第9話:ひとつの午後、三つの想い。

昼が近づくにつれて、気温はどんどん上がっていった。

ゆらぐ熱気のせいで、通りを歩く人たちはみんな日陰へ逃げ込むように動いている。

「ねぇ……この暑さ、なんか食欲なくなるんだけど……」

合流した三人は、ちょうどファミレスに入ったところだった。

紗良は、手でパタパタと扇いでいる葵をちらっと見て言った。

「でも、あんた注文めっちゃ多いじゃん。」

千夏子も、葵の前に並んだプレートをじっと見る。

追加されたステーキまである。

店内のクーラーは心地よくて、外の熱気は席についた瞬間少しだけ落ち着いた。

……とはいえ、食欲が戻るほどではなかった。

「ここの店、おいしいんだもん!」

葵はそう言いながら肉を切り、フォークに刺して紗良へ差し出した。

「ほら、あーん。」

紗良は思わず笑って返す。

「うちら同じの頼んだよ。忘れた?」

「……あ、ほんとだ!」

葵はそのまま手を千夏子へ向ける。

「じゃあ千夏子、食べてみ? 外食あんまりしないでしょ?」

千夏子は少し恥ずかしそうに「ありがとう」と受け取り、ぱくりと食べた。

「小千、ほんと礼儀正しいよね~。」

葵はフォークを引きながら言う。

「いや、あんたが外向きすぎるだけでしょ。」

紗良がすぐ突っ込む。

それから紗良は千夏子へ顔を向けて言った。

「吉城さん、知ってるよね?」

「……え? なにを?」

千夏子はハンバーグを切りながら首をかしげる。

「こいつさ、知らない人でも平気で話しかけるの。」

紗良は葵を指差す。

葵は口いっぱいに肉を詰め込んでいて反論できない。

「うん、知ってる。」

千夏子はくすっと笑い、今度は葵へ肉を差し出す。

「私、彼女と知り合ったのもそのせい。」

「ちょっ……!」

まだ飲み込めていなかった葵は無理やりゴクッと呑み込み、紗良に向かって叫んだ。

「紗良とだってそうだったじゃん!」

「うん、忘れようがない。」

紗良は言いながら、器の野菜をフォークで刺し、まるで餌をあげるように葵へ差し出す。

「幼稚園のときの話だけどね。」

紗良がニヤッと笑い、フォークをひらひらと動かすと、葵は首をすぼめて野菜を避けた。

――そのとき。

「ピロン。」

紗良のスマホが震えた。

「……日比野くん?」

画面が見えた千夏子は、一瞬だけ目を丸くした。

紗良は通知を見た瞬間、動きをぴたりと止めた。

でもすぐに、何もなかったようにまた葵へ野菜を押しつける。

千夏子は、イヤそうに顔をゆがめる葵を横目に思う。

(紗良ちゃん、一真くんとも幼なじみだったんだ……)

彼女はそっと自分の皿を持ち上げた。

「葵、野菜苦手でしょ? 私が食べよっか?」

「ダメ。あんまり甘やかすと調子に乗るから。」

紗良はすぐに皿を押し戻し、素早く野菜を葵の肉に刺した。

「小千……私の肉、汚染された……」

葵はうるんだ目で千夏子を見る。

「叔母さんに“野菜もっと食べさせてあげてね”って言われたし。」

紗良は涼しい顔で返す。

千夏子は二人を見て、そっと笑った。

自分は中学で葵と知り合ったけれど、この二人の距離感は……。

(もし転校してなかったら……)

そう思った瞬間、紗良のスマホがまた震えた。

一真からだ。

(……幼稚園の友達だけじゃないんだろうな。)

千夏子は一瞬口を開きかけたが、結局言葉を飲み込んだ。

「どうしたの?」

紗良が気づいて覗き込む。

「えっ……私、顔になにかついてる?」

紗良は慌ててティッシュで顔を拭く。

「違う違う。」

千夏子は首を振る。

「さっき……」

言いかけたところで、

「小千って、たまに“ぼーっ”てするよね。」

葵がもごもごと口の中の食べ物を動かしながら言った。

「まず飲み込んでから喋りな。」

紗良はぷにっと頬をつつく。

「じゃないと吐くよ?」

「うぅ……小千みたいに優しくできないの?」

頬を押さえながら葵がむくれる。

二人は同じ帰り道で、綾音の押しに負けてかき氷屋に入ることになった。

店内は昔ながらの飾りが並び、冷房がよく効いていて少し寒いほどだった。

「ねぇ、一真くんたちって幼稚園同じだったんだよね?」

綾音はスプーンをくわえたまま聞く。

「うん。」

一真は短く答える。

「長期休みは、いつも実家で会ってたんでしょ?」

「まぁ、そうだね。」

「ふーん……じゃあ、紗良ちゃんのほうが有利かも。」

綾音はぼそっとつぶやき、氷を口に運ぶ。

一真は聞こえていたが、答えなかった。

「で、一真くんってどんな子が好きなの?」

綾音が身を乗り出す。

「考えたことない。」

一真はわざとらしく考えるふりをして返した。

「ほら、早く食べないと溶けるよ。」

と、逆に綾音の皿を見る。

綾音は「えへへ」と笑ってスプーンを動かし続けた。

──一真が返してくれないから、質問も続かなくなっていた。

その間、一真はスマホを取り出して打ち始める。

綾音は細めた目で覗き込む。

「見えてるよ。」

一真は画面を見たまま言った。

「へへっ。」

綾音は舌を出して氷をつつく。

一真は未読のメッセージを見て、しばらく考えこむ。

綾音もつい、それを横目で見てしまう。

「なにその眉間のしわ。難しいこと?」

綾音がスプーンで皿をつつきながら訊く。

「テストより難しい。」

一真は淡々と答えた。

「氷、溶けるよ。」

綾音のひと言で我に返る。

「……あ。」

一真はスプーンでざくっとすくい、一気に飲むように食べた。

そして打った。

『たまには自分のクセ、気をつけなよ。』

送り終えると、スマホをしまった。

──送信先の表情を想像して、少しだけ笑った。

綾音はその笑顔を見逃さなかった。

「……誰と話してたの?」

溶けかけの氷をいじりながら訊く。

「友だち。」

一真はそう言って、やわらかい声で続ける。

「今日、すき焼きでもどう?」

「えっ……うーん、ほかのものがいい!」

綾音はぱっと顔を上げた。

「じゃあ材料買いに行こう。まずは……」

一真は綾音の皿を見る。

「食べ終わってからな。」

「はーい!!」

綾音は嬉しそうにスプーンを握った。

買い物ついでに街をぶらぶらしていると──

「小千!!」

葵がクレーンゲームの前で騒ぎ出した。

紗良と千夏子が振り返る。

「なに?」

千夏子が寄っていく。

「ほら、小千のカバンについてるクマのやつ!」

紗良も横から覗き込む。

「これ……」

千夏子は思わずガラスに顔を近づけた。

パンダの限定マスコットが入っていた。

「レアじゃん! クレーンに入ってることあるんだ?」

紗良が言う。

葵は驚いて紗良を見た。

「なんで知ってんの?」

「友だちが好きで、前一緒に買ったことあるから。」

「へぇ、趣味一緒なんだね。」

千夏子は穏やかに笑う。

「葵だけ、うちらの仲間じゃないね。」

紗良が軽く意地悪を言う。

「今日から仲間になるし!!」

葵は財布を取り出し、自信満々で言った。

紗良は千夏子と目を合わせてそっとため息。

「葵のクレーンの才能……知ってるよね?」

紗良がささやく。

千夏子は控えめに頷いた。

「関係ない!!」

葵はコインを投入した。

そのとき──

「ねぇ、小野さん。」

千夏子が思い切って口を開いた。

「ん? なに?」

紗良が首をかしげる。

「……丘上高校にも、友だちいるんでしょ?」

紗良の心臓が跳ねる。

──まさか。

「勘だよ。」

千夏子は優しく笑った。

クレーンが上がり──落ちた。

「なんでぇ!!」

葵が叫ぶ。

紗良は小さくため息をついた。

「……あ、当たった。」

紗良はぎこちなく笑う。

「当たりじゃないよ。」

千夏子は小さく首を振った。

「さっき……通知、見えちゃって。」

すぐに続けて言った。

「ごめん、見えたのは名前だけ。」

「大丈夫だって〜。」

紗良は慌てて笑いながら返す。

千夏子は柔らかく言う。

「日比野一真くん、でしょ?」

クレーンが再び落ちていく。

「次こそ取る!!」

葵が叫んだ瞬間──

「紗良って、さあ──」

葵が言いかける。

紗良は瞬時に葵の手をつねった。

「ごめん!! 悪口かと思って!!」

紗良は両手を合わせて謝る。

「私のチャンス奪ったぁ!!」

葵は怒りながらまたコインを投入した。

その横で、千夏子は小さくつぶやく。

(紗良ちゃん……好きなんだ。)

「で、これからどこ行く?」

千夏子が話題を変える。

「まずは取ってからだってば!!」

葵はガラスに額をつけて叫んだ。

紗良は困ったように千夏子へ視線を送る。

(やば……絶対気づかれた。)

一瞬の沈黙。

千夏子はそっと紗良を見つめた。

──それでも、その表情はやさしかった。

買い物の途中、綾音が急に叫んだ。

「見て! 特売の肉!!」

「……ねぇ、一真くん。」

肉を持ちながら綾音が急に問う。

「吉城さんって……一真くんのこと好きなんじゃない?」

「なんで急に?」

一真は少し驚いた顔を向ける。

「なんとなくっ!」

綾音は牛肉と豚肉を両手で持って、一真に押しつけるように近づく。

「冷凍すれば長持ちしそうじゃない?」

綾音は得意げだ。

「いや……新鮮な方がいい。」

一真は苦笑いしながら返す。

綾音は豚肉を棚に戻し、ぼそっとつぶやいた。

「でもさ、一真くんって……思ってるよりモテるよ?」

「なんで。」

一真は首をかしげる。

(あ、そうだった。綾音って思ったことすぐ言うタイプだ……)

綾音は振り返り、にこっと笑った。

「だって、私は好きだよ。えへへ。」

「ふーん。」

一真は淡々と返すが──

次の瞬間、綾音の声を真似て言った。

「ほんとありがとねぇ〜。」

「やめて!!」

綾音は顔を真っ赤にした。

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