第15話:海風にまぎれた本音

休日になると、綾音はいつも家に戻り、帰ってくると一真の妹――真尋の部屋へ向かう。

「綾音ねえ、兄ちゃん何か言ってた?」

真尋は宿題を書きながら聞いた。

「んー……何も。」

綾音はベッドに寝転び、スマホをいじりながら答える。

「ねぇ真尋ちゃん。一真くんが私に言わない理由って、何だと思う?」

綾音は横になったまま、真尋の背中に向かって言う。

「たぶん……綾音ねえが何かしでかしそうだからじゃない?」

真尋は少し考えるように言った。

「兄ちゃんの性格だと、綾音ねえが悲しむのを心配したんだと思うよ。」

「でもさ、ひと言くらい言ってくれてもよくない?

 真尋から聞いて初めて知るとか、ひどくない?」

綾音は口を尖らせて不満を漏らす。

「綾音ねえ。」

真尋はくるりと振り返る。

「この前知ったとき……めっちゃ落ち込んでたじゃん。」

「そりゃ落ち込むでしょ! 真尋ちゃんは悲しくならないの?」

綾音は驚いたように言う。

「海外に行くだけだし……まあ、そこまででも?」

真尋はあっさり言ってまた宿題に戻る。

「兄妹そろって冷たいんだから……。」

綾音は天井を見ながらため息をつく。

「兄ちゃんはね。でも私は違うよ。」

真尋は反論する。

「あ、そうだ。あとで棠(たん)先輩が来るって。」

綾音がぽんとベッドを叩く。

「おー、久しぶり。」

真尋は少し嬉しそうに言う。

「ちょっと!? 私のときはそんなテンションじゃなかったのに!」

綾音がすぐにツッコむ。

「美術部でお世話になってるからね。」

真尋はペンを置いて言う。

「綾音ねえが来ても嬉しいよ?」

真尋は伸びをしながら続ける。

「綾音ねえ、ケーキ食べる?」

真尋が立ち上がり尋ねる。

「え? 食べていいの!?」

綾音の体は即座に跳ね起きた。

「家の甘いもの、けっきょく私しか食べないし。」

真尋が部屋を出ると、綾音は嬉しそうに後ろをぴょんぴょんついていった。

棠が来る頃、綾音はすでにケーキを食べていた。

真尋は棠の視線を追い、綾音の方を見た。

「絶対、話題は兄ちゃんのことにはならないからね!」

綾音はフォークを置いて大声で言う。

アニメだったら、三人の頭上にカラスが飛んでいたに違いない。

三人の間に沈黙が落ち、まるで時間そのものが止まったようだった。

誰も話さず、誰も動かない。

「棠先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」

真尋は、このままでは会話が動かないと思い口を開いた。

「うん、いいよ。」

棠は軽くうなずく。

「告白、されました?」

真尋はためらいなく聞いた。

「えっ!?」

綾音が目を大きく見開き、棠を見る。

「私も知らないんだけど。あったの?」

綾音が重ねて聞く。

棠は二人を見て、短く答えた。

「ないよ。」

そして付け加える。

「話しかけてくる人はいたけど……みんな途中で来なくなるんだよね。」

「それ、理由わかった気がする。」

綾音は眉を寄せる。

「なに?」

真尋が尋ねる。

「棠先輩、話し方が冷たすぎるの!」

綾音は堂々と指をさす。

「……たしかに。」

棠はあっさり認める。

棠がケーキを食べようとすると、綾音に手首をつかまれた。

「ちょっとでも温度があれば、全然違うよ!!」

棠は振り回され気味で、少し唖然としていた。

一真の話題ではここまで乱れないのに。

「でも……綾音たちは慣れてるでしょ?」

棠は手を抜きながら言った。

「綾音ねえ。」

真尋も棠の手をとる。

「棠先輩は恋愛向きじゃないよ。」

真尋は首を振る。

綾音は言い返せず、ケーキを食べるしかなかった。

しばらく後、三人は散歩に出ることにした。

時間つぶしを兼ねて近所をぶらぶらすることにしたのだ。

「真尋ちゃん、もうすぐ卒業だよね。」

綾音は壁を指でなぞりながら歩く。

「高校どこ行くか決めた?」

棠が真尋の後ろから声をかける。

「まだ。先生には、もっと上を狙えるって言われてるけど。」

真尋は足元の小石を蹴った。

「でも――行きたいとこ、特にないんだよね。」

「そうだった、真尋成績いいんだもんね……。」

綾音は少し笑う。

「なら、どこ選んでも困らないね。」

棠も言葉を添える。

「じゃあ――私も丘上に行こうかな?」

真尋は二人を振り返る。

「そしたら楽しそうじゃない?」

彼女はにこにこ笑った。

「いいじゃん!」

綾音が即答する。

「真尋なら余裕だと思う。」

棠も肯定する。

「――あ! でも私たち、兄ちゃんの話してなかった?」

真尋は急に気付く。

「そうだ、成績の話してたら……」

綾音は考え込む。

「忘れた……。」

「よく丘上入れたね……って言いたくなるよ。」

棠は頭を振ってため息をついた。

「えっと……」

真尋は思い出そうと眉を寄せる。

「仲のいい女の子の話だったよ。」

棠が補足する。

「そうそう! 忘れてた!」

綾音は棠の肩に腕を回し、

「さすが棠おねえちゃん!」

と言う。

「やめて……。」

棠は肩を震わせる。

「妹はもう十分だよ。これ以上は困る。」

「えぇ!? それひどい!」

綾音が抗議する。

真尋はその様子を見て微笑んだ。

「仲いいなぁ。」

それが彼女のまとめだった。

海からの風がゆるく吹き、どこか塩の匂いを含んでいた。

深呼吸すると、ほんのりしょっぱい味がした。

三人は海辺に着き、砂浜に足を踏み入れる。

さらさらしつつ柔らかい感触が、不思議で少し現実感がなかった。

「ここ、兄ちゃんがよく来るとこだよ。」

真尋はその場に座り込む。

「っぽい場所だよね。」

綾音は空の白い雲を見上げる。

「一人で来てるの?」

棠が座りながら聞く。

「私もついて行ったりするよ。あっちの商店街で時間つぶしたり。」

真尋は近くの通りを指さした。

「そういえば、近所の女の子と来ることもあるよ。」

真尋は砂を手に取りながら続ける。

「吉城千夏子っていうんだけど、幼稚園の頃からの友達。」

綾音は流れ落ちる砂を見つめながら、ぽつりとつぶやく。

「ただの近所じゃなかったんだ……。」

「綾音ねえ?」

真尋は様子に気づき問う。

「知ってる子だけど……幼稚園からってのは知らなかった。」

綾音は言う。

「丘上にもいるよ。最近知り合っただけだけど。」

「じゃあ――ついでにもう一人。」

真尋は砂に名前を書く。

吉城千夏子、小野紗良

真尋は“小野紗良”を指さす。

「この子、小学校の同級生。同じ中学だったし、兄ちゃんとけっこう仲いいよ。」

「じゃあ千夏子は?」

棠が聞く。

「兄ちゃんが帰省してるとき、よく会いに来てたよ。

 私もたまに連れて行かれたけど、ほとんど二人で出かけてた。」

「なんで真尋は行かないの?」

棠が問う。

綾音は二人の話を聞きながら、頭の中で並べていた。

千夏子

紗良

そして自分

……三人?

わたしたち――

「綾音。」

棠が突然、綾音の目の前で手を叩いた。

綾音はビクッとして彼女を見る。

「ねえ……こういうのって、ありえる?」

綾音はぼんやりしたまま尋ねた。

真尋も棠の返事を待つように見ている。

「……なくはない。」

棠はすぐに意味を察した。

続けて真尋の顔を見る。

「真尋も、同じこと思ってるよね?」

真尋は数回瞬きしてから、ぽつりと言った。

「見る目ないってこと?」

綾音の顔から一気に血の気が引く。

「ハイタッチ。」

棠が手を上げる。

「ハイタッチ!」

真尋も合わせる。

「でも綾音ねえ、大丈夫だよ。

 私から見ると、全員チャンスは同じくらい。」

真尋は笑顔で言う。

「なんで……。」

綾音は肩を落とす。

「兄ちゃん、誰のことも特別って言ったことないからね。」

真尋はスマホを取り出す。

「兄ちゃん、何でも私に話すから。」

……それ、嬉しくない。

「気分さらに落ちてきた……。」

綾音は作り笑いを浮かべる。

「まだ“海外行く話”どうするか話してないのに。」

真尋は棠を見る。

「海外留学なら大丈夫でしょ?」

棠は言うが、その視線は綾音へ向く。

見えなくなる?

遠くなる……?

「わたし……」

その瞬間、綾音の頬を涙が伝った。

棠は目を閉じ、一瞬悔しそうな表情をして、すぐに真尋と一緒に綾音を抱き寄せた。

海風が運んでくる塩気。

あれは――涙の味だった。

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