第2章 時計の針を -4
4 女神の前髪
情シスからの帰り、飯島さんに呼び止められた。
「係長、お疲れ様。秋元ちゃんちょっといいかな?」
あれ、田村さんと引き離される。
なんだろう?
田村さんは──なんか、目が怖いぞ?どうした?
それでも
「じゃあ」
って行ってしまった。
「秋元ちゃん、今度、うちの同期で飲み会やるんだけど、来ない?」
おしゃれな黒縁メガネの奥の目は、人懐こい。
「半分は女の子だから、緊張しないでいられると思う。みんなに話したら呼んでこいって」
──女の子。
お友達、ほしいな……と思って、でも、やはり、私の中の何かが止める。
「私……行きたいんだけど、あの……」
仕方がない。
飯島さんに向かって、左の前髪を上げる。
そこには大きなケロイドがある。
「こんな顔してるんだ。怖がられたら嫌だし……」
一瞬、飯島さんの喉が、動いた。
私の傷痕に、釘付けになっている。
ああ、嫌われたな、と思う。
「怪我、したんだ?」
「うん、火傷の痕」
笑ってみせる。けど、余計怖くなったらどうしよう?
──しかし、飯島さんは、微笑んだ。
「ごめんね、見せさせちゃって」
そして私の、髪を上げた左手を下ろさせる。
「事情が分かれば、怖いなんて思う人はいないよ。何の問題もない」
そして、
「今度の金曜日、終業後にエントランスで待ち合わせ。いい?」
私は、呆気に取られたまま……首を縦に振っていた。
自席に戻ってからも、私はぼんやりしていた。
左の額を触る。ボコボコとして、引き攣れてビニールみたいな触り心地。
「事情が分かれば、怖いなんて思う人はいないよ」
飯島さんの声がリフレインする。
「飯島くん、なんだって?」
田村さんが、やはりどこか虫の居どころの悪そうな顔をしてる。
どうしたんだろう、お腹でも痛いのかな?
「うん、飯島さんの同期の人達が飲み会やるからって、誘われた」
そして、何だか私も居心地が悪くて、付け足す。
「半分は女の人だって」
「行くの?」
なんか「行くな」って聞こえるような響きだ。
でも……うんって言っちゃったもん。
「友達できるの、嬉しいなって思って……」
まるで悪いことをした子供のように、言い訳をする。
室長がその様子を見て、笑う。
「田村くん、秋元くんはお前さんのものではないぞ」
「何でそういう話になるんですか」
田村さんは、慌てて否定する。
冷静にものを考えてる時の方が多いのに、時々ものすごく表情がわかりやすくなる。
その辺には、ちょっとキュンと心を掴まれる。
可愛いんだよなぁ、この人──。
「ただ、混乱しているときに、無闇に交友関係を広げたりお酒飲んだりって危険なのかなって思っただけで!」
うーむ、可愛い。心配してくれてるんだ。
「羽目は外さないので大丈夫」
笑いたくて仕方がない。今笑ったら悪いから、我慢してるけど。
「少し気分転換したいんだ。なんか、自分が自分じゃないみたいなことを考えてると、狂っちゃいそうだから」
私がそう言うと、田村さんは黙ってしまった。
ホントはここのメンバーで飲み会したいんだけどなぁ。
新年会、やろうって言おうかな。
でも、私が悪酔いしそうで難しい。
金曜日、私は飯島さん達と合流して居酒屋に行った。
男の人3人、女の人3人に、私がプラスされている。
みんな、仲良しなんだな。羨ましいな、同期なんて、所属替えになった時点で切れてしまったから。
それに、私の方から遠ざけていた。
この顔を見られたくなくて。
「秋元ちゃん」
女の人の一人、矢沢さんが、私のグラスを指差しながら言う。
「お酒、あんまり飲まないの?」
「うん、あんまり強くなくて」
それから彼女は、飯島さんに話を振る。
「聞いたか、飯ちゃん、秋元ちゃんお酒弱いぞ」
「そうなのか、じゃあ、今日送ろうか」
飯島さんは事も無げにそう言う。
「え、あの、大丈夫……」
私が否定しようとすると、矢沢さんが私に耳打ちする。
「送られてあげて。飯ちゃん、秋元ちゃんに気があるから」
「ええっ」
仰け反る。
「そんな、だって、私」
「秋元ちゃん可愛いもん、好きになってもしょうがないよね」
矢沢さんはニヤッと笑う。
困る。
そんな気持ちが私の中で渦巻く。
困る。私は──
「秋元ちゃんは、おたくの係長と仲がいいみたいだけど」
飯島さんが、ウイスキーのグラスを傾けながら、話しかけてきた。
「あの人と、室長さんと、3人で仕事してるんでしょう?年上のおっさんばかりで、つまんなくない?」
「そんなことないよ」
私は内心、ちょっとムッとする。
「だいたい、田村さんはおっさんじゃないし」
──ごめん、私、会ったばかりの頃、田村さんのこと「冴えないおじさん」って言ってたわ。
「9歳しか離れてないよ、あの人まだ36歳だし」
「アラフォーじゃん、だいぶ上だよ」
アラフォー……まぁ、確かに……。
「恋する相手とか、いないじゃん」
矢沢さんが飯島さんの後押しをする。
「歳の近い人は大事にしといた方がいいよ」
恋する相手、かぁ……
あ、今、誰かさんの顔が思い浮かんだ。いかん、それは、あちらさんに迷惑だ。
私はいつもよりも用心してお酒を飲んだ──嫌なこと、思い出しちゃいそうだから。
そして、解散した。また飲もうねって言いながら。
飯島さんは送ってくれるって言うけど、私はそれを丁重にお断りした。
いや、そんなことないと思うけど、もし友達より深い仲を求められてたら、うーん、やっぱり「困る」。
居酒屋の最寄駅からみんなと別れて、電車に乗り、私の最寄駅で降りる。
至るところについている、防犯カメラの赤いLEDランプが、やけに目につく。
どうしたんだろう、普段は気にならないのに。
なんとなく、カメラが私の方を向いてる気がする。
夜遅くに出歩くことなんかなかったからかな、ちょっと怖い。
防犯カメラは、いざという時守ってくれる存在だとは思うんだけど。
道を歩く。
なんとなく、見られている感じがする。
カメラが私を見ている。視線を感じる方向には、必ず防犯カメラがある。
やだなぁ、私、精神的にだいぶ参ってるのかなぁ……。
不意に。
物陰から、アンドロイドが出てきた。
「ひゃあ!」
私は、変な声を出して、尻餅をついてしまった。
そのアンドロイドは、工事現場でよく見る作業用のものだった。
なぜこんなところに?
「アキモトリンコさん」
アンドロイドは、私の名を呼んだ。
「幸福度低下を認めます。理由はA55、データ通信の不具合」
手を伸ばしてくる。
私の手を掴む。
「あなたの幸福度は、地域平均を大幅に下回っています。幸福度向上のために、病院にお連れします」
アンドロイドは、優しく私を抱き上げようとする。その向こうには、車。運転席には、やはりアンドロイド。
「搬送は、あなたの同意無しで実行できます」
やだ、怖いよ!
──助けて!
「秋元さん!」
そのとき、駆けつけてきたのは、田村さんだった。
「田村さん、助けて!」
優しく抱き抱えられた私は、でも身動きが取れない体勢に留め付けられている。
田村さんは、電子銃を撃った。
私を担ぎ上げたアンドロイドと、その向こうにいる車の中のそれとに、1発ずつ。
閃光が走る。
アンドロイドは、崩れ落ちた。
「秋元さん!」
彼は、アンドロイドに組み敷かれた私を抱き上げてくれる。
「なんで?」
その疑問符には、いろいろなものが詰まっていた。なんで私、襲われた?なんであのアンドロイドは丁重だった?
そして、なんで田村さんが今ここにいる──?
「ごめん、あの、ストーキングしてたわけじゃなくて」
誰もそんなこと言ってないのに、慌てて彼は私から手を離す。
「嫌な予感がしたから、駅で待ってたんだ」
嫌な予感?
そのために、私を待っててくれた?
まだ、防犯カメラが気になる。
私は、田村さんの腕に絡みつく。
「怖い……」
この人は、私を守ってくれる。
その信頼は、もう何ヶ月も培われてきている。
私は、全幅の信頼を持って、彼の腕に抱きついた。
「怖い。怖いよ……」
足が震えている。
田村さんは、しがみついている私の手を、反対側の手で優しく撫でてくれた。
「僕が思った通りだ」
彼は私に、なにか黒くて小さな機械を渡してきた。
「スタンガンだ。街中で電子銃をぶっ放すのは嫌だろうから、これを渡しとく」
そして、なんか少し照れくさそうに、
「取りに帰ったんだ、電子銃とスタンガン……間に合ってくれてよかった」
と、頭を掻く。
そして
「明日は朝、車で迎えに行く。だから、迎えに行くまで家から出ないでいて」
と、私の目を見て告げた。
「なんで……」
その問いには、
「明日、話す。それまで、僕を信じて待ってて」
そう答えて、私を家まで送ってくれた。
私の脳みそは、恐怖と、不安と、そしていくばくかの──なぜだか分からないけど、温かいときめきに、支配されていた。
彼の横顔を見た。
なんだか、彼に光が見えた気がする。街灯しかない暗い夜道なのに。
この人がいてくれれば、大丈夫。
しがみついた腕の温もりが、私にそう告げていた。
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