第3章 実在 -1

1 守られるということ



次の日、うちの玄関のチャイムが鳴った。

「おはようございまーす」

田村さんの声だ。


玄関に出たママが慌てる。

「まぁ、上司の方が、わざわざうちの娘を迎えに?」

「そんなんじゃないですよ、凛子さんにはいつもお世話になってて」


2階の自室から、支度を整えて階段を降りる。

不安と、嬉しさが綯い交ぜになって、なんとなく頭がくらくらする。

嬉しさ?なんで?


「ありがとう」

私が靴を履こうとすると、彼は自然に鞄を持ってくれた。

それを見て、ママがさらに慌てる。

「まぁ、申し訳ありません!うちの子礼儀がなってなくて!」

そして私に耳打ちをする。

「あんた、職場でもこんなに態度大きいの?」


うん、と言いかけて、一応言葉を呑む。

田村さんは、何か言いたげだ。目がもう、笑ってるもん。

ええ、態度デカいですよ。背もまぁまぁ大きい方だけど。


田村さんの車には、たぶんついこの間乗った気がするんだけど、彼の記憶にはないらしい。

ドアを開けて、助手席に乗る。


──ん?


室内は、謎に銀色のシートが貼られていた。

「なにこれ?」

こないだと様子が違う。全体をシートが覆っていて、ものものしい。


「電磁波遮断用シート」

彼は運転席に乗り込み、座席を合わせて、シートベルトを締めた。

「あ、秋元さん、シートベルト」

あまりにものものしいので、ベルトを締めるのを忘れていた。慌てて締める。


「これね」

車は道を滑り出した。

「あんまり科学的じゃないけど、気は心ってやつ」

そして、私につばの付いたキャップを被せる。

「防犯カメラに見られてたでしょ、昨日」


キャップ……?

「きみがいろんなものから守られるようにね」

その上、フロントガラスの上の方だけ、カメラが覗き込めない角度で、遮光シートを貼って暗くしていた。


田村さんらしくない。

気は心、で、こんなおまじないみたいなことやるの?

不思議そうに彼の顔を覗き込んでいた私に、彼は真顔になって、

「まぁ、信じてみてよ。少し楽になるでしょ」

それから、ちょっと恥ずかしそうに頬に手を当てながら、こうも言った。

「これね、実際どこまで効くかは分かんない。でも『やっておきたい』って気持ちは本物だから」


──そうか。

私を落ち着かせようとして、やってくれてるんだ。

銀のシートの効果はさっぱり分からないけど、キャップはわかる。防犯カメラに私の顔が映らないようにしてるんだ。

窓にも、遮光シートが貼ってあり、外から見えないようになっている。


「ありがとう……」

私は、戸惑ってはいるけれども、彼の優しさを受け取った。

だいぶ変な優しさだけど。


「きみはね、監視されてるんだよ」

そして彼は、低い声で話し始める。

「隙があれば、攫われてしまうだろうね」

「え」


攫われる?

なぜ私が?


「多分、きみは『目について』いる。なぜなら、スマートウォッチをつけていないから」

「え?」

話についていけない。

スマートウォッチなんかが、何故?つけてないなけで、目についている?目につくって、何の目に?


「スマートウォッチから、僕らはデータを抜かれている。それは役所の事業で使われてたりする」

このあいだの、パンフレットの山。あれか。なんちゃら計画みたいなやつが、たくさんあった。

「普及率、今99.8%だからね。つけてない人は目立つんだよ」


田村さんの車は、静かだ。

ロードノイズと、時折喋るカーナビだけがそれを遮る。

彼の声は、じかに私に沁み入る。


「きみのデータは、拾えない。だから、きみに対して施策が届かない」


田村さんは、私に、ミントタブレットの小さな缶を渡してきた。

「ん」

中からタブレットを2個取って、口に放り込む。そして缶を返す。

「ありがと」


そして、こんな信じられないことを言ってきた。

「きみは幸福度を下げる。っていうか『測れてない人』は平均値を下げる」

穏やかにハンドルを切りながら、でも、表情は硬い。

「測れないものは異常値扱い。だから、病院に送られようとしてるんだ」


「なにそれ?」

私、どこも悪くないのに。


「あのFORTUNAがね、きみのデータを取って、きみを施策的に『良い方向』に導こうとしてるんじゃないのかっていう、まぁ、仮説なんだけど」

彼もミントタブレットを噛む。

「『治療のために保護する』って名目なら、だいたいなんでも通る。精神保健福祉法第33条第2項、いわゆる医療保護入院ってやつ」


「えーっと、それは」

時々田村さんの言葉は難しくなる。

「つまり、私、精神疾患を理由に入院させられそうになったってこと?」


FORTUNA。

スマートウォッチのデータを利用してさまざまな事業に役立てられている、国のシステム。

あれが、私を?


「DELETE source_of_instability」

田村さんの声は、静かだが、重い。

「不安定要素の削除……きみも、こないだ見ただろう?FORTUNAに仕込まれた一文」


私が……スマートウォッチのデータを取れなくて、施策が反映されない人間が、削除の対象……?


「それが本当なら」

私は背筋に冷たいものを感じた。

「アンディに来てるやっさんも、同じ立場じゃない」


「仮説だけどね、真実はこれから確かめるけど」

彼の表情は、静かだった。水を打ったような。

「あとで、アンディに行ってみよう」

その声は、優しく、でも強く、響く。

「やっさん、大丈夫かな?」


愕然とする。

「私から拳銃を取り上げたら、何にもできないから」

私は、ことの重大さに震えながら、口走った。

「こんなに自分がか弱い存在だなんて思ってなかった」


「大丈夫」

田村さんは、庁舎のパーキングに車を止めながら、少し強い声で言った。

「前に僕が守ってもらったように、今度は僕がきみを守る。だから、大丈夫」


私は──

小さく

「ありがと」

としか言えなかった。

もっと言いたいことはあったけれども、頭の中が渋滞してしまって、言えなくなってしまったんだ。



田村さんは、私を室長の元に置いて、情シスに向かった。


「ホントは休んでてもよかったんだが」

室長が私の肩を叩く。

「もし彼の推察が正しければ、家にいるより、俺たちのそばにいた方が安全だろうねって、昨日田村くんと話してたんだ」


田村さんはこんな時でも、コーヒーを淹れるのを休まない。さっき淹れておいてくれた。

その香りが、さっきの「僕がきみを守る」を思い出させた。


私は、拳銃の手捌きと動体視力と運動神経には自信がある。だから、自分のことを守れないだなんて思ったことがなかった。

そうじゃないんだ。

私には、それだけしかないんだ。


私は自分の体でやれることしかやってこなかった。撃つとか、走るとか、避けるとか。データで殴られたら何もできない。


自信どころか、なんの抵抗もできない存在じゃないか。


なんか、そんなことを考え始めたら、涙が出てきた。

私は、私を守れない。

気を抜けば、得体の知れない何かに、何をされるかわからない『病院』へと連れていかれちゃうんだ──。


「どうした?」

室長が静かに声をかけてくれる。

「私、不甲斐なくて……こんなに迷惑をかけて」

腕時計はコチコチと、手首の上で時を刻む。

パパ……


「怖い」


つぶやいた途端に、涙がボロボロと溢れた。

私、泣いてばっかだ。


「大丈夫だ、秋元くん」

室長は薄く口角を上げた。

「田村くんは、本気だぞ」

コーヒーを口に含んで、続ける。

「お前さんに何かあれば……いや、何かある前に、本気で立ち向かおうとしてる」

そして、私の目を見る。

「それは、信じてやっていいんじゃないだろうかね」


「なんで、そんなに……」

あの車の様子を思い出す。あれは、一晩でなんとかしたものだろう。

いろいろ考えて工夫して、私を安心させようとしていた。

あの人は、どうして──


「お前さんも鈍感だよな」

室長が笑う。

「こんだけ感受性が強いのに、肝心の相手の気持ちがわからないなんて」


うすうすは……分かってる。

でも、それを認めてしまったら、この関係が壊れてしまう。

きっと、一時的な気の迷いだ。私みたいな醜い女は、きっといつか気味悪がられてしまう。


なにしろ、このケロイドは顔だけじゃないから……

顔はむしろ、この程度で済んでよかった部類。体の方がひどいんだ。

見せられない。

だから、私の気持ちは、仕舞い込んだままでいい。

彼の気持ちも、分からないままがいいんだ。

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