第3章 実在 -2
2 A55
しばらくして、田村さんが帰ってきた。飯島さんを連れて。
「室長、この方は、FORTUNAを担当している、情シスの飯島さん」
二人には笑顔はない。緊張した様子だ。
空気に一本、細い糸が張り詰める。
彼らは、室長のPCで庁内LANに入り、やがてFORTUNAの画面をモニターに映した。きっと飯島さんの権限でしか入れないのだろう。
「見てください、ここ」
田村さんがモニターを指差す。
「A55って、昨日僕が直接聞いたエラーコードなんですが、このテーブル」
その声に従って、飯島さんが画面をスクロールする。
「これは、データが取れないもしくは量が少ないことを示すものです」
二人は、視線でやり取りしながら何かを示していく。
「このシステム、『幸福(ウェルビーイング)』をデータ処理して、ひとりひとりの人間の幸福度を上げるようにさまざまな策を打っているんです」
飯島さんが淡々と述べる。
「例えば、不幸な内容の報道を削って、幸福度を上げると言われている犬猫や子供などのほのぼのニュースを差し込んでしまう」
あ。
思い出す。ママが「そんな事故は無かった」と言っている横で、のどかなニュース番組が流れていたことを。
「ってことは」
私は否が応でもあのことを思い出してしまう。
「あの事故のニュースは、無かったことにされたっていうこと?」
「あの事故、って、どのことか自分には分からないけど」
飯島さんもやっぱ分からないんだ……。
「何かの報道が消されている可能性は十分にある」
「でも、それがなんで、秋元さんとやっさんの記憶にしか残ってないのかは、まだ分からないんだ」
田村さんは、あくまでも「私の記憶は正しい」の立場で話してくれる。
安心する。
「でね」
田村さんは、一度飯島さんの顔を見て、それから私に向き直った。
「IF stability < threshold THEN DELETE source_of_instability ……これ」
モニターを指差す。
あの不思議な、というより不気味な一行だった。
「これがもしも、幸福でない、っていうか、幸福度を測れない人間も含めた『不幸』な人を排除する命令だったとしたら」
幸福度を測れない人間。
つまり、スマートウォッチをつけてない、私ややっさんのような人──
「やっさんはどうしてるかしら?」
お腹の底から、震えが上がってくる。
「まさか、どこかに連れていかれちゃってないよね……?」
それから私達、飯島さんも含めて4人は、「喫茶アンディ」に向かった。
庁舎からはすぐそばだ。
やっさんは、数回行ったけど、いつもここにいた。
重たい木の扉を開ける。
するとそこには、マスターと、おばあさんがひとり座っていた。
「ああ、みなさん」
マスターは静かに迎えてくれる。
しかし、おばあさんは涙を流していた。
「うちの人ね、朝方、アンドロイド達に連れていかれたんだ。幸福度が足りないって」
まさか。
「あの、長岡さんの……?」
「ええ、妻です」
やっぱり。
奥さんは、涙を流しながら、呟く。
「うちの人、そんなに不幸だったのかねぇ。役所のアンドロイドが来て治療するって言って……」
奥さんのこの記憶も、やがて消えちゃうんじゃないだろうか?
みんなの加瀬くんの記憶みたいに、無くなっちゃうんじゃないだろうか?
奥さんの手首にも、スマートウォッチ。
「奥さん」
室長がおばあさんの背の高さまで屈んで、彼女の顔を見た。
「ご主人、どこの病院に連れていかれたって言ってた?」
「都立赤沢病院よ」
それは、ここから電車で15分ほどの場所にある、総合病院だった。
「今日、お見舞いに行くの。急に来て慌てたから、大したもの持たせてなくて」
アンディを出た私達は、庁舎に戻った。
飯島さんは一度情シスに戻って、自分の仕事を片付けてくると言った。
私達は特別対策室に戻る。
「あのおばあさん、きっと、やっさんのこと忘れちゃうわ」
根拠は無い。でも、そうとしか思えない。
「やっさんがいたことも、全部消されちゃうんだわ」
「そんなことが、可能なのか?」
室長は顎に手をやる。
「一人の人間を、記憶ごと痕跡全て消し去って、無かったことになんか、できるのか?」
「……できる、と思います」
田村さんが言い切る。
「いろんな問題を、個々に『修復』する方法はあります」
「例えば」
彼は、私の目を見る。
「鉄道事故があったとします。脱線事故なら現場に証拠が多数残るはずです」
あの凄惨な現場を、どうやって?
「鉄道会社は、そうした事故の処理を、ドローンやアンドロイドなどを使って数時間で修復するように用意をしてあります」
彼は続ける。
「できるだけ列車の運行を妨げないように、人間の手で行うより早くやってのけるんです」
「人の記憶は?」
私は、縋り付くように田村さんに問いかける。
「それはね、今のスマートウォッチは、人間の体に影響するパルスを発信することができるんだ」
彼は、自分の、自分で改造まで施したスマートウォッチを見せてくれる。
「例えばこれなんか、筋肉の緊張をほぐしてくれる波長が出る。肩こりなんかに効くやつだね。これは、睡眠の導入に効く」
使ってないから、そんな機能があるなんて知らなかった。
彼は、もう一度、私の目を射抜く。
「この機能を使って、一定時間の記憶を改竄するんだ」
そんな……
私は天を仰いだ。
「その他にも、いろんな方法を使えば、証拠を残さずに事件とか人とかを消すことはできる」
田村さんが私の肩を掴む。
「つまり、事故があったというきみの記憶は、正しい可能性が出てきた」
私の記憶。
みんなには無い、事故の記憶。
加瀬くんの記憶。あの人がちゃんと実在して、そして、事故で亡くなったこと。
私が声をかければ死なないで済んだかもしれないこと。
それだけじゃない、こんな、全く実在しない人として扱われるなんてことがなかったかもしれないこと──
「やっぱり、本当だったんだ……」
肩を落とす、という言葉が、実際に感じられるなんて、なかなか無い体験だ。
肩の力が入らなくなって、重力に引かれた。
私は──愕然と、床に座り込んでしまった。
私は、自分のデスクの引き出しから、便箋を取り出した。
誰かに何か伝えたいときに、手書きの文字がいいなと思ったら使うようにしているものだ。
それに、書き綴る。
名前、生年月日。学歴。
ここにきた経緯。あの忌まわしい火事、高槻「警部」に助けられたこと、そして、「反乱アンドロイド事件」のために招集されたこと。
そしてそのメンバーがそのまま「特別対策室」に移行して、今の仕事をしていること。
それから、室長に対する感謝。私の憧れの人、目標になってくれて、ここまで私を連れてきてくれた。
そして、田村さん──
「何書いてるの?」
田村さんが覗き込んできた。
「うわぁ」
私は便箋を隠す。
「急に話しかけないでよ、ビックリした」
「ごめんごめん」
心臓に悪い……。
「私がね、突然消えたら」
田村さんの目を見る。赤っぽい茶色の、綺麗な目。
「これをね、読んでもらおうと思って。私がいたんだよって、思い出してもらえるかなって」
「そんなこと、させないよ」
彼が私を見つめ返す。
「きみは、絶対にいなくならない。言ったよね、僕が守るって」
「ありがとう、でも」
私は彼に中身が見えないように便箋をたたみ、封筒に入れ、封をした。
「これ、もしもの時のために持ってて」
押し付ける。
「だけどね、必要な時が来るまで、絶対に開けちゃダメだからね」
私の気持ちが書いてある。
今は、見せられない。
田村さんは、困ったような顔をして、
「じゃあこれは、永久保存文書だな」
と言って、封筒を受け取った。
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