2 始まりの白いワンピース

 カイは、教室の窓際の一番後ろの席に座っていた。


 カイが通う第三高校は、近隣がベッドタウンとして開発が進んだこともあって、田舎にしては生徒数が多く、30人のクラスが全部で5クラスもあった。この近隣に住む高校生の多くはこの第三高校に通っていたが、取り立てていい高校でも、悪い高校でもないというのが卒業生の多くの感想だった。


 カイがこの第三高校を選んだのも、住んでいる場所から近いという消極的選択の結果に過ぎなかった。


 教室では、夏休み前のホームルームの真っ最中だった。「2021年夏休みに気を付けること」と書かれたプリントが配られ、先生が夏休みの注意点などを話していたが、ほとんどの生徒は、明日から始まる夏休みへの期待から落ち着きがなく、先生の話など聞いていない様子だった。


 カイもほとんど上の空で、頬杖をついて、開け放たれた窓から外を眺めていた。


 第三高校は長い坂道を上った少し小高い所にあるため、教室の窓から市内の街並みが一望できた。とはいえ、デートスポットのような美しい夜景とは程遠く、目の前には田んぼが広がり、第三高校への近道である田んぼのあぜ道が正面にあるといった景色だ。田んぼの両脇には、古い家の間に、新しい家がいくつか建っていたが、家と家との距離は、田舎らしい広さを保っていた。


 普段はあぜ道を数人ぐらいは歩いているが、この日は、暑さのせいか、誰も歩いていなかった。


「おい」


 突然前から声が聞こえた。カイが前を向くと、目の前に、クラスメイトが一人立っていた。そのクラスメイトは、カイが自分の方を見たことを確認すると、話し出した。


「もうホームルーム終わっているぞ」


「そうだったのか。ごめん」


 カイはそう言って周りをみると、たしかに、いつの間にか、教台の前に担任の先生はおらず、皆、帰り支度を始めていた。


「ぼうっとしていると、置いて行かれるぞ。そろそろ行こうぜ」


 カイはこのクラスメイトの発言の意味がわからなかった。 


「ごめん。今日、何かあったかな?」


 カイは深く考えずに尋ねると、クラスメイトはニヤニヤしていた。カイがそう答えるのを待っていたかのように。

 カイは、その表情を見て、しまったと思い、眉をひそめた。汗が机にペタッと落ちる。

 カイのその反応を待っていたクラスメイトは、わざとらしく話し出した。


「えっ、もしかして、聞いてなかった? そっか、カイは携帯持ってないもんね。明日から夏休みだから、クラスのみんなで、カラオケで打ち上げしようって話になってたんだよ」


「ごめん、聞いてなかった。ただ、今日もバイトがあるから、行けないよ」とカイは残念そうにして言った。


「あっ、誘うつもりで言ったんじゃないんだ。じゃあ、バイト頑張ってね」


 クラスメイトはそう言うと、くるっとカイに背中を向けて歩き出し、近くで待っていた別のクラスメイト数名と教室を出ていった。別のクラスメイトもカイの方を見ながら、馬鹿にするように笑っていた。


 カイは、大きく息を吐いた。


 いつものことだ。


 カイは、中学の頃からバイトをしており、クラスメイトと遊ぶ暇がなく、結果、みんなと馴染めず、このようなことは日常茶飯事だった。最初はこの理不尽さを嘆いたこともあったが、もう諦めていた。


 どうしようもできないのだから。


 もう一度、カイは外の景色を眺めた。

 さっきよりも、天気が悪くなったのか、外が暗くなったように見えた。


 カイは少し遠い場所にある山の方を見た。

 第三高校と同じ高さぐらいの場所に小高い山がある。その山の上には、大きな檜の木があった。木との距離は大分離れていたが、それでも枝分かれがわかるほど大きな木だった。木の幹は、人が手を繋いだら10人ほどになるぐらいの大きさだ。葉はほとんど生えておらず、悠久の時を感じるような傷が至るところにあったが、それでも、生き生きとした力を感じる不思議な木だった。


 この木は、この地域の守り神が宿っているとされ、ご神木と言われていた。3年に1度、夏の満月の夜、ご神木に神が降り立つと言われているらしい。


 カイも、父からこの木は特別な木だと聞かされていたが、子どもらにとっては、迷信の1つに過ぎず、この木の前にある広場は格好の遊び場になっていた。カイもその1人で、子どもの頃はここによく遊びに来ていた。


――誰かいる。


 ふと、カイは、ご神木の幹あたりに人がいることに気が付いた。


 遠くからでは正確には判断できなかったが、髪が長く、白いワンピースのような服装に見えたことから、女性のようだった。彼女は幹にもたれかかるようにしていたが、ご神木と白い服のコントラストが神々しさを感じさせ、カイはそこから目をしばらく動かせなくなっていた。


 彼女も、こちらをじっと見つめているように見えたが、少しすると突如座り込んだ。カイは、彼女が倒れ込んだように見えて、心の中で小さな声を上げたが、到底手を差し伸べられる距離ではなく、見つめることしかできなかった。


「カイ!」


 また突然、声が聞こえた。カイはまた正面に向き直すと、今度は、シホが前の席の椅子に座っていた。シホは、隣のクラスなので、わざわざカイのクラスまできたのだろう。


「あんな奴には強く言い返しなさいよ。じゃないと、調子にのってどんどん酷くなるわ」


 シホは、先ほどのカイとクラスメイトのやり取りを見ていたのだろう。たしかに、シホだったら黙ってはいなかっただろうが、カイには、そこまでする気力がなかった。


「ああ、わかっているよ。でも、やり取りをするだけ、めんどくさいだろう」と言いながら、机の右側に引っ掛けていた薄い学生バックを手に取り、机の上に乗せた。


「明日から夏休みよ。もう少し楽しそうにしたら?」


「夏休みだろうと、楽しいことなんてないよ」


「カイも部活でもすればいいのに」


「運動部か? 俺の運動音痴さはよく知ってるだろう? 小学生のとき、クラス対抗リレーで、3歩目で転んだ。その日以来、あだ名はサンポだ。運動神経がよかったとしても、そんな時間がないこともシホもわかっているだろう?」


 カイがシホの顔をちらっと見ると、シホは少し困った顔をしていた。


「ごめん、それもそうだね。それよりも、明日は、ちゃんと来てくれるよね?」


「明日の夕方5時だったかな。時間までにはアキを連れて、神木山に行くよ。ただ、前にも言ったけど、今回で最後にしよう」カイは、机に置いたバックをいじりながら答えた。


「わかっているよ。カイがそう言うなら仕方がない。アキちゃんは元気にしている?」


「アキも、もう中学生だからな。勉強も大変になるだろう。兄としては、アキにはもう少し、しっかりして欲しいんだけどね」


「アキちゃんなら大丈夫。きっと気が付いたら、カイよりも先に大人になっているよ。だから、待ってあげて」


「わかっているよ。アキは、シホには心を開いてくれているみたいだから、それは助かっているよ」


「それなら、良かった」シホは立ち上がった。「帰ろうか?」


「ああ」


 カイは、立ち上がった時に、ふとご神木にいた女性のことが気になり、もう一度ご神木の方に目を向けたが、そこにはもう女性の姿がなかった。


「何してるの? 帰るよ」と、シホは教室の扉の前で振り返っていた。


 教室にはいつしか2人だけになっていた。

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