ」

 部屋の中から泉の声が聞こえてくる。彼はもともと弁護士だったのだが、ある時を境に法廷からは退き、もともと弁護士事務所だったテナントを、探偵事務所に改装していた。

「では、どうぞ」

 営業開始と同時に駆け込んできたスーツ姿の男性を部屋の中へと入れる。彼は暑さ以上に焦りによって汗まみれになっているように見えた。

「そこのソファにでも座っていてくれ。……羽田君、よく冷えた麦茶を」

 今私に指示を飛ばして来たのが、泉秀一だ。誰が相手であっても、話し方を取り繕うことはしない。依頼人はまずそこに面食らうが、これで気分を悪くするようでは、依頼などできる訳もなかった。彼の傍若無人ぶりは、まだ欠片も見えていないのだから。……依頼人の正面に座った泉は、早速仕事の話を始めた。

「わざわざ朝早く来るとは、相当緊急の要件に見えるが。……一体どんな依頼だ?」

「はい。泉先生には、護衛と仲介人をお願いしたいのです」

「……詳しく話してくれ。まずは、君の名前から」

「ああ、はい。私は宮島と申します。フューチャニス芸能事務所で、マネージャー業務を担当しております。……『夢見あかり』って聞いたことありませんか?」

 夢見あかり。約三年前に現れたヴァーチャル配信者の名前だ。少しでも動画配信サイトを使っていれば、名前を見ない日はない。外面はアニメ調のモデルを使用しているが、声などから判断しておそらく女性だろう。彼女が登場してからヴァーチャル配信者というコンテンツに火が付き、爆発的に広まっていった。フューチャニスも夢見あかりを生み出した会社として、業界の前線を走り続け、これまでに何人もの人気配信者を輩出している。だが。

「いや、聞いたことないな。そんなに有名な奴なのか?」

 泉はこうである。知らないのは仕方ないとしても、それを一切、取り繕うとはしない。……以前、ある俳優が依頼に来たことがあったのだが、その時も泉は「お前のことなど見たこともない。そこまで有名でもないくせに、なんだそのサングラスは」と正面から言い放ってしまい、大きな案件を逃したことがある。確かこっぴどく注意したはずだったが、彼にはそこまで響かなかったようだ。

「ああ、そうですか。まあ、活動拠点はジョイエリアが中心ですから、そのユーザーではない方は知らなくても仕方ありませんね」

 ジョイエリア。現在日本で流行中のSNS。普通の文面での交流もあるが、主な機能な動画の投稿、配信。ユーザーは好き勝手に動画を投稿できるが、その中でも特に注目された者、要は有名配信者をジョイスターと呼ぶ。夢見あかりはヴァーチャルジョイスターという訳だ。

「話を戻します。実は、夢見は今年の九月で活動三年目になります。そこで、三周年の記念に向けた企画を考えていたのですが……。新人の『星谷かりん』の宣伝もかねて、二人のコラボ企画を考えたのですが、あまり進捗が芳しくなく……」

 星谷かりん。先ほど宮島が話した通り、新人のヴァーチャル配信者。名前を調べてみると、どうやら一か月前にデビューを果たしたようだ。しかし、私は目を見張った。……動画の投稿または配信を行う際には、自分のチャンネルが必要になる。簡単に言えばテレビと同じものだ。しかし、違う点としてユーザーはそのチャンネルを登録することができる。そうすれば、登録されたチャンネルが動画を投稿した際に通知が来るようになるし、配信の際にはチャンネル登録者のコメントが優先的に画面上に表示されるようになる。ジョイエリアで活動するうえで、配信を仕事としたいのならば指標になる。自分がジョイスターになれるか否かの。……星谷かりんのチャンネル登録者は現在70万人存在する。たった一か月でだ。それに対し、夢見あかりの現在の登録者は300万人。確かに宣伝にはなるだろうが、デビューからたった一か月で70万の登録者を得た新人に、これ以上の宣伝など必要なのだろうか。

「互いに、『そんな奴とコラボする気はない』と一歩も譲らず。そこで、また別の企画を立ち上げたのです。……『一週間ぐらい一緒に生活すれば、気に入らないあいつとも仲良くなれるかも!?』というものです。……夢見と、星谷。そのほかファンの間で不仲説が出ている配信者を数人選び出し、外から隔離されたところで生活して、互いを思いやる心を持ち、本心を打ち明けあおうという企画です。……泉先生には、この動画撮影にご同行頂きたいのです」

「……話は聞かせてもらったが、わざわざ私が行かねばならない理由がわからないな。何故だ?」

 これは泉の言うとおりだ。事務所内の企画になぜ探偵を呼ぶ必要があるというのだ。泉に疑問を投げかけられた宮島は、スーツの内ポケットから折り畳まれた紙束を取り出した。

「実は、殺害予告が届いたのです。……六件も」

「は?」

「先ほど説明した企画、夢見と星谷に加えて他の配信者も呼ぶという話をしましたよね。参加者は計六人になるのですが、全員に一通ずつ殺害予告の手紙が届いたのです。そのため、参加者がおびえてしまいまして。ですので、泉先生にはどうか護衛として……」

「それは警察の仕事であって、探偵の仕事ではない」

 取り付く島もないとは、まさにこのことだ。しかし、宮島は食い下がる。

「警察には相談できません。どうせ彼らは企画を中止しろと言ってきますが、この企画にはわが社の社運がかかっているのです。中止するわけにはいきません」

「……わかった。それはいいとしよう。で、仲介とはなんだ?」

 宮島はまた険しい顔を見せる。どうやらマネージャー業務というのは相当悩みの多い仕事のようだ。

「……今回参加させる六人には、最終日に和解の契約書を書かせます。その時、泉先生には弁護士としてお立合い頂きたい」

 泉は弁護士をやめ、法廷からは退いている。しかし弁護士バッジはまだ手元にあり、弁護士会にも会費を支払っている。そのため弁護士の資格は失われておらず、弁護士の業務は問題なく行える。そこには問題ないのだが、別の所に問題があった。

「不仲解消の証明に契約書だと?そこまでする必要がどこにあるんだ」

 弁護士立ち合いの元書かれる契約書は大抵、離婚調停や企業同士の契約などに限られる。そのいずれもが社会的にそれなりの影響を及ぼすものであるため、立ち合いが必要となる。ただ、今回の案件は個人同士の仲直りの域を出ない。わざわざ弁護士が立ち会うほどの案件ではないのだ。当然、泉もその疑問を提示する。すると宮島は「ここだけの話にしてください」と前置きし、以前にあった事件を話し始めた。

「これは、夢野達とはまた別の者の話なのですが……。『空野かなた』と、『ブラム・ハース』という名前で活動している者達がいるのですが、彼らは相当の不仲でして、社内で顔を合わせればとにかく因縁をつけて喧嘩を始めるような状態で。……それだけならよかったのですが、彼らは自分のファンに、相手を貶めるような行為を推奨したのです」

「……くだらないな」

「ええ、私もそう思います。ですので、今後そのような行動をさせないために、契約書を書かせる必要があるのです。……わが社の顧問弁護士は別件で忙しくしておりその企画に帯同できず……。元弁護士である泉先生のお力をお借りしたいのです。……いかがでしょう?」

「……わかった。今回の依頼、引き受けよう。では手始めに、今回その企画に参加する……ヴァーチャル、何だったか。……配信者の名前を教えてくれ」

「はい。まずは夢野あかり。そして星谷かりんとエイトまき。ブラム・ハースに空野かなた。そして剛力剛の六人が参加します」

 泉は宮島が挙げた名前をメモ帳に記していく。そしてソファから立ちあがると、私を呼びつけた。

「では、報酬に関しては羽田君に相談を。私は一足先に失礼する」

 泉はそれだけ言って隣の部屋に消えて行ってしまった。彼はどうやら金勘定が苦手らしく、弁護士事務所を開いていた時も私が金銭関係の業務を担っていた。


 報酬を取り決め、当日の集合場所も決めたところで宮島は帰っていった。一週間後に、私たちは離島に行かねばならない。いち早く支度をしなくては。とりあえず、日程が決まったことを泉に伝えようとドアをノックすると、「……入れ」といういつもより不機嫌そうな声が聞こえて来た。おそるおそる中に入ると、泉はタブレットで動画を視聴していた。その画面に映っているのは夢野あかり。どうやら仕事の相手がどのような人物か確認していたようだ。画面内の彼女が一言二言しゃべっては、こめかみをおさえてため息をつく。

「……いつもの頭痛ですか。お薬の方は……」

 泉は慢性的な頭痛持ちだった。それもストレス性の。そのため、彼がこめかみを抑えるということは、今回の依頼が相当面倒であるという証拠だった。確かに今回の案件、ヴァーチャルジョイスターに全く詳しくない泉にとっては厳しいものに違いない。

「薬はいい。……それよりもこの夢野とかいう女、ひどくつまらん。何かしゃべるたびにため息が出る。これなら姪っ子のお遊戯会でも見ていた方が有意義だ。……こんなものが本当に人気なのか?」

「信じがたいかもしれませんが、ネットの世界ではかなりの人気です。それに、夢野に関してはテレビCMに起用されたこともありますし、市民権を得ているといっても……」

「……こんなのが市民権を得るような社会になっていたのか。なら、日本がここまで凋落したのもうなずける。……見ろ、この愚かさが凝縮された画面を。つまらん発言に対し、数百から万にいたるまでの金銭が動いている。……こんな奴が関係する依頼を受けてしまうとは、失敗だったな」

「では、今すぐにでもキャンセルしましょうか?今ならまだ間に合うかと」

「……駄目だ。一度引き受けた仕事を簡単に手放すなど、社会人としてあってはならん。その上、俺たちは探偵。何よりも信頼と実績がものをいう仕事だ。責任は最後まで果たす」

 これが、泉探偵事務所を存続させている主な理由であった。現代日本において失われて久しい『責任感』。それを泉はしかと心に刻んでいた。それが原動力となった泉の仕事ぶりにはおのずとそれ相応の成果が出る。そして、それは顧客を満足させ、この事務所の評判がまた確実に広がっていくのだ。

「ふう……」

 その代償として、彼は常に頭痛に悩んでいるが、彼自身それを大したことだとは思っていないようであった。眉間を指で押さえながらも、画面を操作し次のジョイスターについて勉強し始めた。企画の開始は一週間後だ。


 一週間後、私と泉は中型の船に乗っていた。エンジン音が響き、海を切って進む。私たちの視線の先には、世間を魅了してやまないヴァーチャルジョイスターの、本当の姿があった。

「……なんで私がこんなことをしないといけないの?ねえ、かりんちゃん?」

 隣に座る女性を睨みつけているのは、夢野あかりだろう。高圧的な態度に、誰でも聞いたことがあるであろう作ったような高い声。ボイスチェンジャーか、それとも役作り用に頑張って声を出していると思っていたが、どうやら地声のようだ。

「……あたしに聞かないでください、夢野先輩。宮島マネージャーが企画した物じゃないですか。文句を言うならそっちですよ」

 夢野の隣に座るのが星谷かりんだ。少し枯れたようなハスキーボイスが、ファン増加の秘訣らしい。歌唱動画などでチャンネル登録者を増やし続けている。

「そう言えば、なんでわざわざ離島に?」

 彼女らの話を聞いているとき、ふと気になった。七日共に生活するという企画に、わざわざ離島を用意するのは相当金持ちでなければ、思いつくものではない。泉もそれは気になっていたようで、船に乗ってからずっと瞑っていた瞼を少しだけ開けた。

「それは、あの子……。エイトまきの提案なんです。『撮影をするなら、一般人に迷惑が掛からない場所がいい。祖父の別荘が開いている』と言い出しまして。せっかくの提案ですから、乗ることにしたんです」

 夢野達がそれを知らないということは、彼女たちが話を聞いていなかったのか、あるいは彼女たちがいない場で決まったことなのだろう。

「……親が金持ちだから、こんなままごとにも及ばない遊びを続けていられるのか。羨ましいことこの上ないな」

 私は泉を少しだけ睨みつけた。本人たちがいる前でそんなことを言わないでほしい。我々も七日間同じ環境で生活するのだから、余計なもめ事は起こしてほしくない。私の心配を知ってか知らずか、宮島は泉に対し冗談を投げかける。

「では、泉先生もなってみますか、ヴァーチャル配信者。何も誤魔化さない物言いをできるキャラは唯一無二ですし、元弁護士という肩書も集客としては申し分ないかと」

「……勘弁してくれ」

 それだけ言うと、泉は深く座り直し、もう一度目を瞑った。そんな彼のもとに近づくものがいる。

「こんにちは、泉先生。私、エイトまきという名前で活動している者です。今日から一週間、よろしくお願いします」

「……泉だ。よろしく」

 泉のもとに近づいていたのはエイトまきだった。動画内では礼儀正しいキャラを演じていたが、どうやらそれは日常でも同様だったようだ。泉もそれに応え、椅子から立ち上がって挨拶を返し、名刺を渡していた。どうやら彼はあの六人の中でエイトまきを一番評価しているようだった。

「おいおい、早速弁護士先生のご機嫌取りか?油断ならねえな、まき」

 あの粗暴な物言い。ブラム・ハースで間違いないだろう。全身を黒で染め上げ、可能な限り銀色に光るアクセサリーをつけている。芝居がかったしゃべり方だが、キャラクターづくりのために、普段から演技でもしているのだろうか。そのままの勢いでエイトに突っかかりそうなところを、別の男性が引き留める。

「こら、船の上で何をしてるんだ。仲良くしようっていう企画なのに、始まる前から仲がわるくなってちゃダメだろう」

「黙ってろかなた。いい子ちゃん気取りか?俺はお前のことも気に入らねえんだよ」

 あれは空野かなたか。優し気な物言いの、涼し気な印象を受ける男性。ブラムからの手厳しい物言いにも、決してひるんでいない。そしてそれらを後方から黙って見つめているのが剛力剛。主に筋トレの動画を投稿しているようだが、その中でもあまりしゃべらない。しゃべるのが仕事の配信者において、その逆を行くスタイルが話題となり、一躍有名人と化したようだ。その動画の性質上、身体はほとんど動画内で公開しており、ほぼ実写動画と変わらないようだ。

「よお、泉先生。お噂はかねがね。……いっつも斜に構えて、よく回る舌で相手を煙に巻いてるみてえじゃねえか。……だがよ、俺はそうはいかねえぞ。あんたみたいなすました野郎の言葉なんか、ちっとも響かねえからな」

 ブラムの怒りの矛先は泉に向いていた。相当毛嫌いしているようだが、それは泉にとっても同じことだ。泉はあのような手合いをもっとも嫌っている。

「それは俺もだ。お前みたいな児戯にも劣るお遊びに身をやつした愚か者の言葉を聞き入れられるような、寛容な耳を持ち合わせていない。……悪く思うなよ」

 ブラムは舌打ちだけ返してもともと陣取っていた船の一角に戻っていった。

「悪く思わないでください、あれはただのキャラ付けですから。普段はああいう態度じゃないんです」

 エイトがすかさずフォローに入るが、泉はそれを鼻で笑う。

「初対面の相手にかみつくような人間の素性など、たかが知れている。何やら奴の素性を知っているような口ぶりだが、下らん嘘はやめておけ」

「いえ!あの人は本当に……」

「うるさい!私、イライラしてるんだから少しは静かにしてくれない!?」

 食い下がるエイトを夢野が黙らせる。もともと気乗りしない企画の上、見たくもない喧嘩。さらに、私たちという部外者。気が立つのも仕方のないことだろう。椅子から立ち上がって吠える彼女の背中に、島の影が重なる。どうやら目的の島はもうすぐのようだ。


 小さな港で私たちを下ろした船は、そのままもう一度海へと出て行った。一週間後にあの船が迎えに来るまで、部外者は姿を現さないだろう。島の持ち主が祖父であるエイトが先導し、緩やかな坂を上っていく。そのうち、大きな二階建ての屋敷が見え始めた。どうやらあれが、これから一週間寝泊まりする場所のようだ。エイトが屋敷の扉の鍵を開け、中へと入る。

「うわ、埃っぽい……」

 どうやら長い間使っていなかったのか、屋敷の中には埃が積もっており、窓から差し込む光がそれらを照らしていた。先頭に立っていたエイトは苦笑いを浮かべて振り返る。

「お泊り企画は、掃除からスタートってどうでしょう?」

 夢野は不服そうだったが、他の者はやんわり賛成の意を示す。屋敷は相当広い。外から見ただけでもそこらにあるアパートなんぞよりも大きいのだ。それに、エントランスの中央にある階段は二階へと続いている。すぐにでも掃除を始めなければ、今日の夜は埃と共に就寝しなければならないだろう。

「掃除も共同作業だしいいかもしれないね。ねえ、夢野先輩?」

「……私は自分の部屋しかやらないわよ」

「まあ、何もしないよりはマシか。そうでしょう、宮島マネージャー」

「……わかりました。私は機材の用意を始めます。……泉先生方は、ここではあれですし、申し訳ありませんがお外でお待ちいただいて……」

「いや、俺たちも掃除を手伝おう。俺たちもこれから七日間もここで生活するなら、共同生活者としての義務は果たすべきだ」

 誰も泉が協力の姿勢を見せるとは思っていなかったのか、口をぽっかりと開け、唖然としている。泉はその反応が気に食わないようだ。

「呆けるな。夜まではあまり時間がない。やるなら早く始めるべきだ」

「そ、そうですね。では、皆さんこちらに」

 エイトは皆を掃除用具があるところへと案内し、各々は自らの役目に合致した掃除用具を手にした。私と泉が手にしたのはモップだ。これでところかまわず床を掃除していけばいいようだ。

「では、始めるか。羽田君」

「はい、わかりました」

 屋敷の間取りを把握するためにも、私は泉と共にモップを握りしめて屋敷内を歩き始めた。まずは、真っ先に足を踏み入れたエントランス。モップで磨かれた床はすぐに本来あるべきであった姿を取り戻していく。白を基調とした屋敷の床は差し込んだ日の光を受けてより輝いて見えた。宮島は私たちを映さないように、カメラを回し始めていた。宮島から再三「彼らは不仲」と言われていたのだが、その彼らは思っていたよりも協力的に掃除に取り組んでいる。……夢野を除いてではあるが。エントランス正面の小さな客間に移ろうかと泉に声をかけようとしたところ、近くに彼の姿はない。部屋の中を見渡すと、宮島に話しかけているようだった。

「あいつらはヴァーチャル配信者、つまりはガワがいるんだろう?……剛力は別だが。実写で動画を撮ってもいいのか?」

「ええ。後でこちらで編集して、全員ヴァーチャルの状態で再現しますので。音声だけはそのまま使います」

「……相当手が込んでるな。そこまでしなければならないほど、あいつらの不仲は深刻な物なのか?」

 確かに、彼の言うとおり、ただの企画にしては迂遠というか、遠回りな印象を受ける。夢野の三周年記念としてふさわしいものをという気持ちがあるのは分かるが、それがどこか空回りしているように見えた。すると宮島は、スーツの胸ポケットから、紙束を取り出した。あれには見覚えがある。夢野達に向けて送られた殺害予告の手紙だったはずだ。

「この件の依頼をしたとき、泉先生は中身をお読みになりませんでしたね」

「……そうだったな。しかし、殺害予告の手紙にわざわざ読む価値などない。どうせ書いてあることは『○○すれば殺す』とかその程度だからな。今回の件で言えば、『企画に参加すれば殺す』とかそんなものだろう」

 泉の言うとおりだ。わざわざ護衛を用意するということは、そう言うことだろう。護衛が私と泉の二人しかいないことだけが気がかりだが。……その考えは不正解とでもいうように、宮島は首を横に振った。

「いえ、違うのです。……書かれていたのは、『企画に参加しなければ殺す』という文言でした」

「何?」

「え?どういうことですか?」

 驚きのあまり、泉だけでなく私も声を出してしまう。宮島から一枚ずつ手紙を受け取り、中身を呼んでみる。宛先の人名は違うが、本文は全く同じだ。……『夢野あかり三周年記念企画に参加しろ。さもなくば殺す』。これを送った者にとっては、不参加の人物が出てしまう方が不都合ということか。しかし、それは一体なぜなのか。今の段階では判断材料などない。手紙を宮島に返した。

「……犯人の目的は一体何なんでしょう?」

「この企画を絶対に進行させること。……それが犯人にいかなる利益をもたらすかは、まだわからないな。とりあえず、俺たちにできることはさっさと掃除を終わらせるぐらいだ。行くぞ羽田君」

「ああ、はい。わかりました。それでは宮島さん、私たちは掃除に戻ります」

 そう言って、私と泉はもう一度モップを握り、客間へと移った。宮島は動画の撮影を再開していた。


 掃除開始から約三時間後。ようやく一息つけるほどには屋敷内を綺麗にできた。物置などは手つかずだが、どうせ使わないししなくていいだろうという判断である。空に昇っていた太陽は若干傾き始め、西日が屋敷の中を照らしていた。掃除を終えた皆は、身体についた埃を落とすため、少し早めではあるが風呂へと向かった。エントランス右側の扉から廊下に出て、突き当りまでまっすぐ進む。扉を開けるとまるで銭湯のように男女で分けられた入り口があった。ここからすでに大衆浴場のような雰囲気を感じるが、脱衣所や浴室もまさにその通りだった。我々だけでは決して使いきれないであろうほどのロッカーに加え、一つの大きな浴槽にはなみなみと湯がはられている。丹念に体を洗ったのち、湯につかれば今日一日の疲れや緊張がほどけて溶けていくのを感じられた。浴場内にはほかの男性陣もいるが、誰一人として言葉を話そうとしない。剛力はもともと無口らしいが、他の二人もまるで互いが存在していないかのようにふるまう。それぞれ宮島と一言二言程度、今後の予定を話してすぐに黙ってしまう。その沈黙に耐えられず、近くにいた空野に話しかけてみた。

「あの……。こんなところで申し訳ないのですが、改めて自己紹介を。泉先生の助手を務めている羽田と申します。どうぞ、よろしくお願いします」

「これはご丁寧にどうも。僕は空野かなたという名前で活動している者です。ご存知でしたか?」

「ええ。動画はいくつか拝見させていただきました」

「そうですか、それはありがたい。……いきなりで失礼なのですが、どうしてこの依頼を受けたのですか?羽田さんはともかく、泉先生はどうにも僕たちを嫌っているようですし」

「いや、そのことなんですが……」

「持ち込まれた依頼は断らない決まりだ」

 浴槽のへりに身を預け、天井を仰いでいた泉が言った。空野は興味をひかれているようだ。

「なんでも受けるんですか?」

「常識的な範囲内でだ。『人を殺してほしい』と言われても承服しかねる」

 空野は「面白い冗談だ」と声を抑えるように笑った。そして。

「では、私からの依頼も受けてくれるという訳ですか」

 先ほどまでの笑みを思い出せなくなってしまうほど、冷たく鋭い視線を泉に向けた。風呂に入っているというのに、背筋が凍るような気がした。

「言ったはずだ。内容によるとな。……どんな依頼だ?」

「いえ、ここでは少し。またあとにでも」

 空野は壁を見る。その先からは女湯に入っている女性陣の声が聞こえて来た。普通の話し声に聞こえるが、風呂場であるせいで響いているのだろう。空野は声が響いて向こう側に聞かれることを恐れているのか。

「それじゃ、泉先生の約束も取り付けられたことだし、僕は一足先に失礼するよ。また、夕食のときに」

 後ろ手にひらひらと手を振って、空野は浴場を出て行った。すりガラスの向こうで、彼が着替えているのが見える。空野が着替えを終え、脱衣所を出て行った時、ブラムがこちらに近づいてきた。

「……泉先生、ちょっといいか?」

「なんだ?」

「空野のことについてだ。……あいつの言葉は信用するな」

 近くにいた私は驚きのあまり「えっ」と声をあげてしまう。泉も同じく、片方の眉を吊り上げ困惑を示していた。唯一事態を把握していたのは宮島だ。何かを察し「ブラム!それは機密事項だ!」と、止めに入った。浴場内で大声をだせば、想像以上に響き渡る。おそらく向こう側にいる女性たちも聞こえてしまっただろう。ブラムは止められたことに対し腹を立て、湯舟の中で立ち上がった。

「夕飯の後、俺の部屋に来てくれ。別に空野の件が先でもいい」

 それだけ言い残して、彼もまた風呂を上がっていった。宮島もいたたまれなくなったのか、その後を追うように浴場から出て行った。残ったのは、私と泉。そして剛力の三人だけだ。

「……羽田君、俺は一足先に上がらせてもらうよ」

 そう言って、泉も風呂から出て行った。私もそろそろ出ようかと腰をあげた時、「ちょっといいか?」と声をかけられる。声の主は剛力以外ありえない。

「どうかしました?」

「……この企画には、人の悪意が潜んでいる。あなたも、あの手紙は読んだだろう」

「ええ、殺害予告の手紙は読みましたよ。確かに、アレの送り主はこの企画を無理やり進行させたいみたいですけど……」

「……その手紙は、離島に行くことが決まってから送られたものだ。そして、それが決まったとき、会議室には俺たち六人と宮島さんの、合計七人しかいなかった。大事な企画だからと、人払いも徹底的だった。あの時の話がどこかに漏れたとは考えづらい」

「つまり、あの手紙の送り主は、あなたたちの誰かということですか?」

「ああ。……俺は犯人じゃないと言いたいが、生憎とそれを示せる証拠を持ち合わせていない。ただ、今の情報は事実だ。後で他の誰かに確認を取ると良い。……じゃあ、先に失礼する」

 大事な情報を伝え、剛力は風呂から上がっていった。私はというと、与えられた情報に頭がパンクしそうになり、危うくのぼせる一歩手前になってしまっていた。


 風呂から上がった私を出迎えたのはソファに寝転がってスマホをいじるブラムと、奥の大きなテーブルで何かを話している空野と剛力。そしてダイニングの右奥で泉と宮島が小さなテーブルを囲んでいた。泉は私が来たことに気づくと、「こっちに来い」とでも言うように手招きする。素直に従って近づくと、小さなテーブルの一角に腰を下ろすよう促される。

「申し訳ない。この企画は彼らが主役なものですから。……これからは脇役ということで、こちらにいていただければ」

「ええ、わかりました。別に映りたいわけでもありませんから」

 部屋全体を見渡せる席に座って初めて気づく。女性陣はまだ誰一人として風呂から出てきていない。世間話をしながら待っているとエイトと星谷が先に戻ってきた。夢野は長風呂をするつもりらしい。彼女が風呂から出てきたのは、それから何十分も後のことだった。

 食卓に夕食が並べられていく。どうやら料理は当番制らしく、今日はエイトと星谷が用意してくれた。本来は夢野も当番らしいが、長風呂の末に何かの用事で当番をすっぽかした。彼らが円形のテーブルを囲む傍ら、私たちはダイニングの右奥に腰を下ろしていた。宮島は自らの足元に置いたカバンの上に乗せているカメラをいじっている。

「まだ撮影を続けるんですか?」

「ええ。とりあえず、就寝時間まではカメラを回そうかと。できるだけ多く撮っておかないと、あとで編集したときに困るんですよね。今回は仲直り企画ですから、仲直りの兆しは逃したくないんです」

「ですが、カメラが回ってるときに本音を話すでしょうか?」

「そこはご心配なく。……彼らには、今カメラが回っていることを伝えていません。充電中とでも思っているはずです」

 彼の言うとおり、食卓を囲む六人はカメラなどを気にしてはいないようだった。そういうフリかもしれないが、真偽は分からない。

「みんな、何か飲まない?」

 エイトたちが作った夕食を食べ終えた夢野はそう言って立ち上がった。掃除や夕食の用意と、協力すべき事柄をすべてサボったことへの罪悪感があったのだろう。そのままキッチンへと入っていった。それから少しして、夢野はカップを乗せたトレイをもって戻ってきた。どうやら紅茶を淹れたらしく、私たちの分も用意してくれた。だが、一人だけ。エイトのカップだけ紅茶ではなく、コーヒーになっていた。それが気になったのか、泉が立ち上がる。

「……コーヒーが好きなのか?」

 いきなり距離を詰めて来た泉を警戒するそぶりもなくエイトが答える。

「ええ。というよりは、紅茶が苦手なだけなんですが。夢野先輩がそれを覚えていてくださったみたいで、ありがたい限りです」

「……少し香りをかいでもいいか?俺もコーヒーは好きで、よく飲むんだ」

 あれは嘘だ。事務所にコーヒーなど少しもない。彼は大抵緑茶しか飲まないのだ。夏は麦茶なども多少は飲むのだが、基本は緑茶である。依頼人からの差し入れでコーヒーをもらった時などは、すべて私に押し付けていた。

「ええ。……どうぞ」

「ありがとう。では失礼して……。うん、いい香りだ。失礼した」

 泉は好きでもないコーヒーの香りをかいだだけで、戻ってきた。一体何が目的なのだろうか。

「すまない。今のところは後でカットしておいてくれ」

「ええ、もちろん。部外者が映りこんだ時点でそう決めてましたから」

 宮島はそう言って右手でピースを作り、人差し指と中指を何度かくっつけては離してを繰り返した。

「……今のは、カットのジェスチャーか」

「ええ。動画編集の現場を見ていると、よくこういう動きをする方がいるもので覚えてしまいました」

「……泉先生、先ほどのは一体何のつもりだったのですか?コーヒーは別に好きでもなんでもないでしょう」

「少しばかり気になってな。もしや毒でも混ぜられているのではないかとな」

「いきなり何を言い出すんです。そんなことがあるとでも……」

 私はこの時、浴場で剛力から聞いた情報を思い出していた。「殺害予告の手紙は、ここにいる七人のうち誰かが出したもの」。……私は、楽観的だったのだ。その手紙を見てもなお、ただの脅しとしか思わなかった。人の命を奪うのは簡単なことではない。いくら平静を装ったとしても、次第にその罪悪感に押しつぶされるものだ。言葉だけだと勝手に決めつけていたのだ。……だが、泉はそうではなかった。あの手紙の内容を真に受け、目の前で人の命が失われるかもしれないと危機感を持っていたのだ。だが。

「……しかし、あの手紙に書かれていたのは、『企画に参加しろ』という文言でした。今の所犯人の指示通りに企画が進行していますし、そこまで恐れる必要があるでしょうか?」

「だからこそ恐れるものだ。……犯人の目的が、『夢野あかりとその他計六名を離島に閉じ込めること』だった場合、今の状況は非常にまずい。隔離された離島、脱出しようにも船の手配には時間がかかるだろう。その間、犯人が食事に毒でも盛れば俺たちは終わりだ。……もしやと思ってコーヒーの匂いを嗅いでみたが、無臭の毒もこの世にはある。あの確認方法は失敗だったな」

「そ、そんな……。しかし、それは彼らのうち誰かが犯人という前提の話で……」

 そのことはすでに剛力から聞いていた。しかし、信じられなかったのだ。あり得ない話ではないが、現実味に欠ける。

「む?そう言えば言ってなかったか。先ほど宮島に聞いたが、あの手紙は限られた人物のみが知り得る情報が書かれていた物らしい。つまり、あれを送ってきたのは、七人のうちの誰かだ。まあ、宮島が犯人ではないとするのなら、あの六人なんだがな」

「いえ、五人です。……剛力さんが、浴場でほとんど同じ話をしてくれました。犯人ならわざわざ情報をひけらかしたりはしないはずです」

「……そうか、知っていたか。つまり、彼ら五人が、殺害予告の手紙の主ということになるな」

 仕事の愚痴だろうか、意外に和気あいあいとした雰囲気であの六人は食卓を囲んでいる。泉が気にしていたコーヒーは、すでに半分ほど減っていた。……あの中の誰かが犯人なのか。にわかには信じられない。

「そろそろ時間ですね。……皆さん、着替えをお願いします」

 手紙についての話がひと段落したころ、宮島がそう言いながら席を立った。彼らはそれに黙々と従い、席を立ち、どこかへと向かった。

「宮島さん、時間というのは何の時間ですか?」

「そろそろ消灯時間ですので、彼らには寝巻に着替えてもらった後、パジャマパーティーの写真を撮ろうと思いまして。ファンの皆さんへ、企画の進捗をお伝えする意味があるんです。顔さえ映さなければ問題ありません」

 宮島が説明してくれている間に、着替えを終えた人たちが戻ってきた。剛力は上下灰色のスウェット。空野は水色と白のストライプのパジャマ。ブラムはタオルローブ。エイトは黄緑色のワンピパジャマ。星谷は紫のネグリジェ。そして夢野が白いネグリジェに青いカーディガンを羽織っていた。彼らは宮島の指示通りに並び、カメラのシャッターがきられるのを待った。

「はい、それじゃ撮りますよ。……はい、チーズ!……オッケーです」

 宮島はスマホを操作し、今撮った写真をすぐさまジョイエリアに公開する。泉も自身のスマホで投稿された写真を確認していた。投稿して一分と経たないうちにコメントなどの反応が残されていく。彼らが人気者であるというのは間違いないようだ。

「それじゃ、今日はもう寝ましょうか。船旅に大掃除で皆さんお疲れでしょう」

 宮島がそう言った時、外で大きな雷が鳴り響いた。あまりの轟音に、誰かが「ひゃ」と声をあげていたが、声の主は分からない。そして、雷の後を追うように雨も降りだした。ざあざあと強く降りつける雨は、古臭い屋敷の屋根の下にいることを不安にさせる。そして、その不安が現実となった。ひときわ大きい雷が落ちたかと思えば、屋敷内が一瞬で暗闇に支配されてしまった。停電だ。暗闇が苦手なのか、夢野がきゃーきゃー騒いでいる。

「誰か!早くブレーカーを見に行って!」

「私、ちょっとブレーカーを見てきます」

「俺も行こう。羽田君、君も来なさい」

 エイトがブレーカーを見に行くと言い出し、泉がそれに着いて行くという。その上、私も同行する羽目になっていた。ダイニングからエントランスに戻り、玄関近くの壁に掛けられていた懐中電灯を何とか探し出し、三人でブレーカーを目指し、暗闇を歩き始めた。

 

 背後からはまだ夢野が騒いでいる声が聞こえる。泉はうんざりした様子でエイトに尋ねた。

「あの女、暗闇に何か嫌な思い出でもあるのか?」

「いえ、そんな話聞いたことないですね。まあ、誰しも怖いものの一つや二つ、ありますから」

「……そういうものか」

 エイトは迷いのない足取りで暗闇を進んでいく。そして、エントランスの左側の扉を開け、廊下を進んでいく。こちらにあったのはトイレと物置だが、物置には地下に続く階段があり、地下室にブレーカーがあるとのことだ。しかし、真っ暗で何も見えないことに加え、この空間も物置として使っているせいで足の踏み場に困って仕方がない。エイトからは「何かを踏んでもあまり気にしなくていいですよ」と言われたが、そこまで無神経にはなれない。……そうしているうち、ようやくブレーカーを発見した。一番奥の壁に備えられており、様々なものが視界を遮っていたのだ。ただ、一番に見つけたエイトは、「何、これ?」と声をあげた。……ブレーカーには仕掛けが施されていたのだ。レバーに重りを括り付け、それを縄で固定し、レバーを下げないようにする。そして、重りを支える縄を時限式で切るためにろうそくを使っていた。これを縄の一方に結び付けてから火をつければ、時間差で縄を焼き切り、重りが支えを失って落下し、それに引っ張られてレバーも下がるという仕組みのようだ。レバーをあげてすぐに電気を復旧させるが、エイトの顔には不安が残っていた。

「……誰かが、これを仕掛けたってことですよね。一体何のために……」

「ブレーカーを落とす目的はただ一つ、その場を暗闇にしたいだけだ。それはなぜか。他人に見られたら困ることをするからだな」

「……では、まさか!」

 何を思ったのか、エイトは一人足早に皆のもとへと向かっていった。泉はブレーカーに施された仕掛けを興味深そうに眺めている。

「何か気になることでも?」

「……犯人にとっては想定外かもしれない」

「え?」

 腑抜けた私の問いかけを戒めるように、また大きな雷が鳴っていた。泉は上を指さしながら話す。

「これだ。この雷。……激しさも相まって、まずは雷による停電を疑うのが普通だ。だが、犯人はブレーカーに仕掛けを施していた。つまり、犯人はいつ停電が起きるかを知っていた。縄はすでに焼き切れているが、触るとまだ熱い。もともとこの時間を狙っていたんだろう。……停電の最中、やけに驚かなかった者。そいつが怪しい」

「……停電のタイミングを知っていたから、心構えができていた。そう言うことですか」

「そうだ。……宮島が回していたカメラはまだ生きているだろうか。もしかすると、あれに停電の瞬間が映っているかもしれん。……羽田君、ブレーカー周りの写真を撮ってくれ。そうしたらすぐに俺たちも戻るぞ」

「あっ、はい」

 写真を撮った私たちはすぐに彼らがいるであろうリビングへと急いだ。あの中に犯人がいるかもしれない、そう考えると自然と逸ってしまう。リビングには、まだ全員がそろっていた。しかし、何やら騒がしい。

「宮島さん、カメラの録画を見せてもらえませんか?停電の瞬間が映っているかも知れないんです」

「申し訳ありませんが、それはできません。……いつの間にか、カメラがどこかにいってしまったのです。今は探している途中でして」

 先ほどまでおかれていた場所にカメラはない。給電用のコードが乱雑に引き抜かれ、そこに垂れ下がっていた。

「……犯人はカメラが回っていることに気づいていたと考えるべきだな。暗闇の混乱に乗じ、カメラを盗んだ。やはり、犯行の一部始終が映ってしまったと考えるべきだな」

 泉は腕を組んで考え込んでいる。その間、カメラを探すのに協力していた彼らは休憩中のようだった。冷めてしまったであろう飲み物を各々が流し込む。その時。

「うっ……。ゲホッ!」

 椅子に座っていたエイトが激しくせき込む。ただ事ではない。彼女はそのままテーブルにうつぶせになり、何度もせき込んでは血を吐いた。そして、ひときわ大きくせき込んで大量の血を吐きだすとそのままその場に倒れこむ。テーブルの上に倒れかかってしまい、そこにおいていた懐中電灯がはずみで床に落ちた。身体の支えを失ったエイトはそのまま床へと倒れこみ、口から血を流し続けている。床に落ちた拍子でスイッチが入ったのか、懐中電灯が彼女の死に顔を照らしていた。

 

 夢野と星谷の悲鳴が連鎖する。男性陣も唖然とし、誰一人としてその場から動けない。ただ、空野だけは震える手を伸ばしていたが、それは泉にはたき落とされた。

「全員動くな」

 彼はそう言ってエイトの近くにしゃがみ込む。瞼を開き、手首から脈をとる。そして、血に塗れた口に鼻を近づけると、ゆっくりと立ち上がった。

「……死んでいる。瞳孔は開き切っているし、脈もない。それに、口内からはいわゆるアーモンド臭が漂ってきた。……毒物だな。それも青酸カリ」

「あ、あんた探偵だろ?なんで警察でもねえのにそんなことがわかんだよ」

 突然の出来事に頭が追い付いていないのか、ブラムが震える声で泉に問いかける。彼は平常心を失っていなかった。

「現在は探偵だが、もともとは弁護士だ。それも刑事と民事、両方のな。……刑事事件の場合、現場検証というのが普通は行われる。俺はそれにいつも同行していた。そしてその場で、これらの刑事的知識を学んだ。……回答としてはこれで十分だな?」

 ブラムは何も言わない。その代わりに空野が口を開く。

「自殺か他殺か。先生は分かっているのかい?」

「それはまだわからない。……自殺のために自分が飲む物に毒を入れるのは良くある話だ。だが、殺害予告の前例がある以上、他殺と考えるべきだろうな」

「え?なんで?私たちは犯人の言うとおり企画に参加してるのになんで殺されるの?」

 まだうまく事態を把握しきれていないのか、戸惑い半分怒り半分の夢野が泉に問いかける。

「犯人の目的はお前たちをこの離島に閉じ込めることだった。……ここで殺すために」

 生き残った六人全員が、互いの顔を見つめる。もしかしたら、自分の隣にいる者が人殺しかもしれない。そう考えるだけで、部屋には緊張感が充満していく。その緊張を振り払うように、宮島が疑問を口にした。

「エイトはコーヒーを飲んで死んでしまったのでしょう?先生は先ほど毒物だとおっしゃった。ですが、あのコーヒーに毒を入れられる瞬間など……」

「……そうか!夢野、お前が犯人か。珍しいと思ったぜ、自分から率先してお茶くみ係をやるなんてな。……毒を入れるためと考えれば、辻褄が合う!」

 ブラムが震える指で夢野を指さす。彼自身、この状況に少なからず動揺はしているようだが、それをどうにか演技で誤魔化している。指を指された夢野は疑われているというのに、妙に冷静だった。

「覚えてないの?停電前にエイトは私が出したコーヒーを飲んでいた。私が毒を入れたというのなら、その時点ですでに死んでいるんじゃない?」

「そ、そうか……。なら、どのタイミングで毒を……」

「停電中しかありえないだろう」

 それが当然であるかの如く、泉は言う。しかし、それは荒唐無稽というものだ。

「何を言うんです。暗闇の中、狙った人物のカップに毒を入れるなんてことができるとおっしゃるんですか?」

「もちろん。……まず、暗闇の中でのカップの見分け方だが。これは簡単だ、鼻を使えばいい。エイトを除く全員が紅茶、そしてエイトはコーヒーを飲んでいた。香りのもとをたどることができれば、暗闇の中で目を凝らす必要もない」

 部屋には、床とテーブルにぶちまけられたコーヒーの香りが広がっていた。紅茶の香りに包まれている中でも、かすかに感じられる。

「青酸カリは通常粉末状だが、水に溶かすこともできる。小瓶の中に溶かした青酸カリを入れて持ち歩くことも容易だ。小瓶の蓋程度は目をつぶっていても開けられる。後で自分のペットボトルでもやってみると良い。……あとは手探りでコーヒーが入ったカップの場所を確定させ、青酸カリを混入。……どうだ?誰にでも可能な方法だ」

「けれど、それだとまるで犯人には停電する時間が分かっていたみたいじゃないか。停電の理由は雷、超能力者でもなければ天候を利用するなんて……」

「……羽田君、先ほど撮った写真を皆様に見せたまえ」

「はい。……こちらです」

 私は皆に見えるようにスマホの画面を向けた。ブレーカーに細工がされている写真を見た彼らは目を見開き、言葉を失っている。

「これで分かっただろう。犯人には停電する時間が分かっていたことがな。……つまり、誰にでも犯行は可能だった」

「で、でも。あんな暗闇の中で動き回ればどこかに体をぶつけるはず。停電中にウロチョロ動き回っていれば、誰にでも怪しまれ……」

 そこまで言いかけた星谷は、ぎこちない首の動きで夢野の方へと向く。そう言えば、停電中彼女はずっと騒ぎ続けていた。

「夢野が図らずとも犯人の手助けをしたようだな。……なぜそこまで停電を怖がる。暗闇に嫌な思い出でもあるのか?」

「……別に。ただ、嫌になっただけ。だってそうでしょ?やりたくもないつまらない企画に、一週間ずっと嫌いな奴の顔を拝んで生活しなきゃいけないし、その上共同生活?……人を馬鹿にするのもいい加減にしてよ。そこに停電が重なって、吹っ切れただけ」

「お前の下らん癇癪が、犯人にとっては都合がよかったみたいだな。バカ騒ぎに紛れて毒物を無事に入れることができたんだからな」

 夢野はさらに苛立ちを募らせる。

「なんで私が責められてるの?私がエイトを殺したわけじゃない。責められるべきはエイトを殺した犯人でしょ?……ねえ、空野」

 夢野はいきなり空野の名前を呼ぶ。彼は困惑の表情を浮かべるが、夢野はさらに畳みかける。

「あんたでしょ。『テーブルにまだ飲み物が残ってる』って言いだしたのは。……毒を飲まずに捨てられるのは困るものねぇ?」

「それこそあり得ない話ですよ、先輩。もし、僕が犯人なら絶対に自分からは言いだしません。……こうして疑われるじゃないですか。それに、暴れまわるあなたを取り押さえるのに必死でそんなことをする余裕なんてなかったです」

「じゃあ、ブラムが犯人かしら。あなたいつもエイトにイラついていたものね。昔に何があったのかは知らないけど、ずっと殺したくて仕方なかったんじゃない?」

「ふざけんな。俺が犯人ならこんな回りくどいことはしねえ。一目のないところで刺し殺す、それで十分だろ。こんな手間をかける理由が俺にはねえ。それを言うんだったら、星谷の方が犯人っぽいぜ。俺よりも強い動機があるんだもんな。な?星谷」

 ブラムへと向けられていた疑いの目は、星谷へと動いた。彼女は左手で強く右の手首を握っている。

「……別に。もう解決した話だから関係ないけど。自分が疑われているからって、他の人に擦り付けるのやめた方がいいんじゃない?私よりも宮島マネージャーの方が最近は揉めてたしね」

「今ようやく売れ始めたばかりだというのに、いきなりやめたいとか言いだしたから、そんな無責任なことは許せないといっただけです。その程度のことなら、剛力君だって何か揉めていたでしょう?」

「あれはエイトの勘違いだった。後でちゃんと謝ってくれたし、その問題は片付いている。俺を巻き込まないでくれ」

 どうやら、彼ら全員がエイトと何かしら揉め事を起こしていたようだ。それぞれ問題の解決状況に差異はあるが、当事者以外が知っているということはそれなりに大きな問題だったということだろう。それぞれの言い分を聞いた泉は大きくため息をついて、言い合いを始めた彼らを止める。

「そこまでだ。これ以上ここで言い合いしていたところで犯人は分かるはずもない。……今日はもう遅い。一度休むこととしよう」

「待ってください。まだ、カメラが見つかってないんです。あれがないと、撮影が……」

「死人が出てるんだ。企画は中止。明日、朝一で船を手配してさっさと帰る。俺たちがすべきことはそれだけだ」

 帰るという言葉を聞いて、夢野が驚きをあらわにした。

「え?なんで?あんた探偵でしょ?目の前で人が死んでるのに犯人捜ししないの?」

「……アニメの見過ぎだ。探偵は本来そんな仕事じゃない。それに、これ以上ここにいればさらに死人が増える危険性がある。さっさと警察の保護下に入るべきだ」

「……嫌」

「は?」

「聞こえなかった?嫌って言ったの。私は帰らないわよ。この企画は私の活動三周年記念のための物。中止かどうかは私が決める」

 泉はこめかみを抑えている。夢野の傍若無人ぶりに苛まれているのだ。しかし、最悪の事態というのは連鎖するものだ。

「……そうです。カメラがなくとも、スマホがあります。画質などは少々劣るでしょうが撮影はまだ続けられます。……泉先生、依頼通りの仕事は続けてもらいますよ。もし嫌というなら帰っても結構です。その代わり、報酬も支払いませんが」

 人の死を目の当たりにしておかしくなったのか、宮島もふるえる声で企画を強行しようとしている。他の者もすでにそれなりの報酬をもらっているのか、誰一人として帰ろうと言いだす者はいなかった。宮島はスマホの画面を見ながら、半笑いで言う。……人が死んだ瞬間を目の当たりにしたせいか、少し精神に異常をきたしているのだろう。

「……そもそも、こんな嵐の中船を出してくれる人はいるんでしょうかね。それも、たった二人のために。警察へ通報しても、彼らが来るまでに一日以上はかかるはずです。そんなことをすれば、この中にいる人殺しに殺されてしまうかもしれませんね」

「人殺しの味方をするつもりか、宮島。いい加減正気に戻れ」

「……この企画には、社運すらかかっているんです。この大ヴァーチャル配信時代において、もっとも恐れられるのは『飽きられること』。飽きられないためには、コンスタントに何かを提供し続けるしかないのです。……百人以上の社員の生活が懸かっているというのに、たった一人の死程度で企画を諦めるなどできる訳がありません」

「どうせあと四年ほど経てば今以上に配信者があふれかえって、存在自体が飽きられる時が来る。それなら、今のうちに心を入れ替えてもっと真面目に……。いや、無理か」

 一人の死を「程度」で済ませる者達に心を入れ替えることなど不可能だ。……帰れるものなら今すぐにでも帰りたいが、確かに宮島の言うとおり雨はまだ止む気配がないどころか、先ほどよりもなお風の強さが増している。こんな中でたった二人のために船を出してくれる者など、誰一人としていないだろう。……少なくともこの嵐がやむまでは、この島にいなければならないということだ。

「泉先生、ここは彼らの言うとおり……」

「腹立たしいが、仕方あるまい。無理に船を呼んで転覆されても困る。……今日はもう寝かせてもらうぞ。付き合いきれん。……羽田君、行くぞ」

「はい、わかりました」

 私たちはダイニングを後にし、部屋へと戻った。自室で別れる前、泉は「よく戸締りを確認していくように」と忠告を残していった。ベッドに腰掛け、ため息をつく。とんでもないことに巻き込まれてしまった。時計はすでに十二時を回っている。すぐにでも寝なければ明日に響いてしまうが、目の前で人が死んだという事実と、それすら意に介さず企画を続けようとする彼らの無神経さの双方に衝撃を受け、頭がさえてしまう。結局、まともな睡眠はとれないまま、日の光を拝むことになってしまった。


 翌日、朝七時。浅い眠りから覚めた私は空腹だった。朝食を食べようとダイニングへ降りていくと、テーブルの一角に宮島が座って、パソコンを睨みつけている。彼はこちらに気が付くと「おはようございます」とあいさつをした。

「おはようございます、宮島さん。……こんな朝早くからお仕事ですか」

「ええ。……昨日はどうにもよく眠れず。どうせ寝られないのなら仕事でもしようかと。……社内機密ですから、内容はどうか」

「いえ、大丈夫です。興味ありませんから。……昨日のことなんですけど、エイトが配信業をやめたがっていたって本当ですか?それっていつ頃の話ですか?」

 私は、昨日宮島が言っていた言葉を思い出していた。殺人の疑いがかかったときに宮島が話したエイトとの揉め事。それがもしや事件に関係しているかもしれない。……彼女の遺体は誰かが運んだのか、すでにダイニングにはなかった。だが、彼女が吐いた血はまだ床にこびりついている。

「……ここで秘密にしても、他の人が話しちゃうかもしれませんね。ええ、本当です。えっと、確かちょうど一か月前ぐらいですかね。理由は教えてくれなかったんですが、『このままこの仕事を続けて行けるか不安』とこぼしていたんです。まあ確かにここにいる配信者の中じゃあ一番年上ですけど、それがかえって視聴者には落ち着いた女性として映っていいんじゃないかなと。事実、チャンネル登録者はじわじわと増えていましたからね。星谷ほどの爆発的な増え方ではないにしろ、着実にファンを増やしているっていう印象でしたよ。まあ、今時の現代社会は滅茶苦茶ですから、少しでも癒しが欲しいんでしょう」

「しかし、彼女にとってはそれでも不安だったと」

「ええ。超売れっ子っていう訳ではないですが、中堅かそれより少し上程度の稼ぎはありましたね。しかも、まだ伸びしろがある。ゆくゆくはあの夢野を越えるかもしれない。……そう思っていたんですけどね」

「彼女が配信者をやめたがった理由に何か思い当たることは?」

「そう言われても……。いくら聞いても答えてくれませんでしたからね。だから、『理由も言わずに辞めたいだなんて無責任だと思わないか』といったんです。そうしたら、エイトはすぐに謝って『この話はなかったことにしてほしい』と」

「じゃあ、何かその当時のエイトで気になった行動とかありました?」

「彼女は真面目でしたから、特に何か目立つようなことは……。いや、一つだけ。……ウチの事務所は、所属している配信者を何人か集めて動画を撮る時があるんです。まあ、今日みたいな企画ものですね。エイトは普段十分前行動を心掛けていたんですが、やめたいって話が出てくる一週間前ぐらいから、時間ギリギリまでスマホをいじることが多くなっていたんです。たぶん誰かと連絡を取っていたんだと思うんですが、人のスマホの画面をじろじろ見るのはいけないことじゃないですか。だからあんまり詮索しないで、『時間を守ってください』という注意だけにとどめていたんです」

 あまり事件に関係しそうには思えない。宮島が嘘をついている可能性もないわけではないが、それは後で他の誰かに確認を取れば済むことだ。わざわざすぐばれる嘘をつく理由は宮島にはない。……彼は犯人ではないのだろう。

「……そうですか。お話ありがとうございました。……そうだ、朝食ってもう食べました?よかったら私が用意しましょうか」

「え、いいんですか。ではお言葉に甘えて、よろしくお願いいたします」

「羽田君、俺の分も頼む」

 ダイニングの外から泉がそう声をかけてくる。宮島の「おはようございます」という挨拶に「おはよう」と返していた。

「起きたんですか。昨日は遅かったですからもう少し遅く起きるのかと」

「いや、もう十分寝た。それよりも腹が減ってな」

 泉に急かされ、私はキッチンに立つ。冷蔵庫には本州から持ってきていた食材が詰め込まれていた。卵とハムを取り出し、フライパンに油をひく。片手間にパンを焼いていると、においにつられたのか空野が上の階から降りて来た。

「おはようございます。……他の人はまだですか」

 宮島と話し込んでいたせいか時刻は八時を回っている。普通の人ならばすでに起床しているころだろうが、あと四人はまだ寝ているようだ。

「昨日あんなことがあったから疲れているんでしょう。今は寝かせておきましょうか」

「……そうだ。空野、昨日俺に何か相談したいことがあると言っていたな。昨日は結局聞きそびれた。今聞こうか」

「いや……。もういいかな。もう悩まされることもないだろうし」

「エイトが死んだからか?」

 泉はそう言い放つ。空野は一度面食らったような顔を見せると、すぐに困ったように笑った。

「まあ、そう言うこと。……詮索はしないよね。探偵はそこまで傲慢な仕事じゃないでしょう?」

「配信者よりはマシだ。しかし、お前の相談内容がエイトを殺害する動機になるということは十分あり得る。ついさっきも『もう悩まされない』とほざいていたしな。詳細に話さないようであれば、お前を人殺しだと警察に突き出すことになるが」

「まさか。証拠もないのに警察が僕を捕まえるとでも?」

「ああ。今まで警察に縁がない暮らしをしてきたのかもしれないが、あいつらは存外無能だ。物的な証拠がなくとも、『明確な動機』さえあれば逮捕に踏み切る。……『エイトとの間にあった簡単には話せない相談事』。十分彼らの逮捕条件に合致していると思うが?」

「……わかった。けれど、ここじゃ駄目だ。朝ご飯を食べた後に僕の部屋まで来てよ。誰にも聞かれない場所でなら、話してもいい」

 私はテーブルにハムエッグトーストを四皿置いた。空野は目を丸くしていたが、ゆっくりと席に着き「ありがたくいただくよ」と言う。男四人が「いただきます」と口をそろえた。


 食後、私は泉と共に空野の部屋へと来ていた。他の者はまだ部屋から出てこない。まだ寝ているのか、それとも起きているが出てきたくないのか。自分以外の誰かが犯人かもしれない、そう考えるだけで出歩きたくないのだろう。

「さあ、入って、どうぞ。……とはいっても、ここは僕の家でもないんだけど。何か飲むかい?」

「いや、遠慮しておこう。もしお前が犯人だった場合、ここで殺されることになるからな」

「いい警戒心だね。さすがは元弁護士の探偵というべきだ。……なら、ペットボトルでいかがかな。水しかないけど」

「……いただこう」

 空野と泉は同じタイミングでキャップを開け、同時に水を口へと流し込む。500mlの半分ほどを一気に流し込んだ空野は、短く息を吐いて昨夜に話すつもりだった相談内容を話し出した。

「昨日話そうとしていたことは、ご想像の通りエイトとのことだ。……少し前の話なんだけど、彼女と僕は付き合っていてね。事務所やファンのみんなには秘密にしていたんだが」

「……別れを切り出したが、納得してくれない。そんなところか」

「ご明察。けど、昨日誰かがエイトを殺したから、その問題も自動的に解決したってわけなのさ」

 今回の企画は不仲同士を共同生活させて仲直りを促すというものだった。空野とエイトは性格の都合上あまり揉めそうには思えなかったが、このような事情があったのか。ファンから不仲の噂が立つのも致し方ないのだろう。

「別れを切り出したきっかけは?」

「……合わなかったんだよね、いろいろと。まあ、こんな島を別荘に持つ祖父がいれば違ってくるのは当然だけど。……金遣いが荒いのなんの。もともと結婚も視野に入れていたんだけど、金遣いが荒い人に家の財布を任せるのは不安だろう?その上、この国で育った女性諸君はなぜか『私がこの家のお金を管理する』っていう強迫観念に取り憑かれているからね。いくら説得しようと思っても無駄だったのさ」

「金銭関係でのトラブルが原因での離婚は、いくらか仕事でかかわったことがある。……経験上、ああいう問題を引き起こすのは大抵が女性だ。旦那の稼ぎをすべて奪い取り、それの使い道はすべて自分で決める。少しでも口を出されれば烈火のごとく怒る。……はっきり言えば、滑稽だな。エイトもその類だったのか」

「まあ、大体そんなところかな。しかも『結婚したら女は家庭を守る』っていう昔ながらみたいな考えを本気にしていてね。結婚の話が出る度に、『配信業をやめる』って言っていたんだ。……今時共働きでもなければ生きていけないほど物価が高いっていうのに、何を考えているのか全く分からなくてね。その上、金遣いが荒いときた。僕は別に女の尻に敷かれるために結婚するわけじゃない。だから、別れを切り出したんだ」

「すいません。その、『配信業をやめる』って言いだしたのはいつぐらいですか?」

 私は先ほど宮島から聞き出したエイトの話を思い出していた。彼女がいきなりやめたいと言い出した理由はこれのせいかもしれない。

「……一か月前かな。それが何か?」

「彼女が宮島さんに『やめたい』と言い出していたのもちょうどそのころだったので。何か関係があるのかと」

「……まあ、本人が死んだ今真偽の確認は不可能だな。話を聞かせてくれて感謝する。行こう、羽田君」

 泉は席を立ち、半分ほど中身を飲んだペットボトルをもって空野の部屋から出た。わざわざ見送りに出て来た空野の視界から逃れるように自室へと戻ると、開口一番とんでもないことを言い出した。

「……嘘だろうな」

「え?」

「空野のことだ。……昨日、風呂場でブラムが言っていただろう。『あいつの言葉は信用するな』と」

「それだけで彼を疑うんですか?ブラムの言葉が嘘である可能性も……」

「宮島の必死の制止に説明がつかん。空野には何か、あまり公言できない秘密がある。ブラムはそれを知っているのなら、奴にも話を聞かねばならないだろうな」

 部屋の中をうろうろ歩きまわっていた泉は、次の標的を定めると部屋のドアを開けた。そして、ブラムが寝ているであろう部屋の前に立つと、遠慮なくドアをノックする。時刻は九時を回っているが、もしかするとまだ寝ているかも知れないという配慮などは一切ない。

「ブラム、ドアを開けろ。お前には聞きたいことがある」

「ちょっと、泉先生。まだ寝てるかもしれないんですから、もう少し……」

「もう朝の九時だ。こんな時間まで寝ているのは夜勤の人間か、あるいは病人か。それとも怠け者のいずれかだ。そしてブラムは夜勤でもなければ病人でもない。怠け者は叩き起こして然るべき者だ」

 話を聞きたいというのなら、せめて相手の怒りを買うようなことはやめてほしいのだが、簡単に改善されるのなら私自身が頭を悩ませたりしない。……ブラムはすでに目を覚ましていたようで、ノックをしてすぐに鍵を開ける音が聞こえて来た。

「朝から騒がしいな、泉先生。一体俺に何を聞きたいんだ?」

「昨日の風呂場の続き。空野の言葉を信じるなと言ったことの真意を」

「……先に朝飯を食わせてくれ。それからでいいなら話してやる」

「いいだろう。では、ダイニングに行くとするか」

 初日に船の上では互いに嫌い合っていたようだったが、互いに何か思う所があったのか、角が立たなくなっている。余計な揉め事は起こらないで済むならその方がいい。ダイニングには誰もいなかった。宮島がいるかもしれないと予想していたが、どうやら自室に戻って仕事をしているらしい。録画が回されたスマホが部屋の隅に置かれている。

「……泉先生、これ録画されてますよ」

「気にするな。後で宮島が編集でどうにかするだろう。それに、俺たちが映らないように配慮したところで、画面に映るのは男が一人で飯を食っている所だ。動画のネタにもならん」

「その通りかも知れねえけど、随分とはっきり言ってくれるな。……まあいい、俺は朝飯を頂くぜ」

 彼は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、コップに注ぐ。そしてロールパンを三個手に取るとキッチンからダイニングに戻ってきた。コップに入ったオレンジジュースと一口飲んで喉を湿らせ、あの話を始めた。

「……で、あんたらが聞きたがってるのは、空野のことだよな」

「ああ。昨日、『あいつの言葉を信じるな』と、そう言ったな。あれはなぜだ?」

「そりゃあ、あいつが詐欺師だからよ。それも生粋のな」

 詐欺師。あの空野が?確かに、あまり警戒されそうな顔立ちではないが、そんな人物が配信業などするだろうか。

「空野は誰を騙した?」

「……昔、ちょうど夢野が売れ出した時だ。大体二年ほど前だな。……あの時はまだ、『ヴァーチャル配信者』なんて言う存在は稀有だった。物珍しさからか、ファンが増えてな。それに金の匂いを嗅ぎつけた奴がいたって不思議じゃない。で、今俺たちが所属しているフューチャニスのほかに、『ドリームランド』っていう事務所ができた。空野はもともとそこに所属してたんだ」

「そこで、詐欺の事件を起こしたのか」

「ああ。それも、『恋愛詐欺』をな」

 恋愛詐欺。読んで字のごとく、人の恋愛感情を逆手に取り異常な額の金銭を要求したり、あるいは物品を要求したりする詐欺である。空野は過去にそんなことをしていたのか。これが事実ならば、宮島が声を荒らげてまで制止に入ったこともうなずける。配信者は日ごろのイメージが大事な仕事だ。少しでも悪評が出回れば、その話題でもちきりになる。彼らの仕事の性質上、ほとぼりが冷めるのを待つことも難しいだろう。出回った悪評に左右されるが、配信業をやめる選択を余儀なくされるのも珍しくはないとか。……恋愛詐欺と聞いて考え込む私たちをしり目に、ブラムは続きを話し始める。

「……もともと、ヴァーチャル配信業っていうのは男をターゲットにした仕事だ。現実では一切女に相手にされない惨めな男どもに提供する、ホステスと変わらないと言われても否定できない仕事だった。それでも相応に稼げてはいたんだが、欲っていうのは限りがねえもんでな。事務所のお偉いさんたちは『女性向けの配信者も出して、そっちからも金をむしり取ろう』って考えた。まあ確かに、ホストなんかに馬鹿みたいに金を出す馬鹿な女もそこら中にいるし、狙いとしちゃそこまで悪くないとは思う。けどな、そのために女を騙せる男を事務所に入れたんだ」

「……そうか。事務所に所属していた女たちが空野と……」

「そう言うこと。しかもあいつは四股かけてたらしいぜ。それぞれの女に『あの子には別れを切り出したんだけど、受け入れてもらえない』って嘘ついて回ってたんだ。当然事務所内の空気は最悪。ギスギスしっぱなしで碌に仕事なんてできたもんじゃねえ」

「けれど、それがバレたんだな」

「ああ。……騙された四人のうちの一人がな、『いい加減白黒つけよう』って言って会議室を借りたんだと。そこで話をしてみるとあら不思議。どうにも話がかみ合わない。原因である空野を呼び出してようやく、事の全貌が明るみに出た。本当なら警察沙汰になるところだったんだが、まだ金をとられたとかの実害もなかったからな、事務所を追い出されるだけで済んだらしい」

「それが、フューチャニスに転がり込んできたってことか」

「そうだ。……転生って知ってるか?」

 転生。死んだ魂が生まれ変わることではあるが、ここでは違う意味を持つ。ヴァーチャル配信者に限っては、以前のアバターを捨て、新たなアバターで活動を再開することを転生と呼んでいる。空野も『転生』したということだろう。

「一応知っている。この仕事を受けると決まった日から、それなりに勉強はしてきた」

「そうかい。……空野は転生してフューチャニスに入った。採用を決めた奴もあいつの昔の悪事は知っていたようなんだがな、それよりも配信者としての集客力を評価したんだと。確かに、あいつにはガチ恋ファンも大勢いたらしい。……ガチ恋ってわかるか?」

 ガチ恋とは読んで字のごとく「ガチで恋をしている」ということ。つまり、「芸能人やアニメの登場人物など、決して手の届かない存在に本気で入れ込んでいる」という状態だ。そのためか、彼らはその様を見た者が敬遠するほどの非常に熱狂的なファン活動を行い、その欲求を満たしている。泉は黙ってうなずき、ブラムの質問に答えた。

「そうか。……ガチ恋ファンの分、グッズ展開の速度もすさまじかった。一時はあの夢野を跳び越すんじゃねえかって思えるほどにな。……ただ、こっちに来てからはおとなしくしてるみたいだな」

「なるほど、空野に強く当たっていたのはそれが原因だったのか」

「……世の中、確かに金だ。それは分かってる。けどな、だからって犯罪者もどきすら稼ぎに使うってのはどうなんだよ。俺はそれが気に入らねえ。……上にも再三言ってるが、あいつらの耳に入ることは出世と金のことだけだ」

「それは日本中どこでも同じだ。一定以上の立場を手に入れると、出世と金にしか興味を示さない。弁護士業界も似たようなものだった」

 泉は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。彼は時折、自分の古巣を口汚く罵ることがあった。何があったのかは詳しく聞いていない。

「へえ……。あんたも人並みなところがあるんだな」

「今は関係ない。……空野の件についてはここまでだ。次はエイトの件。ブラムは、エイトにも強く当たっていたな。何か理由でも?」

 ブラムは最後のロールパンを咀嚼し飲み込むと、大きな声で笑った。そして。

「そりゃ当然、金持ちのあいつが気に食わねえだけだ。こんな別荘を持てるほど実家が太いくせに、ヴァーチャル配信者なんてやってるからな。……自分でもわかってんだよ。この仕事、社会には出られない人間のための仕事なんだってな。もちろん、まともに働いてた奴も中にはいるが、それはごく少数だ。八割、または九割の奴らはまともに働けやしねえし、働こうとも思ってねえ。それでも、人並みとは程遠いかもしれねえが、社会貢献の真似事が出来んだよ。……そんな中に、ご令嬢だって?……馬鹿にしやがって」

 ブラムは強くテーブルをたたく。彼の言葉に嘘は見えない。素直な言葉が、テーブルに叩きつけられた拳に裏付けされていた。

「だからって、俺は殺したりなんかしてねえぞ。『お高く留まりやがって』とはずっと思ってた。だがな、そいつを殺して俺に何の得がある。ただ一瞬、心がすっきりするだけだろ?……割に合わねえよ」

「そうか。わかった。話を聞かせてくれて感謝する。……行こう、羽田君」

 泉は席を立ち、ダイニングから出て行こうとする。ブラムは「待てよ」と言って泉を止めた。

「俺の言葉が嘘かもしれないぞ。そんな簡単に信じていいのかよ」

「……『お前の言葉を信じる』と、俺は一言でも言ったか?今の所、もう聞くことはないだけだ」

 泉はそう吐き捨てて、ダイニングから去っていった。私が急いで泉を追おうとしていた時、かすかにブラムが笑っていたような気がした。


 廊下を行く最中、泉は独り言をつぶやいている。

「……星谷か、それとも夢野か。どっちだろうか」

「先生、一体何の話ですか?」

「……どちらが先に起きてくるかの予想だ。……剛力の所に行くぞ。次は彼から話を聞かせてもらう」

 確か彼はエイトと何かしらのトラブルを抱えていたと、昨日自分の口から告げていた。ただ、そのトラブル自体は解決済みではあるらしいが、それが納得のいく解決であったかどうかには、疑問が残る。階段を上がり、剛力の部屋のドアをノックする。呼びかける間もなく、中から声が返ってきた。

「どうぞ、開いている」

 まるで待っていたかのようだ。泉もそれを感じ取ったのか、片方の眉を吊り上げ、腑に落ちないといった様子。しかし、招かれているというのなら遠慮する必要もない。「失礼する」の言葉と共に、泉が部屋のドアを開けた。

「何時から起きていた?」

「つい先ほど。下で話しているあなたたちの声が聞こえたので、そろそろこっちに来るのではないかと待っていた」

「……なら、待たせてしまって申し訳ないな。朝食は?」

「これで済ませた」

 彼はそう言ってベッド脇のテーブルに置かれたプロテインバーの袋を指さした。その隣には水が半分ほど入ったペットボトルが置かれている。

「そうか。では早速本題に入らせてもらう。……昨日、エイトとの間に何かしらのトラブルがあるということを話していたな。そのトラブルとはなんだ?」

「いわゆるアンチ工作。……俺が自分のファンに頼んで、エイトの配信を荒らしていたんじゃないかという言いがかりをつけられたことがあった」

 アンチとは敵対者のこと。単純化すれば対象のものが嫌いな者のこと。ここでいう工作は低評価の水増しであったり、配信内で卑猥だったり悪辣なコメントを残していくことを指す。簡単に言えば、「自分が嫌っているもの、それに好意的に関わっている者すべてを不快にしようと活動すること」を言う。法的なトラブルに発展した事例は少なからず存在し、配信者にとってはまさに死活問題と言えるだろう。

「疑われたきっかけは?」

「今から大体二か月前の話だ。エイトの配信にアンチが現れてな。コメント欄を意味のない単語で埋め尽くしたり、ジョイエリアの公式に何度もエイトのチャンネルを通報したり。最悪の場合、エイトが問答無用で引退する事態にもなり得た。……そのアンチたちのユーザーネームには、『剛力会員』の文字が入っていたらしい。それが原因でエイトに疑われたんだ」

『剛力会員』というのは、彼自身のファンの名称だ。それぞれ名前がついており、星谷のファンなら『二等星』。ブラムのファンなら『眷属』といったようなものだ。帰属意識を高め、よりファンとの交流を図るという効果があるようだが、実際の所は私にはわからない。……エイトは、自身のアンチが剛力のファンであることを理解し、剛力が誘導したのではないかと疑ったのだ。

「さっきも言った通り、アンチの工作は配信者にとっては死活問題だ。それは、アンチを仕向けたと疑われた側も同様。そんな性根の腐った奴を応援してくれる物好きなんていないからな。……だから、俺はすぐにジョイエリアの公式に解析を頼んだ」

「……それで、何がわかるんだ?」

「過去半年の間だけだが、そのユーザーがジョイエリア内でどう活動していたかを調べることができる。……エイトにアンチ工作を仕掛けたユーザーネームに、俺は見覚えがなかった。もしや、知らない誰かが勝手に名前を使っているんじゃないかと思ってな」

「で、結果はどうなった?」

「俺の予想通り、そいつらは過去半年間俺のチャンネルを一度たりともチェックしていなかった。……奴らがチェックしていたのは、エイトと夢野。あとはおそらく個人間での非公開やり取りで、内容は分からなかった」

「……結局、エイトからの疑いは晴れたのか?」

「ああ。少なくとも、俺が指示を出したという部分においては信じてくれたようだ」

「……なら、剛力さん自身にはエイトさんを殺す理由はなさそうですかね?」

「どうだろうな。……ひとまずはこれまでだ。協力に感謝する」

 泉は席を立つ。その時、剛力が泉を呼び止めた。

「あなたはなぜ事件を調べる。あなた自身にその責任はないはずだ」

「……地獄に堕ちたくはないからな」

 泉はそう言って剛力の部屋から出ていった。何を言っているのかよくわからず一瞬呆気にとられたが、すぐに泉の背中を追う。部屋を出る直前、剛力の「なるほど」という声が聞こえてきた気がした。


 剛力の部屋から出ると、泉の姿がすぐそこにあった。どうやら彼と部屋で話していたのが聞こえたらしく、星谷が様子を見に出てきたようだ。彼女と目があい、軽く会釈をする。私は彼女が苦手だった。すべてにイラついているような尖った視線が、臆病な私には耐えられないのだ。だが、どうやら泉とはそこまで角が立つわけでもないらしい。泉のいつもの調子を前にしても、彼女の機嫌は損なわれてはいなかった。

「今度は私でしょ?いいよ、朝ご飯を用意してくれたら、話してあげる」

「わかった。私が用意しよう」

 時刻は十時を過ぎている。朝ご飯というには少々遅すぎるが、そのようなことを気にするそぶりはない。泉を先頭に、私たちはまたダイニングへと降りた。ダイニングへと入ると、朝食を済ませたはずのブラムが三人掛けのソファに寝転がっている。彼はこちらをちらと見るだけで、何も言わなかった。彼女も彼がいることに対しては何も思っていない様子で、テーブルに腰を下ろした。それから十分ほどが経ち、彼女の目の前に置かれたのは二枚のトーストと目玉焼き、それに焼かれたウィンナーであった。星谷は「意外と普通」とぼやきながら、トーストを口に運ぶ。……彼女が食事を食べ終えた頃、泉が口を開く。

「さて。要望はかなえてやった。こちらの質問に答えてもらうぞ。……お前が抱えていたエイトとのトラブルは何だ?」

 彼女は卓上に置かれていたティッシュで口元をふきながら、何気もなく答える。

「エイトはね、空野と付き合ってたの。で、私も空野と付き合ってた。……たぶん、私は空野にとっての浮気相手だったんじゃない?」

 ソファに寝転がっていたブラムが鼻で笑う。彼が言っていた空野の過去の悪行はどうやら事実らしい。

「それはエイトに知られたのか?」

「うん。その時、空野とエイトが付き合ってるなんて知らなくて、事務所内とかでもあんまり隠さなかったの。そうしたら、エイトから『話があるんだけど良い?』って呼び出されて、事態を把握したってわけ」

「それからどうなった?」

「貸切った会議室で二人、事情を話し合ったの。エイトも怒りというよりは困惑が勝っていたみたいだから、話を聞いてくれないなんてことはなくてよかったかな。……で、私はその場で電話して空野との縁を切ったの。もともと向こうから言い寄ってきたんだけど、あいつってあんまり性格よくないのよね。ギャンブルでもしてるのか知らないけど、金遣いが荒すぎて。何度も何度も『金を貸してほしい』ってうるさくて。まあ、これもいい機会だなと思って別れちゃった」

「その時、エイトは何か言っていたか?」

「うーん……。しいて言えば、驚いてたね。まあ、目の前でいきなり別れ話始まったら驚くよね。あと、その話をしたのは大体二週間前なんだけど、その後……、一週間前だったかな。エイトも空野と別れたらしいよ」

「なるほどな。……つまり、空野にはエイトを殺す動機があるということか」

「え?そうなるの?」

 まだよくわかっていないのか、眼を丸くした星谷が声をあげる。まだソファに寝転がっていたブラムがあくび混じりに星谷を嗤った。

「馬鹿かお前。いきなり別れを切り出されれば、逆恨みすることも十分あり得るだろ。……それに、あいつはクズだ。正真正銘のな。何にどれだけ使っているかは知らねえが、エイトっていう都合のいい金蔓失って、正気でいられると思うか?お前も空野の過去は何度か聞いたことがあるだろ?」

「……え?本当に?自分勝手すぎない?」

 ブラムの物言いに驚いているようだが、今は彼が正しい。金が絡む殺人というものは往々にして自分勝手と縁がある。自分勝手が災いして殺されるか、自分勝手に人を殺すか。泉も黙って星谷が自然に漏らした疑問に頷いて答えている。さらに、最悪の事態にも言及し始めた。

「その線で行くと、星谷自身も危ういな。もしエイトが物事のいきさつを話していれば、空野が事態の発端であるお前にも逆恨みしている可能性もないわけではない。……エイトを殺したのが空野だった場合、お前も殺されるかもな」

「……はあ!?ちょ、ちょっとどうにかしてよ。あんた弁護士でしょ?」

「証拠がない。現場検証でもしたかったが、昨日のうちに誰かが片付けてしまったからそれは無理だ。……精々気をつけろ。今の俺には忠告しかできん」

「……まあ、そうよね。ずっと一緒にいるってわけにも行かないし。できるだけ気を付けることにする」

 星谷はそう言うと、椅子から立ち上がる。そして「ご馳走様」と言い残してダイニングから出て行き、男三人が残された。

「こりゃあ、あとであいつら宮島に叱られるな」

 ソファからのっそりと起き上がったブラムはまだ寝足りないのかあくびを噛み殺している。私はなぜ宮島が彼らを叱るのかわからず、彼に理由を聞いた。

「叱られるって、どうしてです?今の所、特に問題は起こしていないように見えますが」

「忘れたか?これは仲直り企画だ。俺たち六人……。いや、一人死んだから五人か。ともかく、俺たちの仲直りにいたるまでの一挙手一投足が動画のネタになる。だからああして宮島も仕事用のスマホをあそこにおいて動画を撮影し続けてるんだ。……だというのにあいつらは。自分の部屋に閉じこもってばかりで、企画にならねえ」

「しかし、目の前で人が死んだのですよ。それに、犯人が近くにいると考えるとそこまで簡単に部屋の外を出歩けないでしょう」

「でも、あいつらは企画の続行に賛成したぜ?前金で相当額もらってるからな。……俺だってそうだ。だからこうして企画にしたがって部屋の外に出てきてやってんのに、あいつらとくれば……」

「いや全くその通りです、ブラム君。君だけは良く企画の趣旨を理解してくれているみたいで頼もしい限りですよ」

 どうやら部屋の外で宮島が話を聞いていたようだ。彼の後ろには星谷と剛力、空野と夢野もいる。全員連れてきたのか。

「さあ、過ごすならダイニング内で過ごしてください。ここで一週間生活するのは企画のためです。配信者として稼いでいるあなたたちなら、何をすべきかはよくわかっているでしょう」

 しぶしぶといった様子だが、誰も宮島に逆らわない。皆、思い思いの所に座り近くにいる者ととりとめのない雑談を始めた。その様子に満足しているのか、宮島は何度もうなずき、カメラの死角となるところ、私たちの近くに腰を下ろした。

「いやあ、お見苦しいところを見せてしまって、申し訳ありません」

「構わない。お前たちの企画自体に、俺たちはいかなる関与もしていないからな。……少し夢野を借りてもいいか?」

「ええ。エイトの件で何かお聞きになりたいことでもあるのでしょう?ここではあれですし、エントランスでなら……」

「もとよりそのつもりだ。……夢野、話がある。ついてきてくれ」

 夢野は泉の物言いに怪訝な表情を浮かべていたが、宮島からも「夢野さん、従ってください」と後押しされたことにより、ため息をつきながら席から立った。私たちはダイニングを出て、エントランスまで向かう。隅に置かれた椅子に夢野が腰掛けると、苛立ちをあまり隠すつもりもなく、「何の用?」とぶっきらぼうに尋ねて来た。

「わかりきったことだ。エイトとのトラブル、何かなかったか?」

「あれでしょ、殺人の動機ってやつでしょ。そんなのがあったとして、正直に言うと思う?どうせ疑われるじゃん」

「お前以外からはもう聞き込みを終えた。何も話さないのなら、お前を人殺しだと決めつけて接することにする。疑われるのと、人殺し扱いされるのと。どちらがマシかよく考えろ」

 泉の言葉に、夢野はうんざりした様子で大きなため息をつく。しかし、彼の説得が効いたのか「わかったわかった」を皮切りにエイトとの関係について話し始めた。

「とはいっても、私はエイトとそんなに何か揉めた記憶がないのよね。年齢はあっちが確か二つ上だったのかな、でも配信者としては私が一年半ぐらい先輩だし。向こうは私のこと近寄りがたい先輩とでも思ってたんじゃない?私はエイトのことなんとも思ってなかったけど」

「仮にも後輩だっていうのに、何も思わないのか?」

「ええ。これは自惚れだけど、私は超売れっ子の配信者。私のおかげでヴァーチャル配信業っていう職種が生まれたといっても過言じゃないほどにね。そんな存在には、無限と言っていいほど後輩がいるの。要するに、みんな二匹目のどじょうになりたがったのね。そんな中でいちいち誰かひとりのこと覚えてるわけないでしょ」

「なら、特に印象に残ってる後輩もいないのか?」

「……星谷と空野ぐらいかしらね。星谷は、まあ有象無象の中じゃあ跳びぬけてる感じがするし。空野は宮島から言われたんだよね、『空野には気を付けておけ』って。あいつ昔、詐欺かなんかやってたみたいね。確か宮島が話してたような気がするんだけど、興味がなくてちゃんと話を聞いてなかった」

 あっけらかんとした様子の夢野は、私から見る限り人を殺すような人には見えない。泉もそう判断したのか、「もう十分だ」と言った。

「何?もう終わり?」

「ああ。後輩のことを気にかけてやらない冷たい人間に聞くことなんて、数えるほどしかない。……さあ、ダイニングに戻って企画の続きに参加してくると良い」

「……言われなくても」

 彼にしては珍しく、人をどこかに追い払うような口ぶりだ。夢野がダイニングへと戻っていったことを確かめると、彼はエントランスの階段に足をかけた。

「あれ、先生。どちらに?」

「宮島はカメラを無くしていた。少し探してみるとしようか」

「探すっていったって、手掛かりなんてどこに……」

 彼は私の言葉を無視して階段を上がっていく。少し古くなっているせいか、軋む音がよく響く。彼は二階まで上がると、手すりから身を乗り出しこちらに質問を投げかけてくる。

「羽田君、昨日はよく眠れたか?」

「いえ、事件のことを考えていたらそれどころではありませんでした」

「昨日、寝ている間に階段が軋む音を聞いた覚えは?」

「……いや、私が寝ていた部屋からだと聞こえないのでは?」

「では試してみるとするか。羽田君、私の部屋に入りなさい」

 屋敷の二階は皆の寝室になっている。階段を上がってすぐ、まっすぐ進むと四つの個室がある。一番奥から、夢野、星谷、ブラム、空野の部屋がある。また階段を上がってすぐのところを曲がって別の廊下に出ると、エイト、剛力、宮島、そして私と泉の部屋がある。泉の部屋は二階廊下の突き当り。一番奥の角部屋だ。宮島からの計らいで一番広い部屋を使わせてもらっている。私が部屋のドアを閉めると、一定のリズムで何かが軋む音が聞こえてくる。少し甲高く響くその音に、聞き覚えがあった。先ほど泉が階段を上っていた時に鳴っていた音だ。私はすぐさま一階に降りていた泉のもとへと近寄る。

「どうだった。聞こえたか?」

「わざと鳴らしているのでは?少し踏み込めばこれぐらいの音は……」

「では降りてみると良い。音を鳴らさぬよう慎重にな」

 彼の手のひらの上で踊らされているような気がするが、今のところは逆らう理由もない。音を立てぬよう慎重に、階段に足をかけた。足を乗せる程度では音は鳴らない。ここから慎重に……。そう思った途端、階段から軋む音が上がる。体重をかけることで鳴ってしまうようだ、これではどうやっても鳴らさずに階段を上り下りすることはできない。諦めてギイギイ鳴らしながら階段を降りた。

「おそらくだが、側面の接合部の釘が緩んでいる。長い間が経ち、開けられた穴が少しづつ大きくなってしまったのだろう。体重をかける度に釘が歪み、木材が擦れて音が出る。はっきり言えば、音を鳴らさずに階段を使うことは不可能。……そして、この階段を使わぬ限り、二階から一階に降りることはできない。二階の手すり部分から飛び降りれば問題ないが、階段以上に音が出るだろうな。それすら音が出ないようにできるのであれば、ヴァーチャル配信者などせずとも大道芸人として食っていける」

「つまり、どういうことです?」

 泉はこうした迂遠な言い回しをすることが多々あった。弁護士として働いていた名残なのか、小難しい言葉をよく使っていたせいだろう。

「……『犯人が盗んだカメラは屋敷の外に持ち出されていない』。窓から投げ捨てた場合を除いてだが。……昨夜、犯人はどこかのタイミングで宮島が撮影していることを知った。企画の趣旨は『仲直り』。その瞬間を逃さぬよう常にカメラを回しておくのは理解できる。だが、それは犯人にとっては不都合だった」

「……エイトのコーヒーに何かしている瞬間を取られるかもしれなかったから、ですか」

「そうだ。カメラというものは存外高性能でな。暗いところでもそれなりに写真や動画はとれる。……画質はそこまでよくはないが。ただ、犯人に何かしらの特徴があった場合。例えば、ブラムの銀色のアクセサリー。あんなのを身に着けているのはあいつ一人だ、それがエイトのコーヒーに毒を入れているところが映っていれば」

「一瞬で犯人が分かってしまう。だから犯人はカメラを盗んだんですか」

「幸か不幸か、夢野が暴れまわっていたおかげで盗み出すのは簡単だっただろうな。……問題は、犯人がカメラを盗んだ後どうしたか、だ」

「……そう言うことですか。だから、外に誰も出ていないということにそれほどこだわっていたんですね」

「ああ、そうだ」

 泉はまた階段を上る。

「昨夜、犯人がカメラを盗んだ後。もし外に捨てに行くということをしていたのなら、最後の一人になるまでダイニングに残っていたはずだ。全員が部屋に戻ってくれなければ、深夜の大雨の中、外に出る理由を説明しなければならなくなるからな」

 彼は窓の外を指さす。雷は収まっているが雨はまだ強く降りつけている。まだ止む気配はない。いくら不仲であろうともこんな中で外に出ようものなら少しは気にしてしまうものだ。

「だが、そうはならなかった。階段の軋みがその証拠だ。昨日、俺たちは一足先に部屋に戻った。その後、階段の軋みを聞いたのは一回。彼らが就寝のため二階に上がってくる時のものと考えるのが自然だ。そしてそれ以降、その音は聞こえてこなかった。そしてそのまま夜が明け、朝六時ごろに誰かが階段を降りていた。俺がダイニングに出てきたことを考えると、真っ先に起きたのは宮島。その次は羽田君で間違いないだろう」

「そうなると、一番怪しいのは宮島さんですね。一足先に降りて行ってカメラを処分する余裕があったでしょうし」

「……俺個人としては、あまり宮下が犯人だとは思えん」

 泉にしては珍しく、少し歯切れが悪い。彼は確定しない情報はあまり話さない主義のため、個人の感想などはあまり仕事に持ち込まない主義だ。そんな彼が珍しく「思う」と口にしていたことに、少し驚いていた。

「珍しいですね。一体何が理由で?」

「あいつの仕事だ。……カメラは宮島の管理下にあった。もしあいつが犯人だったとして、自分がこれから人を殺すという時にカメラを回していると思うか?」

「しかし、給電コードは差さっていましたし、皆の日常を撮影するためにと」

「本当にカメラが動いているかを確認してはいない。アレがすべてでまかせだった場合も考えられる。それに、後々確認を求められても停電の影響を受けて録画できていなかったとでもいえば俺たちは引き下がるしかない。……カメラを使っている宮島だけが、この手段を用いることができる。今の俺たちのように、カメラを探そうと行動させることすらもできない」

「しかし、実際にはカメラがなくなっていた。……宮島以外の誰かが犯人だから、ですか」

「ああ。とりあえず一階から探してみるか。昨夜、『トイレに行ってくる』と言ってカメラをどこかに隠しに行った可能性から潰して行こう」

「わかりました」


 それから私たち二人は、屋敷の一階を歩き回り始めた。最初は今いるエントランスからだ。

「物を隠す場所と言えば、大抵は人の死角になりうる場所だ。ここで言うと、例えば椅子の下。それに階段の影。ここからだと柱の裏も死角となっている。ここからは根気がものを言う」

 それから私は床を這いまわり、椅子の下やテーブルの下などの死角に目を通していく。泉は階段の裏を探していたかと思えば、部屋の隅にあったゴミ箱すらひっくり返して中身を確かめている。しかし、これと言ったものは見つけられなかった。床に散らかしたゴミをすべて片付け終えた泉は一つため息をついた。

「ここには何もないか。……羽田君、次に行くぞ」

「わかりました」

 それから約二時間近くをかけて屋敷一階を探し回ったが、カメラの発見には至らなかった。一階を一周してエントランスへと戻ってきた私たちは、少し低いソファに腰を下ろす。歩き回り、動き回った。昨日碌に寝られていないこともあり、大きなあくびが出てしまう。泉も腕を組んで天井を仰いでいた。彼も相当つかれているようだ。そんな私たちのもとに誰かが向かってくる足音が聞こえる。ソファに座ったまま振り返ると、ブラムがそこにはいた。

「昼飯の用意ができたぜ。早く来ないと全部食っちまうぞ」

 私は腕時計に目をやる。針は十二時を少し過ぎたあたりを指していた。ゆっくりとソファから立ち上がり、泉に呼びかける。どうやら彼は少しまどろんでいたようで、私からの呼びかけに大きなあくびで答えた。

 ダイニングテーブルに並べられていたのはサンドイッチだった。今日の料理担当であった剛力とブラムはエプロンをつけたまま食卓に着いている。彼らが動画のネタの意見交換をしている間、私たちは隅のテーブルで食事をしていた。

「そう言えば、何かされていたんですか?向こうでドタバタ聞こえたのですが」

 チーズサンドをかじりながら、宮島が言う。泉はこともなげに答えた。

「ああ。なくなったカメラを探していた。……見つからなかったがな」

 ダイニングの空気が変わる。皆、必死に忘れようと努めていたエイトの死が、頭に思い起こされているのだ。宮島の額にも冷や汗が一滴染み出ている。

「そ、そうですか」

「ああ。だから昼飯を食べ終わったら皆の部屋も探してみようと思うんだが……。どうやらあまり協力的ではないようだな」

 泉は五人がいる方をちらりと見る。彼らは普通に食事しているように見えて、こちらの会話を一字一句聞き逃さないよう耳に神経を集中させていた。そのせいか、先ほどまで行われていた彼らの会話がぱったりと途絶え、意味のない会話と適当な相槌だけが食卓に飛び交っている。彼らの視線が鋭くなったのを感じた泉は、「彼らが協力的ではない」と判断を下したようだ。

「協力する気がないのならそれはそれで結構。俺個人が非協力的だった人物を勝手に犯人だと決めつけるだけだ。それ以上人を殺させぬよう、付きっ切りで監視させてもらうがな」

 さすがに昨日知り合ったばかりの男といきなり私生活すべてを共有するのは無理がある。彼らもとんでもないことを聞いてしまったようなぎょっとした表情を見せていた。泉がさらに乗った最後のサンドイッチを手に取りながら言う。

「カメラ探しをするだけで、エイトを殺した犯人が誰かすぐにわかる。……やらない理由はない」

 彼はそう言ってサンドイッチをかじる。もう彼としては話し合う段階は過ぎたということだ。部屋への立ち入りは決定事項であり、それに逆らうようなら犯人とみなす。……彼の物言いは強引ながらもそれなりに筋は通っている。エイト殺しの犯人でもない限りは素直に従うほかない。


 昼食後、食器の片づけを終えた皆はそろって二階にいた。これからそれぞれの部屋を回って、カメラが隠されていないか捜す。まずは宮島の部屋からだ。内装はどの部屋も同じようで、持ってきた荷物がその人物の人となりを多少表しているように見えた。彼の部屋には黒いスーツケースの他、撮影用の機材が詰め込まれた鞄が床に置かれている。泉は真っ先にそのかばんの中を改めだした。彼らは何ともいえない表情で泉の行動を見守っている。

「……ないな。まあ、こんな誰でも思いつく簡単な所に隠すわけもないか」

「当たり前です。そもそも私はカメラを盗まれた被害者なんですよ?なぜ私の部屋まで……」

「宮島が犯人ではなくとも、他の誰かが何らかの手段を用いて宮島の部屋に入り、カメラを置いて行った可能性も考えられる。罪を擦り付けるためか、それとも元の持ち主に返してやるためか。……理由は見当もつかんがな」

「そんな……。それでは、いったい誰が犯人なのか結局わからないではないですか!?」

「何はともかく、カメラは戻ってきた方がうれしいんじゃないのか?」

「……それは、そうですが」

「よし。この部屋はもう十分だ。次に行くぞ」

 ベッド下の隙間を覗いていた泉はゆっくりと立ち上がり、皆を急かした。次はブラムの部屋だ。

「……思っていたよりもずいぶんと綺麗だな。片付けができないタイプだと決めつけていたが、認識を改めねばな」

「大した荷物持ってきてねえからな、散らかそうと思っても散らからねえよ」

 ベッド脇に開かれた状態でスーツケースが置かれている。中は服と歯ブラシなどの日用品。あとはスマホの充電器程度の物だった。大した荷物を持ってきていないという彼の言葉はその通りなのだろう。彼の荷物を調べ終わった後は、宮島の部屋の時と同じように調べて回っていた。何も入っていないクローゼットをしめ、泉がこちらに向き直る。

「ここも終わりだ。次に行くとしよう。……空野、部屋の鍵を開けてくれ」

 それから空野、剛力、星谷そして夢野の順番で部屋を見て回ったが、カメラは見つからなかった。残るはエイトの部屋だけだが、今その部屋には彼女の死体が安置されている。皆近づくことすら嫌がっているが、泉は何のためらいもなく扉を開けた。

「……当然と言えば当然か」

 扉を開けた瞬間、部屋にこもっていた死臭が廊下に流れ出る。たった一度嗅いだだけで二度と忘れることができない染みつく匂い。皆とっさに鼻を抑えたが、すでに意味などない。泉が窓にかかっていたカーテンを開ける。ベッドの上に寝かされているエイトの遺体はまだ目立つ腐敗を見せてはいなかった。顔は布で隠されているが、めくる気にはなれない。泉以外誰一人として立ち入ろうともせず、夢野にいたっては死臭に当てられたのか顔が青ざめている。他の部屋で探していた時と同じように、クローゼットの中などを調べていく。彼女が持ってきていたスーツケースも開けてみたが、中は服と日用品と私用のパソコンが入っているだけだった。電源をつけてみたもののパスワードは分からない。泉はパソコンの電源を切り、床から立ち上がる。部屋を一度見回した彼は、エイトが寝ているベッドで視線を止めた。そしてよどみない足取りでベッドに近づくと、彼女の身体に掛けられていた布団をはぎ取った。

「あっ!それは……」

「理由は分からないが、ここにあったな。……カメラが」

 エイトの死体がカメラを抱きながら寝ていた。彼は布団の微妙なふくらみに違和感を覚えたのだろう。

「し、死体が動いたってこと!?」

「取り乱しすぎだ、そんなことあるわけがない。……カメラを盗んだ犯人がこの部屋、そしてエイトに抱かせた」

「な、何のために……」

「高をくくっていたんだろう。『死体が安置された部屋までわざわざ探す人なんているわけない』。犯人はそう考えていた。だからこの部屋、しかもエイトの死体に抱かせた」

 泉はカメラの電源を入れ、操作し始めた。しばらくして舌打ちと共にカメラの電源を切った。

「ないな。昨日の夜あたりの録画が消えている。……消されたか」

「では、犯人の手がかりは……」

「ないな。……振り出しか」

 泉が部屋から出て、宮島にカメラを手渡す。すると、犯人の手がかりを見つけられなかったことへの怒りなのか、夢野がいきなり声を荒らげた。

「は?なんの手がかりもないの?あんたの言うとおりに部屋も見せてやってんのに、何にもないの?ほんとに探偵?」

「……何度も言うようだが、『探偵』は別に事件を捜査する職業ではない」

「じゃあなんであんたはそんなことやってんの?」

「事件の真相が気になって仕方ないだけだ。……それに、俺は地獄に落ちたくない。目の前の殺人犯を見逃せば地獄行きに近づいてしまう」

「……いい年してなに子供みたいなこといってんの?」

「いい年しておままごと未満に必死になっているお前よりはマシだ。口の利き方には気をつけろ」

 泉は足早に自身の部屋へと戻っていく。私は彼がこれからどうするのか気になってその後を追いかけた。その時、「あんたも殺されればいい」と夢野が小声で言っているような気がした。


「泉先生、入ってもよろしいでしょうか?」

「羽田君か。入っていいぞ」

「失礼いたします」

 扉を開けた先にはソファの肘置きを枕に寝転がっている泉がいた。目頭を押さえ、あくびをしている。

「お疲れですか」

「ああ。……半日かかってほぼ進展なしとくれば、さすがに身にも堪えるものだ」

 彼はのそりと起き上がり、テーブルの上に置いていた半分ほど水がはいったペットボトルに手を伸ばす。

「先生、他に何か手がかりなどはないのですか?」

「……ああ。何もない。もともと毒殺とはそういう物だ。証拠も残さず、自らの手も汚さず。卑怯で陰湿、小賢しい人間だけが扱える矮小な殺人方法だ。……もし、また新たな証拠が得られる時が来たら。その時はまた一人誰かが死ぬときだろうな」

「そんな……」

「犯人のことを考えると、まだ殺人は終わっていないはずだ。……わざわざ殺害予告の手紙を出してまで七人をこんなところに集めたんだ。エイト一人を殺したいのなら、事務所内なんかでもいくらでもチャンスはあった。しかし、それをしなかったということは何かしらの理由があるはず。……それも聞きださねばな」

 彼はペットボトルの水を飲み干すと、ソファではなくベッドに寝転がった。

「少し寝る。好きに過ごしていて構わん」

 彼は布団をかぶるとすぐに寝息を立て始めた。彼も昨日はあまり寝られていなかったのだろうか。ベッドから少し離れた一人掛け用のソファに腰を下ろし、眼を閉じる。私も彼と共に駆けずり回っていたおかげで疲労がたまっていた。今こうして腰を下ろしたのと同時に、疲労が体を支配している。背もたれに体を預け、ぼんやりと天井を見上げる。ここに来てからまだ二日しか経っていない。いろんなことが立て続けに起きすぎたせいで、時間の感覚も失いかけていた。深くため息をつき、目を瞑る。意識が次第に薄れていき、私はすぐに眠ってしまった。……それからどれほど経っただろうか。ドアをノックされる音で私は目を覚ました。

「泉先生、夕食の用意が出来ました。冷めてしまうのでお早く」

 外から聞こえてくるのは空野の声。時計を見るとすでに午後六時を過ぎていた。どうやらかなり長い時間眠ってしまっていたようだ。未だベッドで寝息を立てる泉を何とか起こし、外にいる空野に「すぐに行く」と返事をした。

 食卓に並べられていたのはビーフシチューとパンだった。もともと空野とエイトが今日の当番だったのだが、すでにエイトは何者かによって殺されている。そのため、彼が一人で用意したようだ。皆が食事に手を付け始めた頃、部屋の隅で食事をとっていた泉は彼ら五人をじっと見つめている。

「先生、どうかしましたか?」

「……一体、誰が犯人なのだろうか。じっと見つめたところで分かるわけもないが、それでもな」

「……本当に彼らの中に犯人がいるんでしょうか?」

 同じテーブルで食事をとっていた宮島がいきなりとんでもないことを言い出した。確かに彼にとってあの五人は仕事仲間か、もしくはそれ以上の関係性であってもおかしくはない。ともに懸命に働いた仲間を疑いたくはないのだろう。泉もそれは理解している。しかし、だからと言ってごまかすようなことはしなかった。

「では、宮島は……。『エイトを殺した犯人は何らかの手段を用いて島に滞在しており、俺たちの目を盗んでエイトを殺したあげくにカメラを盗み出して、それをエイトの死体に抱かせた』と。そう言いたいのだな」

 はっきり言えば、こんなことは不可能だ。私たちに知られないようにこの島に来る方法はいくらかあるかもしれないが、私たちに気づかれずに行動をすることは不可能だ。ここには九人が滞在していた。彼らがどう動くかもわからない中、忍び込んで人知れず動くということがどれほど難しいかは想像に難くない。その上、今日の午前中に私は泉と、「昨日の夜から今日の朝にかけて、階段を使った者はいない」ということを確認したばかりである。仮にそんな存在がいたとして、奴は「エイトを毒殺した後カメラを盗んでデータを削除したのち、二階のどこかに隠れ、エイトに盗んだカメラを抱かせてどこかに消えた」という行動をしていることになる。いや、もしくはまだこの屋敷内のどこかにいるかもしれないが、いずれにしろ人には不可能なことだ。宮島もそのことは分かっている。自分の知り合いが、仕事仲間が人殺しだと信じられないだけなのだ。その証拠に、彼は泉の問いかけに対し何も返さなかった。

「……気持ちはわかる。自分の目の前に殺人犯がいるかもしれないとは考えたくないのだろう。だが、事実はそうではない。彼らの内に人殺しがいる。そして奴はさらなる殺人を望んでいる」

「そんな……。ど、どうにか止められないんでしょうか?」

 すがるような宮島の願い。私としてもこれ以上目の前で誰かが死ぬのは見たくないが、泉はそんな薄っぺらい希望すら全力で叩き潰す。

「無理だ。犯人が誰を狙っているか、目星すらつけられん。いっそのこと全員を監視下におくしかできないが……。撮影は中断したくないのだろう?」

「……ええ。昨日もお話した通り、この企画には社運がかかっていますから。……ヴァーチャル配信者は飽きられやすいと、おっしゃっていましたよね」

「ああ。……だが、あれはただの持論だ。真に受けたのなら謝るが」

「いえ、泉先生の言うとおりです。……どんどん別会社から新人が増えて、それに対抗しようとしても中途半端な企画じゃ見向きもされません。一時期は『ヴァーチャル配信業の立役者』とまでもてはやされたウチの事務所ですが、近頃は過剰なほどの集金体制やマンネリ化した企画にちょっとした不祥事など、泣きっ面に蜂とはまさにこのことですね。……『老舗ヴァーチャル事務所に所属しているから、調子に乗っている』。ウチの事務所に所属している者をそういう目で見ている層は一定の数いるんです。そんな彼らを見返す意味も込めて、今度の企画は絶対に成功させなければならない。だから、撮影の中止は絶対にできないのです。どうかご理解ください」

「理由なんぞどうでもいい。俺たちも帰るに帰れん。俺を事件に巻き込んでおきながら、そのまま犯人を雲隠れさせてたまるか」

「……そうですか。それなら、よかったです」

 また手ひどく何か言われることを予想していた宮島は、予想外の泉の言葉に少し拍子抜けしながらもどこか安堵しているように見えた。私たちの食卓には少し柔らかな雰囲気が漂い始める。しかし、それはすぐにかき消されることになった。

「う……。あ……。カハッ……」

 誰かがうめき、小さな咳を出した。そして椅子に座ったまま床に倒れ、口からは大量に血を流していた。泉がハッとして立ち上がる。夢野がエイトの時と同じように叫び声をあげていた。床に倒れた星谷は首元を両手で押さえ、顔には苦悶の表情が浮かんでいた。


「……死因はエイトの時と同じと考えていいだろう。口から漂うアーモンド臭がその証拠だ。……二日立て続けで誰かが殺されるとはな」

 星谷の死体を簡単に調べた泉は立ち上がりながらそう話す。ともに食事をとっていた彼らは当然ながら暗い表情をしており、夢野にいたっては泣き声すら上げている。部屋の隅にまだ座ったままの宮島も憔悴しきっていて見るに堪えないほどだ。……泉が話し終わった途端、ブラムは空野を指さした。

「お前が犯人だろ。今日の飯はお前が用意したんだ。それに、昨日みてえに停電とかいうアクシデントは起きてねえ。お前以外に誰が毒を仕込めるんだよ」

「待ってくれ。僕には誰がどの皿を取るのかなんてわからないんだよ。あてずっぽうでそんなことができるわけないじゃないか」

 それらしい空野の反論に、剛力が言葉を返す。

「……もし、お前が『この場にいる全員の殺害』を望んでいたのなら、あてずっぽうでも関係ない。星谷が毒入りのシチューに口をつけたのは偶然だ」

 正論であるような気もする剛力の言い分に、空野は必死に反論する。

「よく考えてくれ。もし僕が本当に犯人だった場合、今こうやって僕がすぐに疑われるというのに、僕がそんなことをすると思うかい?犯人なら絶対にこんなタイミングは避けるはずだよ」

「その逆を突いて、お前が犯人だったりしてな」

 ブラムは空野を犯人だと決めつけているようで、彼の必死の反論に対してもどこか茶化したように言葉を返す。それを受けた空野もまた怒りを露わにし、ブラムに食って掛かろうとするところを泉が抑えた。

「やめろ。無駄に騒ぐな、考えがまとまらない。……ブラム、なぜそこまで空野を疑う?」

「……さっきこいつが言ってたよな。『あてずっぽうでそんなことできるわけない』って。……だがな、あてずっぽうじゃないとしたら?」

「どういうことだ」

「空野がシチューをさらによそう前に、星谷が言ってたんだよ。『私はそんなにお腹すいてないから、少なめにしてほしい』ってな。だから空野は星谷の皿だけはどれかはっきりと理解していた。仮に他の奴に渡りそうになっても、『それは星谷の分』だと疑われずに言えるからな」

「……なるほど、あてずっぽうではないということか」

「違う!僕は殺してなんかない!……第一、僕に動機なんて……」

 その言葉を聞いた途端、泉が無遠慮に口を開いた。

「動機ならあるだろう。お前はエイトと星谷に二股をかけていた。……だが、ほぼ同時に別れを切り出されたらしいな。それを恨みに思ったのだろう?」

 予想だにしない空野の秘密に、泣いていた夢野も顔をあげる。目元が腫れていて痛々しく見える。

「ど、どこでそれを……。宮島さん!」

「いや、ブラムと星谷から聞いた。……前の事務所では四股をかけていた恋愛詐欺師だったそうじゃないか。……女性関係はいい加減我慢の限界だったか?」

「やめてくれ!そんなことで殺すわけないだろう!?そもそも、こんな島におびき寄せる必要なんてないじゃないか!『もう一度話し合いたい』とでも言ってどこかに呼び出す方がもっと確実だ。こんな大勢にみられている中で人を殺すわけないだろう!」

「……だが、他に怪しいものがいないのなら、お前を暫定的に犯人としておくしかないが。何か気になることはないのか?」

 空野は必死に記憶をたどる。すると意外に早く「あっ!」と大きな声をあげた。

「剛力!それと、夢野先輩と星谷。その三人が配膳を手伝ってくれたんだ。彼らなら星谷のさらに毒を入れることもできる!それに、座席は一日目の昼に決めていたし、星谷の分だけは頼まれて少なくしていた。その皿が星谷の分だとは全員が知っていたはずだ」

 疑いの目は新たに二人に向けられる。剛力は黙ったまま、夢野は泣き腫らした顔を手で覆いながらも、手の隙間から空野を睨みつけていた。

「……とのことだが、剛力。何か反論は?」

「俺には星谷を殺す動機がない。デビューして一か月で夢野を超えるかもしれない人気を得た超大型新人と、二年たっても中堅下位の俺に接点なんかない」

 私はすぐさまブラムや宮島の顔色を窺ったが、剛力の言葉に対して何も反応を見せていない。彼の言っていることに嘘はないということか。

「で、夢野は?星谷とはずいぶん揉めていたんじゃないのか?今回の企画だってお前たちの不仲が原因で作られたものだろう?」

「……だからって殺すと思う!?そもそも先に仲直り企画を言い出したのは星谷だし。向こうから歩み寄ってきてくれるのなら、話し合いをするのが普通でしょ?なんで碌に話し合いもないままに殺さなきゃいけないのよ」

 泣き腫らした顔をさらしながら、悲痛な叫びと共に声をあげる夢野。彼女も犯人ではないのだろうか。……それでは、いったい誰が。

「……言い分は分かった。だが、これ以上ここで動機を話し合っていたところで何の解決にもならない。ブラム、剛力、手伝ってくれ。彼女を部屋に寝かせてやるとしよう」

 泉はそう言って二人を伴い、星谷を担ぎ上げてダイニングから消えて行った。夢野は顔を洗うためにお手洗いに、空野は食後の後片付けのためキッチンに戻っていき、ダイニングには私と宮島だけが残っていた。いつも座っている部屋の隅に腰を下ろす。そこからは部屋の全体がよく見えるのだが、床に残った血が、生活感に交じって非現実感を匂わせていた。

「……少し、よろしいですか?」

 宮島はそう言って隣に腰を下ろす。何か話があるのだろうか。「構いません」と返した。

「先ほど、夢野と剛力が『星谷を殺す動機がないこと』を説明していましたが、あれには少し気になるところがありまして……」

「彼らが嘘をついていたということですか?」

「いえ、そういうことではないんですが……。兎に角、聞いていただけますか?」

「……はい、わかりました」

「ありがとうございます。……まずは剛力についてなのですが。彼は『星谷と接点がない』というようなことを言っていましたよね」

 私は先ほどの剛力の供述を思い出す。……確かに、接点はないと言っていた。私はうなずいて続きを促す。

「実は、少しだけ接点があるんです。彼女がデビューしたての時、宣伝もかねて様々な配信者と事務所内コラボをさせたことがありまして。剛力とも一度コラボしているんです。……その時、彼女は一番尊敬している配信者に剛力の名をあげていました。私にとってもそれが意外だったので、覚えていたんです」

 確かに彼の供述には嘘があるということになるが、この情報自体が何か事件に関係することなどあるだろうか。……何か小さなきっかけが事件の解決につながり得るかもしれない。私はメモ帳を開き、ボールペンを走らせた。

「……次の話を伺っても?」

「はい。次は夢野の話ですね。……彼女たちの不和というのは事務所内でもちょっとした問題になっていまして。夢野はかなり体育会系と言いますか、序列にこだわるんですね。ほぼすべてのヴァーチャル配信者よりも先輩で、人気で。そのおかげで事務所も潤いましたから、上層部が甘やかしたんです。……その結果、敬われないとすぐに不機嫌になってしまうようになりまして。ですから、事務所内で何かしら夢野を交えた企画を取る際は、他の配信者に『夢野機嫌手当』という専用の手当を出していたこともありました」

「そこに、星谷が現れたと」

「ええ。もとより素質があったのでしょうか、一か月で70万人の登録者を獲得しました。このペースは最盛期の夢野のペースすら追い抜くほどの勢いで、星谷の登録者は今もなお着々と数を増やし続けています。……だからなのでしょうか、星谷は夢野を先輩だとは思っていても敬うような態度は一切取らないのです。夢野はたびたびその態度に目くじらを立て、しつこく注意をしていましたが星谷は聞く耳を持たず。遠くにいても聞こえるほどの大声で喧嘩していることも珍しくありませんでした。……ですが、その喧嘩を仕掛けていたのは毎回夢野だったんです。星谷にしてみれば、『訳の分からない言い分で勝手に怒ってくる人がいるから鬱陶しい』ということでしかなかったのです。実際そういう相談は何度か受けましたしね」

「……つまり、星谷から仲直りを言い出すのはおかしいと?」

「はい。……星谷がこれ以上のトラブルを嫌って、『とりあえず謝っておけばいいかな』という考えで行動したのかも知れませんが、そういう考えができる時点で夢野をおだててトラブルを回避すると思うんですよね。……仲直り企画自体を言い出したのは星谷なのですが、彼女には『これで夢野に頭を下げさせる』というような思惑があったようにも思えまして」

「夢野との考えが乖離していると」

「はい。……まあ、当人たちの間ではまだ話し合ったりなどはしていなかったと思いますし、言葉もなしに人の気持ちを理解するのは不可能ですから。互いの思惑が食い違っているのも当然と言えば当然です。……けれど、夢野があんなに泣き腫らすほど星谷のことを思っていたとは知りませんでした」

 私は宮島の話をメモに書き留めると、ダイニングの入り口に目を向けた。泣き腫らした顔を洗うために出て行った夢野。彼女が一体何を考えていたのか、知る必要があるかもしれない。


 それから五分後、泉たちが戻ってきた。死体を運ぶのは体力だけでなく精神にも疲れを及ぼす者なのだろう。泉は私の隣に座ると、コップに残っていた水を一息に飲みほした。

「先生、これからどうしましょうか?」

「……それは宮島が決めることだ。撮影を続行するのか、それとも企画を中止にするのか。決定権は俺にはない」

 宮島はというと、いつの間にか戻っていた夢野も含めた四人を前に今後の方針について話していた。

「エイトと星谷に関しては、体調不良による欠席として処理します。企画に関してはこのまま四人で続行したいんですが、何か質問は?」

「……犯人は捜さなくていいのかよ」

 周りの誰もが何も言おうとすらしていなかった中、ブラムがそう口にする。宮島は下唇を少し噛んでいたが、意を決したようだ。

「私たちの目的は企画の撮影であって、人殺しの犯人を捜すことではありません。……企画に集中してほしいのです」

「企画に集中?出来る訳ねえだろ、目の前で人が二人も死んでんだ。しかも、殺した奴はこの中にいるんだろ?そんな奴と仲直り?冗談じゃねえ」

「ブラム、我儘を言わないで。私だっていやだけど、自分の生活が懸かってるの。……死んだ人間の敵討ちと、自分のこれから。どっちが大事かは普通に考えればわかるでしょ?」

 先ほどまで取り乱すほど泣いていた夢野は正気を取り戻したのか、彼女らの死に冷たく接する。空野と剛力は何も言わなかったが、彼女の言葉に小さくうなずいているのが見えた。

「……何が自分のこれからだ。二人を殺したのはお前なんじゃねえか?星谷はお前より人気だし、エイトだって近頃登録者が伸び始めてた。自分より人気になる奴がいるのが気に食わなかったんだろ?」

 相手を小ばかにしたようなブラムの発言。これが夢野の逆鱗に触ったのか、聞いたことがないほどの大きな声で怒りを表す。

「私を馬鹿にするな!……あんな奴ら、私の足元にも及ばない!もちろんあんたも。私の登録者の十分の一程度しかない雑魚配信者が偉そうな口を利かないで!……マネージャー。こいつは無視して。撮影は続行。それでいいでしょ?」

「わ、わかりました」

「おい!俺は納得して……」

「あんたが納得するかどうか何てどうでもいいってさっき言ったのが聞こえなかった!?私に歯向かうな!黙ってて!」

 夢野の怒りは収まらず、異を唱えようとしたブラムを抑え込む。彼は舌打ちを一つ打つとあきらめたようにダイニングから出て行った。呼び止める宮島に対し、「疲れたから今日はもう寝る」とぶっきらぼうに言い捨てた。乱暴な物言いは部屋の隅にいた私たちにも十分聞こえており、その言葉を聞いた途端に泉も立ち上がった。

「羽田君、今日はもう寝るとしよう。撮影も今日はこれまでのようだ」

「わかりました。……そうだ、先ほど宮島さんに剛力と夢野について少しだけ話を聞かせてもらったんです。明日にしますか?」

「いや、これから私の部屋でその話を聞かせてもらおう。……俺も少し気になるところがあるからな」

 泉はそう言って未だ苛立ちをおさえきれていない夢野を睨みつけているように見えた。


「では、羽田君。先ほど宮島から聞いたという話を教えてくれ」

「わかりました。まずは……」

 時刻は七時半を過ぎていた。昨日から降り出していた雨は一向に止む気配を見せず、未だに風を伴って強く降りつけている。スマホで調べてみると、どうやら台風にぶつかってしまったようだ。最低でもあと三日ほど、雨は止まないだろう。……剛力についての話を終えた後、泉は顎に手を添えていた。

「確かに、事件に関係があるようには思えんな。その時に何かしらのトラブルが発生していたわけでもないのだろう?」

「ええ。宮島さんからはそのような話は聞きませんでした。もしかしたら、彼すら知らない何かがあったのかも知れませんが……」

「身近にいた者ですら知り得ない情報を俺たちはどうやって手に入れればいいのやら」

「直接聞いたところで、素直に教えてくれはしませんよね」

「そうだな。もしそうならわざわざ隠す必要がない。……いや、他の奴らに聞かれたくないからあの場で話さなかっただけかもしれないな。弁護士として、そして探偵として守秘義務があると伝えれば、話してくれるかもしれない。……明日、当たってみるとしよう」

 泉はコップに手を伸ばす。剛力についての報告はこの程度でいいだろう。次は夢野についてだ。……彼女の名前を出した途端、泉は少しだけ眉間にしわを寄せた。彼女について宮島が話していたことを一通り伝えると、彼は一人掛け用のソファから立ち上がり、部屋の中を歩き回り始めた。彼は何か考え事をするとき、大抵は腰を据えるのだが、難問に直面すると落ち着いていられなくなるのか立ち上がる癖があった。私は何も言わず泉が落ち着くのを待っていた。彼は歩き回ったまま、いきなり変な質問を投げかけて来た。

「……羽田君。学生時代でもなんでもいいんだが、君の過去には気に入らない人間というのはいたか?」

「ええ。高校生の頃、根暗な上に空気読めない奴がいまして。……あんまり好きになれませんでしたね」

「では。今からその彼と再び出会ったとして、過去を忘れて仲良くすることはできるか?」

「……いえ、それは難しいかと。もともとそこまで好きでもない人間と久しぶりになっただけで仲良くする理由はありませんから」

「彼が死んだらうれしいと思うか?」

 私はすぐに答えられなかった。彼は突拍子もない質問を投げかけてくることがたまにあった。泉は小学生のころから父親の仕事の関係で引っ越しが多く、青年時代に碌な友人関係を作り得なかったのだ。そのため、人と接するときに起こり得る事象については全くの無知である。それを補うためか、比較的普通と言える学生生活を送ってきた私を使って情報を仕入れようとしているのだろう。……とはいえ、この質問は普通ではない。そんなことは彼自身もわかっているのか、普段は答えを急かす彼も今だけは急かそうともせず、窓から降り続ける雨を眺め続けている。

「……先生、この質問には何の意図があるんですか?そんなことを知ってあなたは何を……」

「俺は、自分の嫌いな人間が死んだとき、安堵する。『死んでくれてよかった』とな。……これは、青少年期にまともな人間関係を構築できなかった人間の妄言なのか、それともそうではないのか。……君はどうだ?嫌いな人間の死を目の当たりにして、心には何がある?」

 彼は一度もこちらに振り向かなかった。真っ暗な窓の外を眺めながら、しかしはっきりとそう言った。部屋には屋根の打ち付ける雨の音だけが響いている。

「私は、何も感じないと思います。……私が嫌っている彼は、私自身に何かをしたわけではないので、彼が死んだとしても、『死んだんだ』としか」

「……そうか。羽田君、今日はもう休むと良い。昨日はよく寝られなかっただろう」

「え、ええ。わかりました。では、私は失礼します」

「ああ。お休み、羽田君」

 泉は部屋のドアを閉める。何回か聞いたドアの閉まる音だというのに、なぜか今のこの音だけやけに耳障りに感じた。

 部屋に戻った私は、ベッドに体を預け、天井を眺める。この離島に来てから二日しか経っていないというのに、もう二人が死んでしまった。何故この島を殺人現場に選んだのか。なぜエイトと星谷を殺したのか。まだこれ以上にも誰かを殺すつもりなのか。犯人は誰なのか。……わからないことだらけだ。今一番怪しいのは空野だが、他の者が絶対に犯人ではないのかと問われると、そうだとはっきり言えない。……そうしていろいろ考えているうちに、私はいつもよりずいぶんと早く眠りについていた。


 翌日、午前六時半。ベッドから起き上がった私はすぐさま部屋の風呂へと向かった。この屋敷には大浴場があるが、たった一人だけだというのに、大浴場の湯を沸かすなどという面倒なことはしたくない。部屋の風呂ならばスイッチを入れるだけで簡単に温かい風呂に入れる。昨日はシャワーを浴びることすら忘れていたため、体中に汚れと疲れがたまっている。熱い湯でさっさと流し去ってしまおう。髪と体を洗い、湯がなみなみとはられた風呂に体を沈める。風呂の中で考えることと言えば、やはり事件のことしかなかった。ここから帰るまでの残り五日間、誰も死ぬことなくこの離島から離れることができるだろうか。……そう言えば、この島にはエイトのツテを頼ってきている。彼女が死んだ今、彼女の祖父や家族に対し、宮島はどう説明するのだろうか。考えていても仕方のないことばかり、頭の中をよぎっていく。一度切り替えようと、手に湯をためてそれを思いきり顔に叩きつけた。飛び散るしぶきが、ぼんやりしていた頭を活性化させていく。顔から滴っていく水を軽く手で拭う。その時、あることを思い出した。……昨日、星谷が死んだとき。夢野は泣いていた。人目もはばからずに声をあげ、目元を腫れさせて。……彼女たちの不仲は、ファンたちの間では周知の事実であった。その険悪ぶりもすさまじかったと宮島から話も聞いている。そんな相手がいきなり死んだとき、人は何を思うだろうか。理由はどうあれ人が死んだことに変わりはなく、目の前で命が不条理に奪われたことに涙するのだろうか。それとも……。私は風呂から上がり、身体を拭いて着替える。部屋に戻るとちょうどドアがノックされた。「はい」と返事をすると、「羽田君、おはよう」という泉の声が聞こえてくる。私はすぐにドアの鍵を開けた。

「先生、おはようございます。昨晩はよく眠れましたか」

「まあ、普段通りとはいかないがな。……君は朝風呂後と言ったところか。朝食はまだだろう?ダイニングで朝食を頂くとするか」

「はい、そうしましょう」

 泉に誘われるまま部屋を出て階段を降りていく。今日は私たちが一番乗りだったらしく、ダイニングには誰の姿もない。手際よく朝食を作り終え、椅子に腰を下ろす。トーストに手を伸ばすと同時に、私は泉に今朝思いついたささやかな違和感を話した。

「……昨日、星谷さんが死んだとき。夢野さんは泣いていました。目の前で同僚が死ねば、多少なりとも動揺はします。だからその涙にも疑問とすべきところはない。……そう思っていたんです。けれど、先生からの質問をぼんやり考えていたら、なんだか彼女が泣いていたことになんだか疑問が湧いてきてしまいまして」

「誘導尋問のようになってしまったな。先に謝っておく。……俺は昨日、夢野が泣いていた段階ですでに彼女を疑っていた。犯人とまでは言えないが、あの涙には何か裏があるはずだと。理由はただの勘でしかないがな。しかしその後、君から宮島の話を聞いてその疑いは確信に変わった。けれど、それは対人関係が欠けていたことによる歪んだ考えなのではないかという疑問がぬぐえなかった。……人が死ぬのを喜ぶのは、人として最低の行為だからな。だから昨日、君にあんな質問を投げかけた。自分以外にそんな人間がいるのかとな」

「世の中はいろんな人でいっぱいです。自分の邪魔になれば進んで人を殺す人もいますし、自分の身を守るために嘘をついて他人を代わりに矢面に突き出すような人も。……自分の嫌いな人が死んで喜ぶ人なんて、珍しくもないでしょう」

「そうか。……夢野は果たしてどちらだろうか。喜ぶか否か」

「本人がいないところで好き勝手しゃべるのはやめた方がいいと思うけど」

 やたら棘のある声に驚いて振り向くと、夢野がダイニングの入り口に寄りかかってこちらを見ていた。泉は少し前から気づいていたらしいが無視していたのだろうか。好機とばかりに問い詰める。

「そっちから来てくれるのなら話は早い。……実際のところどうだ。星谷が死んで嬉しいか?」

「先生!そんな聞き方は……」

 泉の無神経な聞き方に夢野は腹を立てるのかと思ったが、彼女は表情を変えずにこちらをじっと見つめている。怒ってはいないようだが、それ以外の感情も表情からは読み取れない。一体彼女は何を考えているのか。……沈黙に耐えきれなくなったころ、ようやく夢野が口を開いた。

「……『はい、そうです』って言ったら、私が犯人ってことになったりする?それなら『いいえ』っていうしかないんだけど」

「そこまで短絡的な人間ではないと自負している。抱いた感情程度は素直に吐きだしてもらって構わない」

「なら、素直に言わせてもらうわ。……あの時は普通に驚いたわね。目の前で、しかも沢山血を吐いて。床に倒れた時の顔もなんだか怖くて。あの時は少しパニックになっていたみたい。今でも残念だなとは思っているわよ。せっかく星谷が和解を申し出てくれたのに、その話をする前に死んでしまったのだから。けど、これで無神経な後輩に悩まされずに済むと思うと、少し済々している自分もいる。……『うるさいのが死んでくれてよかった』って」

「なるほど。要するに驚き半分嬉しさ半分と言ったところか。予想通りだな」

「……泉先生は人の神経を逆なでするような物言いしかできないのかしら?」

「気を悪くしたか。謝罪しよう、すまない。……話は変わるが、夢野は空野が殺された二人と付き合っていたことを知っていたのか?」

 簡単な謝罪から話題の急な方向転換。泉のあまりの横暴に夢野も呆気に取られていたようだが、彼がこういう人間だと理解したのか、目くじらも立てることなく窓際のソファに腰を下ろすと、泉の質問に答え始めた。

「いえ、そのことは知らなかったわ。ただ、宮島マネージャーから『空野には気をつけなさい』と忠告されていたから、あまり関わろうとはしなかったけど。まあそもそも客層が違うからあまり一緒になることもないのだけれど」

「客層が違う?どういうことだ」

「簡単に言うと男性向けと女性向けに分かれているということです。夢野さんはあまり性別で分けてはいないようですが、空野さんは女性向け。エイトさんは男性向けというように活動しているということです」

 こんなことは常識、とでも言いたげな夢野の表情を見て察した私はすぐさま泉に説明する。彼は「なるほど」とつぶやき、夢野に向き直った。

「……まあ、大体羽田さんの言うとおり。私が企画に参加するときは大抵男性向けかそれとも制限が特にない時か。空野は女性向けの企画によく出るし、制限がないときは一緒になったことも何回かあったけど、そういう時は大体参加人数自体が多いから、その分忙しくて。いちいちおしゃべりなんてしていられないのよね」

「つまり、彼自身についてはあまり知らなかったと」

「まあそうなるわね。噂で『女癖が悪い』とは聞いていたけど、その程度。具体的な話は興味なんてなかったから。……もういい?朝ごはん食べたいのだけど」

「結構、ご協力に感謝する」

 彼は立ち上がるのかと思ったが、椅子に深く座りなおしただけだった。「どこかに行かないの」という夢野の問いに「特に行く当てもない。ここにいてはいけないのか」と返した。彼女は一人になりたかったようだが、泉を都合よく追い出せる言い訳を思いつかず、小さくため息をついて諦めていた。私は小声で泉に話しかける。

「先生、夢野さんは一人になりたいのでは?」

「……星谷の死に対しての感情で犯人かどうかを決めつけないとは言ったが、疑わないとも言っていない。もし彼女が犯人だった場合、今この隙に冷蔵庫の物に毒を仕込むことだってできる。誰が犯人かわからない今、全員を適度に疑うべきだ」

「ですが、彼女にはエイトを殺す理由が……」

「彼女の供述が嘘である可能性を考えろ」

「しかし、それではすべてを疑うことになってしまいますよ」

「それでいい。確実な証拠が出るまでは誰が犯人かなんてわからないんだからな。疑わしき者はすべて疑ってかかるべきだ」

 彼はそう言ってキッチンで朝食を作っている夢野に目線を向けた。トースターがパンが焼けたことを知らせる音を響かせる。彼女は朝食をすべて一枚の皿の上に盛り付けてダイニングに戻ってきた。彼女が食事に手を付け始めた頃、泉が話しかける。

「……そう言えば、昨日は夕食前にテーブルの片づけをしていたんだったな。そんなに散らかっていたのか?」

 彼女は一度こちらを睨みつけてきたが、相手は泉だ。その程度の威圧では相手にならない。彼女は観念したように泉の「おしゃべり」に付き合い始めた。

「そりゃあね。ただ企画をするっていっても、ただ顔を突き合わせて話してるだけじゃあまりネタにはならないし。ゲームしながらお菓子食べてたわ。他にも、剛力なんかは自分がジョイエリアに投稿する動画の編集もしてたりして、知らなかっただろうけど、意外と散らかってたの」

「そのゲーム大会に参加したのは?」

「剛力と宮島マネージャー以外。私と星谷、空野とブラムね」

「空野が調理担当で片づけに参加しないのは分かるが、ブラムは何をしていた?」

「先生方が今座っているテーブルに仕事道具を広げて散らかしていた宮島マネージャーの片づけを手伝っていたわよ」

 泉は顎に右手を添える。今の彼女の話から「ブラムに毒を入れる隙はない」と判断しようとしているのだろう。私も同意見だが、夢野が先んじてその考えの穴をつく。

「先に言っておくけど。私たちだってずっとテーブルの周りにいたわけじゃないのよね。飲み物を取りにキッチンに入ったり、トイレに行ったり。誰もテーブルを見ていない時間は少なからずあったと思うわ」

「なるほど、結局誰にでも毒を盛るチャンスはあったと」

 泉が腕を組み、深く椅子に座りなおす。その時ちょうどダイニングの外からエントランスの階段がきしむ音が聞こえて来た。誰が降りて来たのだろうと入り口付近を視界に入れていると、宮島が姿を現した。

「おはようございます、泉先生、羽田さん。それに夢野さんも。今日はだいぶ早起きのようで」

「昨日は早めに寝たから。お腹もすいたし」

 宮島は私たちと同じテーブルにつき、わきに抱えていた仕事用であろうノートパソコンを開く。画面には初日の夜に撮影したエイトが死ぬ前までの映像が映っていた。私はそれがどうしても気になり、じっと画面を見つめてしまう。宮島は私の視線に気づくと「どうかしましたか?」と言った。

「いえ、あの時の映像が流れているものですから、どうしても気になってしまって。仕事の邪魔をしてしまって申し訳ない、気が散るようなら控えます」

「ああいえ、人に見られるのは慣れていますから。……それに、これは別に仕事でもないんですが」

「では、なぜ?」

「泉先生が私にカメラを見つけてくれた時にはすでにデータが消されていたでしょう?どの程度消されているのか確かめたり、あとはデータの復旧が出来たりしないかということを試しているんです。しかし、ここらが限度ですね。犯人がカメラを持ち去ったとき、無理やりに電源を切ったのだと思います。そのせいで録画がここで途切れていて、復旧すらできませんでした。それらしい人の影は見えるのですが、それが誰かははっきりとはわからず……。捜査に協力できず、大変申し訳ない」

 彼はそう言って頭を下げる。私が頭をあげてほしいという前に、黙って聞いていた泉が口を開いた。

「謝るな。捜査の協力などを要請した覚えはない」

「しかし、私はこの場の責任者であるというのに……」

「なら、取り返したカメラを後生大事に持っておくことだ。犯人にとってカメラを盗んだことは予定外の行為だ。……画面をよく見ろ。これは手だ」

 泉は宮島のパソコンの画面を指さす。彼の言うとおりに目を凝らすと、確かにカメラのレンズが伸びてくる手を少しだけ捉えていたようだ。

「これを見るに、犯人は素手でカメラを掴んでいる。つまりあのカメラには犯人の指紋が残っている。ここで犯人が分からずとも、そのカメラから指紋を採取すれば犯人が誰かははっきりわかる。……まあ、拭き取られているだろうがな」

 盛り上がっていたところにいきなり水を差す泉。なんだか拍子抜けしたような気持ちだが、彼はこちらには構わず話を進める。

「だが、今時は技術の発展というのも凄まじい。……話は変わるが、指に指紋があるように手のひらにも掌紋というものがある。役割なども同じで、個人を特定するのに非常に役に立つ。ここから戻った後、この映像を警察に提出すれば一週間と経たないうちに犯人が誰かわかるだろうな。それまではあのカメラとこのパソコンを犯人に盗まれないよう気を付けておくといい。犯人逮捕の重要な手がかりだ」

「そ、そうなのですか。なら、今まで以上に戸締りなどには気をつけねばなりませんね」

 泉は真剣な顔で映像の有用性を宮島に対し説く。彼は泉の言葉を信じ、テーブルの上に置いたパソコンを少しだけ自分の身体に寄せた。


 泉たちの話がひと段落したとき、空野がダイニングへと入ってきた。彼はあまり寝られなかったのか、眠そうにしきりにあくびをしている。

「おはよう、空野さん。昨日はあまり寝られなかったみたいですね」

「おはようございます、皆さん。……ええ、昨日の星谷の死に顔が瞼の裏に焼き付いてしまったみたいで、ちょっとまどろむたびに苦悶の極みのような顔が浮かんでくるんです」

「罪悪感を感じてるならさっさと自首した方が身のためなんじゃない。自首すれば少しは罪が軽くなるんだったわよね、ねえ先生」

 あまり体調が芳しくない空野に対し、冷たい言葉をかける夢野。その上、自分に矛先が向かないようすぐに泉に話題を投げつけた。

「……確実なものではない。自首あるいは出頭をしたところで罪を犯した事実が消える訳でもない。ただ、甘ったれの裁判官が相手なら少しは軽くなるかもしれないな」

「僕は犯人じゃない。昨日もそう言っただろ」

「俺はお前が犯人だと思ってこの話をしているわけではない。夢野に聞かれたから答えただけだ。文句はそっちに行ってくれ」

 一度、泉に怒りを向けかけた空野だが、彼の言葉を受け怒りの矛先を正しい方向へと向けた。

「いい加減にしてくれないか。なんで僕をそんなに疑うんだ。何か恨みでもあるのか?」

「別に。元恋愛詐欺師なら最悪人殺しでもするんじゃないのって思っただけだし。……前科がある方が悪いよね」

「それは昔の話だ!今はそんなこと……」

 そこまで言って空野は言いよどむ。「そんなことはしていない」とは言えないのだ。エイトと星谷を食い物にしようとしていたことはごまかしようのない事実だからだ。彼のそんな様子を前に、夢野はさらに追い詰める。

「ほらやっぱり。二人を騙してたんじゃない。で、両方から同時に別れ話を切り出されてキレた。だから殺した。そうでしょ?」

「いい加減に……」

 空野は夢野へと詰め寄る。あの様子だと暴力沙汰にも発展しかねない。宮島はすでに椅子から腰を浮かせているが、泉はまるで知ったことではないというように腕を組んで座ったままだ。

「空野、やめとけ。今ここで夢野をぶん殴っても疑いは晴れねえぞ。それどころか『カッとなってすぐに暴力を振るう粗暴さ』が証明されちまうだけさ」

 ダイニングの外からブラムがそう声をかけた。空野はもうすぐで夢野を殴りかけていたが、住んでのところで拳をひっこめる形となった。

「そうそう、暴れてちゃこいつの思うつぼだぜ。なあ、夢野。……それとも人殺しとでも呼べばいいか?」

 彼は夢野の正面の席に座った途端にとんでもないことを言い出す。泉と夢野以外は彼の言葉に驚かされていた。疑われた本人は眉をぴくぴくとひくつかせている。努力して隠しているようだが、彼女の苛立ちは手に取るように分かった。

「……なんで、私を人殺しと呼ぶの?」

「そりゃあ、昨日おかしいほど泣いてたからな。あんだけ嫌ってたやつが死んで普通泣くかよ。どうせ演技だろ?なあマネージャー。夢野は最近女優業にも手を出し始めてるんだって?」

 ここで初めて聞いた情報が飛び出す。空野はまた驚いた表情になり、夢野は頭を抱えて唸っている。どうやらあまり公表してほしくはない情報だったらしい。その話が気になったのか、泉が説明を促す。

「どういうことだ。宮島、説明してくれ」

「……わかりました。とはいっても、別にそんなに難しい話という訳ではありません。CMに出たつながりからドラマの撮影にも少しお呼ばれされたぐらいで。役割も今と同じような配信者役なので、事務所もそろそろ新たな業界に手を出してみようと考えていたタイミングだったので、ちょうどいいかなと」

「まあ、大体そう言うこった。事務所内じゃ秘密にしようとしてたみたいだが、そりゃ無理だぜ。夢野がべらべらしゃべってたからな」

 ブラムがさらにカミングアウトする。キッと夢野を睨みつける宮島に対し、彼女は「仕方ないじゃん」と前置きし、言い訳を並べ始めた。

「だって女優業なのよ!顔がいい運だけ馬鹿どもしかなり得ない女優業に私も片足を突っ込めるの!自慢しないで何になるのよ」

「うまくいくかわからないんだから秘密にしておけって話しましたよね?なんでいつもマネージャーである私の話を聞かないんですか?」

「うまくいかないわけないでしょ!あんな努力もなしにちやほやされる仕事なんて誰にでもできるんだから。何をそこまで卑屈になってるの?私が一躍事務所を有名にしてあげたのに、まだ私のことを信用してないの?」

 私たちをそっちのけに、二人は喧嘩を始めてしまった。ブラムはテーブルから離れ、窓際のソファに腰を下ろした。

「……めんどくせえよな、あいつ。物事が自分の思い通りにいかないと腹が立ってしょうがねえんだろうぜ」

 喧嘩を鎮める訳でもなく、ブラムは空野に対し愚痴じみた言葉を投げかける。彼も先ほどまで抱いていた怒りはすでに消え失せており、彼の誘いに乗るようにソファへと腰を下ろした。

「まったく、困ったものだ。助けてくれてありがとう。……しかし、君も僕のことを疑っていたんじゃないのかい?」

「さあね。……別にお前を疑わなくなったとは言っていないけどな」

 初日にあったような険悪な雰囲気はどこかに消え失せていた。人の死を経て行われたということはいかがなものであるが、企画の趣旨である「仲直り」は進んでいるように見えた。

「……とにかく、これからは女優業の内容は話さないように。いいですね?」

「……」

「返事は?」

「……はいはい」

「はいは一回……。いえ、この際はいいとしましょう。泉先生、この話はどうか内密に。変に注目されても困りますので」

「ああ。別にこいつが女優野郎が俺には関係ないからな。あと二時間も経てば忘れる」

 泉は興味がなさそうに返事をする。彼の目は宮島のパソコンの画面を見つめていた。

 大体のいざこざが片付いた後、剛力もダイニングに出て来た。これで生き残っている者全員がダイニングにそろった。男性諸君はまだ朝食をとっていなかったようで、宮島が支度をしている。夢野は気分を悪くしたのか、姿を消していた。私たちはそのまま、ダイニングに居座っていた。別に他の所に行く用事もない。男三人の食事風景を眺めているだけだ。朝食の支度を終えた宮島は先ほど泉に言われたことを気にしていたのか、部屋にパソコンをしまうために部屋に戻って行った。彼がいない間、泉は夢野について彼らに尋ねる。

「夢野が女優業に手を出し始めたのが何時か、誰か知らないか?」

「結構最近の話だぜ。確か星谷がデビューしてすぐぐらいだから、一か月前か。そうだよな?」

「いや、僕はあまり人のうわさを聞かないタイプだから。剛力はどう?」

「……俺もその時からだったと記憶している。周りではかなりの騒ぎになっていたからな。その話で何日も事務所内が持ちきりだったはず」

 泉は眉を顰める。彼らの言葉に何か気がかりな点でもあるのだろうか。

「何故そんなに騒ぎ立てるんだ。一人の女が女優の仕事に手を出したってだけだろう。そこまで噂することなんて……」

「それがあるんだな。言っただろ、星谷のデビューの時だって。……『女優業にうつつを抜かし始めた夢野に代わって、新しい看板が立てられようとしているんじゃないか』ってな。あんときは夢野も相当調子に乗ってたからな、それが気に食わなくて変な噂が独り歩きしたのさ」

「……面倒な業界だな」

「楽な仕事なんて滅多にねえよ。政治家か、テレビに出てる芸能人か、それすらなれなかったタレント崩れのコメンテーターか。あるいは経営コンサルか。こんなとこだろ?」

「それには同意する。……話は変わるが、星谷と夢野の関係について知っていることを教えてくれ。宮島からはすでに聞きだしているが、それを補強したい」

 泉は宮島から聞き出していた夢野と星谷の関係について話していく。当初はうんうんとうなずいていた彼らだったが、彼女らが揉めていたという話になった途端首を傾げ始めた。

「どうした、何か気になるところでも?」

「さっき言っていた『二人が揉めてた』ってところなんだけど……。そんな優しいものじゃなかったんだ」

 空野が嫌な記憶を思い出すように顔をしかめて言う。泉はブラムと剛力の顔色を窺ってみるが、まるで嫌いな料理を目の前に出されたような、そんな表情をしている。あまり思い出したくもないことなのだろうか。

「大声で罵り合うのはいつものことなんだ。ある日は取っ組み合いなんてすることもあった。しかもたまにじゃない。割と頻繁に。週に二回か三回はあったかな。正直見ていられなくて困ったんだけど、夢野はすぐに後輩を呼び寄せて自分の味方を作るんだ。僕も何回も呼ばれたよ。たまに所用で事務所に来てみれば廊下を転がって髪の毛を引っ張り合っているなんてこともあったね」

「ああ、そんなこともあったなあ。配信業で成功する女っていうのは我が強いもんとはいえ、いくら何でもあれじゃあなあ。……俺は、星谷がこの企画を考えたなんて言葉すら嘘だと思ってるぜ。普段からそんな取っ組み合いするような奴と仲直りできるかよ」

「しかし、宮島は星谷が発起人だと言っていたが」

「そうらしいな。何考えてたのかは知らねえが、まさか自分が殺される羽目になるとは夢にも思ってなかったんだろ。まあ、誰も予想できるわけがないと思うが」

 ブラムがどこか達観したような物言いで話を終わらせたとき、ちょうど宮島が戻ってきた。泉は彼に聞きたいことがあったようですぐさまエントランスに彼を連れ出している。あまり口外できない話題であることは泉自身も察してはいるのか、すぐ近くにいる者にしか聞こえないような声で話し始める。

「夢野は一か月前からドラマの撮影に参加していると聞いたが。演技はどれほどうまい?」

「ドラマの監督さんは『予想通りのうまさ』と。もともと配信者としてリスナーに対しての演技はしていましたから、それも三年も。まあ、一流の女優と比べたりするのはおこがましいですが、素人とは思われないほどに演技はできるのではないかなと」

「……なるほどな。なら……」

「ちょっと、それやめてくれない?」

 頭の上から声が響いてくる。声の方向を見ると二階から夢野が顔を出していた。どうやら話を聞かれていたらしい。

「なんでそんなに私のことを聞いて回るの?まるで私が犯人みたいじゃない。気分悪いからやめてよ」

「俺は平等に全員を疑っている。お前を犯人だと思っているし、空野やブラムだってそうだ」

「……なんで?私が犯人じゃないのは普通に考えればわかるでしょ?私には二人を殺す理由がないの」

 私たちが聞いた話を思い出す限りでは、彼女は十分にエイトたちに対しての殺害動機を持ち合わせている。しかし、彼女はそれを動機だとすら思っていないようだ。泉も面倒事は避けたいのか、「……わかった。もうお前については聞きまわったりしない」と口約束を結んでいる。彼女は満足したように軋む音を立てながら階段を降り、ダイニングの方へと向かっていった。宮島も「それでは私も仕事がありますので」と言って彼女の後を追ってエントランスからいなくなった。泉はダイニングへと続く廊下を睨みつけると、エントランス正面の小さな客間に足を踏み入れた。

 客間の中は窓すらなく、あるのはローテーブルとそれに合わせた高さのソファ。それに部屋の隅に置かれた場違いなしおれた観葉植物だけだ。彼は適当に腰を下ろすと、天井を仰ぎだす。私は彼の正面に腰を下ろし、様子を窺っていた。彼は小さな声で唸っている。何かを考えているのだろうか。そう思っていると、彼がいきなり口を開く。

「羽田君。犯人の目星はついたか?」

「いきなり何を言うんです。怪しいと言えば全員が怪しく見えます。まあ、宮島さんは犯人ではないとは思いますが。目星なんてとても……。そう言う先生はどうなんですか。まさか犯人が誰かわかったのですか?」

「いや……。ただの予想だ、証拠もなければ論理的な思考もない。感情論未満のただの持論だ。……一度、この屋敷を歩き回ってみるか。何か見落としているかもしれない」

「……本気ですか?屋敷の中は一回、カメラを探すために歩き回ったじゃないですか。今さら……」

「『何の発見もない』と?そんな証拠はないだろう。それに、あの時はエイトが死んだときに歩き回った。今は星谷が死んだときに歩き回る。何かが変わっているかもな。……どうせ暇なんだ、座ってばかりよりは断然マシじゃあないか?」

「わかりました。……お付き合いします」

「それでこそ私の助手だ。では行くぞ」

 彼も碌に寝られていないというのに、あまり疲れを感じさせない立ち上がりを見せる。そして彼は手始めにこの客間から調べ始めた。とはいってもうろうろ歩き回りながら不意に気になったところをのぞき込む程度である。あまり真剣に調べる気がないのではないかと思い始めた頃、彼は口を開いた。

「羽田君。君は事件についてどれほど事態を把握しているんだ?聞かせてくれないか」

 黙って調べまわるのも嫌なのか、彼は私に話すよう求める。断る理由が思いつかなかった私は事件の始まりを思い出すように話し始めた。

「……この事件の前に六人に向けて殺害予告の手紙が届いていたこと。この事件は彼ら五人のうち誰かが犯人であること。すでに殺害されたエイトと星谷は犯人ではないこと。犯人の動機は未だ不明であること。……この程度でしょうか」

「ふむ。……犯人はなぜ殺害予告の手紙を送ったのだろうか」

「え?それは……」

 彼らをこの島に閉じ込めるためだと前に彼自身の口で言っていたはずだ。もしやそれ以外に何か理由があるのだろうか。……少し考えてみたが、理由は思いつかない。最初に思いついたままの言葉を話した。

「彼らをこの島に閉じ込めるため、ではないですか?」

「……彼らが脅しを本気で受け取れば、誰一人として企画に参加しない選択をする者はいなくなる。だからこそ殺害予告をした。……俺も最初はそう考えていた。しかし、そうではないような気がするんだ」

 彼はソファの背面に回り込み、背もたれに腰を下ろす。そしてその姿勢のまま続けた。

「宮島が何度か言っていた。……『この企画には社運がかかっている』とな。事実、エイトが殺害された後もこうして企画を続行し、星谷までもが殺害されてもなお、企画の撮影は続いている」

「つまり、『殺害予告などなくとも、彼らは企画に参加せざるを得なかった』ということでしょうか」

「そうとも考えられるのではないか、ということだ。……だがそうだとした場合、わざわざ殺害予告の手紙を送った理由に見当がつかない。結果として、俺たちという余計な存在を呼び込む羽目にもなっている」

「……ではやはり、企画を強行させるためだったのでは……」

 泉は納得していない。壁を鋭くにらみつける彼の眼力が、私の歯切れも悪くさせていく。彼はひざを叩き立ち上がった。

「ここは狭くて空気が悪い。外に出るとしよう」

 彼は客間のドアを開ける。遮音性に優れていたのか、エントランスに響く雨音が久しぶりに聞こえて来た気がした。雨が止むまではあと二日ほどだろう。


 泉は玄関の扉を開け、外に視線を向ける。雷は収まり風も弱まっているが、雨の勢いだけは依然強いままだ。

「……足跡はないか」

「先生?もし犯人がいたとしても、わざわざ外に出る理由などないのでは?」

「何が手掛かりになるかはわからないからな。こういう所は良く見ておいた方がいい。……一昨日にここに着いた時、まずは掃除をしたんだったな」

「ええ。皆で手分けして屋敷中を。まあ夢野はさぼっていたようですが」

「……その間、彼女の姿を一度も見ていないな。一体どこで何を……」

「おそらくですが、自分が使う部屋の掃除かと。私も一階の掃除の後に自室を見ましたが、思っていたよりも埃がたまっていました。あの中で寝るのは勘弁ですね」

「なるほど、夢野は相当な綺麗好きということか」

 彼は玄関から離れ、エントランス左側の廊下へと向かう。その先には手洗い場と物置がある。

「一昨日の夜、エイトが殺された。あの時は雷もひどく、落雷が原因と思われる停電まで起きた。……もともと精神衛生があまりよくなかった夢野がそれをきっかけに暴れだし、犯人はその隙を縫ってエイトのコーヒーに毒を混入。それと同時に宮島のカメラが盗まれていた」

「泉先生は宮島さんを犯人ではないとお考えでしたよね」

「ああ。もし俺が犯人ならば決して部外者を呼び寄せたりはしない」

「では、エイトとその後に殺される星谷を除いたあの四人の中に犯人がいると。……そしてその人物はあの時に撮影されていることを知っていた」

「宮島は『秘密でカメラをまわしている』と言っていたが、犯人はそれに気づいていたのだろう。……犯人にとっては面倒だっただろうな。エイトのコーヒーに毒を入れることに加え、宮島のカメラを盗まなければならなくなったのだから。それに、電気はすぐに復旧した。あまり余裕はなかったはずだ。あの時、ダイニングをよく探していれば、もしかするとカメラは見つかっていたかもしれないな」

「先生、後悔は先に立ちません。たらればを言っていたとしても犯人が止まるわけではないのですから……」

 そこまで言って、口を噤んだ。私は誰を相手にして偉そうな口をきいているのだろう。洗面台の下の収納を覗いていた彼は一度こちらに視線をよこしたが、いつものような言葉は飛んでこなかった。

「君の言うとおりだな。滅多にない状況下に放り込まれて少し気が滅入っていたらしい。……切り替えるとしよう」

 彼は洗面台の蛇口をひねって水を出すと、顔を洗い始めた。何度も手のひらでためた水を顔に打ち付け、顔を洗うというよりはそれ以外の何かをどこかへと追いやろうとしているようにも見える。五分ほど経ち、泉は一度大きくため息をついて顔をあげ、鏡をじっと睨みつけている。私は声をかけるつもりにもなれなかった。踏ん切りがついたのか、そばにあったタオルで顔を拭いた泉はこちらに振り返り、「待たせてすまない」と言った。

「物置に移動するか。まだあの仕掛けは片付けていなかったはずだ」

 彼は一階廊下突き当りの物置の扉を開け、そこから地下へと降りていく。あの時は停電しているせいで明かりがつかなかったが、今は違う。頼りない電球一つのみだが、ないよりはマシだ。……地下室奥のブレーカーには、まだあの仕掛けが残っていた。蝋はすでに冷えて固まっている。

「仕掛けとしては単純な部類だな。レバーに重りを括り付けて、蝋と縄を使って時限式に仕立て上げる。……一度でも何か推理物の小説なり漫画かアニメでも見ていれば覚えがあるだろうな。……あまり知能レベルも関係ない。ヴァーチャル配信者程度の脳みそでも思い付き、実行するまではできるはずだ」

「しかし、一体いつ仕掛けたのでしょうか?あの日はここに来てすぐ掃除が始まり、それが終わると同時に風呂。その後は夕食と、一人になるタイミングというのはあまりありません。トイレなどを言い訳にこちらに来ることはできても、この仕掛けはなかなか大掛かりなものです。少しの時間でできるでしょうか?」

「……一度仕掛けを作ってみるか。羽田君、縄と縄を固定できそうなものを探してくれ。ろうそくが望ましいが、なければ適当に何かで代用しても構わん」

 彼はそう言ってブレーカーに仕掛けられていたものを取り外し始めた。私はその隙に一階の物置に戻り、頼まれたものを探し出す。頼まれたものはどちらもすぐに見つかり、すぐに泉の元に戻ることができた。

「もう見つけて来たのか、早いな。こちらもちょうど仕掛けはすべて取り除いた。……では、羽田君はこれを」

 彼はそう言って私にスマホを手渡す。画面はストップウォッチだった。

「俺が『スタート』と言った瞬間に計測を開始してくれ。……では、スタート」

 私は画面をタップする。彼はすぐに近くに捨てられていたマッチで火を点け、蝋を少しあぶって棚の上に垂らし、その上にろうそくを押し付けながら息を吹きかける。冷めた蝋でろうそくを固定するということか。それに縄を結び付け、天井に張り巡らされている配管の内の一つを滑車代わりにし、縄を上から通す。彼の身長でもぎりぎり足りず、何度か投げ直すことで思い通りになった。そして配管の上を通った縄に重りを取り付け、レバーに括り付ける。配管の上を通っている固定されたろうそくによってピンと張られている。あとはろうそくに火を点け、蝋が溶けてなくなるのを待つだけだ。彼は私に目線を送る。私はそれに応えるようにタイマーのストップボタンをタップした。

「……何分だ?」

「三分です。配管の上に縄を通すところで何度かやり直していたので、犯人はもっと早い時間でやってのけたのかもしれません」

「俺の身長は178センチだ。これより高い者は?」

「……確か、剛力の公式プロフィールは身長180センチだったはずですが」

「2センチ差か。あまり意味はなさそうだ。……あの中に、例えば野球や槍投げなど、何かを投げることをしていた者は……。いる訳もないか、奴らが投げられるのは匙だけだ」

「いえ、ブラムは中高と野球部に所属していたみたいですよ。ピッチャーではないにしろ、スタメンとして。縄を投げて配管の上を通すということも、他の人よりは秀でていそうですが……」

「そもそも、周りに古くなった椅子なんかが大量にある。これを使えば誰でも簡単に縄を通せる。……うかつだったな」

 彼はそう言って部屋のわきに積まれていた椅子のもとへと歩み寄る。古くなってはいるが、まだまだ壊れそうには見えない。仕舞われているというのに、埃もかぶっておらず……。

「先生、その椅子、おかしくありませんか?こんな地下室に仕舞われているというのに、埃をかぶっていませんよ」

「何?……本当だ。しかし他の椅子もそうだ。どれもきれいに掃除されている。……こっちのミニテーブルもだ。いや、この棚には埃が残っているな。どういうことだ?」

「先生、確か物置は『使う用事もないから掃除もしなくていい』とエイトが言っていたはずです。この痕跡は、本来存在し得ないものでは?」

 なぜか地下室の一部の物だけ、埃が払われている。椅子やテーブル、何が入っているかはわからない木箱などは掃除されているようだ。一体どのような基準で、なぜこれらを?泉もそれを探るため、掃除されたものを一つずつ運びだし、電球の下に持ち出した。少し古い木造りの四脚椅子。少し体重をかけた程度ではびくともしない。新しい物を買ったために物置に放り込まれてしまったといったところか。続いて木のローテーブル。一階客間にあったものとほとんど同じだが、表面には無数の傷やインクらしき汚れが染みついていた。少しこすったどころか、洗剤などを用いても落とすことのできない汚れだ。だから買い替え、物置にしまい込んだのだろう。そして最後は何が入っているかわからない木箱だ。近くにあったさび付いたバールで無理やりこじ開けると、緩衝材に包まれた高価そうな壺が出て来た。金が主体となり、松や鶴などが描かれている高級感あふれるものだが、事件への関連性はあまりないだろう。……一体これらがなぜこの地下室の中で掃除されていたのか。……泉は棚に残っていた埃をなぞり、声をあげた。

「これが原因か」

「どういうことです?」

 彼は説明せず、「これを見ろ」としか言わない。彼の言葉に従って棚を見ると、積もった埃の中に彼が指でなぞった跡が残っていた。だが、私はこれが何を意味するかを理解できていない。そんな様子で泉を見ると、彼はついに説明を始めた。

「この部屋に仕舞われたものは大抵、なぞれば一目でわかるほど跡がつく。すなわち、何に手が触れられたかがすぐにわかる」

「しかし、だからどうだというのです。何が使われたかわかったところで……」

「人の体重や体格というのはまちまちだ。自分の体重を支えてくれるものは慎重に選ばねば、たちまち落ちてけがをしたり、大きな音を立てて他の者に気づかれてしまうだろう」

「……犯人がこの中のいずれかを足場に使い、配管の上に縄を通したということですか」

「ああ、そう言うことだ。……だからと言って、犯人が絞れるわけではないがな。しかし、材料は残っていたはずだ」

 彼はそう言ってもう一度自らが棚につけた埃の跡を見る。私は彼が言いたいことにようやく気が付いた。

「……指の太さ。それが犯人を見分ける材料だったということですか」

「気づいたか。……例えば、この椅子を犯人が足場に使っていた場合、運ぶために手を使い、足場にするのだから靴の跡もつく。指の太さ、手の大きさ、履いている靴はそれぞれ違う。そのいずれかが残っていれば、犯人が誰かを判別することができた。……犯人はそれに気づき、掃除をしたんだ」

「しかし、なぜ他の物まで掃除を?自分が使った物だけでよいのでは?」

「それでは犯人が足場に何を使ったかがすぐにわかってしまう。……そうなったとき、犯人をあぶりだすため俺なら一人ひとり上に載ってもらうだろうな。そして、その者の体重に耐えきれず壊れたのならその者が犯人からは外れることになる。……仮にそれで一人しか外れなくとも、自分が今までより強く疑われることになる。……犯人はそれを恐れたのだろうな。随分と抜け目なく小賢しい犯人だ」

 彼は犯人が使ったかもしれない椅子に腰かけながらそう話す。その言葉の端々には犯人への軽蔑がにじみ出ていた。彼はすぐに立ち上がり、上へと続く階段に向かい、僕に指示を出した。

「羽田君、それらの物は写真に撮っておいてくれ。何かの証拠になりうるかもしれないからな」


 撮影を済ませて階段を上がる。彼はまだ一階の物置で何かを調べているようだ。

「先生、一体何を調べているんですか?」

「先ほど、俺は羽田君には縄と固定できそうな何かを頼んだな。すると君はあの瞬間において最も適したものを素早く持って戻ってきた。……この部屋にすべてそろっていたのかと気になってな」

「そのことでしたか。それなら……。ろうそくは奥の棚の上に、縄もこの部屋の壁に掛けられていました」

 彼は私の言葉の通りに地下室を歩き回る。そして棚の上にあったろうそくの入った箱を見つけた。何個も積まれており、災害時に備える姿勢が見て取れた。あまり他所では見られない少し長いものだ。

「二本なくなっているな。犯人が使ったものと、先ほど俺が実験に使ったものと考えるべきか。この部屋には都合よく縄もある。重りは何でもいい。……まさか突発的な犯行なのか?」

「いえ、それはあり得ませんよ。それなら殺害予告の手紙の存在が意味不明になります。この殺人は計画的だったと考えるべきです」

 泉は眉間に深くしわを刻んでいる。彼自身もこれが計画的な犯行だということは分かっている。しかし殺害のトリックに使われたものはまるで急ごしらえで、計画性が欠けているように見えることが彼を悩ませているのだろう。

「……では、トリックを用いることが突発的だったとすればどうだ。犯人は何らかの理由であのような小細工を弄さねばならない理由があった、あるいはできてしまった」

「……その理由とは?」

 彼はまた考え込んでしまう。自分でも厳しい推理だということは分かりきっていたのだろう。……ろうそく、縄、重り。大抵どこにでもありそうなもので、代用もそれなりに効きそうだが、あるかどうかは場所による。わざわざ殺害予告を出し、被害者になり得る人物を無理やりにでもこの島に閉じ込めようとする手段を取る人間が、人を殺すとなったときにそのような行き当たりばったりな行動をとるものだろうか。

「……羽田君、現在の時刻は?」

「十一時半です」

 考え込んでいた泉が口を開いたかと思えば、時間を聞いてきた。私はすぐにスマホを確認し時間を伝える。彼はその場でしゃがみ込んで何かを見つめていたが、膝に手をついて勢いよく立ち上がった。

「戻るぞ。昼食にしよう。……腹が減った」

 彼の言葉で思い出す。結局午前中は歩き回るか考え続けるか。常に何かをし続けていた。脳は糖分を欲しがり、腹は空腹を訴え始めている。私は彼の言葉に頷き、そろって地下室から出た。するとちょうど夢野がトイレから出て来て、目が合ってしまった。彼女はこちらを睨みつけるような一瞥を送り、何も言うことなく先に行ってしまった。先ほど女優業についていろいろ聞きだしたせいで嫌われてしまっただろうか。泉は特に気にすることもなく、彼女の後に続くように歩き始めた。そのまま皆が集まっているであろうダイニングまで行くと、予想通り生き残った五人が集まっている。二人殺されてもまだ撮影を続けようとする精神にはもはや尊敬の念すら覚え始めていた。


 ダイニングに入ると、空腹をなおのこと強めるようないい香りが漂っている。どうやらすでに空野や剛力は昼食を済ませているらしい。全員そろって食事をするというルールは形骸化していたようだ。近くにいたブラムに理由を尋ねると、「殺人犯が作った飯なんか喰えねえってだけだ。先生方も自分で作るんだな」とソファに寝転がりながら言う。おそらくそれを言い出したのは夢野だろう。その言葉が出た途端、彼女はこちらを睨みつけていた。徹底的に嫌われてしまっている。それほどまでに女優の話は禁句ということなのだろうか。あれほどまでに自分で話しまわっていたというのに。私は泉と協力して簡単にサンドイッチを作ると、部屋の隅のテーブルでさっさと昼食を済ませると、すぐにダイニングを出た。昨日とは違い、全員の気が立っている。次は自分かもしれない、隣に座っているのが人殺しかもしれないという思いが昨日より強まっているからだろう。私は泉の後を追い、彼の部屋へと足を踏み入れた。

「はあ……。ダイニングは息がつまりますね」

「仕方ないと言えば仕方ないことだ。それに、人が死んでいるというのにリラックスしている方が変なのだから、今の状態の方がある意味では正しいな」

 泉と私はそれぞれ丸テーブルをはさむように置かれた一人掛けようのソファに腰を下ろす。先ほど冷蔵庫から取り出していたよく冷えた水が、ぼんやりとした頭を冷やしてくれる。

「……しかし、手掛かりらしいものはほとんどなかったですね。唯一それらしいものだった踏み台も犯人の手によって掃除されていましたし」

「すべてが無駄だったという訳ではない。犯人がいかにしてあの停電の仕掛けを作り上げたのか。それが分かっただけでも十分だろう。……前にも言ったと思うが、毒殺はあまり証拠が残らない殺人方法だ。特にこのような警察の手が届かないところではな。だが、犯人はそろそろ大きな動きを見せるはずだ」

 まるでこの先に起きることが分かっているかのような話し方だ。彼は犯人ではないというのに、どうして犯人の行動を予測できるのだろう。

「……どうしてです?何か犯人にとって不都合なことでも起きたのですか?」

「第一として、俺たちという存在。犯人にとっては俺のような依頼相手の仕事の方針にいちいち強い口調で口出ししてくる奴は邪魔でしかない。これは二つ目の理由にもつながるが、ここにある台風はそろそろ西に抜けていくようだな。海も落ち着きを取り戻し、迎えの船もすぐに呼べるはずだ。そうなったとき、宮島は何を選択するか」

「……企画最終日まで島に残るか、それともすぐに帰るかということですね」

「そうだ。……当然と言えば当然だが、二人も殺され次は自分かもしれない場で残り四日を過ごす精神を常人は持ち合わせていない。それに、先ほども見た通りだがすでに企画倒れしているほど、彼らは互いを警戒している。……仲直りなど到底無理だ」

「つまり、宮島さんは企画を中止して帰る選択をするかもしれない、と」

 泉はうなずき、コップに入れていた水を一口で飲み干す。

「その可能性が犯人の頭にある限り、奴は大胆に動かなければならない。犯人にとってのタイムリミットはこの台風が過ぎ去るまでだ」

 エイトが殺された日の夜から降り続けていた雨は少しだけ弱まり、初日は空が白むほど降りしきっていた雨は収まりを見せている。後、二日経てば完全に雨が止むだろう。


 昼食後、泉は昨日と同じように昼寝をし始めた。いつも通りの振る舞いを見せているが、人の死は彼にとっても大きなダメージを与えていることに変わりはない。弁護士時代、幾度も刑事事件を担当し死体も嫌というほど写真で見たらしいが、実際に見るのとはわけが違うということなのだろう。私はその間ソファから立つことなく、ぼうっとしていた。どうせやることもないし、一階はほとんど調べ終わったはずだ。二階を調べようにも個人の部屋には鍵がかかっているし、エイトが死んだときに彼らの部屋はすでに調べている。あの中にいる犯人はそれほど簡単に犯人が特定されるほどのヘマをするようには思えなかった。そんなことを考えながら私もひと眠りしようかと目を瞑った時、ドアがノックされる。私よりも先に泉がベッドから起き上がり、ドアを開けた。

「お取込み中だったでしょうか?」

「いや、休んでいただけだ。それより何の用だ、宮島。……入れ」

 わざわざ訪ねてくるということは他の誰かにはあまり聞かれたくない話なのだろうか。泉もそう判断したのか部屋へと招き入れる。彼は泉の言葉に従い、そのままソファに座った。

「で、一体何を話に来た?」

 泉は前置きを好まない。本題を急かすのは誰が相手でも変わらなかった。……宮島が話始めようとしたとき、彼は不意にドアの方を見る。どうやら誰かが階段を上がってくる音を聞いたようだ。どうしても気になったのかドアを開けて廊下を確認しているが、誰もいない。自室に何か用事でもあるのだろう。泉が改めて腰を下ろすと、宮島は話を始めた。

「……企画は中止にしようと思います。台風が収まり次第、帰りの船を呼ぼうかと」

「ようやくまともな判断を下したか」

「……今でも、会社の存続のためには企画を続けるべきだとも思っています。けれど、これ以上誰かが死ぬようなことがあったら。……例えば夢野が殺されたりすれば会社はさらに苦境に……」

「一言言いたいことはあるが、今はやめておく。……その話、あいつらには話していないな?」

「ええ。特に夢野はこの企画にかなり執着していますから。……話さない方がいいのですか?」

 泉は先ほど私と話していた理由をそのまま伝える。彼は驚いた顔を見せたが「おっしゃる通りです」と納得したようだ。

「犯人はあの四人の中にいる。できるだけ刺激するような言動は避けろ。いいな?」

「わかりました。それでは、私はこれで失礼します」

 深く頭を下げた宮島は部屋から出て行った。泉は珍しく見送ったかと思えば、ドアを閉めずに廊下をじっと見つめている。

「……先生?何かありましたか?」

「先ほどの宮島の話。もしや誰かに聞かれているのではないかと思ってな」

 彼はそう言うと部屋から出て、左側にある部屋のドアに耳を当てる。その部屋は宮島の部屋だ。泉はすぐに聞き耳を立てるのをやめ、その向かいの部屋にも耳を当て始める。そこは私の部屋だ。

「先生、誰かがいるとしてもそこにいるはずないじゃないですか。鍵がかかっているんですよ、どうやって侵入するんですか」

「カードキーではなく普通の鍵穴ならば、針金によるピッキングなどいくらでもできる。……犯人にとっては、宮島の部屋にはいつかどうにかして入らなければならない場所だ。手掛かりとなるカメラの映像を破壊しなければならないからな。多少力尽くな手段もあり得るだろう」

 泉は私の部屋のドアから耳を離すと、その隣にあるエイトの部屋に耳を当てた。あの部屋にはまだエイトの死体が眠っている。

「……先生、さすがにそこにはいないのではないですか?宮島さんの話を盗み聞きするためだけに死体が安置されている部屋に立ち入るとはどうしても考えられません」

「だが、その逆を突くというのも考えられる」

 彼はそう言ってドアノブに手をかける。あの部屋は鍵をかけていなかった。

「しかし、その部屋にいて泉先生の部屋での話が聞こえるものですかね。向かいの部屋や隣の部屋ならまだしも、かなり離れていますよ?その上、宮島さんも聞かれたくないのか小声で話してましたし。この部屋に直接聞き耳を立てないと聞こえないでしょう」

「……君の言うとおりだな。やはり自分を基準に考えるのはあまり合理的ではないか」

 彼はドアノブから手を離し、部屋に戻ると昼寝を再開した。……彼はストレス性聴覚過敏を患っている。弁護士時代、彼の弁護によって救われた者は大勢いたが、彼の弁護により悲しみを背負った者もまた大勢いた。そんな者達から日常的に届く殺害予告や人格否定の手紙。剃刀やカッターナイフの刃が入っている封筒が届いたこともあった。彼はそのたびに「くだらん」とそれらを一蹴していたが、精神的にかなりダメージを負っていたようだ。その結果、ペンを走らせる音や時計の針が動く音すら苦痛に感じるようになってしまったのだ。……それが弁護士引退の直接的な理由であるかどうかは彼自身の口からは語られていない。現在はそれなりに癒えているようで、屋根を叩く雨の音に眠りを邪魔されることもなくなった。

 泉の部屋にとどまったまま、読書やネットサーフィンなどで時間をつぶしているといつの間にか日が暮れていた。やることのない午後というのはあまりにも退屈なものだ。声を噛み殺しながら伸びをしたが、泉には聞かれたようで上半身がゆっくりと起き上がる。

「……今、何時だ?」

「午後五時半です。……水、飲みますか?」

「ああ、もらおう」

 ベッドの上に座ったままの泉にペットボトルを手渡す。冷たい水が目覚ましにはちょうどいいようだ。半分ほどを一気に流し込むとベッドから立ち上がった。

「……こんなに長い時間昼寝をしていると、生活リズムが狂いそうだな」

「仕方ないですよ、もともとの仕事なんてできそうもないですから。私も退屈で昼寝しようか悩むくらいでしたし」

「君も寝た方がいいかもな、ここに来てから夜は碌に寝られていないだろう」

 彼の言葉にはあくびで答えた。そんな私を彼は少しだけ笑うと、スーツケースを漁りだす。

「……寝起きに風呂というのは、あまり体にはよくないと聞いたことがあるが。一度くらいはいいだろう。……君もどうかな?」

「わかりました、私も準備してきます」

 私が自分の部屋に戻って風呂の準備をしている間、泉は二階の欄干から一階を見下ろしている。誰かと話している様子はない。ただぼうっとしているだけだろうか。

「先生、お待たせしました」

「うむ、では行こうか」

 この屋敷には個室にも風呂があるが、泉はいきなり大浴場に入りたいと言い出した。初日は風呂掃除のついでに湯を沸かしていたが、翌日は皆風呂に入る気にもなれなかったのか、湯が張られることはなかった。エントランス右の廊下を歩き、ダイニングを通り過ぎて浴場へと向かう。ガスを使えばすぐに湯が沸くが、二人しか入らないというのに贅沢なものだ。どうせ他人持ちだからと気にしていないのだろう。少々手間取ったが何とか湯を張り終え、浴場へと足を踏み入れた。あの時は男五人でも広く感じたが、二人しかいない今は倍以上に広く感じられる。私たちは髪と体を洗い終えると、本命である湯船に体を沈めた。個室にもあるにはあるが、浴槽の広さというものは心地よさに直結する事柄に違いない。手足を大きく広げても問題のない入浴というのは普通以上に気が休まるというものだ。

「……あの日、風呂を最初に出て行ったのは空野だったな」

 ぼうっと湯に浸かっていると、泉がいきなりそんなことを言い出す。確かそうだったはずだ。

「確か、そうだったはずですが。それが一体どうしたんですか?」

「彼ならばブレーカーへの仕掛けも怪しまれなかったのだろうか、とな。……縄を固定していたあのろうそく、半分以上が残っていた。時間から考えるに昼の掃除中に仕掛けたとは考えられない。仕掛けるタイミングとしては風呂上りが最も融通が利く時間だろう」

「しかし、空野が風呂から出たすぐあと、ブラムがその後を追うように風呂を出ています。何か怪しい動きをしていればブラムが感づくのでは?」

「物置の方面にはトイレもある。『トイレに行ってくる』とでも言えば誤魔化せるだろう。ブラムがわざわざ後をつけて確かめるような性格にも見えないしな。少し遅くても腹痛だのなんだのと言い訳は山ほどある。……空野には仕掛けを作ることは可能だった。そしてそれは他の者全員に言える」

「どうします?あとで皆さんに初日の風呂上がりの後に何をしていたか聞いて回ってみますか?」

 泉は顎に手を当て悩んでいたようだが、一度大きくうなずくと「やってみる価値はあるな」と言った。


 入浴を始めてから一時間は経っただろうか。事件の話から仕事の愚痴に話題が移り、話す種も尽きてきたころ。泉が湯舟の中から立ち上がった。

「俺はそろそろあがるぞ。のぼせそうだし、腹も減った。羽田君はどうする?もう少し入っていくか?」

「いえ、私もそろそろ。これ以上はのぼせそうです」

 二人して湯舟から上がり、服を着替える。泉は「どうせ誰も入らないから」と追い焚きを止めてしまった。彼はスマホで追い焚きを止めた時間を確認すると、「故障中につき使用禁止」と紙に書き、浴場の入り口にセロハンテープで貼り付けた。何をしているか尋ねても「あとで必要になるはずだ」としか言わない。彼はそのままダイニングへと向かった。私もその後を追う。ダイニングにいた彼らはすでに夕食などを済ませていたのか、それぞれ自分の時間を過ごしていた。企画の中止をあんなに必死に止めていた夢野でさえ、諦めてしまっているのだろうか。泉は真っ先に宮島に話しかけると、エントランスへ連れて行く。

「まだ何か聞きたいことでも?」

「初日の夜、風呂から上がった後は何をしていた?」

 宮島は怪訝な顔を浮かべる。今になって一体何を聞いているのか、全く理解が及んでいない様子だ。彼は私に助けを求める視線を送るが、小さく首を横に振ることしかできなかった。

「えっと……。空野の秘密をばらそうとしたブラムをすぐそこの廊下でとがめて、その後はまっすぐダイニングに戻って撮影の準備を始めていました」

「その間、ダイニングからは出ていないな?」

「ええ、そうですが」

「いつから撮影を開始していた?」

「……風呂から上がってすぐです。確か五時とか五時半とか、そのぐらいでしょうか」

 突拍子もない質問にも真面目に答えてくれる宮島に対し、泉は腕を組んでうろうろとエントランス内を歩き回っている。宮島はそれを気味悪がったのか私に「あれは何をしているんですか」と聞いてきた。私は「あれは何かを考えているときの行動です。癖のようなもので、治らないんです」と返した。彼は「はあ……」とどこか腑抜けたような空返事をする。それが気に障ったと勘違いするタイミングで泉が宮島に向き直った。

「あの時の映像はまだ残っているな?今すぐ見せてくれ」

「え、ええ。わかりました」

 彼はすぐに階段を上がり自分の部屋に戻ると、あの日の映像を取り込んでいたノートパソコンをもって戻ってきた。ソファに腰を下ろした彼は映像を用意すると向かいに腰を下ろしていた泉にパソコンの画面を向けた。泉は短く礼を言うと映像を再生する。

 映像はダイニングの右奥からの画角で撮られている。死角はカメラの後ろに座っている宮島だけだろう。映像が開始すると同時にブラムと空野が映る。ブラムはソファに、空野はブラムから一番距離を取れる隅のテーブルに。それぞれ互いに不干渉を決め込んでいるようだ。少しの会話もなく、特に映像に進展がないまま十五分程度が経過した。ダイニングの入り口に影が映る。顔を見せたのは泉だ。彼はダイニングの入り口でどの席に座るか悩んでいるようだったが、映像に小さく宮島の「こちらに」という声が入っている。おそらく手招きでもして呼び寄せているのだろう。映像内の泉はいつも通り迷いがない足取りでカメラの死角に姿を隠した。それから十分間あまり動きはなく、小さく泉と宮島の他愛ない会話がかすかに聞こえる程度だったが、剛力が姿を現した。彼は少し逡巡したあげく空野の向かいの席に腰を下ろし、会話することを選んだようだ。そして剛力に続くように私の姿が映る。私は泉に呼ばれて死角に姿を隠した。

「……今の所、誰もダイニングから出て行きませんね」

「まだ全員出揃ったわけではない。……必ず誰かが動きを見せる」

 彼の熱意をあざ笑うように、それから二十分間、いかなる動きもなかった。誰かが少し席を立ったとしてもキッチンに行く程度でダイニングから出て行くわけではない。次に何か動きがあったときは星谷とエイトがダイニングに戻ってきたときだ。彼女らは戻ってくるとすぐに夕食の調理に取り掛かる。彼女らが調理を始めてから五分後、空野が席を立ちダイニングから出て行った。映像内では剛力に対し「ごめん、ちょっとトイレ」と言っている。泉はすぐに映像を止めた。

「……羽田君。時間を覚えておいてくれ」

「わかりました。……52分ですね」

「再生するぞ」

 彼は止めていた映像を続きから再生する。夢野の長風呂は言葉通りのようで、宮島が撮影した映像が始まってから50分が経ってもなお姿を見せない。彼女よりも先に空野が戻ってきた。泉はまた映像を止める。

「……58分」

「約6分。あの仕掛けを施すならば十分な時間かと」

「覚えておかなければな。……続けるぞ」

 また映像が再開した。空野は剛力の向かいの席に腰を下ろし、先ほどまでの続きを話している。声色にはあまり動揺や緊張などは見られないが、彼は元恋愛詐欺師。人を騙すことにかけては人一倍と言ったところだ、油断はできない。……夢野が姿を見せたのは映像が開始してからおよそ1時間と15分が経った頃だった。悪びれもせずに姿を見せ、星谷からの「当番をさぼらないで」という叱責にも「ごめんごめん」と謝意のかけらも見えない謝罪を繰り返す。その上なぜかいきなり「ちょっと用事を思い出した」と言ってダイニングから姿を消してしまった。星谷の大きなため息が映像内に残っている。夢野が「用事」から戻ってきたのはそれから七分後のことだった。

「……約7分。踏み台を探して、その上掃除していた時間と考えれば空野と同じく妥当な時間ですね」

「その上、夢野が言う『用事』は一体何をしていたのかという情報が全くない。当然だが、怪しく見えるな」

 そこからの映像には特に気になる点はなかった。六人そろっての食事風景が映り、仕事の愚痴や次の配信タイトルの相談など、配信者のオフと言えばこんなことをしているんだろうなという想像通りのつまらない瞬間が映り続けている。ファンにとっては垂涎ものだったとしても、私にとってはちっとも価値がない。それは泉にとっても同じだったようで、あくびをしたり眉間を湯で押さえてマッサージをしたりと、もはやまともに映像を見るつもりはあまりないようだ。二人してすっかり気が抜けていたところに聞き覚えのある言葉が飛んでくる。

『少し香りをかいでもいいか?俺もコーヒーは好きで、よく飲むんだ』

「……俺の声か。もうここまで進んでいたのか」

「この後は……。確かみんなで寝巻に着替えて写真を撮ったところで、停電が起きて……。という感じでしたよね」

「ああ。映像はもう十分だ。感謝する、宮島」

 私たちの前でずっと黙って待っていた宮島は「いえ、お力になれたのなら幸いです」と謙遜する。泉はソファから立ち上がると、私に対し「先にダイニングに戻って、これから俺が取り調べを始めることを伝えておいてくれ。特に夢野にはな」と頼んだ。私は彼の頼み通り先にダイニングに戻ろうとしていた時、彼と宮島の話し声を聞いた。

「……あいつ。もしかすると……」

「ええ、病院からもそう診断されています」

「……なるほどな」

 秘密の話なのかかなりの小声で、泉の声は良く聞こえなかった。しかし、彼はあの内緒話に何かの意義を見出しているようだった。


 一足先にダイニングに戻った私は、そこにいた四人にこれから初日、風呂上り後の行動を漏れなく話してもらうことを伝えた。夢野はすでに怒りを露わにしており、「協力はできない」の一点張りだった。しかし、ブラムの「じゃあお前が犯人じゃねえか」という一理あるようでないような言葉に乗せられ、聴取に従ってくれることになった。難関だった夢野の協力を取り付けたところで、ちょうど泉と宮島が戻ってくる。泉は窓際のソファに腰を下ろし、宮島はまるで自分は部外者であるとでも言いたいように、右奥の小さいテーブルに落ち着いた。

「先ほど、宮島から初日の、風呂上がりの後の映像を見せてもらってな。いくつか気になるところがあるから、ここで明らかにしようと思う」

「……くだらない茶番ね。私お風呂に入りたいから、手短にしてくれない?」

「お望みとあらば。……あの日、夢野は最後に風呂を出た。その後ダイニングに戻ってきて、遅れながらも料理当番に参加するかと思えば、それをすっぽかし何らかの『用事』を片付けて戻ってきた。……間違いはないな?」

「……ええ、特にはないわね」

「では、単刀直入に聞こう。その『用事』とはなんだ?」

「……化粧直しよ。ダイニングに一歩足を入れた途端わかったの、『カメラが回っている』って。それで、撮られているなら化粧はすべきだと思って、トイレに向かったの」

 それなりに筋が通っているような言い分を述べる夢野。しかし泉は納得しない。

「化粧?どうせ後で宮島が編集で顔を隠すのに?」

「まあ、私は女優だし?どう編集されようが、『撮られている』のが事実なら、意識を高くしておかなきゃいけないでしょう?」

「下らんな。おままごとの延長線で人生設計を描いているような奴がいっぱしに矜持を語るなよ」

 調子に乗った夢野の言葉に、泉は冷たい言葉を返す。夢野は少し眉をピクリと動かしたが、努めて平静を保っているようだ。泉は夢野から空野に矛先を変える。

「夢野はもう十分、次は空野だ。お前もあの時間に『トイレに行く』といって席を立っているな」

「ああ。でも、それが何だって言うんだい?生理現象が犯罪の証拠だとでも?」

 泉は首を横に振る。疑われている空野が感情を高ぶらせるのをあざ笑うかのように、彼は冷静に言う。

「生理現象自体はどうでもいい。だが、『あの時間に席を立ち、一定の時間一目のつかないところにいた可能性がある』。これが重要なことだ」

 彼はいつの間に手に入れていたのか、仕掛けに使われたであろうろうそくと同じものを懐から出した。

「これがブレーカーを落とす仕掛けのために使われたろうそく。非常時用のためか、少し長く作られており、火を長持ちさせる工夫が見て取れる」

 彼は右手に持ったそれをくるくると軽く振り回している。いったいこれが何を表すのか、皆が泉の言動を見張る。

「これが燃え尽きるにはおよそ一時間必要。……羽田君、仕掛けを施されたブレーカーの写真を」

「はい」

 私はスマホを操作し、皆に見えるようにスマホを傾ける。

「しっかり映っているだろう。ろうそくが半分ほど残っているのが」

「ああ、そうみたいだな。……で、それが?」

 ブラムはまだ泉が何を言いたいかを理解できていないようだ。その代わりのように剛力が口を開く。

「逆算しろ。燃え尽きるのに一時間かかるろうそくが半分ほど残っている。つまり……」

「30分燃えてたってことか。……その時に火をつけた!」

 ようやく泉の言いたいことを理解したのか、ブラムが大きな声をあげる。泉はうなずいて話を続けた。

「厳密に30分という訳にはいかないだろうが、その時間。我々は風呂から上がり各々がここで過ごしていた。……あの瞬間に席を立ったのは、空野と夢野の二人だけだ」

 名前を呼ばれた二人はうつむいている。彼の言葉に反論できないからだ。ろうそくの溶け具合というあからさまな証拠の前では、不要な言葉を話すべきではない。そう直感していたのだろう。

「だが、これ以上先はない。二人のどちらかが犯人であるのには違いがなさそうだが、それを決定づける証拠がない」

 追及を取りやめる泉の声で二人が顔をあげる。夢野は怒りに顔を歪ませ、空野は今すぐにでも崩れだして泣いてしまいそうなほどの悲壮感を漂わせて。

「……今日はもう休もう。皆碌に寝られていない日が続いているのだし、今日は早めに寝た方がいいだろう」

 するといきなり、泉が皆に寝るよう促す。確かにここ二日は事件続きでまともに寝られていないが、彼がそんなことを言い出すのは少し不自然に思えた。しかし、夢野達は特に怪しく思わなかったようで、ぞろぞろとダイニングを出て行く。泉はそんな彼らの背中を見て、あることを思い出したかのように声をあげた。

「そう言えば、初日の大浴場。皆が入った後の湯を抜いたのは誰だ?」

「……私ですが」

 宮島が答える。風呂掃除もマネージャー業務の一環という訳ではないだろう。泉は「聞きたいことがある」と言って宮島を部屋に残した。

「それで、聞きたいこととは何でしょう?風呂に何か忘れ物でも?」

「……その前に。羽田君、ダイニングの前で見張りを。特に夢野と空野には聞かれないように」

「あ、はい」

 私はエントランスを一度見回った後、ダイニングの入り口に立った。

「宮島に聞きたいのは、風呂の湯を抜いた時の、水の温度だ。覚えているか?具体的な数字でなくてもいい」

「……普通にまだ温かかったですけど。夢野が長風呂していましたし」

「そうか。……もういい、感謝する」

 それだけ聞くと泉は宮島を解放した。一体何だったのか理解できず、何度も首をかしげる宮島を見送って、私は泉に話しかけた。彼はため息をついている。

「わかりきっていたことだった、うかつだったな」

「さっきの質問は一体何だったんですか、泉先生」

「……風呂から出たあと、一つの考えが首をもたげた。『夢野は長風呂などしておらず、浴場で一人になったタイミングで抜け出し、ブレーカーに仕掛けを施していた』という考えがな。……よく考えずとも、気づくべきだった。これは不可能だとな。そもそも風呂と地下室の廊下はつながっていない。風呂から地下室へ向かうには必ずダイニングの前を通らねばならない。……そうなれば、誰も気づかないわけがない」

「宮島さんも映像で残していましたしね。もし誰も気づかなくても、映像にはその姿が残るはずです」

「……俺も相当疲れているようだ。昼寝程度では足りんということか。……風呂の水を抜いてくる、あれは無駄だった」

 どこか気の抜けた背中で浴場へ向かう泉。二分もしないうちに戻ってくると、「俺たちも今日は寝るとしよう」と言った。


 二階に上がり、部屋の前で泉と別れる。時刻はまだ九時半。普段ならまだ起きているが、たまには早く寝るのもいいだろう。部屋の電気を消し、ベッドに体を預けて目を瞑る。……そしてすぐに目を開けた。うるさい。雨はかなり弱くなっていたが、まるでその代わりとでも言いたいのか風が強い。風が窓をガタガタと揺らし、風に舞う雨粒が窓を叩く。ちょうどベッドの近くに窓があるせいで気になって仕方がない。それでも、次第に気にならなくなっていく。そんな時。

「ドン」と何か固く重いものが落ちた音が響く。私は驚いて飛び起き、すぐに部屋を出た。泉も同様に部屋からでて、音の出所を確かめようとしている。

「羽田君、今の音は聞いたな!」

「ええ、あちらからのようです!」

 私は壁の向こうを指さす。あちらには夢野達の部屋がある。廊下を急いで進むと、何やら揉める声が聞こえてくる。

「おい、何の音だよ!」

「スーツケースをベッドから落としちゃっただけ。そんないちいち騒がないで」

 ブラムと夢野が言い争っている。空野は部屋のドアから顔を出し、剛力は私たちと一緒に駆けつけて二人の様子を窺っていた。

「……何事だ」

 泉が事態の収拾を図るために話しかける。夢野はすっかり泉が気に食わないのか、語気を強めて言った。

「スーツケースを落としただけ。そんなんでいちいち騒ぐなっての。じゃあ、私もう寝るから!」

 けたたましい音を立ててドアを閉める夢野。他の者は呆れたようにドアを閉め、すぐに静寂が廊下に漂った。泉もまた呆れた様子でため息をつくと、「寝るか」とつぶやいた。私もそれに続いて部屋に戻る。改めて寝ようとしたが、やはり窓が立てる音のせいでうまく寝付けない。完全に眠りに落ちたのはそれから30分後のことだった。眠りに落ちる間際、夢野のスーツケース騒ぎで宮島が出てこなかったことが気になったが、すでに寝たのだろうと思うことにした。……だが翌日、彼は死体で発見された。


「……宮島も殺されるとはな」

 泉は宮島の死体を調べるために床に膝をついている。他の者は皆ダイニングに待機させている。床に敷かれたカーペットには彼が吐いたであろう血が染みついていた。机の上には撮影機材と共に一つ、マグカップが置かれている。中に入っているコーヒーはまだ半分ほど残っていた。

「やはり毒殺だろうな。昨日、風呂の話を聞いた後、誰かに殺されたということか」

「……先生、パソコンがなくなっています。それに、彼のスマホも、カメラもどこにもありません」

 私は彼を手伝うために机の上を調べていたが、そこには乱雑に引き抜かれた充電ケーブルだけが残っていた。

「犯人の目的はやはりそれか。……うかつだったな」

「先生……」

 彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。それらは犯人特定の手がかりになると言ったのは彼だ。だからこそ、宮島が犯人に狙われることになってしまった。それに責任を感じているのだろう。しかし、すぐに気を取り直したように立ち上がった。

「……何としても、犯人を暴く。……宮島の死の責任はそうすることでしか贖えない」

「とりあえず、この部屋を調べましょう。カーペットに血がついているのなら、現場はここのはずです」

 泉は部屋を歩き回る。不審な点がどこかにないか、必死に探しているのだ。彼はそれを探しながら、雑談のように事件についての疑問を口にする。

「……この状況下で、誰が怪しまれず宮島の部屋に入れた?」

「誰であっても怪しまれていたのではないでしょうか。しかし、部屋を訪ねて来た犯人の言葉に騙されたか、あるいは他の人には聞かれたくない話をしたいと部屋に押し入ったか。今思いつくのはこの程度ですね」

「いいだろう。そしてその後、部屋に立ち入った犯人はどうにかして毒入りのコーヒーを宮島に飲ませ殺害し、机の上にあった映像が残っていそうなものを奪い逃走。そんなところか」

「では、今最もすべきことは宮島さんのパソコンなどを探すことでしょうか?」

「……いや、まずはこれからだ」

 彼は床の血痕を指さす。別に変なところはない。毒に侵された宮島が苦痛のあまり吐き出した血で……。

「……この血痕、途切れていませんか?」

 彼が指さす血痕。血しぶきがそのままカーペットに染み付いたようなのだが、しぶきが不自然に途切れている。ここに何かが置かれていたのだろうか。それとも、犯人の身体にかかってしまったのか。

「触ってみると分かるが、血が渇いたようなごわつきも感じられない。ここにはもともと血がついておらず、拭かれてもいない」

「つまり、別の何かに血痕が付着しているということですね」

「それを探すとしよう。……幸いというべきか、ここは孤島だ。昨夜、誰かが階段を降りた音もしなかったことから、あの事件以降誰も階段を降りていない。……誰かの部屋に、血痕がついたものがあるはずだ」

 泉は宮島の部屋を出てダイニングへと向かう。おそらくこれが最後の捜査協力となるだろう。


「……という訳だ。部屋の中を調べさせてほしい」

「どうせ断ったら犯人扱いするんでしょ。いいわよ、協力してあげる」

 ダイニングにて。夢野は呆れたように協力を約束してくれた。悲しい事実ではあるが、彼らは死者に慣れてしまった。いつ自分が殺されるかもしれないという極限状況の中、マネージャーの死を悲しむよりも自らが死ななかったことに安堵している。……他の者はもとより異論はなかったようで、彼女だけが協力を拒否していたようなものだ。協力も取り付けられたところで、早速皆で二階に上がり、それぞれの部屋を調べ始める。まずは夢野の部屋だ。机の引き出しや、マットレスの下、ゴミ箱の中まで徹底的に調べていく。あまりに細かい調べっぷりに他の者は少し気が引けていたようだが、泉はそれを全く気にしないどころか、さらなる要求もしていく。

「スーツケースを開けるぞ」

「は!?ちょっと!」

 制止も聞かずに開けたうえ、中に仕舞われていた衣類を一つ残らず出していく。夢野はいろいろ文句を言っていたが、それらはすべて泉に届いていない。彼は丁寧に畳んでしまいなおすと、「次だ」と移動を促した。……しかし、血のついた何かは1つも見つからなかった。遺体を安置しているエイトと星谷の部屋も調べたが、それらしいものは見つけられなかった。夢野達をダイニングに戻した後、泉はエントランスのソファに腰を下ろす。まだ朝の八時半だというのに、彼の顔には疲労が色濃く表れていた。

「……事件は昨日の夜に発生した。それから一度も一階に下りずに血痕のついたものを処分するには……」

 しかし、彼はまだ事件の解決を諦めたわけではない。おそらく痛んでいるであろう頭を必死に働かせ、悪辣な犯人を暴こうとしている。……彼のために何か小さなことでもいい、手掛かりはないかとエントランスを見渡した時、玄関近くの壁に掛けられた鍵に目を奪われた。近づいて鍵につけられたタグを見る。それには焼却炉と書かれていた。……この屋敷には焼却炉があるのか。何か手がかりになるかもしれない。私はすぐに泉のもとに駆け寄った。

「先生、これを。焼却炉の鍵のようです」

「……何?そんなものがあったのか」

「今まで一度も調べなかったところです。新たな発見があるかもしれません」

「手がかりがない今、調べられるものは何でも調べるべきだな。……その焼却炉とやらも、探してみる価値はありそうだ」

 とは言ったものの、屋敷の中はすでに十分なほど調べ切っている。焼却炉らしきものは一度も見ていない。どこかに隠されているのだろうか。しかし、そんなものを隠すだろうか。そうして考えていると、泉が玄関に向かい、扉を開けた。あれだけ強く降りつけていた雨は小雨へと変わり、風もすっかり弱くなっている。

「当たり前のことだが、物を燃やせば大抵煙が出る。そんなもの、家の中に置いておくわけがないだろう。……行くぞ」

「あ、はい」

 彼は傘もささず外に出て行く。私は傘立ての傘を二本とり、彼の後を追った。


 屋敷の玄関を出て、時計回りに歩いていく。そして屋敷の裏手に回ったとき、ついに目的の物である焼却炉を見つけた。少し古ぼけているが、まだまだ現役で使えそうだ。上部の蓋を開けて燃やしたいものを入れ、炉の下部に火を入れて燃やすという使い方のようだ。鍵は炉の部分を開けるために使うらしい。以前使用したままなのか、少量のゴミが積まれたまま残っている。一応鍵を使って炉の部分を開けてみるが、怪しいものは何もない。……無駄骨だったか。そう思った途端、泉は一番上に積まれた衣類のゴミに手を伸ばした。

「先生?一体何を……」

 やたら綺麗に畳まれた青いカーディガンに手を伸ばした泉はそれを手に取った瞬間、表情を変えた。彼はそれを乱暴な手つきでカーディガンをはぎ取る。中から出てきたのはパソコンとスマホ、そしてカメラだった。スマホにはヒビが入っているが、電源は問題なく入る。……泉は上を見上げると、すぐに私にこう言った。

「皆をエントランスに集めてくれ。……犯人が分かった」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、だから頼んだぞ」

「わ、わかりました!」

 私は急いでダイニングへと向かう。気になって後ろを振り向くと、彼はスマホで何かを調べているようだった。

 

「集まってもらって感謝する。何を隠そう、三人を殺害した犯人が誰かようやくわかったのでな」

「マジかよ!で、誰が三人を?」

 外から戻ってきた泉は皆がエントランスに集まっていることを確かめるとすぐに話を始めた。ずっと待ちわびていた言葉だったのかブラムが喰いつく。

「1つずつ話そう。まずはエイトが殺害された事件からだ。……犯人は風呂から上がった後、物置の地下に存在するブレーカーに時限式の仕掛けを施し、指定の時間に停電を引き起こそうとした。だが、その日はちょうど台風が近くにあったからか天気が荒れており、結果として停電が直接の原因となっていた。ここまでは問題ないな?」

 皆黙ってうなずく。泉は話を続ける。

「停電が起き、エイトは俺と羽田と共にブレーカーまで赴き、停電を復旧。その時に仕掛けが施されていたことに気づく。……羽田君、例の写真を」

 私は言われた通りにスマホでその写真を表示した。エントランスにいる四人にしっかり見せると、泉が続きを話す。

「この仕掛けにより事件性を感じ取った俺たちはすぐにダイニングに戻った。すると、まず宮島のカメラが盗まれる事件が発生した。これはのちにすぐ解決するのだが……。そしてそれに続くようにエイトがコーヒーを飲み死亡。死因は混入されていた毒物によるもの。自殺する動機が思い当たらないこと、屋敷内を停電させるための仕掛けがあったことから殺人事件と断定した」

「だが、容疑者はもう二人に絞られているだろう。……夢野と空野に」

 剛力は泉が話し終えたタイミングでそう口にした。夢野は剛力を睨みつけ、空野はうつむいている。泉は剛力の言葉に答える。

「そうだ。どちらも風呂上りから停電までの間に席を立ち、その間の行動に不明瞭さが残っている。この写真に映されているろうそくの残り具合からしても、風呂上り後に仕掛けが施されたのは間違いない。……では続いて、星谷が殺害された事件について話そう。場所を変えるか」

 彼はそう言ってダイニングへと歩き出す。どうやらついていくしかないようだ。

「星谷はここで夕食のシチューに毒を混ぜられ、それを口にして死んだ。……だが、エイトの事件とは違い、ブレーカーへの仕掛けと言った犯人の工作がこの事件には見受けられない。人目を盗んで気づかれないうちに毒を混入させたというしかないだろう」

 星谷の事件の概要について話す泉。するとずっと黙っていた夢野がいきなり口を開いた。

「なんか、二つの事件が同一犯の仕業ってことになってるけど、何か証拠でもあるの?死因が同じなのは別にあり得る話でしょ?愉快犯かも知れないじゃない」

「もっともな疑問だが、この事件は同一犯の犯行だろう。証拠はないが根拠はある。……ブラムと剛力。この二人はすでに犯人ではないと分かりきっている。風呂上がりの後、一度もダイニングから出ていないからな。……互いにアリバイを補い合っていない」

 泉が何を言わんとしているか理解できないのか、夢野は苛立ちながらソファに腰を下ろす。そして「もう少しわかりやすく言ってくれない?」と頼んだ。泉は「いいだろう」というと、さらに詳しく話し始めた。

「二人以上の共犯において、最も有利と言える点は『アリバイ工作のたやすさ』にある。お互いがお互いをかばい合い、疑いの目をそらし続ける。……だが、今回の事件においては誰かが他の者のアリバイを証明した瞬間がない。……宮島のカメラはこれにあたるが、この撮影自体は皆に知らせていなかった行為だ。……それが事実かどうかは別としてだが」

 夢野は理解したのかしていないのか「ふーん」と興味なさげに返事をする。泉は小さくため息をつくと、「ここで話せることはもうない」とまたもや場所を変更する。彼はエントランスに戻ると階段を上り始めた。皆怪訝な顔をして着いて行く。彼に案内されてたどり着いた場所は宮島の部屋だった。遺体はベッドに寝かされている。

「最後、宮島が殺害された事件だ。動機はおそらく、犯人の証拠が残っているかもしれない映像を始末しようとした際、彼が障害になったからだろう。……部屋からはパソコンとカメラ、それにスマホまで消えている。徹底的に情報を削除するという犯人の執念が見て取れるな。……宮島の死因も同じく毒殺。机の上に残っているマグカップに入ったコーヒーが原因だろう」

 死体が寝ている部屋だというのに、彼は構わず歩き回る。皆は部屋の入り口に立ち、顔を引きつらせていた。泉はそれにすら構わずに話を続ける。

「これを見てくれ。おそらく毒を飲んだ後、宮島が吐いた血だ。乾ききっていることから殺害されたのは昨日の夜だと推測できる。……しかし、この血痕には不審な点がある。……ここだ、不自然に途切れているように見えるだろう」

 皆は部屋の入り口から泉が指さす先を見る。そこからでもカーペットに残った血は良く見えるだろう。……そして剛力が気づいた。

「血が、途切れている」

「……そうだ。ここだけ、何かが置かれていたように血が途切れている。……話は変わるが、昨夜何か変わったことがあったな」

 夢野以外の三人はすぐに夢野の顔を見る。彼女はそれに苛立ちため息をつきながら言った。

「……そうね。私がスーツケースを落としたことでしょう?でもそれは……」

「ああ、今は関係ない」

 彼は夢野の言葉を食い気味に否定する。彼女はこの言葉を予想していなかったのか驚いた顔を見せた。

「ここでもっとも重要なのは、『それ以外の騒音がしなかったこと』だ。俺たちが宮島を発見したとき、彼は床に倒れていた。周りに体を支えるようなものはない。座った状態だろうが、そこから床に崩れ落ちるならば多少の物音はするはず。……だがしなかった、それはなぜか?」

「……犯人が宮島の身体を支えたから、か」

 剛力の言葉に泉はうなずく。

「俺もそう考えている。……犯人が宮島を殺害した瞬間、奴は彼の目の前にいた。何故なら犯人には証拠品を消去するという仕事が残っていたからだ。……しかし犯人はそこで気づく。『このままこいつが倒れたら大きな音が鳴ってしまう』と。だから自分の身体で宮島を支えた。……そして血痕は犯人の身体に遮られ、不自然な形をカーペットに残した」

 誰も何も言葉にしないが、驚きが口から漏れ出ている。床に膝をついていた泉は立ち上がると、まっすぐに夢野を見た。

「最後の移動だ。夢野、部屋の鍵を開けてくれ。犯人はお前の部屋を利用していた」

「……わかったわ」

 彼女が先頭に立ち、廊下を進んでいく。彼女は震える手で部屋のドアに鍵を差し込む。自らの部屋が勝手に犯人に利用されていると知れば、動揺するのも無理からぬことだ。ドアが開き、皆が部屋に立ち入る。泉がドアをふさぐように立つと、ゆっくりと口を開いた。

「まずは、質問からだ。星谷が殺された翌日、最後にダイニングへと入って来た者は?」

 ブラムが手を挙げる。彼の記憶通りの回答のようで、二度頷くと次の質問が投げかけられた。

「その頃、俺と羽田君は確か宮島を伴ってダイニングを出ていたはずだ。その間、誰かが『カメラに証拠が残っているらしい』と話さなかったか?」

 これは一体何の質問なのか。この場にいる誰もがあまり理解していないようだが、彼は正直に答える。

「……夢野から聞いたぞ」

 泉は夢野へと向き直り、質問を続ける。

「夢野、なぜ話した?」

「……ただの雑談よ。事件の情報なら誰でも欲しいでしょうし」

 一理ありそうな回答だ。しかし、泉はとんでもない言葉を口にする。

「夢野。……お前が犯人だ」

 部屋の中は一瞬静寂に包まれる。そしてすぐに彼女に火が付いた。

「はあ!?な、なんで私が犯人なのよ!」

「順を追って説明してやろう。まずはこの質問の意図だ。……『カメラに証拠が残っている』という情報。これを最も欲しがるのは一体誰だ?」

 あまりにも初歩的な質問だ。犯人に決まっている。……今までずっと黙っていた空野がようやく口を開いた。

「それは、犯人でしょう?」

「そうだ。犯人にとってもっとも避けるべき行為は『証拠を残す』ことだからな。もしどこかに証拠が残っていれば、それを抹消しなければ気が済まない。……ところで、証拠が残っているという情報は、犯人以外にとってはどうだ?」

 犯人以外にとっては……。自分は犯人ではないのだからどうでもいい情報なのではないか。そう口にするよりも前に、剛力が口を開く。

「……秘匿しなければならない情報だ」

「何故?」

「犯人が証拠抹消のために動いてしまうから。……事実、宮島はそのせいで殺された」

 確かに宮島の部屋からはパソコンやスマホなど、映像が保存されていそうなものはすべて盗まれていた。……ということは。

「そうだ。犯人以外にとっては秘匿としなければならない情報を、軽々しく口にするのは、犯人だけだ。全員がその情報を知っていることにしなければ、すぐに自分が疑われてしまうからな。……だからこそ、その情報を話した、夢野が犯人だ」

 夢野以外の三人は彼女を見つめる。彼女はというと、なぜか自信ありげな表情を浮かべていた。

「……証拠、証拠はあるの?」

「もちろんあるとも」

 彼はそう言うと彼女のベッドを乗り越え、窓を開け放った。

「ここから下を覗いてみろ。焼却炉がある」

 彼の言葉通りに下を覗き込む。確かに、さっきまで私たちが調べていた焼却炉だ。真上は夢野の部屋だったのか。

「羽田君、脇に抱えている物を見せてやれ」

「はい」

 私は泉の指示に従い、床に焼却炉から拾ったものを並べていく。青いカーディガンに、スマホ。カメラにパソコン。1つずつ並べていくたびに、彼女の顔が青く染まっていく。泉は床に並べられたものを焼却炉で見つけた時のようにまとめ始めた。

「昨日の夜、夢野は衝撃音を発した。スーツケースを落としたなどと言っていたが、あれは嘘だ。実際はこの音だ」

 そして彼は作り上げた青い塊を窓から落とす。焼却炉にぶつかり、「ドン」という聞き覚えのある音が響き、皆は顔を見合わせる。

「すまない羽田君、あれを回収してきてくれ」

「わかりました」

 私は走って部屋を飛び出し、すぐに青い塊を回収して戻った。

「ありがとう。……これで、夢野の嘘が暴かれた」

「……私はほんとにスーツケースを落としたの。下に焼却炉があることなんか知らないし、窓なんか開けてすらいない!昨日はあんなに風が強かったじゃない、窓を開ける必要なんか……」

「では、どこにスーツケースを落とした?具体的な位置は結構。大まかで十分だ。……さあ」

「……このあたりよ」

 彼女はベッド下すぐのあたりを指さす。彼は指さされた部分を見つめると、いきなりカーペットの端を掴んだ。

「全員カーペットの上からどけ」

 夢野以外は素直に従う。彼女は「そこまでする必要ない」と喚いていたが、泉の眼力に負けて移動した。彼はカーペットを乱暴にめくりあげ、彼女が指さしたあたりを探す。手や足で床を何度もなでていたが、何かを確かめ終えたのかカーペットを元に戻し、夢野の方へと振り向いた。

「もし本当にスーツケースを落とした場合。あれだけの大きな音を出したのだから、相当な重量があると考えられる。……しかし、お前が指さしたところには傷が全くない。これはどういうことだ?」

「カーペットが分厚いから傷がつかなかったんでしょ?変な言いがかりはやめて。やっぱり証拠なんて……」

「証拠はまだある。羽田君、それを」

 泉は机の上に置いていた青い塊を指さす。私はそれをほどいて手渡した。

「このカーディガン。ここをよく見てくれ。青の中に少しだけ、赤黒い何かが見えるだろう。これはおそらく血だ」

 夢野以外の皆はまじまじとカーディガンを見つめる。

「そしてこのカーディガン。これは、夢野の物だ。……これこそが、紛れもない証拠だ」

 泉はカーディガンを夢野に突きつける。しかし彼女は少し震えた声でそれを嗤った。

「……それが犯人の証拠だっていうのは分かったわ。けど、それが私の物だって言う証拠はあるの?」

「はあ!?何言ってんだよ、初日の夜に同じ奴着てただろ!?往生際が悪いぞ!」

 ブラムが夢野を責め立てる。しかし彼女はそれを意に介さず、自らのスマホを画面を突きつけた。

「初日の夜に宮島マネージャーが撮った写真は『なぜか』消えているの!だからこのカーディガンが私の物だって言う証拠は……」

「それは、ここにある」

 泉はそう言って自分のスマホの画面を見せる。そこには確かに初日の夜に撮影された全員の寝巻姿の写真が表示されていた。

「……どこでそれを?」

「人気過ぎるのも考えものだな。……これを見ろ」

 彼はそう言ってジョイエリアのやり取りの画面を表示した。そこには。

『夢野あかりたちの企画の写真消えてるみたいなんですが。誰か保存している人はいらっしゃいませんか?』

『私、保存しています。良かったらどうぞ』

『ありがとうございます。助かりました』

 泉が夢野達のファンとやり取りした一部始終が映っている。彼はここからこの写真を手に入れたのか。

「最初にこのカーディガンを見つけた時、真っ先に夢野が着ていたことを思い出した。だが、それを裏付けようと宮島が投稿した写真を探したが、削除されていてな。彼のスマホはロックの解除をしなければならない。……万策尽きたと思ったが、ジョイエリアを思い出した」

 夢野は何も言わず、おぼつかない足取りで自らのベッドに向かう。ベッドに腰掛け深くため息をつくと、空気が抜けた風船のようにしぼんでしまった。

 

「……お見事ね、先生。そう、私が犯人。エイト、星谷、そして宮島マネージャーの三人を殺した人殺しよ。……何か聞きたいことでもある?お互いに質問し合いましょう。私に勝ったご褒美に、先に質問する権利をあげる」

 夢野は特に取り乱すこともなく、他人事のように言う。私は泉が「くだらない」と彼女の言動を一蹴すると思っていたのだが、彼はなぜか興味を示したようだ。

「では、遠慮なく。……なぜこのタイミングで宮島を殺した?」

「……本州に帰るって決まったから。今しかないと思って」

「何故帰ることを……」

「次は私が質問する番よ。……私がなぜ、三人を殺したか。わかるかしら?」

「……根拠のないただの妄想だ。笑ってくれてもいい。……お前は、自分が一番では無くなってしまうことが腹立たしくて仕方なかった。エイトも星谷も、宮島から話を聞いていると必ずと言っていいほど、『夢野を越え得る』という評価を聞いた。お前は、それが許せなかった。そして、二人のそうした評価を降す宮島のことも許せなかった。……だからお前は、自分よりもグッズ展開が多かった空野も殺すつもりだったんだろう?」

 いきなり名前を呼ばれた空野は肩をびくつかせ、夢野の方を向く。彼女はその視線が鬱陶しいとでも言うように睨み返すと、少し笑って泉に顔を向ける。

「さすがね、泉先生。元弁護士なだけはあるわ。……大正解。まさか空野を殺そうとしてたことまでバレてたなんて。……さあ、次の質問をどうぞ?」

「昨日の昼、俺と宮島が話していたことを聞いていたな。だからこそ宮島の殺害を昨日の夜にした。違うか?」

「正解。……惜しかったわね、あの時。部屋のドアを開けていれば、宮島マネージャーは殺されずに済んだのかも知れなかったのに。……じゃあ、次は私の質問。なんで話を聞いているってわかったの?」

「階段を上ってくる音がした。犯人なら、企画の進行を左右する宮島の言動は何が何でも気になるものだ。それに、お前は耳がとある状態になっていたんだろう。……ストレス性聴覚過敏。ストレスが自律神経の乱れを引き起こし、音を過敏に感じるようになる病気のようなもの。……かかりつけの病院の情報は宮島にもらっている、嘘は無駄だ」

「私はすでに自分を人殺しだって認めているのに、今さら嘘なんかつかないわ。……あなたは馬鹿にしてたけど、配信者っていうのも存外大変な仕事でね。常に求められている物を提供し続けないといけない。……定食屋の方がマシよ。定食屋の客は腹を満たせば帰るんだもの。でも配信者は違う。……視聴者は刺激に鈍くなる。さらなる刺激を与え続けないといけない。彼らは常に飢えている。少しだって満足しない。……自分が求めていないものが出てくれば、罵詈雑言の嵐。人格否定なんて三年の活動で何度受けたかしら。……そんな生活を続けていれば、どう繕ったって体に影響は出るものなの。……さあ、次はあなたの番」

「……初日の長風呂。お前はただ風呂が好きなわけではなく、何か目的があって長風呂をしていたんじゃないか?」

「へえ?どういう意味かしら。もう少し詳しく話してくれる?」

「全員が風呂を出て、ダイニングに集まる瞬間まで待っていたのではないか。……俺はそう考えている」

「……考えすぎ。そんな目的なんか考えたこともない。じゃあ、私の番ね。……なんで私がストレス性聴覚過敏だってわかったの?公表した覚えはないし、そこまで有名な症状でもないと思うのだけど」

「……俺もそうだからだ」

「え?」

「俺もお前と同じ、ストレス性聴覚過敏を患っている。……だからわかった」

 夢野は驚いた顔を泉に向けるが、彼の眉間に刻まれた皺を見てすぐに納得したようだ。彼女は手のひらを泉に差し出し、「質問をどうぞ」と急かす。

「ブレーカーへの仕掛け。あれはその場で考え出したものか?あまりにも行き当たりばったり過ぎる」

「もともとああいう仕掛けを考えていたわけではないわ。……あなたみたいな厄介者が来ちゃったから、何かしなきゃいけないかなと思って。みんなが掃除してるときにいろいろ探して考えて……。で、あの仕掛けにいたったってわけ。まあ要するにほとんど行き当たりばったりみたいなものね。……どう、満足?」

 泉は少し頷く。夢野は「そう」とつぶやくとベッドに腰掛けなおし、「次は私の番ね」と前置きし質問を投げかけた。

「もしかしてだけど、星谷が死んだときの私、演技してたって気づいてたりした?」

「予想はしていた。宮島からお前が女優業に手を出しているという話も聞いていたしな。……だが、確証はなかった」

 夢野はなぜかうれしそうに笑い、「なかなかの演技だったでしょ」と今自らが置かれている状況をちっとも理解していないような物言いをする。泉は誇らしげな彼女の言葉に返事をせず、代わりに質問を投げかける。

「……なぜ殺害予告の手紙を出した。部外者の人間はお前にとって不穏分子だろう。……現にこうして、俺がお前を犯人だと突き止めた」

「ほんとはね、もっと普通の探偵か弁護士が来ると思ったの。で、その人に取り入って絶対に疑われない安全圏から殺そうかなと思ってたんだけど……。なんであなたみたいな人が来ちゃうかな」

「……『天網恢恢疎にして漏らさず』。わからないだろうから簡単に言ってやる。……『お天道様は見ているぞ』ということだ」

 夢野は「お説教?勘弁してよね」とへらへら笑いながら肩をすくめる。まるで他人事のように振舞っているように見えるが、すぐに真顔に戻った。次は彼女が質問する番だ。

「これが一番聞きたい質問かも。……いつから、私が犯人だと疑ってた?」

「星谷が殺されたときだ。彼女が死んだ瞬間、この事件の犯人はお前ひとりだと確信した」

「……なんで?あの時は、まだ空野も疑われていたころでしょう?それに、カーディガンのような確実な証拠もない。そのタイミングで犯人を私だと決めつけるのは無理があるんじゃない?」

「これはただの持論だ、差別主義者とでも言って俺を嗤うと良い。……毒殺は、極めて陰湿な殺害方法だ。被害者にいくら腕っぷしがあろうとも関係なく、自らの手を直接汚すこともなく、明確な証拠も残さない。卑怯で、小賢しく、矮小な人間にしか扱えない。……つまり、『毒殺は女の犯罪』だ。星谷が死んだ時点でこの場にいる女はお前ひとり。だからこそ、お前が犯人だと確信した」

「……最低ね」

 夢野はただ一言、泉に向かってそう吐き捨てた。彼は意にも介していない。次は彼が質問する番だが、彼は質問を口にしない。

「どうしたの?もう聞きたいことはないの?」

「ああ。もう十分だ。まだ聞きたいことはあるが、そろそろ……」

 彼がそう言った途端、一階が騒がしくなる。急いで様子を見に行くと帰りの船の船長と、数人の警察が息を切らして屋敷に駆け込んできていたのだ。どうやら泉が帰りの船を手配していたようだ。夢野は警察の前に歩み出て、自らが人殺しだと口にする。彼らは当初信じられないといった様子だったが、泉が頷くのを見てようやく信じたようだ。……私たちは荷物を持ち、三人の死者を出した屋敷を後にした。

 島の波止場にて。三人を殺害した重大な犯罪者として夢野は警察の船で護送されていくようだ。しかし彼女は警察の案内に逆らい、泉に話しかける。

「あなたが質問しないなら、私が質問してもいいかしら。……これが最後」

「構わん」

 彼はそう言いながら夢野を取り押さえる警察にハンドサインを送る。拘束が緩んだ夢野は姿勢を正してから、最後の質問を口にした。

「……私の弁護をしてくれない?」

「断る」

「……まあ、そうよね。もういいわ、連れて行って」

 先ほどまで抵抗の意思を見せていた夢野は急に素直になり、警察官を戸惑わせた。彼女の言葉はこれが最後だった。それから夢野は一度も振り返らずに警察の船に乗り、波止場を離れて行った。


 一週間後。事務所にて。

「……やっぱり、事務所は畳んでしまうみたいですね」

 私はテレビで事件後の一部始終を知った。夢野は容疑を全面的に認めた。……事務所が選び出した弁護士の意思に反して。その結果、夢野よりも事務所の対応に目が注がれる事態となり、事務所は悪手の代償を最悪の形で支払った。

「当然だな。容疑者が認めているのに、事務所は無罪を主張した。心象は最悪だろう」

 彼はソファに寝そべり、惰眠をむさぼっている。フューチャニスからは前払いとしてそれなりの金額を得ていた。そのため、ここ三日近くは事務所を閉めていた。旅行の疲れも残っているだろうと彼は言ったが、おそらくあまり働く気がないだけなのだろう。私の「今日から仕事を再開しましょうか」という言葉に、苦言は言わずとも眉間にしわを寄せていたのがいい証拠だ。……時刻は9時45分。そろそろ営業中の看板を出しに行こうかと席を立った時、あることが気になった。

「先生、なぜ夢野の弁護を断ったんですか?」

「……地獄に落ちたくはないからな」

 またこれだ。彼が弁護士をやめる原因であることは間違いなさそうだが、具体的な出来事など皆目見当もつかない。今まではこれで誤魔化されてきたが、今日こそは問いただす。

「弁護士というのは人を助ける仕事じゃないですか。なぜそれが地獄に落ちることになるんですか?」

「……悪人をかばうのは善行か?」

「え?」

「悪人をかばうのは善行か、と聞いている。どうだ?」

 私は言葉を失った。……弁護士という仕事は端的に言えば、悪人をかばう仕事である。ただ、冤罪だったり民事訴訟だったりで悪人がはっきりしない場合もたまにあり得る。しかし、ほとんどはそうだ。悪人をかばいたて、裁きが正しいものであるかを決める。……人の人生をも左右する大事な仕事だ。だが、これは善行なのだろうか。……なぜなら、彼は。

「答えられないか。まあいい、すぐに答えが出るような問題でもないからな。……ただ、俺がこの身で知ったのは、『悪人を一人救えば、救えない悪人が二人生まれる』ということだ。……お前も知っているだろう、俺が何枚も殺害予告の手紙をもらっていたのを。あれは俺では絶対に救えない悪人だ。弁護士を続ける限り、世の中に悪人は増え続けてしまう。……だから俺は弁護士をやめた。悪人を生み出し続けることは、あの世では最も許されない悪事だろうからな」

 事務所の中は静かになった。今の私の言葉では、すべてが空虚に思えてしまう。黙り続ける私を前に、泉は言葉を続ける。

「その点、探偵はずいぶんといい仕事だ。困っている人を助ける、それだけでいい。……羽田君、看板を出してきてくれ」

「あっ、はい」

 私は玄関近くに置いていた看板を持ち、外に出る。……このまま彼の助手を続けていれば、いつか彼の暗い思いに対して、空虚ではない言葉で答えられるようになるだろうか。

「すいません、ここって泉探偵事務所ですよね。……相談したくて来たんですけど」

 ぼんやりと遠くを眺めていた私は意識を取り戻す。別にやましいことをしていたわけでもないのに、なんだか慌ててしまった。相談に来たという女性はそんな私を怪訝な顔で覗く。

「……大丈夫ですか?もしかして、ご迷惑でしたか?」

「い、いえいえ!少しぼうっとしていただけです、申し訳ない。……ご相談ですね」

 彼女はゆっくりとうなずく。その右手には飼い犬の物だろうか、リードが握られていた。……「困っている人を助ける、それだけでいい」という泉の言葉が思い出される。……私はすぐに事務所の扉を開けた。

「泉先生、お客様です」

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虚栄 @ookido

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