第一話



「惚れ薬」をご存じだろうか。飲ませることで、どんなに自分を嫌っていても無理くり好意を持たせる薬である。叶わない恋をした遥か昔の魔法使いが人生をかけて作り上げたと言われている。現代では人の精神を無理やり捻じ曲げる危険な魔法薬だとして多くの国で所持や調合が禁止されている。それはここ、メルフレイア国でも例外ではない。

だがいつの時代もルールの抜け穴を突いてくる不届き者は存在する。「意中の相手に飲ませれば恋が成就する」という夢のような薬は水面下でひそかに高額で取引されるようになった。時が経てば経つほど増していく希少性、そして跳ね上がる価値と値段。そして厳しくなる取り締まり。いつしか惚れ薬は廃れ、「惚れ魔法」が開発され、人々に伝わるようになった。











恋する乙女のまじないアモーリスディアス、ですか」


かつての教え子を前にベラドンナは眉根を寄せ険しい表情をする。向かい合って座る金髪の女_____ジャンヌ・ヘルテが頷いた。


「状況からしてそうだろうね。先生はどんな魔法かご存じかい?」

「……いわゆる『惚れ魔法』であること、は知っています」

恋する乙女のまじないアモーリスディアスは二、三十年前にアモーリスという魔法使いが惚れ薬の代替として開発した魔法だ。魔法連盟と各国間で取り決められた魔法保護の原則があるから、使用が一切制限されない。を狙う輩の間では有名な魔法らしい」


ジャンヌは目を伏せ、己の肢体に手を這わせる。その動きが示唆することにベラドンナは感づいて、顔を顰めた。


打消し魔法ドアズビリーが効くわけでもなさそうですね?」

「精神魔法だからね。強制解除は使えないと見ていい」


ベラドンナの額に刻まれた皺がますます増える。ジャンヌはお構いなしに手元に収めた古い装丁の魔導書をぱらぱら捲って読んでいた。


「だが精神魔法は相当難しい。称号クラスでさえ使える者は一握りだ。たかだか魔法学校の生徒ごときが扱えるとも思えない。……しかし、あなたの今の教え子が魔法にかかっているのも事実か」

「ええ。……その話が聞ければ今は十分です。私はこれで失礼します」

「ああ、気を付けて。また何かわかれば手紙を送るよ」

「お願いします」


腰を落ち着けていたソファから立ち上がり、部屋を出る。扉を開けた向こう側にラウラが経っている。廊下に等間隔で並べられた大きな柱の一つに寄りかかり、伏し目がちになって本を読んでいる。ベラドンナがわざと鳴らした靴音に気が付いてラウラは顔を上げた。


「先生、お話は終わりましたか」

「ええ。お待たせしてすみません」

「大丈夫です。魔法連盟なんて、なかなか来れるものじゃありませんし」


優しく微笑んで肩を並べてくるラウラにベラドンナは歯がゆい思いをしていた。そんなことは知る由もなく、ラウラが腕で移動を急かしてくる。


「先生。帰りの汽車までまだ時間がありますよね」

「ええ、まあ……」

「じゃあ、少しだけデートしませんか?」


ラウラの提案にベラドンナは顔をひきつらせた。ラウラは放られていたベラドンナの右腕を取ると、自分の腕と絡めて密着する。


「行きたいお店があるんです。行きましょう?」

「え、ええ……いい、ですよ……」


口角がひきつったまま返した返事は不自然に裏返っていた。ラウラはそんなことも気にせず、人気のない長い廊下をベラドンナを軽く引っ張りながら歩いていく。クリーム色の後頭部を見つめて、ベラドンナはぼんやりと少し前のことを思い出す。





ラウラは今、有り体に言ってしまえば勘違いをしている。ベラドンナのことをただの教師ではなく恋人と認識しているのだ。

原因はジャンヌも話していた惚れ魔法、「恋する乙女のまじないアモーリスディアス」。使える魔法使いの少ないそれがなぜラウラに掛けられたのかというと、恐らくは事故である。

ラウラに頼まれ、教師として魔法の稽古をつけていた最中だった。警戒していなかった方向から魔法の粒子が飛んできたかと思えば、それがラウラを包んで昏倒させたのだ。慌てて医務室へ運び、寝台へ寝かせてしばらくし、目を覚ましたかと思えば甘くとろけた瞳でベラドンナのことを恋人だと宣うのだ。それはもう混乱したし、どうすればいいか躊躇った。


「でも先生、どうして魔法連盟なんかに来たんですか?」


ベラドンナは迷った末にラウラを連れて汽車に乗り、メルフレイア国の中心部、王都へと訪れた。魔法連盟____全世界の魔法使いを管理する大組織のメルフレイア支部の図書庫を利用しようとしたのだ。そこでたまたまかつての教え子ジャンヌに出会い、話をした。


「読みたい本があったんです」

「じゃあ、さっきの方は? 確か『魔女』のヘルテ夫人……ですよね?」

「ええ。……彼女は私の昔の教え子で。『魔女』になってから会うのは初めてで、つい話が弾んでしまいました。」


「魔女」、とジャンヌが呼ばれていることにベラドンナは不思議な感覚を思える。その呼び名は魔法連盟が認定する最も高名な女の魔法使いの称号だ。ちなみに男なら「魔導士」と呼ばれる。メルフレイアには合わせて三人しかいない。学生時代のジャンヌのことを思うと、そんな仰々しい存在ではないようにベラドンナは思えてきた。


「先生」


ぎゅっと絡みついた右腕に力を入れられて、回想に耽っていた思考を引き戻される。頭を右の少し下に向けると、ラウラが軽く頬を膨らませていた。


「いくら教え子だからって、他の人の話ばかりされていたら面白くありません」

「いや、話を振ってきたのは貴方では……?」


突然不満を訴えてきたラウラにベラドンナは辟易した。右腕に込められた力が緩む気配はない。

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偽物の恋を本物にするのに魔法は必要ですか? 霰石琉希 @ArareishiLuki

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