第13話 たくさん

キッチンの広い調理台が、今日は食材で埋め尽くされていた。


ずらりと並んだボウル。

下ごしらえを終えた肉の塊。

山と積まれた季節の野菜。

そして、ひかりが普段の配信では滅多に使わない、業務用の大容量ミキサーまで準備されている。


「ひかりさん……今夜は、その……」

「はい。今夜は、玲華さんに、たくさん召し上がっていただこうと」


藤森ひかりは、エプロンの紐をきつく締めながら、静かな闘志を瞳に宿していた。

白銀玲華は、その光景を前にして、困惑するどころか、嬉しそうに目元を緩ませている。


二人の関係が揺るぎないものになって以来、ひかりは時折、こうして「玲華を満たしたい」という純粋な欲求を、料理の量という形で爆発させることがあった。


「ふふ……お手柔らかに、お願いしますね」

「全力を尽くします」


定刻。配信が始まる。


「こんばんは。白銀玲華です」

「……藤森ひかりです。よろしくお願いします」


いつも通りの挨拶。だが、カメラが調理台の全景を映した瞬間、コメント欄が即座にざわついた。


> ≫ え

> ≫ ちょw 今日の食材の量www

> ≫ 戦争でも始まるんですか?

> ≫ 玲華様の後ろに食材の山が見える

> ≫ ひかりさん!?!?


「ご覧の通り、今夜はいつもと少し趣向を変えまして……」

玲華が、上品に手を組む。

「ひかりさんが、私のために『好きなだけ食べていい』コースを組んでくださったそうです」


> ≫ なんだと

> ≫ 玲華様、大食い解禁回!?

> ≫ ついに胃袋の底が見えるのか……!

> ≫ ひかりさんの「玲華さんを満たしたい」欲が暴走してる回だ(歓喜)


ひかりはコメント欄には目もくれず、調理を開始する。

彼女の《シルヴァヌスの舌》は、今夜の玲華のためだけに、膨大な味の設計図を組み上げていた。


(最初は、酸味と香りで食欲を刺激する。中盤は、味の濃淡と食感の変化で飽きさせない。終盤は、温かいスープで一度胃を落ち着かせ、メインの肉料理へ。そして、最後の一口まで『美味しい』と感じられるように――)


一品目、『二十四節気の野菜を使ったバーニャカウダ』。


大皿に氷と共に盛り付けられた、色とりどりの野菜スティック。

だが、圧巻なのはソースだった。

定番のアンチョビに加え、酒盗クリームチーズ、ピリ辛の胡麻味噌。

三種類のソースが、玲華の食欲の導火線に火をつける。


玲華は、いつもの優雅な所作で、しかし、いつもより遥かに速いペースで野菜を口に運んでいく。

パリ、ポリ、シャキリ。心地よい咀嚼音がマイクに乗る。


> ≫ 玲華様、食べるペース早ない?w

> ≫ えっ、ちょ、2倍速してる?

> ≫ 速いのに美しい。なんだこの光景

> ≫ ソースの減り方もえぐい

> ≫ ひかりさん、すぐさま二品目だしてる……阿吽の呼吸


二品目、『五種のキノコのポタージュ』。大鍋だ。

三品目、『小さな手まり寿司 五十貫盛り合わせ』。

四品目、『地鶏の香草焼きと、箸休めのピクルス』。


玲華の箸は、止まらない。

ひかりが作り、玲華が食べる。その幸福な円環が、凄まじいスピードで回転していく。

玲華は、もはやカメラを意識していない。

目の前の、ひかりが自分のためだけに作った料理を味わうことに、その全神経を集中させていた。


> ≫ 食べてる……玲華様がひたすら食べてる……

> ≫ あんな幸せそうな顔、見たことない

> ≫ 胃袋どうなってんだ

> ≫ ひかりさん、玲華様が食べ終わる瞬間に次出してる。神業

> ≫ #玲華様の胃は宇宙


そして、ついにメインディッシュ。

オーブンでじっくりと火入れされた、『黒毛和牛のローストビーフ』。

ブロック丸ごとである。


ひかりがそれを切り分けると、完璧なロゼ色の断面が現れる。

「……ひかりさん」

「はい。特製の山わさび醤油と、赤ワインのソースです。お好きなだけ」


玲華は、その一切れを口に運び、恍惚として目を閉じた。

これが、#玲華舌 の合図だった。


「……ああ……これは、『解放』の味です」


声が、わずかに熱を帯びる。


「今まで、私は……『ここまで』という見えない線を、自分で引いていたのかもしれません。品良くあるべきだと。けれど、このお肉の、一切の躊躇なく溢れ出す肉汁は……その線を、いとも容易く溶かしていきます」


玲華は、もう一口、今度はソースを変えて味わう。


「ひかりさん。あなたの作ってくれたすべてが、私の内側を満たしていきます。胃袋だけじゃない。この指の先まで、あなたの料理で満たされていく……。

もう、何も隠す必要のない、すべてを受け入れてもらえるという、絶対的な安心感。

この幸福な『充満』こそが……私が、あなたのそばでだけ得られる、本当の『自由』です」


それは、大食いの感想ではなかった。

それは、ひかりという存在によって、自らのすべてが満たされることへの、最大の賛辞だった。


> ≫ 泣いた

> ≫ 自由(胃袋の)

> ≫ 「あなたの料理で満たされていく」←プロポーズか?

> ≫ #幸福な充満

> ≫ #玲華様の胃袋と愛は無限大

> ≫ ひかりさん、玲華様のこと愛おしそうに見すぎ……


ひかりは、満腹になり、頬をバラ色に染めて目を細める玲華を、ただ静かに、深く、見つめていた。


(もっと、この人を満たしたい)


その欲求は、玲華の胃袋と同じく、底が知れなかった。


配信の最後、ひかりがデザートとして出した『特大プリン・ア・ラ・モード』(バケツサイズ)までペロリと平らげた玲華の姿は、視聴者の間で「伝説回」として語り継がれることとなった。

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