第3話
監禁生活は地下から始まった。日の光の届かない、どこか湿った空気の密室だった。三メートルほどの高さにある窓には鉄格子が嵌められていて、そこからも太陽光は注いでいない。
食事はドアに開けられた小さな窓から届けられた。炭水化物や野菜、肉といった大別はできるものの、全て知らない食材だった。
知らない場所、知らない言語、知らない人々、知らない文化。海翔はそれでも案外快適に生活していた。
もともと仕事に忙殺されている方ではあったし、何もしないで食事が出て来る生活がら楽だったのだ。森で遭難するという命の危機から逃れたこともあって、ここ一週間ほどの監禁生活を彼は満喫していた。
ちなみに彼がいる地下牢には他にも数人が捕まえられていて、最初は何度か海翔に話しかけてきた。しかし言葉が通じないことを察すると、彼らも海翔との会話を諦めてしまった。
もともとコミュニティのようなものは出来ていたようで、彼らはそれぞれの檻の中にいながらも仲良さそうに談笑している。夜半にはときおりすすり泣きのようなものが聞こえてきたりもするので、全員が全員良い精神状態というわけではないのだろうが。
暗くてよく見えない隣人は、男女合わせて五人いた。話している内容は理解できずとも、彼らの特徴は段々と覚えて来る。
無口な女に、おおらかで良く笑う男。なよなよしい小柄の男に、愛嬌ある笑い方をする女。そして最後に筋トレばかりしている脳筋。
他にも人がいることが暇を紛らわせている理由なのかもしれない。彼らの会話を聞きながら、彼はぼんやりと暗い部屋の隅を見つめていた。
・~・~・
海翔が最初に覚えた単語は『食事』だった。騎士が食事を届けに来るたびに話題にあがっていたためだ。
そして次に、『嬉しい』と『悲しい』。食事の内容が貧相だったりすると、彼らは口々に『悲しい』と口走り、彼らが良く笑っている時には『嬉しい』と口にしている。
理解でき得る言語だということがなんとなく嬉しかった。自分もこの五人と会話できる日が来るのかもしれない、彼はそんなことを考えていた。
・~・~・
初めて地下牢の外に連れていかれた。激しい雨が建物の天井を打っている。牢に入れられてからもう二週間は経っただろう。
『出て来い』
海翔は相変わらず理解できていなかったが、騎士が扉を開けて彼を見つめている姿で何となく察して、騎士について行く。
隣人たちの嫉妬の視線が彼の背中に刺さった。
強く両腕を縛られて、長い長い廊下を歩かされる。初日は縛られたまま地下牢まで連れていかれたために彼は知らなかったが、王城の本館と地下牢とはかなり距離があった。
そう、王城。彼がいるのは王城である。そして彼が過ごしている地下牢は『北の棟』と俗称されており、戦争奴隷などのうち利用価値がありそうな者達が収容されている。
つまり、処刑するほどでもなく、使い潰すほどでもなく、かといって無条件に開放するほどの人員でもない者たちのための地下牢であった。元は王城内で無礼を働いた下働きの者たちを折檻するために作られた場所であるため、環境としては然程悪くはない。
十数分歩き続けてやっと到着したのは、書類や物でごった返す場所だった。白衣のようなものを身にまとった人々が、隈の目立つ顔でめいめいに騒ぎ立てている。
『おい、ボウェド!!』
喧騒を突き刺すように声を上げた騎士に、幾人かの人が顔を上げる。そのうちの殆どは直ぐに興味を失って視線を逸らしたが、男が一人立ち上がって近寄って来た。
短髪の髭面で、図体が大きい。
『久しいな、ハンネル』
『前に話した、灰雨の中で発見した人間だ。上部への申請は済ませておいたから、あとは好きにしろ』
『
海翔はボウェドの『感謝する』という言葉だけ聞き取れたが、他には何も理解できなかった。
騎士ハンネルは、海翔の背中を押してボウェドの方へと差し出す。混乱した顔の彼を矯めつ眇めつ眺めたボウェドは、拘束用の縄を乱雑に引っ張って彼の席の方へと海翔を連れて行った。
この研究室に辿り着くまで、海翔は多くの騎士の姿を見ている。不用意にこの研究室を逃げ出そうとは考えていなかった。
現在進行形で拘束されていること以外には、基本的には危害を加えられていない。無理な危険を冒して逃走を図るつもりはないのだった。
ボウェドは海翔が何も動きを見せないことに満足して、残っていた仕事を片付け始める。机の上は例に漏れず書類の山が乱立していた。
海翔は周囲を見渡す。個性豊かな研究者たちは、書類を食い入るように見つめたり、あるいは何かを紙に熱心に書き入れたりしている。書いてある内容は何一つとして分からないが、恐らくきっと高度なことをしているのだろう。
海翔は、結局小一時間放置された。
雨牢の女神 蛞蝓 @annkoromottimoti
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